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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
7章 殿下の神託で不具合が起きていた話
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6


「へぇ、ラディルさんとお知り合いなんですね」

「はい」

 ウルティカが数日おきに城を訪れるようになって、これが三度目の訪問である。

「ゼルキス港に船舶を泊められるようになった話は、以前しましたよね。そのとき口添えして下さったのが、領主代理のラディルさんで」

「あ、ラディルさん今、領主代理なんですね」

「はい。お父様の体調がここのところ優れないみたいで」

 たどたどしくケーキを食べながら、私は大きく頷いた。負傷していない方の肩は普通に動かせるものの、如何せん利き手をやられてしまったせいで、何をするにも上手くいかない。えっちらおっちら食器を動かす私に、ウルティカが「慌てなくて大丈夫ですよ」と微笑む。

 ……最後の一口がどう足掻いてもフォークに乗らない。八度目の挑戦の末、私は諦めてフォークを置いた。


「アルカさんは、ラディルさんとはどこで?」

「あー……、お城の催し事のときに、少し絡まれまして」

 私は遠い目をした。思えばたった二回しか会っていないものの、やたらと濃い人だった。やたら打たれ強く、そしてしぶとい。めんどくさい人である。多分悪い人じゃないんだろうけどなぁ。

「何とかして王家に近づきたかったみたいで、私に狙いを定めたんですけど、」

「……殿下に撃退されましたか?」

「ご名答です」

 ウルティカは何やら深く納得したような顔で数度首を上下させると、どこか彼方の虚空を仰ぎ見た。やれやれと言わんばかりの顔に、何だか居心地悪くなる。


「そういえばウルティカ、」

 私はふと思い出してウルティカに視線を向けた。ウルティカは「はい」と首を傾げる。

「お城で他にも何かすることがある、みたいなことを、この間言っていませんでしたか?」

 私が問うと、ウルティカは頬に手を当てて「あー……」と上を見た。何やら歯切れの悪そうな態度に眉をひそめたところで、部屋の扉が叩かれた。


「こんにちは、ウルティカ嬢」

「お邪魔しております、ユリシス殿下」

 一瞬で綺麗な微笑みを作って、ウルティカが小さく頭を下げる。部屋に入ってきた殿下が、私の前にある皿を見下ろした。……そこには、私が利き手とは逆の手で必死に奮闘した形跡がありありと残っている。

「見ないで下さい……」

 私は隠すように皿の上に片手をかざして、ぼそぼそと言い訳を零した。殿下はウルティカに向けていた澄まし顔を一気に緩めると、私の隣にすとんと腰掛けた。

「そうだよね、左腕が動かせないから、食べづらいよね」

「ちょ、殿下、一体何を」

 私が放棄して皿の上に置いたままだったフォークを手に取る。殿下はいそいそと最後の一口分のケーキを掬うと、満面の笑みで私の口元に差し出した。


「ら、来客中ですよ、殿下」

「いえいえ、お構いなく」

 完全に腰が引けた状態である。何とか回避しようと思ったのに、ウルティカからの追撃が襲い来る。殿下は更に勢いづいて笑みを深める。

「ほら、アルカ。おいで」

「いやぁ……」

 私は顔を引きつらせて首を横に振った。殿下はすっと目を眇めると、口角を持ち上げる。手の向きを変えて、これ見よがしに口を開けた。

「じゃあこれは、僕が貰うね」

「待ってくださいよ、それは私の」

 ひどい。それはあまりに横暴というものである。私は文句を垂れながら殿下に詰め寄った。

「おやつ、んむぐ」

 身を乗り出して制止しようとした私の口に、ケーキの乗ったフォークを突っ込む。舌に広がった甘味に思わず相好を崩しかけて、私は慌てて首を振った。


「こ、こういうの、やめてください……!」

 ちらちらとウルティカを目で指しながら訴えるが、殿下はどこ吹く風である。ウルティカもウルティカで「私のことはお気にせず」と親指を立てている。私はがくりと項垂れた。

「そんなに嫌だった? ごめん、じゃあもうしないね」

「…………。」

 わざとらしい困り顔で殿下が眉根を寄せる。私は無言のまま殿下をじろりと見据えた。

「そういう、いちいちやらしいとこ、嫌です」

 むすっとして腕を組むと、殿下は「参ったな」と、全く参ってなさそうな顔で肩を竦める。


「そう怒らないであげてください。もうじきアルカさんと顔を合わせられなくなるかと思うと、殿下も寂しいのですわ」

「な……っ!?」

「ハッ……なるほど……!」

 私は口に手を当てて殿下を振り返った。殿下は突如としてウルティカからの狙撃を食らって、口をぱくぱくさせている。私は「なーんだ、」と破顔して殿下の顔を覗き込んだ。

「殿下、寂しかったんですか? 可愛いところもあるじゃないですかぁ」

 私がにたにたと頬を緩めて脇腹をつつくと、殿下はしばらく憮然とした様子で黙り込んでから、耳を赤くして「悪い?」と腕を組む。何とも見事な開き直りっぷりである。


「――明後日には、アルカはもうここにはいないんだよ」

 殿下は僅かに眉をひそめて、私の目をじっと見つめた。そんなことをまるっと忘れていた私は、いきなり突きつけられた事実に息を飲む。

「でん、か……」

 私が呆気に取られて呟いたところで、ウルティカが音もなく立ち上がる。「あら、急用を思い出してしまいましたわ」と白々しくウインクすると、ぐっと親指を立て、風のように去った。……余計な気遣いである。そのせいで変な空気になってしまった。


「あー……えーと」

 私は微妙な空気をかき分けて口火を切る。

「明日の夜中……ですよね。出発」

「うん……」

 殿下もぎこちなく頷き、それから視線を泳がせた。『さあイチャつけ』と言わんばかりの笑顔で出て行ったウルティカのせいである。逆に気まずい。

「半日もすれば向こうに着くから、あまり長旅でもないし、そこまで気負わなくても良いよ」

「そうですね」

 必死に話題を探した様子で殿下が話を振ってくれたのに、投げられたボールをうっかり叩き落としてしまう。部屋が一瞬静まりかえった。


 ……殿下は一度長い息を吐くと、それから私を振り返って微笑む。

「――寂しく、なるね」

「私もですよ」

 私は静かに頷いた。テーブルに頬杖をついて、殿下が目を伏せる。その表情がいつにも増して幼く見えて、私は思わず唇を引き結んだ。


 私は大きく息を吸って、殿下の頬に片手を触れた。手のひらに巻かれた包帯にはようやく血が滲まなくなってきた頃である。それでも完全に手を触れるのは躊躇われて、私は指先だけで殿下の視線を向けさせる。

「大丈夫ですよ。――私はまた、ここに戻ってくるんですから」

 私が力強く微笑むと、殿下は僅かに目を見開いてから、ゆっくり、しかし確かに首を上下させた。

「それがいつになるのか、今のところは分からないんですけど……。でも絶対、私、ここに戻ってくるんですよね」

「……その通りだ」

 殿下は目を細めて、深く頷く。私は笑みを深めて、手を引っ込めた。

「帰ってきたら、一番に迎えに来て下さいね」

「門の前で待っててあげる」

 殿下の言葉に「楽しみにしています」と返して、私は視線を逸らした。


「……ありがとうございます、その、色々と」

 寂しくはあるが、私は正直、この城を離れることが出来ることに、安堵してさえいるのだ。城門前から聞こえる怒号からも、自分だけが何も出来ないやるせなさからも逃げられる。それはいささか無責任なのかも知れないけれど、それでも。

「ん? 何のこと?」

 殿下は真っ向からしらばっくれた。笑みを湛えつつ、人差し指をそっと唇の前に立てる。その仕草に、私は小さく嘆息した。やっぱりお見通しだったらしい。


「持って行く荷物はまとめた?」

「はい」

 私は部屋の隅に置いてある鞄を指し示す。殿下はそちらを窺ってから頷いて、立ち上がった。

「そろそろ戻って色々片付けないと、アルカの出発を見送れなくなっちゃうな」

 苦笑交じりにそう言って、殿下は椅子を戻す。腰を浮かせた私の肩を押して再び座らせると、頬に手を当てて身を屈めた。


「雪が解ける頃までには、きっとまた戻ってこれる」

 囁いて、殿下は額に一瞬口づけると、すぐさま姿勢を戻す。

「アルカがまた安心して暮らせるように、僕はここで、僕に出来ることをするから、」

 殿下は大股で部屋を横切り、扉に手をかけてこちらを振り返った。私は座ったまま、殿下に向かって頷く。

「私は、私に出来ることをして、待ってます」

「まずは怪我を治すことに集中してね。間違っても左手が使えないからって右手で剣を扱う練習とか始めたら駄目だよ」

「うっ!」

 荷物の中に突っ込んでいた剣を指した殿下に、私は思わず盛大に目を逸らして口ごもった。殿下は腰に手を当てて深いため息をついた。

「剣は、置いていった方が良いんじゃない?」

「で、でも……」

 私は唇を尖らせてぶつくさと言い訳を垂れる。殿下は肩を落として、やれやれと言わんばかりに眉を上げた。



 ***


 背負おうとした荷物を、ひょいと持ち上げられる。

「負傷中だろ」

「あ、どうも」

 先輩が私の荷物を担ぎながら、「忘れ物はないか」と私を見下ろした。私は身の回りをぱたぱたしてから「大丈夫です」と頷く。

 結局、剣は置いていくことにした。別に使うこともないだろうし、殿下に心配をかけるのも嫌だし。どうしても手元に欲しくなったら言伝でも出せば良い。


「ふぁあ……」

「緊張感ってものは持ち合わせているか?」

 夜中の出発だ。仮眠はとったものの、眠いものは眠い。私はあくびを噛み殺すと、廊下を歩く。カーテンは全て閉め切られ、事情を知らない人に目撃されないよう、私の通る通路は厳戒態勢である。

「ここで誰かに見られたら何の意味もないんだからな」

「分かってますよぉ」

 頭から上着を被り、私は顔を隠した。そろそろ渡り廊下に差し掛かるので、口を閉じ、足早に通り過ぎる。もちろん私と鉢合わせしないように、様々な場所に近衛が配置されてはいるが、……どこから見られるか分かったものではない。



 素早く、足音を忍ばせて、私たちは城の裏口へ向かった。そこに、私の乗る馬車が用意されている手筈である。

「お待たせしました」

 城の裏手、馬車や荷車の発着場にたどり着くと、角灯を掲げた殿下が「時間通りだね」と頷いた。先輩が私の荷物を馬車の中に置いて、自身も乗り込む。私は馬車の前に立ったまま、殿下に向き直った。

「アルカ、おいで」

 殿下が角灯を下ろして手招きをするので、私は一歩踏み出して殿下に近づく。白い息が細く伸び、私は殿下の鼻先が赤くなっていることに気づいた。殿下はこの日の為に、夜に寒空の下を散歩するという習慣をでっち上げているのである。本人は私に隠しているつもりらしいけれど、普通にバレバレだった。


 灯りは目を引く。殿下は角灯の中の炎を吹き消した。辺りが暗闇に沈み、馬が鼻を鳴らす音と、どこか遠くを風が吹き抜ける気配ばかりが耳に届いた。

 私の目が慣れるより早く、殿下は私の頬に手を当てる。ひやりとした指先に驚いて、一瞬首を竦めると、殿下は堪えきれずに笑ったようだった。それから真剣な声音になって告げる。

「……これから情勢がどうなるか分からない。こちらの情報がすぐにアルカのところに届くとは限らないし、あまり頻繁に連絡を取り合うことも出来なくなると思う」

「はい。……分かってます」


 俯き加減に頷いた私に、殿下が息混じりの声で囁いた。

「約束して、アルカ。たとえ僕の身に何が起こっても、決して無茶はしないって」

「……何ですか、それ」

 私は呆然と呟く。――それではまるで、何かが起こるみたいな、

「アルカ。約束して欲しい」

「いや、です」

 私は闇に紛れて見えなくなった殿下の顔をじっと見つめて、ふるふると首を揺らす。殿下が困ったように息を漏らした。


「殿下、教えてください。殿下は、一体何を予測しているんですか」

 私は殿下の胸元に縋り付くようにしながら、殿下を前後に揺さぶる。不意に迫ってきた嫌な予感に、体が震えた。

「私、殿下の考えていることが、分からない。私はいっつも何も分からないノロマです。殿下が教えてくれなきゃ、私、自分が何をしたいのかも分からないんです」

「……アルカ。君は既にもう、その段階を過ぎたはずだよ」

 殿下は静かに応じた。私の手をそっと外して、背を丸めて顔を近づける。

「君がどうしたいかは、すべて君の意志次第だ。その上で、僕は、君に約束して欲しいと頼んでいる」

 ようやっと目が慣れてきて、私は薄らと見えるようになった殿下の表情を見つめた。真剣な表情で、殿下は私を見据えていた。角灯を地面に置く音がする。殿下は両の手で私の頬を挟んだ。

「……私だけなんて、ずるいです」

 それでも私は頷けなかった。殿下は一度目を見張ってから、声もなく微笑んだ。私はぐっと目線を強めて、頬に当てられた手の上に、自らのそれを重ねる。

「約束してください、殿下。――絶対に、無事でいるって。一番に、迎えに来てくれるんですよね」

「……うん」

 殿下は酷く柔らかい表情で首肯した。息を漏らして、互いの額を合わせる。私は傷が引きつるのを感じながら、殿下の手を優しく握った。


「――私は、あなたと生きたいんです、ユーリ」


 囁くと、殿下は際限なく甘ったるい顔をして、私の頬を撫で上げる。応じるように背を伸ばし、顎をもたげると、殿下は息だけで笑った。

「うん。……うん、そうだね。もちろんだ」

 噛みしめるように呟いて、片手を首元に滑らせる。身を屈め、息が重なりそうな距離で目を合わせて、彼は艶然と微笑んだ。


「……好きだよ、アルカ」

 額、鼻先と順に唇を押し当て、最後に殿下は一抹の躊躇いを含んだ瞳で私を見下ろす。私が目を見開いたままでその視線を受け止めると、殿下は一度、ゆっくりと瞬きをした。



 頬と首に触れる指先に、僅かに力がこもる。一瞬だけ、殿下は唇に触れた。……それから数秒の間、白い息が混ざるような至近距離で、馬鹿みたいに見つめ合っていた。





 ……ん? 今何した? 私は目をぱちくりさせて、今しがた起こったことを反芻する。

「……待って! わ、私、今のが初めてです、殿下!」

 私は愕然として飛びずさった。殿下は「いきなり正気に戻らないでよ」と額を押さえ、それから私の背をとんと押した。馬車の中では、先輩が耳を塞いで寝たふりをしている。

「終わったか?」と片目を薄ら開けて確認されたので、私はこくこくと頷いた。ぎこちない動きで馬車に乗り込む間、殿下がじっと眺めてくる気配を背中に感じていた。やめてほしい。

扉を閉めて窓から顔を覗かせると、殿下はひらりと手を振る。


「……じゃあね。感想は次に会ったときにでも」

 そう言って、殿下が手振りで御者台に合図を出した。馬が足踏みをする蹄の音がした。

「か、感想って……」

「そしたらまた、ね」

 さりげなく唇を指し示しながら、殿下がくすりと笑う。私は歯ぎしりをして、拳を握った。

「でで殿下だって照れてるくせに!」

「そりゃもちろん」

 しれっと頷いた殿下をよそに、馬車がゆっくりと動き出す。私が手を伸ばすと、殿下は指先に触れた。


「またね、アルカ」

「お元気で、」


 殿下は数歩だけ、馬車を追うように歩いた。やがて、重なっていた指先が離れる。馬車は順調に走り出した。殿下が遠ざかる。

 先輩に引き戻されるまで、私は窓から身を乗り出して、ずっと、後ろを見ていた。




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