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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
2章 殿下は私の主君だという話
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3




 まだ明るい内に、私たちは聖都を出た。聖都からほど近い街で一泊する予定とのことで、私たちは徐々に傾いてくる太陽を眺めながら、草原を駆け抜ける。遠く、地平線の少し上に薄らと影を見つけて、私は目を眇めた。

「あれが今日泊まる街ですか?」

 隣をゆく先輩に声をかけると、先輩は頷いて手綱を握り直す。

「大神殿とか、そうじゃなくても聖都に泊まるんじゃ駄目だったんでしょうか」

 既に空は夕暮れで、きっと街に着く頃には真っ暗になっているだろう。日程も正直相当キツキツで、殿下を連れて遠出するには、あまりに忙しすぎる。

「そこは何か、王家の威信みたいな何かが絡んでてな」

 先輩も曖昧な言い方で肩を竦めた。なるほど、私が聞いてもよく分からない分野だろうな、と思いながら、私は小さく頷いた。



 ふぁ、と欠伸を漏らしながら、殿下が馬車から降りる。馬車の中で眠っていたようで、その後頭部の髪が僅かに浮いていた。あらかじめ決めてあった宿を見上げると、殿下は先導されるがままに、私たち近衛に囲まれて宿に足を踏み入れた。

 豪華なお宿だ、と私は吹き抜けになった玄関に目を走らせながら考えた。清潔な広い玄関には、ちらほらと他の客の姿も散見される。皆、このような宿を利用するだけあって、随分と裕福そうに見えた。


 夕食の席へ向かう道すがら、殿下が振り返ってきょろきょろと周囲を見回した。すぐに私に目を留めた殿下が、ふっと頬を緩めて手招きするので、私はいそいそと殿下に近寄る。

「どうかされましたか?」

 軽く屈んで目線を合わせると、殿下は私の手を引いた。

「今日はアルカも一緒に食べよう」

「えっ、それは」

 思わず腰が引けてしまうが、殿下は笑顔ながら一歩も譲る様子を見せず、私の手を放さない。しばらく無言で視線の圧力を受けていたが、ややあって私は根負けして項垂れる。

「託宣人として正式に認定された訳だし、お祝いに、ね?」

「はい……」

 手首を掴まれたまま、半ば引きずられるようにして、私は広々とした食堂に入った。



 案内された席までたどり着くと、私は殿下の為に椅子を引いて待機した。……殿下が来ない。何でだ、と殿下を見やると、殿下は殿下で隣の椅子を引いて待っていた。

「殿下、どうぞ」

「アルカ、ここ座って」

「いえそんな、殿下に椅子を引いて頂くなんて、恐れ多いです。さ、こちらへ」

「僕の好意を無碍にするって?」

「いいいいいいや、そんなことは! で、でも、殿下が先に座るべきです」

「アルカ」

「殿下ぁ……」

 私と殿下がにらみ合い、膠着状態に陥ったところで、背後にいた隊長が手を叩いた。

「同時に座ればよろしいでしょう。はい、せーの」

 合図に合わせて座ってから、私は思わず独りごちた。何を馬鹿なことをやっているんだか。


 一定の距離を保ったところで、本来なら私も混じっているはずの近衛たちがこちらを見ている。何だか居心地が悪い。

「殿下、どうして私はここに……?」

「少し話がしたかったんだ。旅先ではその機会がなかなかないからね。今日だけだよ」

 そうですか、と、私は殿下の手から水差しを奪い取りながら頷いた。グラスに水を注いで渡すと、殿下はにこりと頬を緩める。

「アルカ、認定の前にしていた話の続きをしよう」

 咄嗟に何のことを言われているのか思い出せず、私は目を瞬いた。殿下は一口飲んで、息をつく。


「……アルカは、僕の護衛官を続けたい?」

 単刀直入に向けられた言葉に、私は思わず唇を引き結んだ。その表情を何と受け取ったのか、殿下は眦を下げて笑った。

「アルカ、託宣人がどのように振る舞うかについての規定はないんだよ」

 それは、知っている。私は力なく頷く。でも、だ。

「僕はアルカの好きなようにさせてあげたい」と殿下は柔らかい声でそう告げた。その言葉に、私は唇を噛む。

「でも、それで、私は役目を果たせるんでしょうか?」

 殿下が首を傾げた。


「勘違いはされないで欲しいんですけど、……私、殿下の託宣人として選ばれたこと、ものすごく戸惑ってはいますが、本当に嬉しいんです」

 でも、と私は言葉を繋いだ。

「私は殿下ほど賢くもないし、知識もない。できるのはせいぜい……殿下をお守りすることくらいです」

 こんなに色々なことを考えたのは初めてだった。つっかえつっかえ、私は訴える。

「その為に私は近衛にいるのに、託宣人だからという理由で、きっと私はこの先も近衛を外されることが増えます。そんな風に託宣人と近衛の両立ができなくて、どっちつかずになるんだったら、私はただの、役立たずの穀潰し、です」

「そんなことない!」

 殿下が机を叩いて私を振り返った。殿下の目が真っ直ぐに私を見上げる。その眼光の鋭さはもはや睨んでいるとでも言うべきだった。

「託宣人に関する、一番正確な説明は、『神託を下された人間の側に侍る人間』だ。アルカがどのような形であれ、僕の側にいるだけで、託宣人としての役割は果たしているし、僕もアルカがいてくれればそれで十分なんだよ」

「……意味が、分かりません。側にいるだけで良いなんておかしいです。私、殿下にまだ何も」

 私は眉を顰め、小刻みに首を振りながら呟く。殿下は一瞬目を見開き、それから僅かに肩を落とした。その動作に失望の色を感じ取って、私は思わず体を竦める。


「――アルカが、僕を『恩を返すべき主君』としてしか見ていないのは、よく分かったよ」

 殿下が、目を伏せながらそう言った。私は返す言葉を見つけられず、口を半開きにしたまま黙り込んだ。


 それからしばらく、運ばれて来た料理を黙々と食べるだけの時間が続いた。



 ……近衛の仲間たちに見張られながら、私は何故か殿下の隣にいる。そのことが本当に居心地が悪くて、私は悶々とした気持ちを抱えていた。私は一体、何のためにここにいるのだろう。

 殿下も特にもう何も言わず、慣れた手つきで食事を進めている。私はいまいちこういった場での作法が分からず、狼狽え戸惑いながら、何とか殿下の真似をして食べ進めた。


 とはいえ、付け焼き刃にも限界がある。

「あっ、」

 肘が当たって、並べられていたナイフをいくつかテーブルから落としてしまう。鋭い金属音が響き、職業柄ぴんと気が立ってしまった。穏やかな静けさがあった部屋に、不快な音が走った。

「大丈夫?」

 殿下が目を見開いてこちらを見やる。私は青ざめながら頷いた。「ごめんなさい」と消え入るような声で呟くと、殿下はにこりと笑って首を横に振った。


「大丈夫ですか」と給仕が近づいてきて、落ちてしまったナイフを拾い上げる。新しいものに取り替えられ、私は体を小さくしながら礼を言った。

 全くもってダメダメである。最悪。私は長い息を吐いた。

「アルカ、気にしなくていいよ。ね」

「別に、全然気にしてないですし……」

「こんなに見え透いた嘘は久しぶりに見たよ」

 私は俯きながら唇を尖らせる。殿下がぽんと軽く私の背を叩いて、小さく笑った。



 軽くやらかしてしまったら、何だかもう逆に気が楽になってきた。美味しいものは美味しいのである。そう自分に言い聞かせて、私は運ばれて来たスープを見下ろした。湯気が立って、とても美味しそうな野菜のスープだ。

 隣では給仕が殿下の前にスープを置こうと、身を屈めているところだった。それにしても、本当に美味しそうだ、と、私は湯気を顔に受けながら微笑む。

「…………?」

 私はふと違和感を覚えて、目を見張った。動きを止めて、思案する。ふわりと、鼻の奥に届くような、ほのかな甘い香り。……どこか遠い昔に嗅いだことのある匂いがした。何の匂いなのか思い出せない、けれど、何となく嫌な予感がして、私は殿下を振り返る。殿下はスプーンを口元へ運ぼうとしている、まさにその間際だった。


「っ駄目です、殿下!」

 スプーンを殿下の手からたたき落とし、私は殿下からスープ皿を遠ざけた。液面が激しく波打つ。

「アルカ?」

「……殿下、これは、食べちゃ駄目です、」

 私は震えながら首を横に振った。思い出せない、思い出せないのだ。私はどこで、この匂いを、嗅いだのだっけ。


 スープを運んできた給仕は、近くに控えたまま怪訝な表情で私たちを見守っている。ふと、その給仕が、腰に手をやる動きを視界の隅で捉えた。背筋がヒヤリとする。私は咄嗟に立ち上がりざまナイフを引っ掴み、殿下をかばうように振りかざした。

 確かな手応えがあった。キィン、と、鋭い音が響き、ナイフが私の手から弾き飛ばされる。悲鳴が広い部屋に広がった。周囲で控えていた近衛が一斉に剣を抜く。


 給仕の手にある短剣に、私は息を飲んだ。剣を抜くと、私は空いた右手で殿下の腕を掴み、胸元に抱き寄せる。殿下は訳が分からないといった様子で、なすがままに引きずられた。

「何が目的だ、あんた」

 私は給仕を睨みつけ、低く吐き捨てる。給仕は短剣を構えたまま、大きな動きでため息をついた。それまで慇懃な態度を崩さなかった給仕が、どこか危うい笑みを浮かべたまま、恍惚と語る。

「――腐敗しきった王家に対する鉄槌ですよ」

 殿下が息を飲んだ。殿下の耳を塞ぎたかったけれど、剣を持った私の手では叶わない。

「神殿と癒着し、神託などという戯れ言を真に受け、国を左右する。……馬鹿馬鹿しい」

 私は目を見開いた。周囲にいた近衛や、関係のない客たちが、一斉に空気をざわつかせた。


「っ捕らえてください!」

 私が叫ぶのとほぼ同時に、近衛が動いた。



 私は殿下を抱えたまま、別の部屋まで避難する。

「……大丈夫ですよ、殿下」

 思わず殿下の頭と肩を両腕で抱きかかえてしまいながら、私はなるたけ落ち着いた声で告げる。殿下は黙ったまま、小さく頷いた。

「私、こんなの初めてです」

 普段、こんなあからさまな事件が起こることは、まずない。もしあったとしても、周囲には近衛がいるし、ここまで殿下に迫った危害を目の当たりにするのは初めてだった。

私が息を吐くと、殿下は私の肩を押して離れながら、目を伏せる。

「もうここまで来ていたとは、思わなかったな」

「……殿下、何かご存知なんですか?」

「ああいう意見の人が存在することは、まあ、もちろんね」

 苦笑交じりに殿下がそう呟く。「そんな、」と私が眦を下げると、殿下は気丈に胸を張って笑った。

「これは、いずれ僕たちが必ず向き合わなくてはいけない問題だったんだよ、アルカ」

 語る殿下の表情に、私は思わず息を止めた。強い目をして、殿下は静かに微笑んでいた。


「なるほど、これから危険が高まる可能性を踏まえての神託だったのかも知れないね」

 殿下は腕を組んで独りごちる。人差し指でとんとんと二の腕を叩きながら、殿下は私を見上げた。

「僕は多少考えを改めた方が良さそうだ」と殿下は数度頷く。

 私にはよく分からないが、殿下の中では何か合点がいったらしかった。



 ***


 結局、あのスープからは毒物が検出されたし、犯人はあの給仕の男で間違いなかった。まだ調査段階だが、今のところ調理過程での問題は見つかっていないそうだ。だから単独犯の可能性が高いという話も回ってきた。

 給仕を裁いたのは、王家の傘下にある世俗の裁判所ではなく、神殿が擁する神殿裁判所だったという。罪状は異端、あと余罪として、王家に対する暗殺未遂。


 数日前に、火刑に処されたと、そんな連絡を受けた。



「アルカ、お手柄だったぞ」

 先輩に強く背を叩かれて、私は微妙な表情で笑った。

「喜んで良いことなんですかね……」

「僕は、アルカがいてくれて良かったと思っているよ」

 殿下が目元を緩めてそう言ってくださるので、私は思わず少しだけ表情を和らげる。


 城に戻ってから、殿下を始めとした各所の警備体制が厳しくなり、以前は殿下の部屋の中での護衛が一人だったのが、二人に増やされた。部屋の外は更に人数が増えたという。ときたま室内警備が先輩と一緒になることもあって、今日はそんな日の内のひとつだった。

 殿下が決めた自身の休憩時間に合わせて、何故か私たちも休憩してしまっている。殿下がそうしろと強く推奨するのだ。


「アルカ、おいで」

「わっ、それ、新作ですか?」

 殿下に笑顔で手招きされて、私は思わず目を輝かせて近寄った。もうすぐ夏が近づいていることもあり、何だか今日のおやつの焼き菓子は爽やかそうな匂いがする。

「殿下、あまり甘やかさないでやってくださいよ」と先輩は顔をしかめたが、殿下が一つを摘まんで差し出すと、数秒迷ったあと、にやりと微笑んだ。

「全く……こんなの口止め料じゃないですか、賄賂ですよ。神殿裁判所に訴えちゃいますよ」

 もぐもぐと咀嚼しながら、先輩が責めるように言う。殿下は声を上げて笑うと、唇の前に人差し指を立てて片目を閉じた。

何かの果物の皮が練り込まれている生地がふっくらと焼き上げられているようで、鼻に抜ける柑橘の香りが心地よかった。おいしい、と頬を緩めると、殿下は満足そうに頬杖をついた。



「そういえば殿下、結局私って、近衛のままで良いんですか……?」

 最後の一口を残したまま、私はおずおずと殿下を伺った。殿下は少し考えてから、「うん」と頷いた。

「この間のこともあったし、僕の託宣人が護衛官として振る舞うのは必要なことだと思うんだ。少しは抑止力になるかも知れないしね」

「なるほど……」

 うーん、分かんないなぁ、と私はもっともらしい表情で頷いた。

「神殿側とか、あとはこちらの周囲にも、最大限の配慮をと要望は出してあるよ。でも、それでもどうしても、アルカが『普通の近衛』としていられないこともあるかも知れない」

 その言葉に、私は体を硬くした。殿下の隣で、ただの客扱いされるのが、どうも私は苦手だった。


「でもそのときもね、アルカは、ちゃんと僕の護衛官なんだよ。近衛よりも更に近いところで守ってくれる護衛官として、僕の隣にいるんだ。……どう? そう考えたら、少しは受け入れやすいかな」

 私はおやつの最後の一欠片を手に持ったまま、しばらく殿下の言葉を反芻し、それから表情を明るくした。……たとえ、私が近衛として近くに立っていなくても、私は、殿下の護衛官としてお側にいていいのか。

「なるほど、納得しました!」

「うん、それは良かった」

「お前はそれで良いのか……」

 首を傾げている先輩をよそに、私は最後の一口を頬張った。

「アルカは多少雑な詭弁でも丸め込まれてくれるからね」

「なるほど、流石、慣れていますね」

 何となく悪口か何かを言われているような気がしたが、多分気のせいだろう。



 殿下はふと、ものすごく優しい顔をして、私に語りかけた。

「でもね、アルカ。別に、アルカが僕の護衛じゃなくたって、僕はアルカが側にいてくれたら、それだけで本当に嬉しいんだよ」

「…………?」


 殿下はときどき、私にはよく分からない、難しいことを言うのだ。







「もちろん、側にいる理由は護衛だけじゃなくても良いんだ。そうだな、人が一緒にいるかたちは、例えば家族だったり、友人だったり、まあ、……僕たちで考えるなら、恋人とか伴侶とかも考えられるよね」

 殿下は真面目な顔でそう言って、小さく咳払いをした。私はふむ、と顎に手を当てて考える。

「……人の繋がりって色々あるんですね!」

「随分とざっくりまとめたんだね」

 殿下はどこか遠い目をして微笑んだ。





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