表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
7章 殿下の神託で不具合が起きていた話
49/59

5


 肩が、痛い。そんなことを思いながら、私は目を覚ました。見慣れた自室の天井に、ほっと息をつく。

「でん、か……」

 枕元に置いた椅子の上で、殿下は深く寝入っていた。首ががくりと落ちたこの姿勢は、起きたときに首と背が痛いこと間違いなしである。

「殿下が、ご無事なら、私……何だっていいや、」

 呟いて、私はゆったりと目を細めた。殿下の規則正しい寝息を聞きながら、私は口元を綻ばせる。肩はずきずきと鈍く痛んでいたが、貫かれた瞬間よりはよほどマシだった。


 ……殿下の為なら、命も惜しくないと思っていた。殿下と一緒なら、火の中だって怖くないと思っていた。正直言って、それは今も変わっていないのだけれど、何故だかそこに、これまでにはない苦みが混じっている気がしたのだ。

 その正体を突き止めようと目を閉じ、その瞬間、私は抑えきれない衝動に襲われた。

「殿下が、無事で、良かった……っ!」

 喉をひくつかせて、私は仰向けのまま、目尻から堪えきれない涙をこぼす。


 ……殿下だって、きっと同じなのだ。私が肩を貫かれた瞬間の、あの殿下の表情は、忘れようにも忘れられなかった。

 死んだって構わない。火の中だって怖くない。あなたに全てを、命さえも捧げるのだと、あなただけが大切なのだと私が告げる度に、痛ましげに笑う殿下の顔を、思い出した。『それより僕は、一緒に生きる道を探したいかな』と微笑んだ殿下の声が、耳の奥に蘇る。


「私、馬鹿だ……っ」

 絞り出すように囁いて、私は強く目をつぶった。涙が頬を伝い、耳を濡らす。

 私はこの期に及んでようやく、殿下が私に抱いていた危惧の一端を、僅かに、ほんの少しだけ垣間見たのだ。



 ふと、頬に指先が触れて、私は驚いて目を開けた。「――どうしたの、アルカ」と、殿下がかすれた声で囁く。

「悪い夢でも、見た?」

 とろんとした寝ぼけ眼で、殿下は何度も私の頭を撫でた。濡れた頬を指先で拭い、潤む目元をそっとなぞる。

「アルカが無事で、ほんとに、……よかった」

 そんなことを呟いて、心底安堵したように、ふわりと目元を緩めて笑うのだ。前髪を指先で整え、顔にかかった髪をどかして、殿下は身を屈める。かすめるように額に口づけて、殿下が息を吐いた。

「ごめんね、アルカ」と殿下が眉根を寄せる。

「……守れなくて、ごめんね」

 懺悔のように、殿下は苦々しく告げた。まるでこれでは殿下の身が貫かれたみたいだ。私は剣を受けた肩とは反対の腕を布団から抜くが、……こちらは手のひらが負傷中である。包帯の巻かれた手を眺めて、私はため息をつく。こんな手じゃ、殿下に触れられない。


「殿下に怪我がないのなら、それで良いんですよ」

 私は布団の中に手を戻しながら、おずおずと微笑んだ。「だって私、殿下の護衛官ですから」

 殿下の体に、目立った傷は見られない。それを眺めながら息を吐くと、殿下は声を出すことなく笑った。その視線にあからさまな憂慮の色を見つけて、私は思わず首を竦める。


 私が萎縮したのに気づいたらしい。殿下は表情を明るく一変させると、片手を持ち上げて私に見せながら、指を曲げ伸ばしした。

「怪我はないけど、……恥ずかしながら、人を殴るという経験がなかったから、……ちょっと指を痛めたかな」

「あはは」

 それでこそ殿下である。逆に今まで暴力沙汰の経験があったら、そっちの方が問題だ。

「あとはアルカにぶん投げられたときの青アザとか」

「えぇー……それくらいノーカンで行きましょうよぉ」

 そんな軽口を叩いて、私は肩を揺らして笑う。その途端に肩が痛んだので、思わず顔を顰めてしまった。


「……痛む?」

「はい」

 私は枕に頭を沈めながら、鼻から長い息を吐く。殿下は腰を浮かせて立ち上がった。

「医師を呼んでくるよ」

 そう言って、殿下は足早に部屋を出て行った。



 包帯を巻き直される傍ら、殿下が事情をざっと説明してくれる。傷口を目にするのがどうにも駄目らしく、「ごめん」と横を向いているが。

「侵入者は全員捕らえたし、あの護衛官も同じく。どういう処罰かはまだ決まっていないけど、厳しいものにはなると思う」

 その言葉に、私は小さく頷いた。どのような経路で彼らが侵入したのか、あの護衛官がどのような考えに基づいてあの行動に出たのか、私には何も分からない。けれど、それを究明するのは、私の仕事ではないだろう。

 私は顔を上げ、殿下の方に視線を走らせた。

「隊長はどんな様子ですか?」

「ピンピンしてる。僕も正直びっくりしているよ」

 ……流石は隊長である。


「肩って……完全に治りますか?」

 私は医師を窺いながら問う。医師は少し考えるように首を傾げてから、「おそらくは」と頷いた。

「あまり動かさないようにして、大事にしていれば、いずれ」

「……剣を持てるようには、なりますか」

 私が漏らすと、医師は難しい顔をする。本心では剣を握って欲しくなさそうな顔をしながら、「無理だ、とは言いませんが」と曖昧に答えた。

「アルカ、」と殿下は振り返って私を見る。机の脇に立てかけられた剣をじっと眺める私に、殿下は何か言おうとした言葉を飲み込んだようだった。



 翌朝のことである。テーブルに向かい、朝食を前にする私の隣に、どういう訳か殿下が意気揚々と陣取っている。私は引きつった顔で殿下を窺う。

「……殿下、その位置に座って何をするおつもりで」

「アルカは今どっちの手も使えないでしょ? だから僕が手伝おうと思って」

「いや……あの、私、何とか頑張りますから……」

 ごねる私に、殿下は匙を手に取りながら「駄目だよ。安静にして、動かさないようにって言われてるんだから」と唇を尖らせた。

 殿下が手ずから食事の手伝いをしてくださるなんて、一体どんな小っ恥ずかしいサービスなのか。近衛の面々の静かな視線を感じながら、私は渋々殿下に向き直る。

「はい、あーん」

 近衛の視線なんて百も承知だろうに、殿下は平然とした笑顔で私の口元に匙を差し出した。気まずくなって視線を逸らすと、死んだような顔をしている先輩と目が合い、私まで死にたくなった。

「ほら、アルカ。口開けて」

 さては、私が恥ずかしがっていることも完全に理解している様子である。何かの罰だろうか。私何かしたっけ? 満面の笑みで殿下は私の唇を匙でつついた。やめてほしい。


「殿下、こういうのは……むぐっ」

「はは」

 拒否の言葉を匙で封じ、殿下は軽やかに笑った。口に突っ込まれた食事を仕方なしに咀嚼しながら、私は殿下をじとりと睨む。全くもって意にも介さない殿下は片目を閉じることでそれに応えた。



 朝食を食べ終えた頃、「ねえ、アルカ」と、殿下は静かに切り出した。雰囲気が変わったのを察して、私は目を瞬く。殿下は微笑みを消して、慎重に告げた。

「しばらく、療養に行くのは、どうかな」

「療養……?」

 繰り返した私に、殿下は小さく頷く。その表情に、明るい提案の色は見られない。

「この城にいては、アルカも気が休まらないだろうから。少し北西に行ったところの高原に、王家が所有している別荘があるんだ。そこならきっとアルカも治療に専念できる」

「専念と言っても……私、何もしないだけですよ」

 事態が読めないまま、私は控えめに反駁した。殿下は少し困ったように微笑む。あ、言いくるめるときの顔だ、と私は内心で呟く。


「今ならきっと雪が積もっているし、雪景色を楽しめるんじゃないかな。春になれば花も咲く」

 そういうことを言っているんじゃないのだ。私はきゅっと眉根を寄せた。

「……殿下も、一緒、ですか?」

 何だか他人事みたいに言葉を紡ぐ殿下に、私は一抹の不安を抱えながら問う。殿下は黙って目元を和らげてから、一呼吸おいて口を開いた。

「――いいや」

「それなら私、殿下と一緒が、いいです」

 どこにいたって、傷の治りが早くなる訳じゃない。だったら私は殿下のお側にいたいのだ。


 すぐさま首を横に振った私に、殿下は目を伏せた。私は自嘲気味に口角を上げて、念を押すように語る。

「それだけじゃ、ないんですよね。それだけの理由で、わざわざ私を移動させるなんて危険なこと、しませんもんね」

「察しが良くて何だか嫌になってしまうよ」

 うん、と殿下は苦笑気味に頷いた。足を組んで、テーブルの天板を指先で叩きながら、殿下は淡々と並べた。

「現在この城は、あまり安全じゃない。それは昨日の件で分かっていると思うけれど」と一度嘆息し、目を伏せる。

「……城で働く人間全員の思想を管理することなんて不可能だから、いつ誰がどんな行動を起こすかも分からない。だから、アルカを城に置いておくのは危険だと判断した」

 それもそうだ、と私は首肯する。殿下は表情を曇らせながら、言葉を続けた。


「対外的には、怪我のため部屋から出ることが出来ない、とする。秘密裏にアルカを別荘に移して、信頼のおける人間のみを配備する手筈だ。僕はどうしたってここでやることがあるから、城を離れる訳にはいかない」

「最初から、そういう説明をしてくれて良いんですよ。私、殿下が思ってる以上に色々なものが見えているつもりです」

 私が僅かに批難を込めて言うと、殿下は「うん」と苦笑して頭を掻く。


「そういう訳で、しばらくアルカをこの城から離すことにしよう、という話が進んでいるんだ」

 その言葉に、私は数秒間黙り込んだ。私の返答を待つように、殿下はじっとこちらを見ている。

「分かりました。……今は自分の身を自分で守れない状態ですし、ここにいても迷惑をかけるだけかもですし」

 肩をちらと見下ろしながら、私はため息をついた。今は痛み止めで何とかなっているけれど、傷の有様を思うだけで暗惨たる気持ちになる。


「殿下と長期間離れるのは、初めてですね」

 私が静かに呟くと、殿下は眦を下げて微笑んだ。



 ***


「アルカさん、お久しぶりです」

 部屋に顔を出したその人に、私は目を丸くした。

「ウルティカ? どうしてお城に」

「お母様が呼ばれて。私は付き添いですの」

 私が部屋に入るように身振りで示すと、ウルティカはにこりと微笑んで部屋に入ってきた。


「色々と大変ですね」

「あはは……。そうですね」

 ウルティカの言葉に苦笑を返して、私は向かいの空いている椅子を指し示す。生憎、立ち上がって椅子を引いてやるとか、お茶を入れるといったおもてなしが出来ないのが申し訳ないところでもある。

「ヨルサさんはどんな御用で?」

「……イルゾア商会と王家が、ほんの少しお近づきになるためのお話ですわ」

 何だか含みのある言い方である。首を傾げると、ウルティカは誤魔化すように小さく笑った。


「ところでアルカさん、……お怪我は大丈夫ですか?」

「はい。命に関わるようなものではありませんし、安静にしていればいずれ治るとも言われています」

「そうですか、それは良かった……」

 ウルティカは両手を合わせてほっと息をつく。包帯は服の下に隠れているから、傍目からはあまり傷の様子も分からないだろう。

「大した怪我じゃないんです。ちょっと手のひら切って、あと……肩を……少しばかり貫通しただけで」

 安心させようと口を開いたものの、考えてみれば言わない方が良いことだったように思える。案の定、ウルティカは「かんっ……」と目を見開いて凍り付く。こりゃ失言だったな、と私は気まずく目を逸らした。



「でも、思ったよりアルカさんが気落ちしていなくて、私、安心しました」

 ウルティカは目を細めて息を吐いた。その表情に、ウルティカがどのような報道を見聞きしてきたのかを薄々察する。私は「これでも結構参っているんですよ」と苦笑した。

「やっぱり連日、自分のことを取り沙汰して国中が大騒ぎしているかと思うと、……夜しか眠れませんね」

「ふふ、健康的で結構ですわ」

 冗談を軽く受け止め、ウルティカは頬杖をついて身を乗り出した。「きっと私なら寝込んじゃいます。アルカさんはとても気丈ですわ」と微笑む。


「……私で良ければ、お話、聞きますよ」

 ウルティカは囁いて、私の目をじっと見つめた。呆気に取られてその視線を受け止めると、ウルティカが小さく頷く。

「言えないことも、おありでしょう? アルカさんは、何だかとても張り詰めているように見えます」

 その言葉に、私は首を傾げた。「そんなこと」と言いかけて、私はふと違和感に言葉を切る。恐る恐る頬に触れると、濡れた感触がした。


「ちょ、待って! ごめんなさい、何か変で、」

 私は慌てて腕で目元を覆うと、勢いよく首を横に振る。逃げるように顔を逸らした私の腕に、柔らかい指先がそっと触れた。

「アルカさん。私は、アルカさんにはなれないから、あなたの気持ちを理解することなんて出来ません。でも、思いを馳せることくらいなら出来るの」

 私の腕を下ろさせて、ウルティカが真っ直ぐに私を見る。情けなくも喉をひくつかせて目を潤ませる私に、真剣な表情で告げた。

「辛くない訳がないんです。こんな風に、毎日平然と過ごせるはずが、ない」

 立ち上がったウルティカが、テーブルを回り込んできて、私の肩を掴む。私はぎゅっと唇を噛んで、ウルティカを見上げた。


「……わたし、何が怖いのか、分からないんです」

 ウルティカは黙って頷く。私は躊躇いがちに言葉を探した。

「殿下は忙しいから、あんまり、迷惑かけられないし、……みんな私のせいで大変な思いをしてるのに、私だけ何も出来ないのが、どうしようもなくいたたまれなくて、」

 項垂れると、ウルティカが息を吐く。私は視線を落として、包帯の巻かれた手のひらを眺めた。

「――ここにいるだけで、息苦しい」

 私は歯を食いしばって、吐き出すように呟いた。口に出して初めて、自分がここまで鬱屈した気持ちを抱えていたことに気づく。ウルティカは私の背を撫でながら、「はい」と静かな相槌をうった。


「でも、こんなの、殿下に言えないじゃないですか。だって、言っても対処しようのない我が儘だったから、」

 と、そのまま続けて『移動できることになって、少し安心した』と漏らしかけた言葉を、慌てて飲み込む。私が近いうちに城を離れるのは機密である。ウルティカは私の動揺をよそに、大きく頷いて納得を示すような顔をした。

「たとえアルカさんがご自身で言葉にされなくても、きっと、殿下も察しておられたんだと思いますよ」

 その言葉に、私は「ん?」と首を傾げた。ウルティカは、ふっと目元を和らげて微笑む。

「――それもあって、殿下はアルカさんを別荘に送り出すことにしたのではないでしょうか」

「既に機密情報がダバダバ漏れてる!?」

 あまりの驚愕に私は椅子から滑り落ちた。ウルティカこわい。当然のように機密を入手している。こわい。


 恐怖に震える私に、ウルティカは「ち、違いますよぉ」とあたふたする。

「実は殿下から、アルカさんを別の場所に移すという話を聞いていたんです」

 ウルティカは弁明するように切り出した。私は顔を上げて瞬きをする。殿下が自分で話したのか、と、意外な気がして目を丸くした。私が少し落ち着いた隙に、ウルティカは人差し指を立てて説明を始める。

「私が定期的に城に通い詰めていれば、私とアルカさんが元々知り合いであることを知る人なら、お城に当然アルカさんがいるものだと思うでしょう?」

 私ははっと息を飲んだ。なるほど、確かに……。流石は殿下、芸が細かい。ウルティカはにこりと微笑んで胸を張る。


「隠蔽用の人員って訳です。まあそれ以外にも多分、何かしら仰せつかるとは思うんですけど……」

 何やら意味深なことを言って含み笑いしつつ、ウルティカは力強く頷いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ