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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
7章 殿下の神託で不具合が起きていた話
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 事態が着実に悪くなっていくのを、私は肌で感じていた。城の中の空気は目に見えて強ばってきている。


 王家が神殿の要求を退けてから、城の前はもはや暴動のような有様だった。それを見下ろしながら、私は重いため息をつく。

「何だってお前はわざわざ精神衛生上良くないものを自分から見に行くんだ」

「だってどうなってるか気になるんですもん……」

 背後の先輩は呆れた様子で腰に手を当てた。私は引き剥がすように視線を外しかけて、そのとき、ふと掲げられた札の中に異質なものを見つける。


「ん?」

 私は目を凝らした。先輩も窓に顔を近づけて目を眇める。

「『アルカ・ティリを守れ』……どういうことだ?」

 耳を澄ましてみれば、確かに、そんな文言が叫ばれているのがちらと聞こえた。何だか様子がおかしい。私と先輩は顔を見合わせ、同時に首を傾げた。



「……反神殿派、だね。神殿がこれ以上力を持つことを抑止したい人たちだよ」

「はんしんでん……は」

 私は全く噛み砕けていないまま、殿下の言葉を繰り返した。殿下は一瞬黙ってから、手元の紙に綴りを書いてみせる。それを眺めて、私は「なるほど」と頷いた。神殿に反対する勢力らしい。そのまんまだ。

「この間王家が神殿を撥ねのけたことで、だいぶ勢いづいているみたいだ。元々王家と神殿の癒着を糾弾する勢力だから、当然とも言えるんだけどね」

 微妙な表情で殿下が頬杖をつく。含みのある言い方に、私は首を捻る。怪訝な顔をしている私に、殿下が苦笑した。


「前の暗殺騒ぎはその辺りの人間の犯行だったからね、……あんまり好感は持てないかな」

「あ、……すみません」

 私は口元を押さえる。そうとは知らずにドカドカと触れてしまった。肩を落とした私に、殿下は「別に構わないよ」と微笑んで、それから大きく伸びをした。

「神殿派はアルカを出せって言うし、反神殿派はそれをしたら反発するだろうし、何とも動きづらいよね」

「色々こじれてますね」

 うん、と殿下は頷く。「まあ、反神殿派を焚き付けたのは僕なんだけどね」としれっと言うので、私は思わず目を剥く。


「僕個人の感情で言えば反神殿派はあまり好きではないけど、こういう場合は役に立つ。神殿もあまり強固には出られないだろう」

「ひぇ~」

 くつくつと笑う殿下を眺めながら、私は及び腰になる。ドン引きした空気を感じたのか、殿下は誤魔化すようにちょこんと片目を閉じた。……濁し方が雑!



 私は腕を組んで眉をひそめた。

「じゃあ今お城の前では、二つの勢力が同時に暴動を……?」

「マズくないか、それ」

 先輩も険しい顔で私を見る。私は頷いて、殿下を見やった。殿下は静かに頷いた。

「正直言って、だいぶ危ない」と殿下は指を組む。私は大きく首を上下させた。正反対の思想を持つ人たちが、隣り合って主張しているのだ。何というか、……今にも乱闘が始まりそうである。

「何か起こる前に対処しなければ……だけどそれは僕の管轄じゃないからね」

 やや諦念の滲む表情で呟くと、殿下は頭を掻いた。


「あー、もう収まりどころが見つかんないですよぉ」

 連日の心労……は殿下もだろうが、とにかく心が削られるのである。ぐでっと机に突っ伏した私の背を先輩が叩く。

「どうするんですか、これ以上こじれて王家と神殿の全面戦争にでもなったら」

「そうならないようにするのが施政者の役目だよ」

「ごめんなさい……」

 唇を尖らせて雑に詫びると、私は顔を上げて机に顎を置く。


「もういっそ私が神殿に行っちゃった方がすぐまとまるんじゃないですか? このこじれ具合ならすぐさま火刑ってことにもならないでしょう」

 やけっぱちでそんな言葉を漏らすと、殿下はきつく眉をひそめた。

「馬鹿なことを言わないでよ、アルカ」

 殿下は立ち上がって私の側まで来ると、屈んで目の高さを合わせる。顔を覗き込まれて、私は思わずたじろいだ。殿下は私の頬を両手で挟んで、真剣な表情で告げる。

「僕たちはみんな、アルカを守るために奔走してるんだよ。アルカが大切だからだ。だから、アルカも、アルカのことを大切にしてあげてよ」

「はい……」

 私はもごもごと応えて、それから体を起こした。


「まあ、でも……。いざとなったら私、急病で死んだことにでもして良いですよ! なーんて、はは」

「アルカが病気になったら槍が降るぞ」

「失礼な、私だってたまに体調を崩すことくらい……」

「ないだろ」

「……はい」

 いきなり重い空気を持ち込んでしまったので、自分でしっかり吹き飛ばしておく。乾いた笑いで先輩も応じてくれた。


 ……が、殿下が一言も発さないのである。スベった自覚はあるものの、そこまでだったかな、と恐る恐る伺うと、殿下は何やら深く考えこむように腕を組み、顎に指先を当てていた。

 どこか遠くを見据えるような目をして、殿下が低く呟く。

「なるほど、その手が……」

「ヒッ!」

 殺される、と震え上がる私をよそに、殿下は真剣な顔で机に戻った。何か話しかけても生返事しか帰って来ず、完全に思考の中に沈んでしまったらしい。こうなるともう何を言っても無駄である。

 仕方ないので殿下のことは放っておくことにした。先輩と二人でお茶を入れておやつを食べているところを隊長に見つかり軽く叱られるのは、まあ、様式美ってやつである。



 ***


 何だか殿下は最近忙しそうである。いや、いつものことなのだけれど……。

 季節は既に冬、冷え込んでくる頃だった。あまり雪の降ることのない王都で、十数年ぶりに雪が降った。殿下も久しぶりに予定が何もないらしい。ので、私たちは中庭へ出ることにした。


「私、雪遊びをしたことないんですよね」

膝を抱えてしゃがみ込むと、地面を薄らと白く覆う雪を指先でそっと掬う。背後で殿下が「へえ、意外」と笑う。

「僕は小さい頃、別荘で雪遊びをしたっけ」

 膝に手を置いて、殿下が身を屈める。私は肩越しに振り返って「わー、いいなぁ」と目を細めた。

「兄君と一緒に雪合戦とかですか?」

「父上も一緒にね」

「へ、陛下が雪合戦……」

 私は唖然として口を開ける。殿下は遠くを見るような目をして「うん」と微笑む。


「これっぽっちの雪じゃ、雪合戦するにも泥団子になっちゃいますね」

 指で触れればすぐに土が見えた。庭の黒土は雪でしっとりと濡れ、柔らかくふやけている。

「……ジャクト、が、いっつも自慢してきたんです。雪遊び、楽しいって」

 ぽつりと呟くと、背後で殿下の気配が強ばるのを感じた。私が咄嗟に口をつぐむと、殿下は「そうなんだ」と、息混じりの声で続きを促す。

「年の離れた妹と弟がいて、……雪が降る度、毎年、一緒にとっても大きな雪だるまを家の前に作るんですって」

 雪を掬いたかったのに、指先は土で汚れてしまった。黒くなった指先を眺めながら、私は言葉にしがたい微妙な感情を持て余した。


 ……ジャクトには、もう、そんな日常も残されていないのか。


 先輩が言うには、ジャクトの実家はもう荒らされていて、ジャクトは家族を連れてどこかに姿を隠すと言っていた。

 私は土のついた指先を払って、無言のまま遠くを見つめる。殿下はひとつ息をついて、姿勢を戻した。私に向かって手を差し伸べながら、淡く微笑む。

「寂しいね、」

「……寂しいって、認めても、良いんですか?」

 私は呆然と呟いた。殿下はゆっくりと頷く。「もちろんだよ」と囁いて、殿下は私の手を取った。

「寂しいよね。……とりわけアルカは、彼と仲が良かったから、もっとでしょ」

 立ち上がった私の背に手を回して、殿下は白い息を吐いた。私は俯いて殿下の肩に額を乗せる。

「ほんとは、私きっと、ジャクトを憎まなきゃなんです」

 密告者。内通者。そう言って罵るのは簡単なように見えて、思いのほか難しいみたいだった。歯を食いしばった私の頭に、躊躇いがちに手を乗せる。殿下は言葉を選ぶようにしばらく深い息をした。


「……気持ちに嘘をつく必要は、ないよ」

 殿下は低く囁く。私は僅かに頷いた。

「僕たち、口では、どうとでも言うことは出来るから……。必要に駆られたんなら、そこで嘘をつけば良い。自分の気持ちに嘘をつくことなんてないよ。そこは、認めてあげなきゃいけない部分だ」

 とんとん、と私の背を叩いて、殿下が告げる。私は黙ったままその言葉を反芻していた。



 冷え込むからそろそろ戻ろう、と歩き出したところで、私はふと慣れない気配に感づいた。背中が硬くなるような感覚だ。

 突如ぴんと頭を上げて周囲を見回す私に、殿下が不思議そうに首を傾げる。私も詳しいことは分からず、ただ何となくの違和感で立ち止まっただけなので、微妙な顔のまま立ち尽くすばかりである。

「どうしたの、アルカ」

「えっと……」

 振り返るが、護衛のはずの隊長は、だいぶ離れたところでぐっと親指を立てて頷くばかりである。余計なお世話だ。ちょいちょい、と手招きすると、隊長は怪訝そうな顔で駆け寄ってきた。私も数歩隊長の方に踏み出し、違和感を伝えようと口を開きかける。


「隊長、何だか様子が――」

 言いかけたところで、私ははたと足を止める。弾かれたように振り返り、庭園を見回した。

「……いない」と私は呟く。殿下が小首を傾げた。隊長が大きく息を飲む。


 ――いつもなら、この庭園には、もっと多くの護衛官が立っているはずである。それなのに、この辺りには、護衛官が誰もいない。

「殿下っ!」

 私は慌てて殿下に手を伸ばした。殿下の腕を掴み、強く引き寄せる。


 がさりと草むらが揺れた。数人の男が姿を現す。見慣れない顔、着ているものは制服ではなく、手には武器。

「侵入者、」

 私は殿下を背に庇い、顎を引いて相手を見据える。隊長がすらりと剣を抜いた。それを視界の隅で捉えながら、私は何も疑うことなく、自然な動きで、腰に手を這わせた。――そうして、血の気が引く。

 私は、帯剣していなかったのだ。ここのところ、剣を佩いたり佩かなかったりという毎日だった。……どうして、今日に限って、置いてきてしまったのだ。

 顔を強ばらせた私に、殿下は事態を察したらしかった。息を飲んで、殿下が一歩下がる。


「何者だ」と隊長が鋭く問うた。侵入者はざっと数えて五人ほど。隊長は男たちを睨みつけ、視線を逸らさないまま、片手で鞘を抜いて私に放った。それを受け取って、私は仕方なしに鞘を握る。

「誰の命だ」

「答える訳がない」

 隊長の言葉に鼻を鳴らし、男たちは私に剣を向けた。私を目的にしている時点で、どこの手のものかおおよそ分かるというものである。

「同行願おう」

「嫌」

 吐き捨て、私は殿下を庇うように片腕を広げる。殿下が小さく私を呼んだ。それに応える余裕はない。


 隊長が後ろ手に指を三本立てる。視線を逸らさないままそれを確認すると、私はゆっくりと息を吸った。殿下が僅かに身を屈める。

 隊長が指を一つ折った。もう一つ折り、最後の一本が畳まれた、瞬間。


 私は地面を覆う雪を抉るようにして振り返り、後ろを向いて走り出した。一瞬遅れて殿下が駆け出す。背後で激しい剣戟の音が響く。白い息をたなびかせて、私は大股で中庭を横切った。

「中庭に侵入者が出たっ!」

 弾む息で声も限りに叫ぶ。私より遅れそうになる殿下の腕を掴んで、私は肩越しに背後を振り返る。隊長も流石に五人全員を防ぎ切れまい。侵入者のうちの二人が迫ってきていた。


 逃げ切れるなどとは端から思っていない。体格がそもそも異なるのだ。私は殿下の腕を片手で引き寄せ、そのまま地面に突き転がす。雪の上に肩から落ちた殿下から目を外し、私は振り下ろされた剣を鞘で受け止めた。

「この、異端者が……ッ」

「そんなガバガバ異端判定になんて付き合ってらんない」

 両手で掴んだ鞘で剣を受け流しながら、私は片足を振り上げて男の腹を蹴り飛ばした。そのままの動きで、先程地面に転がした殿下の方を見やる。侵入者が殿下の襟首を掴んで、その体を持ち上げている光景に、私は大きく目を見開いた。

「誰の許可を得て殿下に触ってんの」と低く呟き、私は腕を振り上げる。

 殿下に手をかけようとしていたもう一人の後頭部を鞘で力一杯殴りつけると、私は二人並べて地面に転がし、殿下の手をぐいと引き上げた。


「……あ、アルカ」

「すみません、お恥ずかしいところを……」

 起き上がりかけた男に歩み寄り、その首を鞘の先できつく打ち据えながら、私は頭を掻く。殿下は呆然としたように私を眺めた。



「ご無事ですか!」

 庭の影から、護衛官の制服を着た小柄な人影が走り出てくる。女性護衛官だ。私は思わず息を吐く。

「あちらに、残りの侵入者が」と言いながら、私は手に持っていた鞘を下ろした。殿下が、走ってきた方向を振り返る。生け垣に阻まれて、向こうの様子は窺えない。

「隊長、大丈夫ですかね……」

 腰に手を当てて呟いてから、私は殿下に視線を戻した。殿下もやや案じるように眉をひそめている。


 そのとき、私は、今しがた走ってきた護衛官が、ゆっくりと剣を抜くのを、視界の端で捉えた。否、もしかしてそれは決してゆっくりとした動きではなかったのかもしれない。ざっと血の気が引く。殿下、と呼ぶことも出来なかった。

 すべてが緩慢に見えた。鞘を放り捨てて殿下に腕を伸ばし、その背を強く突き飛ばす。殿下が目を見張る。そのまま私は殿下を庇うように、護衛官に背を向けて立ちはだかった。


「……っ、か、はッ」

 左肩を突き抜けて視界に飛び込んできた剣先に、一瞬くらりとした。赤くてらてらした切っ先の訳を考える余裕はなかった。

「アルカっ!」

 殿下が叫ぶ。その声に、私は何とか意識を奮い立たせる。反対の腕を肩越しに伸ばし、肩を貫く剣を握った。手のひらが切れる感触がした。歯ぎしりをして、私は剣を肩から抜く。そのままの勢いで振り返ると、私は強く護衛官の顔を殴りつけた。足を振り上げて、その鳩尾を踵で蹴り飛ばす。


 そこで、ふらりと足下が覚束なくなる。ここ最近訓練を怠っていたせいもあるだろうか。地面に倒れ込んだ私の横を通り抜けて、声にならない叫びと共に、殿下が護衛官に飛びかかる。全くもって拙い動きで、殿下は護衛官を殴り、地面に押さえつけた。


「は、は、……」

 浅い息を繰り返し、私は何とか体をうつ伏せにすると、貫かれた肩を手で押さえる。ばたばたと慌ただしい足音が、地面に触れている頬から伝わった。ざわめきが耳に入るものの、それを理解することが出来ない。助けが来たのだろうか、と辛うじて予測をつけて、私は小さく呻く。

 まるで肩に心臓があるみたいだった。どくどくと絶え間なく鼓動を繰り返して、傷口は薄い雪を赤く染めつつあった。


「アルカ、アルカ!」

 殿下が叫ぶ。今にも死にそうなくらいの、あんまり悲痛な声なので、私は少しばかり顔を持ち上げた。ぎこちなく笑ってみせると、殿下はぎゅっと顔を歪めた。




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