12
殿下の誕生日をあさってに迎え、城の中は様々な準備に向けてやや忙しく、そして浮き足立っている。
私は今のところ必要な手続きを終え、久しぶりの暇な日である。王族って色々大変らしい。……ん? よくよく考えたら私、とんでもない人と婚約してない?
数日経ってそんなことに思い当たるくらいに、現実味がない日々だった。
真夏のうだるような暑さの時期は、もうとうに通り過ぎたあとだ。葉が擦れ合う音が、流れるように滑る風の存在を示していた。顔にかかる光が揺れるのを感じながら、私はぽつりと呟いた。
「……私、近衛は、やめなきゃ、だよね」
殿下は決してそんなことは言わないだろう。私に剣を手放せと、殿下は絶対に言わない。殿下は言えない。私はそれを知っている。
薄らと汗ばむ首筋をそよ風が撫でた。庭の小径には、緑色の光が落ちていた。長年の習慣、惰性で、毎日腰に佩いてしまう剣を、そっと右手で辿る。声も出せないまま、鞘を握りしめた。
これはきっと、本当は嬉しいことなのだ。剣なんて物騒なものから手を離して、守る側から、守られる側へ回る。喜ばしいことだ。この上なく幸福なことであるはずなのだ。
「……っ」
私は奥歯を噛みしめ、飲み込みきれず理解しがたい感情を揺らした。
私はもう知っている。私の在り方は一つじゃなくて、殿下への思いの在り方も一つじゃない。理解している。自分のより所を、殿下の護衛官、殿下への恩義のみに据える時期はもうとうに通過してきたはずなのに。
「――アルカ、先輩」
ふと、小さな声が私を呼んだ。私は大きく目を見開く。……私のことを先輩と呼ぶのは、ただ一人しかいない。弾かれたように振り返ろうとした私に「こちらを、向かないで下さい」と、か細い声が付言した。
私は肩越しにおずおずと背後を窺う。二本の足が目に入り、すぐに視線を前に戻す。ジャクトだ、と、根拠もなくそう思った。
「ジャクト?」
そう囁くと、「はい」とジャクトの声が答える。私は息を飲んだ。
「そっちを、向いちゃ、駄目なの?」
「ごめんなさい」
ジャクトはそれだけ呟く。ジャクトのそんな声は、聞いたことがなかった。私は体ごと振り返ろうとするのを必死に堪えながら、「何かあったの?」と限界まで和らげた声で問う。答えないジャクトに、私はひっそりと息を止める。
「……そうだ、お祭りは楽しかった? あ、そういえばね、私この間、殿下とお祭りに行って」
「ごめんなさい、先輩」
彼はもう一度呟いた。要領を得ず、私は眉をひそめる。ざ、と土を踏みにじる足音がした。ジャクトが一歩下がった気配がした。引きつるような息の音が耳を擦る。
「ごめんなさい、アルカ先輩。ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
声をわななかせて、ジャクトは何度も詫びた。その様子に、何かただならないものを感じて、私はごくりと唾を飲んだ。心臓が嫌な感じに早鐘を打つのを感じた。
「……何が、あったの」
「おれ、先輩に顔向けできません。ごめんなさい、おれ、」
「っ何があったの、ジャクト!」
叫ぶ。反転しようとする体を懸命に押さえ込んだ。拳を握りしめ、私は震える手で服の裾を掴む。どうしたら良い。私はどうしたら良いのだ。酷く憔悴したような声で、うわごとのようにただ「ごめんなさい」と繰り返すばかりのこの後輩に、私は何をすれば良い。
私は「ジャクト、」とその名前を呼んだ。ジャクトはぴたりと口をつぐんだ。
「せん、ぱい、」
「何かが、あったんだね?」
「……は、い」
つっかえつっかえ頷いたジャクトに、私は唇を噛む。これが彼に言える最大限だ、と私は判断した。
「もう、おれ、二度とここに来ません。……もう、どこにも居場所なんてない」
痛切な声でジャクトが囁く。胸の中が冷えたような心地がした。振り返りたい、振り返ってその顔を見て、大丈夫かと言ってやりたいのに、それが出来ない。
「ジャクト、」
「……殿下と隊長と、あと、シアトス先輩と、他の先輩方にも、伝えて貰えますか」
足音がする。気配が遠ざかる。私はひゅっと息を吸う。ジャクトはしゃくり上げるような息で、苦しげに呼吸をした。
「アルカ先輩、――――おれのことを、死ぬまで許さないでください、」
血を吐くような声だった。私は目を見張った。
「ジャクトっ!」
堪えきれず振り返り、手を伸ばす。――そこには誰もおらず、ただ、風がさざめくばかりだ。木陰が足下で止めどなく揺らぐ。目が回るようだった。訳が分からない。爽やかなそよ風が、庭を巡る。空気が冷えたように感じた。それはもはや夏の風ではなかった。ひんやりとした風が、ジャクトの気配をかき散らす。――目に痛いほどに溢れ返る緑の中に、ジャクトがいない。
……誰よりも一番喜んでくれると思っていた。誰よりも率直に感情を表す子だから、きっと、諸手を挙げて祝福してくれると思っていたのだ。
「っ、ジャクト!」
叫んでも返事がない。ジャクトがいない。私は、今起こったことが飲み込めなかった。ジャクトの言葉の意味が分からない。頭を抱える。
私は夢の中を歩くようにふらついた足取りのまま、殿下の下を目指して歩き出した。
私が渡り廊下を戻り、殿下の部屋へ向かおうと玄関の広間に差し掛かった瞬間、どこか張り詰めた空気に私は眉をひそめた。歩く侍女はどこか険しい表情で、隅の方では文官が何やら早口に語り合っている。
「…………?」
城を取り巻く異様な空気に、私は思わず臆した。何かが起きた、と、頭の隅で予感がする。でもその形が見えない。……一体、何が、起きた。
「アルカっ!」
広間の反対側で、走ってきたと思しき先輩が、息を切らして叫ぶ。私ははっと顔を上げる。
「先輩、」
「来い」
強く腕を掴まれ、私は引きずられるようにしながら「一体何が」と呆然と呟く。先輩は「黙っていろ」と応えたきり、口を開こうとしない。私は何も整理がつかず、ふわふわとした思考のまま目を回す。
「先輩、私さっき、」
「部屋に入るまで、一言も口にするな」
ぴしゃりと言われて、私は思わず首を竦めて黙り込んだ。そうして廊下を歩くその間も、向けられる視線は異様だった。こんなのは初めてだった。何とも言えない感情を孕んだ無数の目が、私を見ている。居心地の悪さを通り越して、吐き気すらしそうだった。
…………嫌な予感に、動悸が治まらない。指先がじんじんする。耳の底を鼓動が打つ。首筋が冷えた。私は血の気の失せた顔で、震える唇と奥歯を押さえ込むように唇を引き結んだ。
「……くそッ!」
強く机を打ち据える音が響く。殿下はぎらぎらとした目をして、前髪の隙間から虚空を睨みつけていた。肩で息をするその姿に、私は予感が本物であることを悟った。
「でん、か」
呼びかけようとして、上手く声が出なかった。かすれた声で呼ぶと、殿下は険しい顔で私を見た。「アルカ、」と殿下が低い声で呟く。
「……殿下、何があったんですか?」
この後に及んで、私は殿下が笑ってくれるのを期待していた。『何でもないよ』と殿下が苦笑し、『大丈夫だ』と甘やかな声で囁いてくれるのを、どこかで望んでいた。
しかし、私の言葉に、殿下はぐしゃりと前髪を掴む。歯茎が見えるほどに顔を歪ませ、きつく目を閉じる。自分を落ち着かせるように数度肩を上下させると、殿下は瞼を上げ真っ直ぐに私を見据えて、端的に告げた。
「――――神殿に、知られた」
いったいなにを、と、……そんなことを、すこしだけ、おもった。
「……私の、こと、ですか」
きかなくてもいいことを、きいた。するとでんかはうなずいて、そこで、
――私の中で、二つが繋がった。
「神殿からの使者がさっき僕のところに来た。前触れのない訪問で、この書面を置いて帰った」と殿下は机の上を指し示す。
私は机の上に置かれている紙を手に取った。どうやらそれは神殿からの手紙のようだった。私の出自に関することが記されているのはすぐに分かった。
ぐしゃりと、紙を握りしめる。
「ジャクト、」
静かに、涙を一筋こぼすと、私は息を引きつらせる。ひくりと喉が動く。
「ジャクトです」
ただひたすらに謝るジャクトの声が蘇る。殿下はゆっくりと目を見開き、信じがたいというように口を僅かに開く。
「さっき、ジャクトが来て、」私は顔を覆った。見ていないのに、ジャクトの苦しげな顔が、目に浮かぶようだった。殿下が机を回り込んで私に歩み寄る。
「……おれのことは、永遠に許さないでください、って」
「ジャクト……っ!」
殿下は唇を噛んだ。私の肩を両手で掴んで、言葉が見つからないように顔を歪める。
隊長が抑えた声で問うた。
「それは、どこでの話だ」
「……中庭の、大きな木の側です。気がついたら、いなくなってました」
「行け」と隊長が背後を振り返ると、一様に厳しい顔をしていた近衛が頷く。素早く部屋を出て行く後ろ姿を見送るのと入れ違いに、両陛下が入ってきた。どちらも険しい顔で、私たちを見比べる。
陛下が、殿下に向き直って短く問う。
「出所は」
「恐らく、判明しました。近衛の一人です」
「そうか」
陛下は鋭い目で部屋を見回した。その視線がふと私に留まり、私は体を強ばらせる。陛下はしばらく、何か苦々しいものを噛みしめるように私を見下ろした。
「……これは、私への罰なのか」と陛下は低く呟く。私は視線を逸らせないまま、呆然と陛下の目を見つめた。
「あなたはどうするつもりですか、ユリシス」
王妃様が静かな眼差しで殿下を見据えた。殿下は一瞬黙り込み、それから顔を上げる。
「ジゼ=イールの記憶はまだ新しいし、その生き残りがいると判明すれば、新たな火種となりかねない。だから神殿はアルカを野放しにはしておけないはずです。それに、……情勢を鑑みれば、現在、神殿と波風を立てるのは良くないでしょう」
「でん、か、」
私は愕然と殿下を見上げた。殿下は強い視線で両陛下を見据える。ほとんど睨むような目つきだった。
「――でも、それがどうかしましたか」
殿下は頬を吊り上げて笑った。その手は震えていた。
「神殿の定める罪で、僕たちが踊らされる必要がどこにありますか。僕が、アルカを手放す理由がどこにある」
何ということを、と陛下が額を押さえて呟いた。王妃様はじっと殿下を探るように見つめ、それから私に視線を移す。
「……アルカさん。あなたは、どう?」
「わたし、」
不意に問いを差し向けられて、私は言葉に詰まった。頭が真っ白で、何も考えられない。一体神殿は、私の出自を掴んだことを私たちに知らせて、何がしたいのだろう。
「私は、どうすれば、良いんですか?」
「それは、あなたが決めることですよ。まずは難しいことは考えないで、あなたがどうしたいかを仰って」
王妃様は穏やかな声で私に語りかける。殿下が私の背を撫でた。そんなの酷い、と思った。何も分かっていないのに、私に委ねるのはあまりに横暴だと思った。
「私、」
……この人たちは、私が何を言っても私の意思を尊重する気満々なのである。それはいっそ暴力的だとまで思った。私に負わせないで、と叫びたい。でも、多分、これがこの人たちの生きる世界、なのだ。
私は緩慢な動きで頭を上げる。酷い顔をしている自覚はあった。口を開き、私は、一瞬言葉に詰まって息を止めた。
「――私は、殿下と、一緒が、いいです」
囁いた瞬間、王妃様は悠然と微笑んだ。陛下が深く頷く。
「明後日の発表は予定通り行う、と各所に伝えておけ」
「は、しかし……」
呆気に取られたように目を丸くした役人に、陛下は決然と告げた。
「どちらの要求を飲むことも出来ない。交渉は決裂だ」
その言葉を、私は声もなく聞いていた。
***
神殿が示した選択肢は二つ。
私を神殿に差し出せば、何もなかったことにし、異端者を隠蔽した罪も問わない。ただ、恐らく私の安全は確保されないし、神殿が異端者に取ってきた厳しい態度を思えば、暗澹たる想像しかつかなかった。
あるいは、王家が任命していた選王卿の一人を、次回から神殿が任命することにする代わりに、私の身柄も要求せず、全てを見逃すか。
「選王卿……?」
聞き慣れない響きに、私は首を傾げる。殿下は肩を竦めた。
「王の代替わりの際に、王家と神殿からそれぞれ任命される十一人のことだよ。その十一人が次の王を選ぶんだ」
「なる……ほど」
そのときにのみ作られる役職だから、あまり耳にしたことがなくても不思議ではない、と殿下は言った。いまいち理解していない様子の私に、殿下は指を立てて説明する。
「現在適用されている決まりでは、王家が六人、神殿が五人の選王卿を任命することになっている。ここで、王家が任命していたうちの一人が、神殿による任命に変更されたらどうなる?」
「えっと、王家から五人、神殿から六人になって、……神殿からの選王卿の方が多くなります」
そう答えてから、私ははっと目を見開いた。殿下は重々しく頷く。
「この要求を飲んでしまえば、王家の実権をも神殿が握ることになる。これは決して飲めない要求だし、神殿側もまさかこちらがこれを飲むとは思っていないだろう」
なるほど。何か咄嗟に飲み込めないが、どうやらこれを了承すると国の根幹が揺らぐレベルでまずいらしい。
「それで、本命の要求が私の身柄ってことですね」
「そういうことになるね。まさか婚約発表とかもってのほかだよね」
「ふーん」
平然と頷いてみせるが、恐らく、私を神殿に差し出すってことは、多分、……アレである。
「燃やされる……」
「縁起でもないことを言わないでよ……」
異端は重罪である。とりわけ、神殿の世界においては。そんな重罪人を救うにはどうすれば良いかって言うと、生きたまま火にかけてその生を浄化するって訳だ。な、なるほど……。
「でも多分、仮にもアルカは託宣人で神に選ばれた存在だから、すぐさま火刑ってことはないんじゃないかなぁ」
「確かに」
だからといって私が神殿によって丁重にもてなされるとはとても思えないので、どちらにせよ関係のないことだった。
今のところ私の出自は神殿から私たちに直接書面が来ただけで、他には漏れていない、が。
「昨日の訪問で、殿下と神殿との間に何かがあったという噂が立っています」
部屋に入ってきた隊長が、険しい顔で告げる。殿下は重たいため息をついた。隊長は扉を閉じると、無言で殿下に向かって首を横に振る。目を伏せて殿下が問うた。
「ジャクトは、見つからない?」
「はい。……数名をジャクトの実家の方に向かわせましたが、」
望み薄、というように、隊長は苦い顔をする。殿下もあまり期待はしていないような表情である。
「取りあえず、今は明日のことを考えよう」
殿下はぱん、と手を合わせて話を切り替えた。顔を引き締めて、私を振り返る。
「アルカ、明日は何があるか分かっている?」
「はい、殿下のお誕生日です! おめでとうございます!」
「……うん、正解」
私がぐっと拳を握ると、殿下は静かに頷いた。
「……まあ、それで、明日は僕の誕生日だから、夜会があるわけだ」
殿下がごまかすように咳払いをする。私は笑顔を引っ込めて頬を掻いた。どうやら本当は外れだったらしい。
「夜会には国中から様々な人が来るし、そこでの発表というのはほとんど公式なものであるというのが暗黙の了解だ。――だから、そこで、婚約を発表する」
「ヒィ……」
私は震え上がる。何だかんだとその気になってはいるものの、発表してしまえば、もうなかったことには出来ない。き、緊張する。
「その発表を受けて、神殿がどう出るか、正直予想がつかないのが本当のところだ」と殿下は難しい顔で腕を組む。私は眉根を寄せた。殿下に分からないなら私が頭を悩ませたって仕方ない。殿下は気遣わしげな表情で私を窺った。
「もしかしたら、アルカにとって辛いこともあるかも知れないけれど、……僕に出来る全ての手を尽くしてでも、アルカを守れるように努力するから」
「はい、……私なら大丈夫です」
私は笑顔を何とか作って、頷いてみせた。
私に、失うものは何もないのだ。私が持っているのは殿下への思いだけだ、……と、ずっと思っていた。――それならこれは、一体何なのだろう。私はこっそりと胸元の服をきつく握りしめた。
殿下以外の何も、本当の意味では大切ではないと思っていた。それならどうして、私はこれほどジャクトの姿を目で探し、聞こえるはずもないその声を耳で拾おうとするのか。もしかしたら、と私は唇だけで囁く。
――今の私には、私が思っている以上に、失うものが沢山あるのかも知れなかった。
***
白い制服の袖に腕を通す。左手首で、金色の輪が輝いた。――神託の腕輪、だ。髪を結い上げられ、私は鏡の向こうにいる自分を見据える。
ソルニア・コルント。呼ばれた記憶のないその名前を、口の中で転がし、噛み潰した。
机の脇に立てかけられた剣を手に取り、剣帯に通す。慣れた重みが加わる。背筋が伸びる気がした。
「……よし、」
両手で頬を挟んで、私は大きく頷いた。
歩いてきた私に、殿下が微笑む。私が視線を合わせて唇を引き結ぶと、殿下は満足げに笑みを深めた。
「アルカ、おいで」と殿下が手を差し出すので、私はその手に自らの左手を置いた。殿下は強く私の手を握って、それから僅かに眉根を寄せる。
「僕のせいで、沢山の迷惑をかけるね」
「いえ、」
それは、私が言おうと思っていたことだった。先手を打たれて言い淀む私に、殿下は苦笑に似た笑みを向ける。
「僕が僕でなければ、アルカの出自は記録の底に沈んで、永遠に明かされないままだっただろうし、僕が僕でなければ、神殿にこうも狙われなかったかも知れない」
「それでも、殿下が殿下でなければ、きっと今の私はここにいませんから、」
私は両手で殿下の手を握り込んだ。
「私たちを構成する全てが繋がって今があるんです。そんな寂しいことは言わないでください」
背伸びをして目線を合わせてやると、殿下は僅かに息を漏らした。
私は満面の笑みで告げる。
「お誕生日おめでとうございます、殿下」
殿下は照れたように「ありがとう」と笑った。
そろそろ会場に出なければいけない頃である。今回は状況が状況なので、どうしても体が強ばってしまう。
ゆっくりと扉が開く。緊張して奥歯を噛みしめる私に、殿下は唐突に声をかけた。
「そういえば、アルカの生年月日も判明したことだし、今までお祝いできなかった分、来年は沢山祝おうか」
「ええ……! 良いですって、お気遣いなく」
「ん? やだ」
「横暴だ……」
そんな軽口を叩きながら、私たちは開かれた扉の向こうへ歩み出した。広い会場には大勢の招待客がいる。先のお祭りで色々話題をかっさらったこともあり、向けられる視線は好奇の目を含んでいる気がした。
「アルカ」
「ちょ、」
こういう場ではいつだって、護衛官として一歩下がった場所にいた。でも殿下が、下がろうとした私を引き寄せて隣を歩かせるのだ。手を引かれて、私は一瞬ぎょっとする。
「……全くもう」と仕方なしに嘆息して、私は殿下を見上げた。殿下は横目で私の視線を受け止めると、悪戯っぽく口角を上げる。
「何考えてるんですか」
「まるで夢みたいだと、……そう思ってた」
そう囁いた殿下は、私を見下ろして、この場に相応しくないくらいに屈託なく、幸せそうに笑ったのだ。
ソファに腰掛けてくつろぐ私の頭に顎を乗せ、殿下が噛みしめるように呟いた。
「はー……ほんとに夢みたい」
「それ言うの、今日だけで八回目ですよ」
ふにゃんと完全にふやけてしまっている殿下に後ろから抱きつかれながら、私は暑苦しさにため息をついた。いくら秋が来たとは言え、残暑とかもあるし、あんまりくっついて来られるとなかなかキツいものがある。邪魔だし。
「……アルカ」
私が寄りかかる背もたれの上に肘をつき、顔を覗き込んできながら殿下が拗ねたように囁く。すっかり腑抜けてしまって、と私は肩を竦めた。
「しゃんとしてください、殿下! もう、そんなにふにゃふにゃになってたら、私、私……!」
張り付いてくる殿下をええいと押しのけると、私は立ち上がってすぐさま振り返る。拳を握って肩を怒らせた私に、殿下は背もたれに頬杖をついたまま「ん?」と首を傾げた。
「――アルカは、僕のことを嫌いになる?」
余裕綽々の表情だった。艶然と頬を緩めながら、殿下は私を見上げる。「うっ」と言葉を詰まらせた私は、盛大に目を逸らした。
「……な、なりませんから! いい加減、しゃきっとしてください!」
私が答えると、「やっぱり」とにこにこするのが腹立たしい。満面の笑みを浮かべている殿下の肩をえいと押すと、中腰になっていた殿下はころりと後ろに転がった。




