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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
6章 私たちのゆく道の話
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 これが一体何の祭りなのかよく分かっていないが、まあ街中が楽しそうで何よりである。私たちは活気に満ちあふれた街を泳ぐように歩いた。殿下は物珍しそうに様々なものを眺めて楽しそうだし、浮かれた雰囲気に私もうきうきである。


「あまり殿下と外を出歩く機会もありませんから、何だか新鮮ですよね」

 大きな綿飴をかじりながら殿下を見上げると、殿下は「うん」と微笑んだ。

「どうする? 手でも繋ぐ?」

「ヒッ……!」

 当然のように差し出された右手に、私は思わず息を飲んだ。

「か、片手が塞がっていては、殿下をお守りできな」

「どっちにしろ、今日は剣を持っていないでしょ?」

 しどろもどろに首を振った私に、殿下は容赦のない追撃を食らわせる。急速に耳が熱くなるのを感じながら、私はもごもごと言い訳じみた言葉を口の中で転がした。

「だってそんな、いかにもお祭りで浮かれてますみたいな」

「でも、お祭りででもなければそんな機会ないでしょ?」

 僅かに身を屈めて、殿下がにっこりと笑みを作った。


「まさか城の中で手を繋いで歩く訳にもいかないもんね」


 ……想像しただけで小っ恥ずかしい。渋面になった私に、念押しのように「ね?」と首を傾けて、殿下は再度手を差し出した。

「どうしたい?」

 あくまで私に委ねる形を崩そうとしない殿下に、私はうむむと唸る。周囲を見回すが、いつの間にか近衛はちょっと離れた位置にまで下がっていた。察しが良くて何よりである。

「うぅ……」

 そこはかとない敗北感にうずうずとしながら、私は左手を伸ばして、ちょんと殿下の手に触れた。殿下の目元が緩められる。

「うん」と殿下は頷いて、私の手を取った。その頬が僅かに紅潮しているのを見て取って、私は言い訳も出来ないほど真っ赤な顔で唇を噛む。

「よ、余裕ぶってる割に、殿下だって照れてるんじゃないですか!」

「……それを言っちゃおしまいだよ」

 すいと目を逸らし、片手で口元を隠しながら、殿下は拗ねたように呟いた。



 殿下の手は、しなやかで柔らかかった。握りしめたら壊れてしまいそうな繊細さがどこかにあった。

「殿下の手は、私とは違います」

 にぎにぎと軽く手を動かしながら呟くと、殿下は頷いた。

「アルカの手は格好いいね。剣を持つ人の手だ」

「硬いばっかで大して綺麗でもありませんが、……殿下をお守りするための手ですから」

 私は殿下と繋いだままの左手を持ち上げる。


「私の左手は、殿下の為に剣を握る手で、殿下と共にある託宣人であることを示す手で、それから、殿下と繋ぐことも出来る手です」

 手首で光る金色の腕輪に、殿下が眩しげに目を細めた。私はおずおずと微笑む。

「いつかこの腕輪が外れても、……いつか、私が殿下の為に剣を取らなくなっても、」

 そこで上手く言葉を見つけられず、私は殿下の目を馬鹿みたいに覗いたまま言い淀んだ。殿下は少し躊躇うように視線を動かしてから、手を動かす。

「放さないよ」

 手の向きを変えられ、これまでより強めに手を握り込まれた。「アルカがアルカでない頃から、近衛でもなく、託宣人でもない頃から、僕はずっと君を見てきたんだから」

 殿下はそう言って、いつになく力強く笑った。



 広場に出たところで、殿下は立ち止まり、私に向き直った。

「……僕は、アルカみたいに剣を取って戦うことは出来ないし、実際の脅威から格好よく守ってあげることも出来ない」

 するりと指先を抜くように手を放して、殿下は囁く。何となく空気が変わったのを察して、私は居住まいを正した。握りしめている大きい綿飴が何となく気まずい。

「僕はこの手を血で濡らさないし、この手で矢をつがえることも出来ない」

 殿下は自らの掌を見つめ、目を伏せる。ひとつの呼吸を挟んで、殿下は瞼を閃かせて私を見据えた。


「――その代わり、僕に出来る戦い方は別のところにあることも、きちんと理解しているつもりだ」

 殿下は静かに、落ち着いた声で告げる。

「君のことを絶対に守れると、僕は言い切ることが出来ない。僕たちはみんな等しく矮小だから、僕に出来ることもたかが知れている」

 そっと隊長が近寄って、無言で私の手から綿飴を回収していった。ありがとうございます。


 殿下は照れたようにくしゃりと笑って、もう一度私に手を差し出す。

「それでも、僕は、君と一緒に歩きたいんだ。この先に続く道がどんなに棘だらけで厳しくても、どこまで行っても光が見えなくても、……前にみちが続く限り、どこまででも」

 私は思わず息を飲んだ。殿下は真っ直ぐに私を見ていた。

「殿下……」

 呟くと、殿下は笑みを深める。

「……私も、殿下のお側で歩きたいです。同じ道を、おんなじ歩幅で」

 その先がどこに続いていようと構わない。たとえそれが奈落へ通じる道だとしても、殿下と一緒なら、そこが楽園だ。

 ……でも、私には予感があった。私は殿下の手を両手で掴んで、軽く揺する。

「どんなに底が暗くたって、私たちが歩くんですから、きっとその先に光があるに決まってますよ!」

 私が胸を張ると、殿下は一瞬虚を突かれたように目を見張り、それから声を上げて笑った。



「うん、その通りだ」と殿下は小さく咳払いをした。柔らかい動きで手を引っ込め、強ばった表情で私を見つめると、それからおもむろに屈む。

「……?」

 じっと動向を見守る私の目の前で、殿下は慎重な動きで跪いた。どこか遠くで小さな歓声が上がった。何が起こっているのかいまいち理解できていない私の左手を取って、殿下が控えめに微笑む。その眼差しが真っ直ぐに私を見上げていた。

「だから、」

 殿下がそっと身を屈める。手の甲を何かが僅かに掠った。首を竦めた私を見据えると、殿下は乞うように囁く。



「――――アルカ。僕と結婚して下さい」



「けっ……?」

 その瞬間、私の頭が爆発した。……ように感じた。殿下はやや緊張したような面持ちで、黙って私を見上げている。私はしばらくの間声を失って瞬きを繰り返す。

「はぇ…………」

 口から間抜けな音が漏れた。頭に血が上る。ちょっと理解が追いつかない。

「えっと……そのぉ」

「ここでアルカの為に補足を入れておくと、僕の成人までにはあと一年とちょっとあるので、今この場で了承しても一旦婚約の扱いになるよ」

「ははぁ……それは……ありがたい……」

 極端に思考能力の落ちた私の為に、殿下が親切に説明して下さる。私はうんうんと頷いて情報を咀嚼した。なるほどね、しばらくはこんや……こん…………婚約だと!?


 足に力が入らず、ふらりと尻餅をついてしまう。私は勢いよく顔を上げて叫んだ。

「けけ結婚!?」

 腰を抜かした私を抱え上げるようにして、立ち上がった殿下は「うん」と頷いた。私は目を白黒させながら殿下を唖然として見つめる。

「気が……早いのでは……?」

「まあ、世の中には生まれたときから婚約者が決まっている人もいるくらいだし」

「それはそうですけど」

 一体世の中のどこに、初めて手を繋いで歩いてガチ照れしていたその日にプロポーズしてくる人がいるのか。いや、ここにいた。


 私は思いきり狼狽えながら周囲を見回す。会話の中身までは聞こえてないだろうが、普通に公衆の面前である。何という場所でぶちかましたのだ、と私は背中に汗をかいた。

 私史上最速で回る頭が、とりとめのない結論をはじき出し続ける。……いや、そのうちこうなるかなーという気はしていたけど、ちょっと早い気がするのだ。もう少しちゃんと考えてから了承したい。多分一生に一度あるかないかという機会だし、そんな粗末に扱って良いものじゃないじゃん? ええとその、……そうだ! ここは『考えさせて下さい』で回避して、一年後……いや、半年後くらいに答えれば……!


 殿下は困ったように小首を傾げた。

「ここは一旦『考えさせて下さい』で退けて、半年後くらいまで保留しようと考えているなら、この際ここで了承して欲しいな」

「図星!」

 あまりの鋭さに恐怖すら感じる。震え上がった私に、殿下は「一度経験済みだからね」と肩を竦めた。



「……性急な自覚はある」と殿下は身を屈めて耳元に口を寄せると、声を潜めた。そこに、色ボケとは違う雰囲気を感じて、私は瞬きをする。

「僕自身はいくらでも待ってあげたいし、待てるけれど、……事態が変わったでしょ」

 殿下は目を伏せ、私の左手首を指先でなぞった。そこに嵌められた腕輪に、殿下が何を言わんとしているかを悟る。息を飲むと、殿下は甘やかすように私の頭を撫でた。

「何も起こらないのが一番だけれど、――先手を打つ必要がある」

 私は立ち竦み、唇を噛む。……そうだ。私のせいで、殿下に迷惑をかけているのだ。


 ずぅんと沈んで項垂れた矢先、殿下が「まあ、もちろん」と声音を上向きにした。

「僕がアルカのことを大好きなのが最たる動機だから、アルカはそこだけ見ていれば良いよ」

 あんまりにも単純化しすぎの結論である。胡乱げに眉をひそめると、殿下は丸め込もうとする気満々の笑みで返した。

「大丈夫、ここで頷いても、あと一年間考える時間はあるから」

「うーん……」

 私は唸って、不信を露わに殿下を眺める。殿下はまるで何も考えていないみたいな笑顔である。


 私は殿下の顔をじっと観察した。殿下には、数え切れないほどの恩がある。私は殿下のことを尊敬してるし、この上なく感謝しているし、更に言えば殿下が大好きである。それだけの理由で良いとは思っていないけれど、それ以上の理由があるとも思っていない。

「――――わ、かり、ました」

 躊躇いがちに首を上下させた瞬間、殿下は大きく目を見開いた。

「どっちにしろ、殿下の立場も立場ですし、ずっと宙ぶらりんのままにはしておけないと思っていましたから、……まあ、ちょっといきなりで驚きましたけど」

 照れ隠しに顔を背け、ぶっきらぼうな口調で言い、それから視線を戻した私は仰天した。


「殿下! 何で泣いてるんですか!?」

「泣いてない、」

 目を真っ赤にして唇を引き結んでいる殿下の頬に手を伸ばす。逃げるように横を向かれるので、私は踵を浮かせて顔を覗き込んだ。



「ユーリ」

 小さな声で呟くと、殿下が大きく目を見開く。

「ユーリ、こっち向いて下さい」

 私はとろかすように囁いた。こんな声が出たことに、自分でもびっくりした。ぎこちなくこちらを向いた殿下に手を伸ばすと、私は勢いよく抱きついた。

「ありがとうございます。とっても嬉しいです」

 両腕で殿下の頭を抱いて、私は息混じりに告げる。殿下は少ししてから、私の背に手を回した。肩に額を乗せられ、私はその髪をかき混ぜた。

「……こっぴどく振られたら、どこの山に籠もろうかと考えてた」

「ははは」

「笑い事じゃないよ」

 ぐすぐすと鼻を鳴らす殿下に、私は肩を揺らして笑った。周囲から拍手が聞こえて、そこでここが衆人環視の広場であったことを思い出す。これはとんだ特大ニュースだろう。王族とその託宣人が祭りのど真ん中で公開プロポーズである。


「冒険しましたね。もし私がここで拒否したら大変なことでしたよ」

「しょ、勝算、あったし、」

「なら何でそんなべそべそに泣いてるんですか」

 私は笑み混じりのため息で、殿下の背を撫でた。殿下は不満げに私を睨み上げる。

「……自分ばっかり余裕ぶって」

「年上ですもん」

 凄まじい勢いで早鐘を打つ心臓は気づかないふりで、私はふふんと笑ってみせた。



 ***


 翌朝、私は新聞各紙を前に顔を引きつらせた。

「はは……報道、めっちゃ早いですね……」

 一面を飾る見出しから目を逸らしながら、私は棒読みで呟く。殿下は「そりゃまあ」と頷いた。

「最近は特に事件もないからね。一面は堅いと思ってたよ」

「一夜明けたら余裕を取り戻しましたね。昨日あんなに泣い」

「てない」

 食い気味に被せてきた殿下をじっと眺め、私は部屋の隅にいた隊長に「泣いてましたよね」と声をかける。隊長はたっぷり五秒は沈黙してから、「あまりよく見えなかったからな」とどこか遠くの虚空を見上げた。見事な回避である。


殿下は新聞を眺めながら眉を上げた。

「アルカが昨日つけてた髪飾りって、あれ、ヴィゼリーのものだったんだね」

「はい」

 そういえば殿下には言っていなかった。昨日も『いいねそれ』『でしょ』程度の言及しかしていない気がする。

「エアノルアさんに頂いたもので」

 そう言った瞬間、殿下が目に見えてぴくりとした。私は首を傾げる。

「あれについて何か書いてあったんですか?」

「ちらっとね。キルディエの流行りとは少し違う細工だから、話題になったみたい」

「へぇ……案外見られてるんですね」

 私はなるほどと頷いて、腕を組んだ。殿下は一旦新聞を畳むと頬杖をつく。

「エアノルア殿下にしてみれば大成功だろうな」

「何がですか?」

 殿下は肩を竦めた。「良い宣伝になったからね」

「なるほど」と私は顎に手を当てて頷いた。ただのプレゼントだと思ったが、……いや、実際にただのプレゼントではあるのだが、どうやらちょっとした思惑もあったらしい。まあ別に罠ではないから構わない、のかな?



 まあ良い、と私は視線を戻した。壁のカレンダーに目を留め、嘆息する。

「……ジャクト、戻ってきませんね」

 呟くと、今日ジャクトの入るはずだった警備にあたっている隊長が重々しく頷いた。

 ――ジャクトが帰ってくるはずの日を、既に半月ほど過ぎている。それでもジャクトは帰ってこなかった。

 殿下は厳しい表情で隊長を振り返る。

「連絡は何も入っていないのか」

「音沙汰もありません」

 抑えた声に、私は唇を噛む。大丈夫だろうか。何か事故や事件にでも巻き込まれてはいないか、と私は重いため息をついた。

「まあ、きっと大丈夫だろう」

 隊長は祈るように言う。私はその言葉に縋るように頷いた。……だって、ジャクトのことだ。今にひょっこり戻ってきて、『すみません遅刻しました!』とお土産を配り始めるに違いない。

ジャクトだもの。ちょっと脳天気で、真っ直ぐで純朴な、あの子のことだ。私たちの後輩だ。――私の、可愛い後輩なのだ。



 激動の一日を終え、のんびりと殿下の部屋に乱入していた私に、殿下がせっせと様々な書類を渡してくる。

「アルカの気が変わる前に色々進めておかないと」

「今更心変わりしませんよ、……多分」

 私はふて腐れて唇を尖らせた。殿下は一体私を何だと思っているんだろう。

「私、殿下ともう八年以上の付き合いですよ。殿下の良いところも悪いところもずっと見てきましたし、今更幻滅することなんてありませんよ」

「……うん」

 殿下は僅かに複雑な表情で頷くと、わざわざ私の手にペンを持たせてくる。はよ書けってことか。


 仰々しく分かりづらい文面を必死に読み込む私に、殿下がさも天気の話をするように話しかける。

「午後は父上と母上のところに行って報告と、あとは神殿関係への報告、それと」

「ヒィ……!」

 やることが山積である。青ざめた私に、殿下は満面の笑みで「今更心変わりしない、んだよね?」と圧力をかけてきた。ひどい。



 殿下の十七歳の誕生日まで、あともう少しだ。誕生日を祝う夜会では、キルディエ中の高位の人間が集まる。どうやら、そこで私たちの婚約を発表するのが、殿下の狙いのようだった。



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