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そして週末。例の日である。
「って、どうしてあなたは制服を着ているの!?」
どういう訳か、近衛の先輩のコレリアさんが私の部屋まで迎えに来てくれることになっていた。が、何故か彼女は部屋の前でひっくり返っている。
「え? 制服駄目ですか!?」
「駄目に決まっているでしょう! 部屋、入るわよ!」
コレリアさんが鬼気迫る表情で私の部屋に入り、隅のクローゼットを開け放った。私服が並んでいるのを見ると、コレリアさんは「普通の服もあるんじゃないの」と私を振り返る。
「誰か、侍女を呼んできて頂戴!」
「はい、今すぐ!」
廊下で足音が遠ざかり、ばたばたと右往左往している物音がした。私は唖然としたまま部屋の中で立ち尽くす。
「あのぉ……これは一体……」
恐る恐るコレリアさんに声をかけると、凄まじい勢いで私のクローゼットを漁っていたコレリアさんがこちらに視線を向けた。
「アルカ、あなた、今日のお出かけを何だと思っているの?」
「殿下の休日にご一緒させて頂くものだと……」
「そうよ、分かってるんじゃないの!」とコレリアさんは頭を抱え、それから私に向かって指を指す。
「今日は、大事な、デートの日でしょう!?」
「デっ……!?」
愕然とし、私は絶句した。デ……!?
「私、護衛じゃないんですか!?」
「なんで逆にわざわざ殿下自ら誘ってくださったのに仕事だと思うの!?」
言われてみれば確かに殿下はそれっぽいことを、……いや、別に言っていない気がする! 一気に混乱に叩き落とされ、私は目を回した。
「……殿下ったら、また照れて日和ったわね」とコレリアさんは低い声で吐き捨て、クローゼットの中から私の私服をいくつか取り出した。その瞬間、「失礼いたします」と扉が開く。
「あらあらこれは」
「なるほど」
制服のまま狼狽える私を一目見ると、入ってきた侍女たちは顔を見合わせて頷いた。
「あと半刻で何とか出来るかしら」
「お任せ下さい」
コレリアさんの言葉に侍女は頷き、腕まくりをする。まるで戦場に赴くような面持ちにおののいて、私は及び腰になった。
「……これで何とか、どうでしょう」
制服を引っぺがされ、あれでもないこれでもないと着せ替えられた挙げ句に、姿見の前に立たされる。元から持っている大したことない服だったはずなのに、組み合わせのおかげか、いつもより何だか良い服に感じた。夏だし涼しげで良い感じである。
「うん、良いわ」とコレリアさんは私を眺めながら頷き、それから一つに束ねているだけの私の髪に触れた。
「何か髪飾りとかは持っていないの?」
「えっと、」
アクセサリーの類はあまり持っていない。そう思って眉をひそめた直後、ふと脳裏によぎったのは以前もらった例のあれだった。
「以前エアノルアさんに頂いたもので、」と小物入れから髪飾りを取り出すと、コレリアさんが大きくよろめいた。侍女二人も目をぱちくりさせる。
「まさかこれほどの逸品が出てくるとは思いませんでした」
驚いた様子で呟くと、侍女は私の手から髪飾りを受け取った。一度髪を解いてから手早く結い上げる様子を鏡越しに眺めていると、コレリアさんに強く肩を掴まれる。
「いいわね、絶対になくすんじゃないわよ」
「分かり……ました」
この反応からするに、よほど良い品らしい。あのときエアノルアさんは『大した品じゃない』とか言っていたが、よくよく考えたらあの人は王女様なのである。私たちと感覚が同じだと思う方がおかしかった。
しゃらりと頭の後ろで軽やかな音がする。……何だかずんと頭が重くなった気がした。
「よし、完璧ね」
コレリアさんが胸を張って私を上から下まで眺め回す。時計を見ると、もう集合時間――いや、待ち合わせの時間だったのか?――が迫っていた。「いってらっしゃいませ」と送り出されて、私とコレリアさんは廊下を急いだ。
どういう訳か、わざわざ人目のある城門前で集合……待ち合わせ? である。玄関を出て前庭を駆け抜け、私は勢いよく城門前の広場に走り出た。
「でん、……いた」
昨日と今日が祭りの催される日で、街並みは昨日の熱を残したまま賑わっている。当然この広場も例外ではないはずなので、きっと殿下を見つけるのも大変だと思ったが、
「よくそんなに早く見つけられるわね」
コレリアさんが呆れた表情で私の横顔を振り返った。思わず顔を背ける。……自分でも凄まじい早さだと思った。
殿下は広場の反対側で先輩と何やら話をしている様子である。人の往来も多いから、それほど目立つ光景ではない。よくもまあ瞬時に見つけられたものだと思う。
「まあ、い、いつも見てますから、見慣れてただけで、」と言い訳しながら視線を戻した瞬間、遠くにいるはずの殿下とばっちり目があった。それまで腕を組んでいた殿下が、腕を解いて私に手を振る。
「ヒィ! 何でこの距離で!?」
「それをあなたが言うの?」
ほら、とコレリアさんに背中を押されて、私は躊躇いがちに一歩足を踏み出した。
「……お待たせしました、」
道行く人を避けながら広場を横切った私は、そそくさと殿下の周りに立っている近衛に紛れた。すぐさま先輩に「おいこら」とつまみ出されて殿下の前に立たされる。否応なしに殿下に向き合いながら、私は盛大に動揺した。
「ええとぉ……その」
私は後ろ手に指を絡ませながら言葉に迷う。まずは若干の遅刻を謝罪するべきか、と口を開くと、殿下はにこやかに言った。
「大丈夫だよ、ほんの誤差程度だ」と寛容なお言葉である。流石は殿下、広い心の持ち主だ。しみじみと感動していた矢先に放たれた言葉に、私は顔を引きつらせた。
「シアトスなんて『アルカのことだからどうせ制服着てきますよ』なんて言ってたくらいだし、僅かな時間の遅れくらい、……アルカ?」
露骨に目を合わせるのを拒む私に、殿下が「まさか」と呟く。私は「まさかそんなこと」と白々しく乾いた笑いで応じた。
――結局この話題は流すことにしたらしい。殿下は数秒天を仰ぐと、「うん」と何かを咀嚼するみたいに頷いた。……申し訳ない。
「それで、殿下、今日はどうされるおつもりで?」
「うーん、僕も正直こういう催しに参加するのは初めてだから、取りあえず色々見てみたいかな」
パンフレットを覗き込みながら、殿下は物珍しそうに呟いた。何をするにもどことなくこなれた雰囲気を出しがちな殿下なので、まさかお祭りを見て回ったことがないとは驚いた。
「殿下、お祭りは初めてなんですか?」
「うん」
平然と頷いた殿下は、「やっぱり立場が立場だからね」と目抜き通りを見回す。
「一度行ってみるなら、もうこのタイミングくらいしかないから」
当然のように零された言葉だったが、何故だかそこに妙な寂しさを感じて、私は少しだけ眦を下げた。殿下は私の表情の変化に目を留めると、大げさな動きで肩を竦める。
「特に僕は数年前に暗殺騒ぎとかがあったから、自分からあまり出歩く気にならないだけだよ」
何てことのないように告げて、殿下は人混みをじっと見た。あそこを通り抜けなければ、屋台とかが並んでいる通りにはたどり着けない。殿下が若干怯んだ気配を感じ取って、私はがっと殿下の腕を取った。
「行きましょう、殿下」
力強く告げて殿下を見上げると、殿下は一瞬まじまじと私を見つめ、それから表情を緩めて頷く。視界の端で先輩が石像みたいな顔をしていた。
……とはいえ、今回はなかなかの人数の近衛が周囲に立っているのである。それほど人混みの中でもみくちゃにされることもなく、むしろ近衛の制服を着た一群が近づいてくれば、歩いていた人は自然と横に避けていくというものだ。
「あれって、」
こちらを見ながら、誰かが呟く。私は思わず体を強ばらせて縮こまる。……そりゃそうだ、こんな風に人混みをかき分けていれば、当然注目も浴びるはずだ。いたたまれなくなって首を竦めた私とは正反対に、殿下はどこ吹く風で平然と歩いていた。
「ユリシス殿下……?」
訝しげな声が聞こえた方向に向かって微笑みを向け、小さく手を振るほどである。王族って怖い。私は心底震え上がった。
「……殿下、これは、こんなに目立つのが正解なんですか」
ベンチに腰掛け、深刻な表情で訴えた私に、殿下は「まあ仕方ないことだよ」と肩を竦めた。私たちの周囲では近衛の仲間たちが目を光らせている。何か凄く恥ずかしい。
道行く人たちは、異様な雰囲気を醸し出す私たちに怪訝そうな顔である。
「……もしかして、ユリシス殿下?」
ちらりと聞こえた声の方向に、殿下は小さな笑みと共に、唇の前に人差し指を立ててみせた。きゃあ、と上がった密かな歓声に、私は頭を抱える。
まじか。王族ってすごい。街を歩くだけでこの注目度である。私がどんなに大っぴらに顔を出してノコノコ歩いていても何も言われないのに、流石は殿下……なのか?
「やっぱり周りに護衛官がいると注目を浴びやすいんだね」
「当然です……」
腕を組んで感心するように呟いた殿下に、私は重たいため息をついた。
――何だかんだ言ってそのうち慣れた。別に話しかけられる訳でもないし、私たちが何か悪いことをしている訳でもないし。
「良いですか、殿下。お祭りの極意を教えて差し上げます」
私は財布を取り出しながら、屋台の立ち並ぶ通りを指し示した。道の両側に並ぶ屋台には、色とりどりの看板が飾られている。漂ってくる美味しそうな匂いにごくりと唾を飲んで、私は三本指を立てた。
「店、見る。食べ物、買う。わんさか食べる。以上です」
「それって信用しても良い極意?」
「もちろんです」
大真面目に頷くと、殿下は「なるほど」と真剣な表情で財布を取り出す。高額紙幣の束が出たらその場にひっくり返る構えで待っていたが、予想に反して中には使い勝手の良い小銭が入っていた。
「流石は殿下……」
「そんな、絵に描いたボンボンみたいなミスはしないよ……」
下準備も完璧らしい。ぱっと思いついたのではなく、結構前から準備していたのだろう。私は人混みに紛れようとして全然紛れていない近衛の面々を見回す。
「よし、行きましょう」
ぐっと拳を握り、私は殿下を振り返る。殿下は大きく頷いた。
「……節操というものを身につけなさい」
「ごめんなさい」
人の目があるからか、いつもよりトーン低めで隊長に怒られる。私はテーブルに広がった食べ物の数々を前に首を竦めた。
「どうするんだ、こんなに買い込んで、食べきれるのか」
「買ったときは、食べられると思ったんですけど……」
お祭り初参戦のはずの殿下の方が、よほど節度を守った量である。まるで大はしゃぎしているみたいで何だか恥ずかしいものがあった。思わず顔をしかめた次の瞬間、私は指を鳴らして「そうだ!」と周りを見た。
「みみ皆さんで食べて頂こうと思って買ったんですよ、『初めから』そのつもりで!」
「今『そうだ!』つってなかったか?」
容赦のない先輩の言葉は無視して、私は距離を保って立っている近衛も手招きで呼び寄せる。
「みんなで食べましょうよ! せっかくのお祭りですし」
わらわらと集まってきた近衛を見回すと、全員一斉に殿下の方を見た。殿下は少し考えるように遠くを見て、それから「名案だね」と頷いた。
「あ、これ美味しいですね」
「うん。あんまり食べたことがない味かも」
「確かに」
なし崩しで、飲食スペースの机一つをぐるりと囲んで、みんなで軽食タイムである。仕事仲間に見張られながら食事をするのはあまり好きじゃない。先輩が、私たちがつついている煮物と同じものを食べながら呟いた。
「これ、俺の地元の味付けに近いですね」
「そうなんですか? 先輩どこら辺の出身でしたっけ」
「もう少し南の方だな」
殿下が「なるほど」と頷く。
「確かに、言われてみれば海鮮系の出汁だね」
でしょう、と先輩が胸を張ると、殿下は肩を竦めた。向こうの方では隊長とコレリアさんがパンを半分にして分け合っている。そんな様子を眺めながら、私はふっと頬を緩めた。
「アルカ?」
殿下が私を振り返る。私は軽く首を横に振って、「いえ」と頬を掻いた。
「私、やっぱり、みんなと線を引くのがあんまり好きじゃないんだなって、気づいて」
きょとんとしたような殿下の表情に、私は上手く言葉を探せずにあたふたと手を動かす。ややあって、私は口を開いた。
「……私は、元々は孤児で、それから殿下に拾って頂いて、殿下の近衛になって。今は殿下の託宣人でもあって、あとそれとええと、……で、殿下とも色々とお付き合いさせて頂いて、」
「この初々しさが可愛いよね」
「俺に同意を求めないで下さい」
私が頑張って言葉を選んでいるというのに、殿下は満面の笑みである。こほんと軽い咳払いで受け流してから、私は目を上げた。
「――でも全部、私です。私がかつて、……アルカじゃなかった頃も、私がアルカになってからも、ずっと私は私でした。そこに線を引くことなんて出来ない。今の私が、昔の私みたいに貧しい環境に身を置く人たちとの間に線を引いて、関係ない、遠い存在として扱うのは簡単です。『私はもう託宣人だから、そこらの近衛とは格が違う』と言うのだって、同じくらい簡単。でもきっと私、それをしたくないんです」
私は殿下をじっと見つめて、今しがた、すとんと落ちた何かを咀嚼するように言葉を紡ぐ。
「私、どんな自分でも受け入れたいし、殿下がどんな人でも大好きです。好きになれるかどうかは別として、同じように、どんな人との間にも線は引きたくない。たとえ好きなものが違っても、違う言葉を話していても、何を信じていても、信じていなくても――どんな生まれだって」
最後の一言に、殿下は気取られぬ程度にゆっくりと息を飲んだようだった。強い視線を返されて、私は躊躇いがちに微笑んだ。
「も、もちろんいつもそれが可能な訳じゃないのは分かっているし、護衛官と護衛対象なんてその良い例ですけど、……まあ、一緒にごはん食べるくらいは良いんじゃないかなぁって」
思いのほか長々と語ってしまった。首を竦めて照れ笑いした私に、殿下はゆったりと目を細める。
「そうだね。みんなで食べた方が楽しいし美味しい」
「真理です」
大きく頷いて、私は串に刺さった揚げ物に手を伸ばした。




