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毎年夏になると、王都ではちょっとしたお祭りが開かれる。近衛ではない一般の護衛官はどうやら、このときばかりは街の警備に駆り出されるらしく、食堂は怨嗟の声でいっぱいである。そんな様子を尻目に、私は先輩に向き直った。
「毎年思ってるんですけど、私たちは街の警備をしなくて良いんですかね?」
「だってそりゃ、俺たち殿下の護衛官だし」
そりゃそうである。殿下の警備をほっぽり出してノコノコ街の警備とはいかないだろう。
「なるほど、じゃあ今年も普段通りお城での勤務って訳ですね」
納得して頷くと、先輩は少しの間じっと私の顔を眺めた。
「……何ですか」
「いや、何でもない」
ふいと視線を逸らした先輩に首を傾げる。何だか歯切れが悪い。言え、と迫るように視線を向けると、先輩はあからさまに気まずそうな表情で首に手を当てた。
「えー……っと、だな、」
「はい」
ここまで嫌そうな顔の先輩もなかなか珍しいものである。一体何が、と私は身構えた。
「アルカ、お前、……殿下のこと好き?」
「そりゃもう。大好きですよ」
「ほーん……」
拳を握って大きく頷いた私に視線もくれず、先輩は遠い目をしてどこかを眺めている。
「なんでわざわざ今更そんなことを」
「いや、別に、理由はないが……」
もはや歯切れが悪いのレベルを超している。歯、ある? あまりにもごにょごにょである。
内心で私に悪態をつかれているとは知らず、「これで良いだろ」と何やらぶつくさ言っている先輩から視線をずらして、私は食堂の壁にかけられているカレンダーを見た。
「――ジャクト、帰ってきませんね」
本当なら、もう、ジャクトが帰ってきているはずの頃だった。念のため有給は長めに取っているということだから、近衛の警備体制に支障はないものの、官舎にジャクトがいるという情報もない。
「聖都からの帰路で帰省すると言っていたから、実家で少しのんびりしているんだろう」
「予定を押すほど?」
私が眉をひそめると、先輩は「さあな」と肩を竦めた。
「聖都限定販売の『神サブレ』、買ってきてもらう約束だったんですけど……」
「聖都、そんなもん売ってんのか……」
以前、新聞の下部に載っていた広告を指して『これ食べたい』と言っていたら、ジャクトが『じゃあおれ買ってきますよ』と親指を立てて引き受けてくれたのだ。別に焦がれるほど食べたい訳ではなかったが、ジャクトが私のためにお土産を買ってきてくれると思うと、何だか面映ゆいような気分だった。
「大丈夫ですかね……。変なもの拾い食いとかしてお腹壊してなきゃ良いですけど」
「お前じゃあるまいし、大丈夫だろ」
「私のこと何だと思ってますか?」
平然と失礼な発言をしてきた先輩の椅子の脚を蹴ってやる。手元が狂った先輩はグラスから顔に水を浴びた。
ハンカチで顔と胸元をせっせと拭っている先輩に小突かれながら、私は殿下の部屋の方まで歩く。ここ最近は室内警備ではなく、その前の廊下での警備が増えていた。
「先輩は今日室内でしたっけ」
「ああ」
素早いノックと共に、そそくさと部屋に入っていった先輩を見送る。ちらと殿下の姿が見えたが、扉が閉まると見えなくなった。
……何だかこのところ、殿下は忙しそうである。訊いても何も教えてくれないけど。
***
「……って訳ですよ」
「あらあら……」
ケーキにフォークを突き立てた私に、ウルティカは苦笑する。ウルティカは目元を和らげて「殿下ったら」と訳知り顔である。何だ……?
「だいたい!」と、私はこじゃれた内装の喫茶店を見回し、その中にどう見ても見慣れた顔を認めて拳を握った。
「なんで、隊長ファミリーが私の行く先々に出没するんですか!?」
通路を挟んで反対側のテーブルをびしりと指さす。そこには隊長とそのご家族が勢揃いしていた。
「どれにします?」と奥様にメニューを差し出され、隊長は悩ましげに唸る。
「そうだな……じゃあ、」
「父さん、家出る前にスコーン食べたの忘れてませんよね」
「父さん、まさかこれ以上食べるなんてことは」
「……俺は水で良い」
「あら、それだけでよろしいのですか?」
「構わん。好きなものを食べると良い」
……微笑ましい家族団らんである。
私はじろりと隊長を睨む。
「……隊長、どういうことですか」
「俺たちのことは気にするな、ただの偶然だ」
水の入ったグラスを手に、隊長は真面目な表情で宣言した。絶対嘘だ。私はつい先程のことを思い返して、隊長に人差し指を突きつける。
「じゃあ何でさっき若い女性向けの雑貨屋さんにいたんですか!? 息子さん達めちゃめちゃ居心地悪そうでしたけど!」
隊長は露骨に目を逸らしながら「……妻が」と呟いた。
「奥様はもっと良いお店に連れて行って差しあげては!?」
私は目を剥いて叫んだ。心底同意だと言わんばかりに隊長は重々しく頷く。そんな隊長の隣で、隊長の奥様が一生懸命に手を横に振っていた。
「気にしないで、アルカちゃん。あのお店は、本当に私が行ってみたかっただけなの。こんな機会でもなきゃ入ることもなかったでしょうし、貴重な体験が出来たのもアルカちゃんのおかげだわ」
「セレン、」
「こんな機会……? 私のおかげ……?」
首を捻ると、奥様は頬に手を当てて隊長を振り返る。
「あら、ごめんなさい。失言だったかしら?」
隊長はあからさまに渋面で「許容範囲内だ」と首を横に振った。奥様はぱっと表情を輝かせて「良かったわ」と胸の前で手を合わせると、ふぅと息をつく。
「隊長さんの奥様はお可愛らしい方なのですね」
ウルティカが表情を緩めて呟いた。正直言って心底同意なので、私は大きく頷いておく。別にそれは良いのだ。隊長のご家族がいることに否やを唱えているわけではなくて、
「……最近どこへ行くにも、いつの間にか見知った顔が近くにいるんです。怖いですよね」
私は神妙な表情でウルティカに告げた。ウルティカは「うーん」と微妙な笑顔で、ちらと隊長を見る。隊長は静かな表情で水を飲んでいた。
ウルティカは「ところで」と話題を変える。
「エアノルア様がご迷惑をおかけしませんでしたか?」
その言葉に、私は「えーと」と目を逸らした。
――エアノルアさんは数日前にヴィゼリーに帰った。お城に挨拶に来たとき、殿下に何か言っていたけれど、ヴィゼリーの言葉だったので何も分からなかった。
「ウルティカが気にすることではないと思いますが……少なくとも私は、特に」
「……と、言うことは、どなたか別の方にちょっかいを出されましたか」
ウルティカが小さく嘆息した。全くもう、と唇を尖らせる。
「エアノルア様は昔から人をおもちゃにするのが趣味ですの」
「ろくでもない趣味ですね」
「その通りですわ」
何とも容赦のない言いようである。口ぶりからして長い付き合いのようだし、私が思っているより気安い仲なのかもしれない。
「それでも、エアノルア様に来て頂いたおかげで、新しくイルゾア商会と契約してくださった港もありますし、また新規の店舗を開いてキルディエでどんどん展開出来そうなのですわ」
ウルティカは胸の前で指を組んだ。イルゾア商会について話をするときのウルティカの目はいつも輝いているので、私は何だか完全には飲み込めないまでも、その話をいつまででも聞いていられた。
「ジルシュア領の領主代理の方に、エアノルア様ご自身が話をつけてくださったおかげで、交通の要所、様々な街道の集まるゼルキス港に大型船が泊められるようになって」
「そんな場所があるんですね」
「はい。ゼルキス港からなら、王都でも聖都でも、様々な方面に商品を動かすことが出来ますの」
ウルティカは心底わくわくとした様子で、私は頬杖をつきながらその話を聞いていた。
……ジルシュアってどこかで聞いたことがあったような気がするな、と思ったが、いまいちぴんと来ずに私はその名前を忘れた。
***
その日も私は廊下の警備だった。殿下の身に危険が及んではいけないと、行き交う人をじっと監視してみるが、別段、これといった問題がないのが現実ってやつである。平常通りなのに越したことはないけれど。
そんなこんなで全然殿下の姿を見かけない、と思っていたその日の夜になって、久しぶりに殿下が私の部屋に侵入してきた。
「アルカ、」
「殿下……」
日数で考えればそれほど経っていないだろうが、普段同じ空間にいる時間が長いだけに、少し顔を見ないだけで、やけに久々な感じがした。呆気に取られる私に、「今、良い?」と殿下が問う。普段そんな確認もなしに当然のように入ってくるので、わざわざ訊かれると身構えてしまう。
「構いません、けど」
恐る恐る答えると、殿下は「良かった」と胸をなで下ろし、後ろ手に扉を閉じた。殿下はどこか硬い動きで部屋を見回すと、私の表情を観察するように視線を据える。
「いきなりで申し訳ないんだけど、今週末って暇?」
「えーっと、……非番ですね。暇ですよ」
手帳を開いて確認すると、殿下は頷いた。まるで分かっていたとでも言わんばかりの態度である。一体何の用事だろうと首を捻った直後、殿下はにこりと私に笑顔を向けた。何の脈絡もない表情の変化に、私は何かしでかしただろうかと記憶を浚う。
殿下は身を屈め、さらりと告げた。
「一緒にお出かけしようか」
「おで……かけ、」
私は殿下の言葉を反芻し、目を瞬かせる。
「それは……お城の敷地外に出る類の?」
「街がお祭りで盛り上がってるのに城の中にいても仕方なくない?」
「あ、今週末はお祭りでしたね。なるほど」
カレンダーを見ながら頷いた私に、殿下は「うん」と応じた。そこで私は「ん?」と首を傾げる。
「お忍びですか? お祭りとなると結構人が多いから、こっそり護衛するのは大変では」
「そう思ったから大っぴらに行くことにしたよ」
「わお」
隊長が渋面をしているのが容易に浮かんだ。殿下もなかなか思い切ったことをするものである。殿下は腰に手を当て、「諸々の手配が大変だの何の」とため息をついた。
「そこまでして行きたかったんですか?」
「タイミングの兼ね合いもあってね」
「タイミング……」
まあ、殿下は案外忙しい方なので、案外、外に出て羽を伸ばす機会が少ないのかもしれない。その貴重な外出にお供させて頂けるなら光栄なことだ。
「分かりました! 私もご一緒させて頂きますね!」
ぐっと拳を握ると、私は大きく頷いた。




