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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
6章 私たちのゆく道の話
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8


「記念すべき、初勤務……」

 真新しい制服に袖を通し、私は鏡の中にいる自分をじっと見た。……殿下に拾っていただいてから、もう三年だ。前よりふっくらした頬を両手で触りながら、私は気合いを入れて唇を引き結ぶ。

 ――今日から私は、殿下の護衛官になるのだ。


 気合い十分で廊下を闊歩する私に、隊長が慣れた調子で声をかける。

「とうとうこの日が来たな、アルカ・ティリ」

「はい!」

 隊長と並んで歩きながら、私はぐっと拳を握る。これまでの二年間、隊長には体の動かし方とか剣の使い方とか、様々なものを教わった。私はふと立ち止まって、深々と礼をする。

「……隊長、今まで、本当にありがとうございました」

「どこか遠くにでも行くのか?」

「えっと、そうじゃなくて、その、ええと、……これからも、よろしくお願い、します?」

 言い直して、おずおずと隊長の表情を窺うと、隊長は満足げに頷いていた。


 私は何やら、近衛? という役職の護衛官に当てられるそうで、これはどうやら大抜擢らしい。休憩室なるところに入ると、一気に視線が集中する。入り口で立ち竦んだ私の背を押して、隊長が「ほら」と言う。

 こんなに注目を浴びたことはあまりない。肩を強ばらせたまま大きく息を吸うと、私は勢いよく頭を下げた。

「……アルカ・ティリです。よろしくお願いします」

 若干、足が震えた。反応がない、と顔を上げた一瞬あと、盛大な拍手が聞こえた。

「よろしくね」と近くのソファに座っていた女の人が微笑む。私は少しきょとんとしてから、笑みを浮かべた。


「今度からは、詳しいことはこのシアトスに訊け」

「シアトスだ。よろしく」

 手を差し出され、私は躊躇いつつ手を伸ばして握手に応じた。手を勢いよく上下に振られながら、私は返事に困る。それを察したのか、腰に手を当てて彼は胸を張った。

「先輩って呼んでくれても良いんだぞ」

「分かりました。……よろしくお願いします、先輩」

 私が応えると、先輩は力強く笑った。



 ノックをして、返事が来て、そして私は深呼吸をしてから、扉を開けた。

 殿下の部屋に入るのは初めてではない。これまでにも何度か殿下が入れてくださったから、見たことのある内装だったけれど、……何だか今日はいやに新鮮なものに感じた。

 突き当たりに置かれた机の向こうで、殿下が悠然と微笑んでいる。

「ようこそ、アルカ」

 殿下が軽やかに声をかけた。私は息を飲み、右手で剣の鞘をきつく握りしめる。殿下は立ち上がって、机を回って歩み寄ってきた。

「待ってたよ」

 そう言う殿下の額を見つめてから、私は片膝をついて跪いた。

 ――私が提げた鞘には、まだ何も入っていない。

「お待たせして、すみません」

 眉根を寄せると、殿下は一瞬片目を閉じた。ふざける場面ではないのに、つられて笑ってしまう。後ろで隊長が咎めるように咳払いをした。私がすぐさま表情を改める一方で、殿下はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。


子供じみた様子で拗ねたみたいに唇を尖らせた、その一呼吸ののち。……殿下は瞬き一つ挟んで、纏う空気を一変させた。いつもは私を見上げてきらきらと輝いている双眸が、足下に跪く私を見下ろして硬質な光を放つ。開け放たれたままの窓から風が吹き込み、殿下の髪が揺れる。跪く私の前、殿下は悠然とそこに君臨していた。

 僅かに顎を上げ、少しの間、殿下は無言で私を見下ろした。きゅっと引き結ばれた唇が、綻ぶ。


「――アルカ・ティリ、」


 殿下は私の名を呼んだ。きっと、他の誰が呼ぶよりも輝かしい響きをしている、と私は思った。私は殿下が私を呼ぶときの声が好きだった。

「君は僕の剣になれる?」

 空の鞘に指先で触れ、私は「はい」と頭を垂れる。殿下が息だけで微笑んだ気配がした。私は胸に手を当て、決然とした声で告げる。

「何を賭してでも、殿下をお守りします」

 それは単なる決められた流れではあったが、言葉は全て私のものだった。

「――このご恩を返す方法を、私はそれしか知りません」

 私には何もない。私に、殿下へ返せるものは何もないのだ。何を擲ったって構わない。……私に、殿下より大切なものなど、ない。

 隊長は息を飲んだようだった。僅かに頭をもたげて視線を上にやると、殿下は痛ましげに顔を歪めていた。しかし、すぐに表情を戻す。


「じゃあ、」

 殿下は一度後ろを向き、机の上に置いてあった抜き身の剣を掲げた。私は視線を下に戻す。

「これを、君に」

 殿下の細腕で持ち上げられた剣は、どういう訳か、いつもより神聖なものに感じた。――隊長が『うーん、これで良いか?』と振り回しながら聞いてきたときとは大違いである。

 私は両腕を持ち上げ、殿下がそっと手渡した剣を捧げ持った。剣の腹を指先でなぞるように手を滑らせ、柄を両手で緩く握る。

「今日から君は僕の護衛官だ」

 殿下が告げた。私は慎重な手つきで剣を鞘に収め、視線を上げる。「謹んで拝命致します」と応じると、殿下は満足げに微笑んだ。


 *


 私は頭を抱えて嘆く。

「……駄目だ、どうせ私なんて、何も出来ないポンコツなんだ……」

「何だ、自己分析『だけ』は完璧じゃないか」

「こら、シアトス」

 今週だけで、両手の指の数で足りない数のミスをした。机に額をつけて項垂れる私の頭上で、先輩が隊長に怒られていた。

「廊下の警備担当なのに、確認もしないで人を通してしまったり、お手紙が来てたのに回収忘れて連絡が滞ったり、もう、私、一体何をしにお城に来てるのか……」

「うん、その通りだな」

「シアトス」

「すみません」

 頭上で交わされる会話をよそに、私は長いため息をつく。両手で顔を覆い、自分のふがいなさに身もだえした。


「こんなんじゃ、いつかクビになる……」

 殿下の失望した顔が目に浮かぶようだった。『アルカって、何も出来ないんだね』と私の脳内で呆れ顔の殿下が吐き捨てる。い、いや、殿下はお優しい方だから決してそんなことは言わない、はず……だけれど……。

「うぅ……」

 どんよりした空気を立ちのぼらせながら、私は涙目で歯を食い縛った。額を机から引き剥がし、のっそりと顔を上げると、先輩が肩を竦めていた。



 週が明け、室内警備に当てられた私は、殿下が先生に何やら難しそうなことを教わっているのを眺めながら、こっそりとため息をつく。一生懸命にお勉強している殿下を見ていると、何だか自分の駄目駄目さが浮き彫りになるみたいな気分だ。

「……うぅ、」

 私、きっと、殿下のお側にいていい人間なんかじゃないんだ。そんな思いが脳裏をよぎる。だって私なんて、孤児院出身貧民街育ちの、どこの馬の骨とも知れないポンコツ娘でしかない。それに対して殿下は、由緒正しい生まれだし、こんな風にしっかりと教育されてて、その上とっても聡明でお優しくて最高のスーパー王子様である。


「――じゃあ、先生。神託というのは、やり直しが利かないのですか」

「そうですね」

 殿下は真剣な表情で先生を見上げる。あんなに小さな頭に、私の何百倍もの知識とか、あとは多分、夢とか希望とか、なんかそういうのが沢山詰まっているのだ。……私みたいに空っぽの頭じゃなくて。

「もしそうなったら、その人は成人しても、一人前の王族として認められないんですか?」

「そういうことになりますね。……とはいえ、神託において何か不具合が起きた事例は、過去にほんの数例しかありませんから、そう心配する必要はございませんよ」


 私は耐えきれずに俯いた。殿下はもう立派な一人前だ。……少なくとも、私の目にはそう見えた。殿下が認められないなら、私なんて生きるのも許されないレベルだ、きっと。

 授業が終わって、先生がいなくなって、殿下と私だけが部屋に取り残された。殿下がページをめくる音が、時折部屋に落ちる。それ以外は、ずっと、息の音と、風の音がするばかりだ。


 最近になって、分かってきたことがある。お城での生活は、私とは世界が違う。前から思っていたことだったけれど、こうして城の一員として組み込まれて初めて、この城が整然と秩序だって動いているのが見えてくるようになった。

 私は、こんなところにいて良い人間じゃない。私は唇を噛んで項垂れた。……私は、殿下のお側にいるのに、ふさわしくないのだ。


「ねえ、アルカ」

殿下が、ふと、本に視線を落としたまま、私を呼んだ。はっと息を飲んで顔を上げると、殿下がぱたんと本を閉じたところだった。

「何が、君に下を向かせているの?」

 殿下はひたと私に視線を据える。どこか咎めるような色をその眼差しに感じて、私は体を強ばらせた。殿下は本を置くと、机に手をついて立ち上がった。

「……アルカ、答えて」

 殿下はあくまでも落ち着いた声で私に問う。私は首を竦め、視線を床に落としたまま「いえ、」と呟いた。

「……私、やっぱり、こんなところにいて良い人間じゃありません」

 差し向けられる視線に耐えかねて、私はやっとの思いで言葉を絞り出す。殿下は表情をぴくりともさせずに私の言葉を受け止めた。机を回り込んで、殿下はゆっくりと歩み寄る。私の肩ほどしかない背丈なのに、何故か見下ろされているみたいな視線を感じた。


「――アルカ、君は僕の何?」

 殿下は背伸びをして、私の頬を両手で挟み込む。私は呆気に取られて、殿下の顔を見つめた。

「わたし、は、」

 狼狽える私に、殿下は目元を和らげないまま、続きを促すように頷いてみせる。

「私は、殿下の、護衛官です」

「そう、」

 殿下はゆっくりと瞬きをした。その動きから目を逸らせない私を見透かしたみたいに、緩慢な開閉だった。

「君は僕の盾であり、剣だ。僕が自ら指名し、任命した護衛官だ。――僕が、君を側に置くことを選んだ」

 息を潜めて囁く言葉に、取り込まれるみたいだった。魅入られたように、意識が殿下の目の奥に潜り込む。


「それなら、下ばかりを見ていちゃ、駄目だよね」

 殿下が指先を滑らせ、私の頬から手を放した。私は意識を浮上させたが、腹の底を殿下に握られているような心地だった。一歩下がって、殿下は甘やかすように囁く。「アルカ、顔を上げて」

 私は俯き加減のまま、そっと目だけを殿下に向けた。殿下は少し肩を竦めた。僅かに笑まれ、私は恐る恐る顔を上げる。窺うような私の視線に、殿下は艶然と笑った。私には逆立ちしても出来ない表情だと思った。


 殿下はもはや傲慢とも取れるような声音で、ゆっくりと告げる。

「下を向かず、僕だけを見ていろ。――アルカ・ティリ、よもや自分の職務を忘れてしまったか」

「っいいえ!」

 息を飲んだ私は、慌てて首を横に振った。それを聞いた殿下は、すぐさまころりと表情を変え、あどけない表情で笑う。

「それなら良いんだ」

 背伸びした殿下に頭を撫でられながら、私は気づかれない程度にちょっと屈みつつ、胸元できつく拳を握った。



「僕は、アルカに笑っていて欲しいんだ」

 殿下は伸び上がるのをやめながら、にっこりと頬を緩める。

「だから、アルカ。前を向いてよ」と殿下は私の目を真っ直ぐに見上げて、力強く告げた。私は大きく息を吸ってから、「はい」と頷いた。



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