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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
6章 私たちのゆく道の話
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4


「正直言って、最初の頃のアルカ、本当に怖かったんだよね」

 殿下が肩を竦めて、苦笑交じりに告げた。私は不満たらたらな表情で「だって殿下、無神経なんですもん」と呟く。その言葉に、殿下は首を傾げた。

「思い出したの?」

「……何となく」

 ぎこちなく頷くと、殿下は「そっか」と微笑む。


「あの頃は訳が分からなくて、周りの全てが怖かったんです」

 私はぽつりと呟いた。私の知らないものに囲まれて、私はひたすらに恐怖を感じていた。

「……殿下のことも、隊長のことも、怖かった」

 殿下と隊長が顔を見合わせる。私は力なく笑うと、肩を竦めた。

「私、殿下と出会うまで、知らなかったんです。自分が誰かに救われるなんてこと、あるはずのないことだと思っていた。だから怖くて、」

 目を伏せて唇を噛んだ私に、殿下は「うん」と静かに頷いた。



 殿下が何やら書き物をしている気配を背後に感じながら、私はのんびりと長椅子の上で伸びたまま本を読んでいた。

 一度思い出したせいで、次々と記憶が引っ張り出されてくる。それを敢えて押しとどめることはしない。私は目で文字を追いつつ、心の片隅で小さな頃の殿下を思い浮かべていた。


 私はずっと、殿下が怖かった。何を考えているのか分からない、殿下が怖かった。

「……殿下は、どうして、私を救って下さったのですか?」

 私が肩越しに振り返って呟くと、殿下は顔を上げないまま「ん? そうだね、」と微笑んだ。伏せられたままの目が、笑みの形に曲がる。

「僕が、アルカを救いたかったから、かな」

「……それじゃ、答えになってないです」

 ――殿下があのとき何を考えていたのか分からないのは、今も同じだ。


「どうして、私()救われたの?」

 独り言のように零したそれを、殿下は一瞬置いて掬い上げた。

「正確に言えば、――僕が、人をどうとでもできる力を持っているから、かな」

 どこか自嘲を含んだ表情に、私は虚を突かれて瞬きを繰り返す。殿下は頬杖をついて、薄らと微笑を湛えた。

「端的に言ってしまえば、全部、僕の我が儘だ。アルカ、……僕はね、他人の人生を容易く変えることが出来る人間なんだよ」

 ペンを持たない方の手のひらを見下ろし、殿下は重々しい口調で告げた。私は呆然と殿下を見つめる。殿下はしばらく何事か考えているように沈黙していたが、ややあってぐっと拳を握った。

「だから、僕は、アルカを救った。僕ならアルカを救えるという確信があったから」

 どうにも釈然としなかった。殿下も同じことを思っているようだった。


 きっと、理由なんて何もないのだ。ルラが死んだのも、メガネが死んだのも、ノッポが片足を失ったのも、……私が殿下に救われたのだって、何の理由もない。

 私の行いが良かったから? 私がそれまでとびきり不幸だったから? そんなのは後から作ったこじつけでしかないのだ。

 何もかも、全ては偶然だ。もしあのとき殿下が私に気付かなければ、何も起こらなかった。もしあのとき殿下の気分がもう少し悪かったら、きっと私はその日の記憶に一瞬苦さを刻むだけの、ただの染みに過ぎなかったに違いない。


 ……そこに神の思し召しを感じるも感じないも、そんなの。



 ***


 初めの頃は、水にも手をつけなかった。同じ水差しから注いだ水を、殿下がこれ見よがしに飲んで見せても、それでもどうにも信用できなかったのだ。

 やがて耐えきれなくなって水を口にして、そのうちに与えられる食べ物にも少しずつ手を出すようになった。その度に、殿下が屈託なく嬉しそうに笑うので、私は困惑しきりだった。

 どうしてこの子供は、私が何かをする度に、こんなにも嬉しそうに笑うのか。


 しばらくの間、私は自分の置かれた境遇が分からないままでいた。頑なに部屋から出ようとしなかったせいもある。

 ……ユーリ、か。

 あるとき、私が初めて呼び止めたときの、殿下の驚いたような表情を、私は忘れられないでいる。……そうだ、私はあの頃、殿下をそう呼んでいたのだった。

 殿下は振り返って、しばらく呆気に取られたような顔をしていたが、やがて、どこまで上がるのかと思うほどに口角を上げて、心底嬉しそうに笑ったのだ。



 寝る前にふと、そんなことを思い出して、私はしばらくの間、腕組みをしていた。

「あの頃の殿下……可愛かったなぁ」

 今からざっくりと遡って考えると、単純計算で殿下は当時八歳だったことになる。そりゃかわいいわけだ。私より頭一つ分以上小さくて、何というか、こう……かわいかった。

「いや、もちろん今も可愛いお方だけど、あの頃はほんとに……うん、かわいかった……」

 深く頷きながらしみじみと呟いた直後、視界の隅で何かが動く。


「……一応訊いておくけど、それって僕がここにいることを認識した上での独り言だよね?」

「っギャー!」

 私は椅子から飛び上がって叫んだ。そういえば結構前に殿下が来ていた気がするのに、すっかり忘れていた。「やっぱり忘れてたんだ」とこれまで気配を消していた殿下は立ち上がって、ぱたりと本を閉じた。歩み寄ってきた殿下が、口角を上げたまま首を傾ける。

「……で? 続きは?」

「え」

 私の座っているソファの肘掛けに腰を下ろすと、体を捻った殿下が私を見下ろす。狼狽えて絶句する私に、殿下が「アルカ」と催促をかけてきた。混乱が抜けきらないまま、私はとりあえず口を開く。


「えーと……殿下は、今も昔もかわいくて、」

「うん」

「そのぉ……私、そういうところも好きです……」

「そっかそっか」

 大きく頷いた殿下が、満足げに笑みを浮かべた。あの、こういうのって自分から要求するような言葉じゃないと思うのですが、殿下。



 額を押さえて照れる私をご満悦で観賞なさった殿下は、追い打ちをかけるように人差し指を立てて口火を切った。

「そういえばアルカ、前から言おうと思ってたんだけどさ、」

「はい」

 殿下が身を屈める。顔を寄せて、殿下は短く囁いた。

「――仕事中でもないのに、僕のこと殿下って呼ぶのやめない?」

 一瞬、何を言われたのか分からずに、私は殿下を真っ直ぐ見上げたまま凍り付いた。……えーと?

 半開きの口のまま瞬きを繰り返す私を、殿下は愉快なものを見るように眺める。


「アルカ。殿下と言っても、この国には兄上もいるし、ことによっては母上にその敬称が使われることもあるよね。他にも『殿下』が増える可能性はもちろんあるでしょ?」

「ええとその……。はい」

 一体何を言われるのか分からず、警戒を露わにする私に対して、殿下は輝かしい笑顔を向けた。うっと思わず息を止めた私に、殿下はほんの少し眉根を寄せて切なげな顔を作ってみせる。


「考えてもみてよ、アルカ。もし僕がアルカのことをいつも『託宣人』とか『護衛官』とかって呼んでたら、どう?」

 言われて、少し想像してみて、私はすぐさま首を振った。……何だかそれって寂しいものがある。

「いや、です……」

「でしょ?」

 殿下は小首を傾げ、同意を促すようにじっと私を見つめた。咄嗟に私はのけぞる。

 ……分かっている。殿下は絶対に分かってやっている、ことを私も分かっている。

「でで殿下、そういうの良くないです」

 目を逸らし、殿下の肩を押して距離を取った私は、勢いよく息を吐いた。……殿下は、自分が大変かわいくて超チャーミングでなおかつそれを前面に出せば私が強く出られないことを、重々承知なのである。


 殿下は満面の笑みで首を傾けた。

「ん? 『そういうの』って何? 僕分からないな」

「まさにそういうのです!」

 頭を抱えて、私は「ヒィ」と短い悲鳴を上げた。本当にたちが悪い。卑怯だ。いつかこらしめてやりたい。……わ、わた、私が殿下のことを大好きなのをお見通しの上で、それをこんな風に利用するなんて、人でなしの所業だ……!



 もう殿下の策略に嵌まったりなんてしない、と、目も耳も塞いだ私に、殿下は「仕方ないな」と苦笑交じりのため息をついた。

「……そうだね。いきなりそんなことを言っても、すぐには切り替えられないか」

 その通りである。ほら、心の準備ってやつが必要でしょう。激しく頷いた私を見て「やっぱり聞こえてたんだ」と殿下は一旦呟いたが、何事もなかったように言葉を続ける。

「まあ、少し考えてみてよ」

 殿下は柔らかい声でそう告げると、ほとんど力を入れずに私の頭に手を置いた。

「所詮は僕の我が儘だから、別に無理をする必要なんてない」

 音もなく殿下の手が離れ、軽い足音に私は目を開けた。そろそろ時間も遅く、殿下は背を向けて歩き出そうとするところだった。


「おやすみ、アルカ」

 殿下が振り返って微笑む。照明の柔らかい光が、その頬に曲線を描いて広がっていた。

「…………。」

 ふと魔が差した私は一瞬躊躇い、それから、腰を浮かせて殿下の袖を掴む。僅かに眉を上げて、立ち止まった殿下が私を見下ろした。私は口の中でもごもごと言葉を転がした。

「……その、」

 かっと耳が熱くなるのを感じながら、私はちらと視線だけで殿下を見やる。ええい、言ってしまえ、と私は意を決して息を吸った。


「おやすみなさい、……――ユーリ、」


 ……部屋の中の空気が、数秒の間、完全に硬直した。唖然とした殿下の顔と、空間に落ちた沈黙に、『やっちまった』の一言が頭の中をぐるぐるする。顔が赤くなっているのは自覚していた。頬が熱いのだ。

 私は殿下の袖を放し、再び腰を下ろすと、顔を隠すように俯く。

「……い、今のは、忘れてくださ」

 言い終わらないうちに、ぐいと手を引かれて、私は否応なしに立ち上がらされた。ぎょっとして殿下の顔を見上げると、私に負けず劣らず、盛大に赤面した殿下が額を押さえている。

「でん、」

「……そのうち死ぬな…………」

「えぇ……?」

 私の手を掴んだまま、殿下はその場にしゃがみ込んだ。それから少しして立ち上がり、口元を隠してみたり腰に手を当ててみたりと大忙しである。対応に困っている私を尻目に散々動揺した後、殿下は顔の下半分を手で覆ったままこちらに視線を向けた。


「一応訊いておくんだけどさ……そういうの、狙ってやってる?」

「『そういうの』って何ですか?」

「はー……僕よりよっぽどたちが悪いね。卑怯だよ」

 左手は大層忙しなく動いている割に、右手はさっきから私の手を掴んだまま放す気がないご様子である。手を引っ込めようと腕に軽く力を入れた途端、何故か強く手を引かれた。

「わぶっ」

 殿下の肩に口と顎をぶつける。顎をさすりつつ顔を上げると、背中に手を回されて距離を詰められた。


「……何でアルカはこう……さらっとさぁ……そういうこと言えちゃうんだろう」

 上手く言葉に出来ない様子で、殿下は長い息を吐く。おもむろに額に口づけてから、何か物思いにふけるようにじっと私の目を見据えた。うぐぐ、そういうのは照れるのでやめて頂きたい。

 ふっと目線を上げ、殿下はどこかうつろな目でぶつぶつと呟き始める。

「……普通そう来るとは思わないじゃん、何段階か飛ばしていきなりそこを撃ち抜きに来るとは思わないよ、」

「あのぉ」

「はー、駄目だこれ、僕今すっごいドキドキしてる」

「き、聞こえてますか?」

 殿下の目の前で手を振ると、殿下は「もちろん」と頷く。あ、やっぱり聞こえてたんだ。


 殿下がしみじみと噛みしめるように呟いた。

「僕やっぱり、アルカのこと本当に好きだよ」

「……? 私も殿下のこと大好きですよ」

 何だかよく分からないが、やけに照れている殿下がかわいいので、手を伸ばして頭を撫でておく。殿下はされるがままで、ゆったりと目を細めた。



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