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長旅を終え、王都に帰還した次の日のことだった。殿下の近衛であることを示す制服に久しぶりに腕を通し、私は殿下の部屋に向かった。
果たして、何を言われるだろうか、と、少し緊張してしまう。
私の故郷――といって適切なのかは分からなくなってしまったが――ジゼ=フォリシエで見た資料により、私の本名『かもしれない名前』が見つかってしまってから、何だか少し空気が固い。それもそのはずだ。
……史上最悪の宗教犯罪。私がその中心人物の血縁かも知れないなんて、神殿に知られたら何を言われるか分かったものではない。
コルント家はジゼ=イールの名家だったという。真っ向から神を否定し、街の人々にそれを説いたのだとされている。
そして私の本名『かもしれない名前』である。ソルニア・コルント。ばっちりじゃないか。うう……。
殿下はキリッとかっこよく『他にもその名字が使われている地域がないか探してみるよ』なんて言っていたけど、コルント家、名家って言われていたくらいだし、そんなにほうぼうに出回ってる名字じゃないのでは、なんて気もしてきてしまう。
幸い、これが発覚したのが殿下と私たち近衛だけがいる室内だったから良いものの、もしバレたらどうなるか分かったものじゃない。無学で訳が分かっていない私でも、周りの反応からして、これが重大な秘密なのは何となく分かるのだ。
決して外部に漏らすな、悟らせるな、と殿下の言いつけどとおり、表情はあくまで平然と保ちながらも、内心ブルブル震えながら城を闊歩する。何だか泣いちゃいそうだ。
ついに殿下の部屋のある廊下までたどり着き、見慣れた近衛が並んでいるのを見て、私は一気に表情を崩壊させた。部屋の前に立っていた近衛が、震える私に向かって強く頷いた。だいぶ年上の先輩の力強い笑顔に、私も思わず背筋を正す。
「今度一緒に、ごはんでも行きましょうか」
「はいぃ!」
産休、育休明けで久しぶりに会う、コレリアさんである。懐かしさと心強さでぐすぐす涙ぐんだ私の背を叩き、彼女は「ほら、しっかりして」と囁いた。
「事情は聞いたわ。私たちはみんなあなたの味方だから、安心しなさい」
「ううう……ありがとうございまず……」
帰りの馬車でもずっと落ち込みっぱなしだった私は、何度も頷いて感謝を示す。背中を撫でられながら、私は扉を叩いて、殿下の部屋に入った。
「おはよう、アルカ。ところで城に帰ってきたことだし、そろそろ婚約に関する話を本格的に始めようか」
「流れを一切考慮しない鮮やかな外堀埋め立て工事!」
何となく外の雰囲気は伝わっているだろうに、わざと空気を読まない方向でいくらしい。流石は殿下である。
「い、今の流れでその話しますか? ここまでの流れは無視ですか?」
「何か異論でもある?」
「流れがおかしいんです! 例えばもしこれが小説だったら、読んでる人びっくりしちゃいますよ! そんな、ねぇ、ここはほら、私の……そのぉ……出自とかそういうのについて……」
「ん? 声が小さくて聞こえないなぁ」
耳を塞ぎながら殿下が堂々と宣うので、私はこれ以上の反論を諦めて、後ろ手に扉をそっと閉じた。
「……殿下、ほんとにこんなので良いんですか?」と私が自分を指しながら言うと、殿下は輝かしい笑みを私に向けてきた。
「アルカに異存がないなら、何も構わないよ。僕はアルカのことが大好きだし、一緒にいたいし、その権利の証として、最も現実的な法的裏付けが欲しいんだ」
「…………。」
……相変わらず平然と口説いてくる人である。私はしばらく照れて額を押さえてから、顔を上げた。
「でも、私……」
「その話、前もしなかった?」
逆説から言葉を始めた途端、殿下が手のひらを見せて話を遮ってくる。私はぐっと奥歯を噛んだ。確かに、どこかでそういう話をしたことがありそうな気はする。
「僕はアルカがどんな人でもアルカのことが大切だよ。どうしてもアルカが気にしてしまうことがあるのなら、僕も出来るだけ手助けしてあげたいと思っているけど、そのことは忘れないで」
「……私が、異端者の一族かもしれなくても?」
「『かもしれない』、でしょ? 事実かどうかは分からないし、人に知られなければ問題ないよ」
あからさまに言いくるめようとしてくる殿下に、私は不信の目を向けた。
「じゃあ、逆に考えるんだよ。もし何か起きたときのために、先んじて地位を盤石にしておくんだ」
「……つまり?」
「アルカの立ち位置が、護衛官、託宣人にプラスして王族の婚約者ともなれば、誰も迂闊に口出し出来なくなるでしょ?」
「なるほど、さては私を言いくるめようとしてますね?」
「そのとおり」
殿下は当然のように頷いて、それから机に腕を置いて身を乗り出す。私は思わずのけぞった。
「アルカ。……このことは、父上と母上には既に相談してある。二人とも驚きこそすれ、アルカの出自を理由にこれまでと態度を変えることはしないと仰っていたよ」
「何で帰ってきたその日のうちに外堀埋め埋めしてるんですかぁ!」
私は頭を抱える。まず、普通に両陛下がこの婚約云々について賛同していることが前提に置かれているだけでも頭痛がしてきた。
盛大なため息をついて、私は肩を落とした。どうやら殿下は全然以前と気が変わってはいないらしい。
「殿下、ぶれないですね……」
「そりゃそうさ。何年越しだと思っているの?」
「何年ですか?」
肩を竦めて殿下が言うので、私は首を傾げた。殿下は「なるほど、無自覚期間」と呟いて、腕を組む。
「……僕は、初めてアルカを見たときから、ずっとアルカが欲しかったよ」
「うへぇ」
素で漏らしてしまった声に、殿下がむっと唇を尖らせた。「すみません」と形ばかりの謝罪をして、私はもう一度ふぅ……と長いため息をついた。
***
賑わう街中を歩きながら、私は何とはなしに違いを痛感していた。およそ二週間ほどをかけて、私たちはジゼ=フォリシエまで行って帰ってきた。道中の街で外を出歩くことはなかったが、それでも何となく街の雰囲気ってのは分かるものだ。
活気が、違うんだ。私は内心で呟いた。
内陸には、街の名にジゼを冠する地方がある。奥へ行けば行くほど、乾燥の酷い砂漠地帯だ。海からそれほどの距離もない温暖な王都とは、環境が全然違う。王都はそれなりに雨が降るし、ほどほどに温かくて涼しくて、急激な気温の変化はあまりない。周りには大小様々な街が点在していて、高台から目を凝らせば、街から次の街が見えるほどだ。
なんて言うんだろう、安心感というのかな。私は唇を尖らせる。人混みの中で体を半身にしてすれ違う人をひょいと避けながら、私は思わず鞄を手で押さえた。でも多分そんな心配はない。
広場の噴水の前を横切りながら、私は街を見回した。
……王都には、閉塞感が、ないのだ。次の街は遙か遠くで、滅多なことがなければここから出ることが出来ない――という恐怖もない。人の表情はみんな明るいし、貧民街は確実に縮小している様子だし、治安も良い。
ろくな故郷というものを持たない私からしてみれば、ここはどこよりも良い場所に思えた。
道の途中、私は『イルゾア商会』の文字を見つけて、迷わずそちらに向かって歩き出した。
「あ、アルカさん!」
「こんにちは、ウルティカ」
扉は開けたままで、玄関に薄手のカーテンのかけられた、不思議な入り口だった。カーテンを片手で持ち上げて中を覗くと、ウルティカがすぐに振り向いてぱっと表情を輝かせた。
「ヴィゼリーから帰ってきたと聞いたから、来てしまいました」
「えへへ、ありがとうございます。……そうそう、ヴィゼリーから沢山新しい品物を取り入れたんです。ぜひ見ていって下さい」
ウルティカは私に中に入るように促して、壁際の棚をさっと指し示す。軽く頭を下げながら店内に入り、私は思わず「おおー」と呟いた。
「今回は私もヴィゼリーまで行って、どんなものをキルディエに輸入しようかしらって自分で考えたのですわ」
ウルティカは胸の前で手を合わせ、うっとりとしたような表情で語る。棚から大皿を手に取り、私に向かって見せた。
「例えばこれなんて、ヴィゼリーで伝わる伝統的な焼き物で、色がとっても綺麗なんです。きっとヴィゼリーを知らないキルディエの人でも、この素晴らしさは分かるはずですわ」
「本当だ、すっごく綺麗……。模様も繊細なんですね」
「匠の技ですの」
にこりとウルティカは胸を張って、皿を棚に戻す。私は感嘆のため息をついて、その様子を見送った。
「ユアリドは優秀な職人だからな。これほどの品は、奴以外には作れないだろうさ」
不意に背後で声がして、私は弾かれたように振り返った。思わず剣の柄にやった手を、声の主はそっと押さえた。
「すまない、驚かせてしまったね」
「は……ええと……あなたは……?」
僅かに屈めた腰を戻し、私は相手に向き直る。私とほぼ同じ身長、小柄で華奢な男性……いや、女の人……か?
「エアノルア様っ!」
ウルティカが慌てたように叫んだ。「上でお待ちくださいと言ったはずです」とウルティカは胸の前で拳を握る。
「何、ヨルサは真面目で話がつまらないからな。だったらウルティカの客人とやらを見る方がよほど楽しい」
「そのようなことを言われましても……」
困り顔のウルティカを見ながら、私は『エアノルア』と呼ばれたこの人のことを考えていた。
……僅かに母音の感じや、イントネーションが不思議な感じがしたのだ。それに、着ている服装も、何だか見たことのない形だ。私も人一倍着飾るのが好きな訳でもないので、実はこれが最近の流行りであることを知らないだけかもしれないが、
「もしかして……異国の方、ですか?」
私は首を傾げた。ここ、キルディエは山と海に囲まれた国である。険しい山に阻まれて、山の向こうにあるという諸国の人にはお目にかかったことがないし、海の向こうの大陸の人とも、ほとんど会ったことがない。
「ええとですね、アルカさん。この方は」
「おっと、それは」とエアノルアさんはウルティカを手で制した。唇の前に人差し指を立て、薄らと微笑む。その表情が思いのほか妖艶な雰囲気を漂わせてきたので、何となく私はどきりとした。……どきりって何だ。何なんだ。
「それは、また今度のお楽しみとさせて頂こうか」
何だそれ、と私は思わず唇を尖らせた。釈然としない私に対し、エアノルアさんは妙に余裕そうだし、ウルティカは何やら焦った様子である。
「――アルカ・ティリ。キルディエの第二王子ユリシス・トーレルロッドの託宣人で、護衛官も兼任している。……違うかな?」
ぎょっとして、私は後ずさった。……あれ、私、名乗ったっけ? 「教えたの?」と恐る恐るウルティカを見やると、彼女は勢いよく頭を横に振る。
「何で……」
私は警戒して表情を固くした。「怪しい方ではございませんわ」とウルティカは諦めたようにそれだけ言った。
エアノルアさんはしばらくの間、困惑する私を眺めていたが、ややあって、とんとんと指先で自らの手首を指し示す。はっとして腕を上げると、確かに、身元がバレる原因になりそうなものがあった。……そういえば、私の左腕には神託の腕輪が嵌まっているんだった。
「生憎、勉強不足で読めないが、そこに刻まれているのはキルディエの古代神聖文字だろう? そんなものを嵌めている人間といったら、咄嗟に浮かぶのはキルディエの王族の託宣人だ。それに、ウルティカが貴女のことを『アルカ』と呼んでいたから」
「はへ……これ文字だったんだ……」
やけに緻密な模様が刻まれていると思っていたが、どうやらこれは文字だったらしい。知らなかったなぁ、と頷く私に、エアノルアさんは声をかける。
「アルカ、と呼んでも? 私のことはエアノルアで構わない」
私がゆっくりと頷くと、エアノルアさんは目元を和らげて微笑んだ。一歩踏み出して私の前に来ると、彼女はおもむろに何かを取り出す。
「お近づきの印に、これを」
「何ですか?」
エアノルアさんは手を伸ばし、私に横を向かせると、私の髪を持ち上げる。何か硬いものが、髪の束ねた位置に触れるのを感じた。
「エアノルア様、それは……」
ウルティカが驚いたように呟く。私は何が起きたか分からず、動けないままだ。
ふと、身じろぎをした際に、頭の後ろでしゃらんと軽やかな音がした。耳慣れない音に、私は動きを止める。恐る恐る手を後ろにやって頭に触れると、慣れない固い感触がした。
「こ、これは……?」
「髪飾りだ。なに、大して高額な品でもないから、安心して受け取ってくれ」
「いや、でも、そんなものをいきなり頂く訳には」
胸の前で手を振って拒否した私に、エアノルアさんは静かに視線を向ける。
「――アルカ」
その呼びかけに、どういう訳か私はぴんと姿勢を正してしまった。……あれ? 何で私……。
まるで殿下に呼ばれたような気分だった。私は直立不動のまま、混乱する。
「遠慮はいらない。……受け取ってくれるね?」
つられて頷いてから、私は「ちょっ、」と声を漏らした。エアノルアさんは満面の笑みで「何か?」と返してくる。頷いてしまったのは事実なので、私は渋々黙った。
「ぜひ明日にでもまたつけて欲しい」
「それは……ちょっと、厳しいかもですけど」
私がごにょごにょと呟くと、エアノルアさんは肩を竦めた。
「ようこそ、アルカさん」
ヨルサさんがお盆を手に奥から出てくる。ウルティカは弱り切った声で「お母様、エアノルア様が……」と縋り付いた。
「エアノルア様は、お母様が応対するって手筈だったじゃない、」
「一度、こうと決めたエアノルア様を止められる人はそうそういないでしょう」
ヨルサさんは完全に諦めた調子で肩を竦める。ウルティカは不満げな様子をありありと示しながらも黙った。
「こちらの店舗に来て下さるのは初めてですよね」
「はい。でも、大通りに面していたのですぐに分かりました」
私の前に飲み物の入ったコップを置きながら、ヨルサさんが微笑む。
「どうぞ、かけて下さい」
「ありがとうございます」
椅子を差し出されて、私は大人しく腰掛けた。再びぐるりと店内を見渡し、息をつく。
「ここは、一階がお店なんですね」
「ええ。最近は少しずつ、物珍しさからか覗きに来て下さる方も増えてきて」と、ヨルサさんは壁の一角を指し示した。大きな地図が貼られている。
「海の向こうの大陸に関して、聞いたことはあっても、それを身をもって体感したことがないお客様も沢山いますので、こうして地図を貼ったんです」
「へえ……」
私は身を乗り出して地図を見た。左の方にあるのがキルディエだろう。見覚えのある海岸線である。その海岸から離れたところに、島が点々と並んで描かれていた。
「私、以前習いました。確か、この並んでいる島々が、ええと、クォラテバ列島、ですよね」
「はい、その通りです。良いところですよ」
「とても暖かいところなんでしたっけ」
文字でしか知らない異国を少し想像してみながら、私は唇を尖らせる。全然分からないな、と思わず内心で呟いた。
「イルゾア商会の貿易船はいつも、このクォラテバ列島を補給地にして、……こちらの大陸まで行くのですわ」
ウルティカが地図の前に立って、意気揚々と告げた。彼女が示している大陸の大きさに、私は息を飲んだ。――キルディエを含むこの大陸よりも、遙かに大きい。端は地図に入りきらず、見切れているほどだ。
「そしてこれが、私の故郷のヴィゼリー王国ですわ」
どこか誇らしげに、ウルティカが地図の一箇所をぐるりと囲んで指し示した。広大な大陸の中でも、一際大きく、存在感を放つ国である。
「これが……ヴィゼリー……」
私は呆然と呟いた。キルディエも決して小さな国ではないが、ヴィゼリーはその数倍大きい。
「……何だか私、自分がちっぽけな存在になったみたいな気分になります」
ややあって、私はそれだけ言った。ウルティカは「分かりますわ」と大きく頷いた。
全12話です。
2019/02/07
章タイトルをこれまで「本編」「後日談1、2…」と表記していたのを、管理しやすくするために「1章、2章…」に統一しました。




