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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
5章 ノロマだった私の話
32/59

16


「……報告は受けたよ」

 私がノックをして部屋に足を踏み入れると、殿下は低い声でそれだけ告げた。私は思わず首を竦めて身体を縮める。

「アルカ、君は本当に自分の立場を分かっている?」

 あくまで静かな殿下の口調に、私はひたすら恥じ入って俯いた。申し開きも出来ず、「申し訳ございませんでした」と呟いて唇を噛む。


「……座って」と殿下は向かいの椅子を指した。のろのろと言われるままに腰掛けると、殿下は足を組み、絡ませた十指を膝の上に置いて、長い長いため息をついた。

「アルカ、」

 殿下は憂いを含んだ表情で目を伏せる。どんな叱責でも処罰でも甘んじて受ける覚悟で、私はそっと目線を持ち上げた。


「…………心配したよ」


 呼吸五回分ほどの間を置いて、殿下はただそれだけ囁いた。それは決して私を責めるような調子でこそなかったが、私は腹の底が握られたような心地がした。耳の奥でごうごうと血が巡る。

「ごめんなさい、殿下」

 私は奥歯を噛みしめて、何とかそれだけ口にした。殿下はしばらくの間、何も言おうとしなかった。

「アルカは、自分が重要な人間であることを理解していないし、……自分が、誰かにとって大切な人であることを理解しようとしないんだ」

 どこか失望したような声に、私は眉根を寄せて項垂れる。殿下にここまで言わせるようなことを、私はしたのだ。

「ごめんなさい」と私はもう一度零して、目を閉じた。



「無事で良かった」

 殿下は噛みしめるように言って、それから腰を浮かせて私に手を伸ばした。

「……アルカが帰ってきて良かった」

 肩に手を滑らされ、私は応じるように体を傾ける。殿下は私の肩をきつく抱き竦めた。

「いつかアルカは僕の前から消えてしまうような、そんな危うさがずっとあった。だってアルカはいつだって自分のことを顧みないから、何をするか分からない」

 首元で、熱い息を感じていた。縋るような手つきだと思った。私はそっと片手を持ち上げて、殿下の背に触れる。


「私はどこにも行かないって、私、何度も言っているじゃないですか」

 囁くと、殿下は「それでもだよ」とくぐもった声で応じた。

「……私は、アルカ・ティリです。殿下が下さった私です」

 全てを飲み込んで、胸に封じて、けれど決して忘れず、これまで歩んできた道は私の中にある。数多の犠牲を踏み越え、ありとあらゆるものを唾棄して生きてきた。それが私だ。


「私、ちゃんと今も、由来を覚えてますよ」

 私の言葉に、殿下は呻くように漏らす。

「――――アルカーチェリ(前途あれ)、」

 ……それでも、あなたが祈ってくれるなら、この先の道を歩くのなんて、ちっとも怖くない。



「そういえば私、ノッポと会ってきました」

 そう告げると、殿下はがばっと顔を上げて、愕然とした表情で私を見た。

「な、何で……? まさか示し合わせてたわけ? それが旅の目的……?」

「偶然です」

 私は平然と答えたが、殿下は一気に拗ねた様子で私を胡乱な目つきで眺める。ああこれはしばらく長引くな、と思いながら、私は肩を竦める。

「ちょっと話をして、色々と整理できた気もします」

「で? 連絡先を交換したとか?」

「してませんって」

 唇を尖らせて、殿下は腕を組んだ。眉間に皺を寄せて数秒黙って、ふん、と強く鼻息を吐く。それから殿下は気を取り直したように表情を平静に戻した。あれ、案外早く戻ったな、と私は独りごちる。



「ノッポと、ちゃんとお別れできたから。……これでやっと私は本当に、アルカ・ティリになれたのかもしれません」

 私の言葉に、殿下は柔らかい微笑みを返してくれた。

「もう二度と、僕にこんな思いをさせないでくれるね?」

「はい。……本当に、申し訳ございませんでした」

 心臓を指先で優しく弾かれているみたいだ。ごめんなさい、と私はもう一度唇で呟いて、胸元で手を握った。



 ***


 院長に渡された言伝の紙を頼りに、私たちは街を歩いていた。貧民街ではない、壁によって外から区切られ、整えられた街だ。

「ここら辺のはずなんですけど……」

 案内地図が正しければ、指し示されている通りはここのはずだ。この通りの、二十四番地。周囲を見回しながら少し歩き、私は二十三番地と記されている家の前で足を止めた。

「あれかな?」

 一つ隣の屋敷を指して、殿下が呟く。私は頷いて、「はい、多分」と答えた。


 集合住宅も多く建ち並ぶ通りの中に、その屋敷はこぢんまりと紛れ込んでいた。ノッカーで中の人に来訪を伝えると、程なくして玄関の扉が開く。

「はい、一体何でしょう」

「孤児院の院長先生、えっと……サスィルさんに伺ってこちらへ訪問させて頂きました。昔の孤児院の記録を見せて頂きたいのですが」

 そう言って、私は言伝として渡された紙片を差し出す。受け取った女性はその紙にさっと目を通し、下部のサインをじっと見つめ、それから頷いた。

「かしこまりました。どうぞ、お入り下さい」

 すんなりと招き入れられて、私たちは一礼して玄関に足を踏み入れた。



 応接間に通され、殿下と並んで座りながら、私はそわそわと足を動かした。背後では隊長を初めとした近衛の数人が控えている。これが私の我が儘による外出なのは元からだけれど、何だか今更妙にいたたまれなくなって、私はぶつぶつと唇の先で呟く。

「……資料を見たって、分からないかも知れませんし、……知っても何ともなりませんけど、」

「それでも知りたいんだよね」

 尻切れトンボになった私の言葉を掬い上げて、分かるよ、と殿下は頷いた。


 院長は、昔の記録には子供の名前が記されていたと言っていた。それが本当なら、私の名も、記されているかも知れなかった。

「まあ、親がつけた名前なんて元からなくて、記録されてない可能性だってありますけどね」と私は言い訳じみた言葉を漏らす。殿下は見透かしたように微笑み、「見つかると良いね」と応えた。



「お待たせしました。こちらがその資料となります」

 どさ、と目の前に並べられた書類の山に、私は目を白黒させる。どこから手をつけたら良いものか。資料を運んできてくれた女性は、一礼して部屋を出て行った。


「とりあえず、ざっと見てみようか」と殿下は目の前に会った束を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「孤児院に来た日付とそのときの年齢、生年月日、名前と、……あとは簡単な身体的特徴だね」

 表を横になぞって、殿下が呟く。私も身を乗り出して殿下の手元を覗き込み、なるほどと頷く。

「孤児院に来た日付の順に並んでいるみたいですね」

「うん。……アルカが孤児院に来たのはどれくらいの頃か、少しでも何か分かる?」

 うーん、と私は腕を組んで顔をしかめた。私が孤児院に入れられたのは、物心つく前である。そんなの覚えてるはずがない。


「記憶もないほど幼い頃です」

 苦し紛れにそう告げると、殿下は「なるほど」と頷く。

「アルカは今どれくらいの年齢かな。せいぜい、……うーん、僕の三つか四つ上くらいでしょ?」

 殿下は背後の隊長を振り返った。隊長は少し考えてから、「おおよそ、その程度かと」と頷いた。

「となると、物心つく前ってことは、……少なくともここら辺よりは昔じゃないかな。二十五年前より昔ってこともないだろうし、多めに見積もってもこれくらいの間だろう」

 殿下は資料の山を二つに分けながら呟いた。隊長も背後で首肯する。



 しばらく、無言で資料を見る時間が続いた。記録されている身体的特徴からそれらしいものを見つけてみようとするが、これが案外見つからない。

「見つかりますかね」

 資料をめくりながら、私は思わず零してしまう。殿下は「それは分からないよ」と肩を竦めてから、横目で私を見た。

「他に覚えていることは、何かある?」

「えっと……。私が入って数年した頃に、何だったかな、その……」

 私はきつく眉をひそめながら、顎に指先を置いた。ここに、私たちが自分でつけた名前は記されていない。書かれているのは、私たちを捨てた親が残した名前だけ。それを大事に抱え持っていた、あの人。


「イオイス、」

 メガネのことを、ルラはそう読んでいた。

「イオイスという名前の、男の子が、入ってきました。そのときのことは覚えています」

 メガネ、という名前を、私は何故か口に出来なかった。それはやっぱり、私たちだけの合言葉みたいなものだったから。


「その名前なら、さっき見たぞ」

 テーブルの端で、作業を手伝ってくれていた先輩が、ふと顔を上げる。

「ええと、どこにやったかな……。……あった」

 素早くページを戻し、先輩は私たちにその欄を指し示した。私と殿下は揃って身を乗り出す。私はその文字列を、撫でるように読み上げた。

「イオイス・ラペンシュア……」

 それが、メガネの名前だったのか。私はほんの少しの寂しさを噛みしめる。一度くらい、その名前で呼んでやればよかった。彼が本当は呼んで欲しかった名前で。


 沈黙した私をよそに、殿下が再び資料をざっくりと分けた。

「と、いうことは、アルカが孤児院に来たのはそれよりも前。これ以後の資料は探さなくて良いってことだね」

 徐々に少なくなっていく資料に、高揚のような、恐怖のようなものを感じてしまう。着実に迫っているのか、どこかで零してしまったか、それとも元々ないのか。答えは確実に近づいてきていた。


「結構、頻度は少なめなんですね」

 途中から作業に参加しだしたジャクトが、縦に並んでいる日付を眺めながら呟く。孤児院に新たな子供が加わる頻度、ということだろう。

「それほど規模が大きなところでもなかったし、……余裕もなかったからね」

 とはいえ、現在の孤児院の様子を見る限り、それが本当だったのかも怪しいところである。少なくとも今の孤児院は、私がいたときよりは切羽詰まっていないみたいだ。一度燃えたくらいで、神殿から下りる資金が急増するとも思えない。

 ……さては、あの院長、何かちょろまかしてたな? 私は内心で顔をしかめた。



「――でも、私は、あの人とほとんど同時に孤児院に入ったんだ」

 私ははたと手を止めた。ノッポがかつて言っていたことを思い出す。『ノロマ、お前は俺とほぼ同時にここに入れられたんだぜ』。

「……七つのときに孤児院に入れられた、茶髪の男の子も、一緒に探して下さい。それとほぼ同時に孤児院に入れられた子供がいたら、それがきっと、」

 見えてきた手がかりに、殿下の表情が引き締まる。私は資料を再び手に取り、並ぶ子供たちの名前を辿り始めた。知らない名前ばかりだ。……この中で、今も生きているのは、一体何人いるだろう。



 資料の山は、隣にもう一つの山を着実に作り始めていた。徐々に追い詰められるような心地がして、私は息が苦しくなる。もうほとんど資料は残っていないし、今のところ、それらしい記述も見つかっていない。

「――これかな、」

 殿下が、ふと、静かに呟いた。紙をめくる音が続いていた部屋の中が、しんと静まる。

「でも、これって……」と殿下は絶句して、手元を凝視した。


「これ、は……」

 隊長が殿下の指の置かれた地点を見て、呆然としたように漏らす。腰を浮かせて覗き込もうとした私の目から隠すように、殿下はばっと資料を引いた。

「殿下?」

「……どういうことだ」

 私の呼びかけも耳に入らないように、殿下は資料を胸元に抱いて表情を変えた。どこか青ざめたような顔色に、空気がぴんと張り詰める。

「殿下、何かあったんですか?」

 私は嫌な予感に引きつった笑みで、殿下の持つ資料に手を伸ばした。動かない殿下の手から資料を強奪し、開かれているページの日付をざっと見下ろす。


 初めに目に入ったのは、一つの男性名だった。……これが、彼が捨てた名か。私は見ないふりをするように目を伏せて、次に記された名前に目をやった。



「ソルニア・コルント」



 まるで知らない名前だった。一体誰のことだろう。そんな人ごとのような感覚に襲われながら、私はその横に目をやる。栗毛、緑色の目、女。少なくとも私と矛盾するものはない。それは、ノッポと特徴の一致する上の名前と、ほぼ同時期に書かれている。

 ではやはり、

「これが、私の名前……?」

 そう呟いてから、私は、凍り付く部屋の空気に気がついた。ジャクトが「そんな、」と声を震わせる。先輩は耳を疑うように眉間に皺を寄せ、腰を浮かせた。隊長は動揺を隠せないように視線をさまよわせているし、他の近衛も何やら変な感じだ。



 次の瞬間、殿下が手のひらで強く机を押さえた。響いた鈍い音に、密かなざわめきが静まりかえる。

「――この旅で見聞きしたこと、知ったこと、感じたことは他言無用だ。この旅の存在も、決して、誰にも知られないようにしろ」

 低く抑えた声で、殿下は命じた。

「全てを黙して秘匿しろ。お前たちが僕に忠誠を誓うのならば」

 険しい表情だった。血の気の失せた顔で、殿下は居並ぶ近衛を一人一人睨みつけるようにしながら、絞り出すように呻く。


「墓場で寝るまで抱いていろ」




 ――そのとき、私は、ほんの昨日のことを思い出していた。

 壊された街。地図から消えた名前。歴史に刻まれたその犯罪。

 燃やされた住民。裏庭に埋められた遺体。ひとつの街の墓場と化した、その屋敷。


 私たちは昨日、それを見た。砂を被った跡地だ。罰せられた街のなれの果てだ。……許されざる異端の痕跡だ。

 殿下は以前言っていた。――ユーレリケ家とコルント家、街を代表する二つの名家が、神殿の掲げる神を否定した。『神の救いは平等である』、それが神殿の教えだったが、ジゼ=イールの人間はそれに疑念を抱いたのだ、と。


「……異端の街、」


 住民は一人残らず、全員、火刑に処された。……そのはずだった。

 ――ソルニア・コルント。



 もしそれが私の名なのならば、……私は、











「やったぁ、これで雨漏りがなくなるね!」

 嬉しそうに屋根を見上げる少女の声が響いた。屋根の上では、板を打ち付ける音が規則正しく続いている。

「あのね、お部屋の雨漏りね、いっつもわたしの枕元に落ちてきてたの。ウォエルなんて、雨の日は頭と足を逆にして寝てたんだよ」

 そう言って、少女は柵の外に立っていた背の高い男を見上げた。男は僅かに首を傾げ、「修繕費はどうやって工面したんだ?」と、独り言のように呟く。


 少女は顎に指先を当てて斜め上を仰いだ。

「えっとね、……き、きふ、きん? この間来てくれた、ずっと上のお姉さんがくれたんだって」

 うろ覚えで答えた少女に、男は一瞬眉を上げた。それから声もなく笑い、「そうか」と応じる。

「きっと本望だろうよ」

 男は頷いて、片手を挙げた。笑顔で手を振り返した少女に、少し口角を上げて見せると、男は背を向ける。


 彼はそれ以上何も言わず、杖をついて歩き去った。


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