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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
5章 ノロマだった私の話
29/59

13

「そうか、ここの街だったか」

 朝食の席で、隊長が目を細めて頷く。私も破顔して頬を掻いた。

「ごめんなさい、こんな遠くまで付き合わせてしまって……」

「構わんぞ。むしろ一人でお前をここまで旅させる方がよほど不安だ」

 温かいミルクにどぼんと角砂糖を投入しながら、隊長は当然のように告げる。私が唇を尖らせて「いくら私でも、流石に旅先でトラブル起こしたり道に迷ったりなんてしませんよ」と文句を言うと、隊長は大げさに嘆息した。ぴし、と指さされ、私は姿勢を正す。

「良いか、自分の立場をよく考えろ」

「……護衛官、兼、託宣人です」

「そもそも託宣人という時点で王家と並び立つ地位なんだ。殿下が配慮して下さっているから忘れがちだが、ティリ、お前はれっきとした重要人物なんだぞ」

 隊長に言われ、「分かってます」と口先では述べつつ、私はちょっと自覚の至らなさを痛感していた。そうだ、王家の子女を導くべくして選ばれるため、託宣人と王家は同じだけの地位とされる。それが決まりだった。……私は既に、殿下と同程度の要人になってしまっているのだ。ちゃんと自覚しなきゃ駄目だな。


 私が少し落ち込みながら牛乳を口に含んだ途端、隊長が口を開く。

「大体、託宣人に加え、お前はじきに殿下の婚約者になる人間なんだぞ」

「……っ!? ごふっ」

 平然と言われ、牛乳が変なところに入った。私が胸を叩いて激しく咳き込んでいると、少し遅れて起きてきた殿下が駆け寄ってくる。

「アルカ、大丈夫!?」

「……げふっ」

 背中をさすられながら、私は肩で息をした。


「……隊長、アルカに何か変なこと言った?」

「変なことは言っておりません」

「へえ?」

 殿下が隊長をじろりと見やる。隊長はしれっと角砂糖を追加投入すると、一息ついて当然のように告げた。


「ただ、『殿下の隣に立つ自覚を』と伝えたのみです」

「疑って悪かったね。流石は隊長だ」


 一転して友好的な態度になって、殿下は満面の笑みで私の隣に腰掛ける。

「今度お菓子でもあげようか」

「結構です」

 隊長と殿下が軽口を叩いているのを横目に、私は跳ね上がった心臓を抑えるのに苦労していた。


 外堀……なんてものが初めからあったのかも怪しいが、それが確実に埋められている。いや、何となく前から気づいてはいたが……

「……殿下、もし私に他に好きな人が出来たらどうするつもりなんですか?」

 そういうの確認されてない、と私がもごもごと言うと、殿下は輝かしい笑顔をこちらに向けてくる。ま、眩しい。私は目を細め、顔を背ける。

「いるの?」

「え、いや、」

「誰か他に気になってる人がいる、の?」

 言外の圧力に、私は思わず上半身をのけぞらせて殿下から距離を取ってしまった。殿下は一切目を逸らすことなく私を見つめる。

「……いない、です」

「なら問題ないよね」

 うーん、ちょっと軽めにどついていいかな、と私は内心でぼやいた。



「それで、今日はどうするの?」

「そうですね……。孤児院を見に行く予定なんですけど、その場所が貧民街なので……ちょっとご心配をおかけするかも知れません」

 私は顎に手を当てて呟く。貧民街にこんな服装で、大勢で乗り込んだりなんてしたら、明らかに目を引くだろう。

「まずは服の手配と、あとは……ここに残って殿下をお守りする護衛官と、私の警備にあたる護衛官を分けるべきですね」

「ちょっと待ってよアルカ、僕、置いて行かれるわけ?」

「……その方が得策かと」

 私は目を伏せて頷いた。殿下は「何のためにここまで来たと、」と何やら言いつのろうとしたようだったが、隊長に「殿下、」と声をかけられて、渋々口を閉じる。

「人員は考えておこう。服を手配しに数人をやるから、服のサイズをどこかに書いておけ」

「分かりました」

 私は手元にあった紙ナプキンに服のサイズを走り書くと、テーブルの隅に置いた。隊長はそれを手に取り、足早にどこかに歩いて行く。それを見送ってから、私は殿下に視線を向けた。


「……殿下、」

「分かってるよ。僕が行くと近衛の負担が大変なことになるからね。……一応、弁えてるさ」

 口では納得したようなことを言っているけれど、これは明らかに文句たらたらな口調だった。

「……安全に気をつけてね」

「はい」

「変な人について行っちゃ駄目だし、危ない目に遭うようなこともしちゃ駄目だ。日没までには帰ってくること。良いね?」

「はい」

 私はふっと頬を緩めながら頷く。殿下は案じるように私の顔を覗き込んだ。

「ちゃんと周りの言うことを聞くこと。自分の安全を何よりも優先すること。……僕のことを常に忘れないこと」

 殿下は囁くみたいな息混じりの声でそう言って、私の頭を撫でた。私は苦笑を含んだ息を漏らすと、「はい」と首肯する。

「心配性ですね」

「アルカから目を離すなんて久しぶりだなぁ。……不安だよ」

「まるで私が幼い子供のような言い方はやめてください」

 殿下はいつまで経っても私のことを……とぶつくさ文句を垂れていると、殿下は「そうじゃなくって」と肩を竦めた。


「僕の知らないところでアルカが傷ついても、僕はそれを助けてやれないから」


 私は一度目を閉じると、それから殿下の目を真っ直ぐに見据える。

「殿下。もう私、ひとりぼっちの子供じゃないんです」

「……喜ばしいことだ」

 殿下は静かに呟いた。



 ***


「おー、良いですねこの貧相な服」

 ペラペラの生地の服を着て、私はご満悦で腰に手を当てた。これでもちょっと着慣れた感じがなくて違和感があるけど、そこら辺は仕方ない……だろう。

「うーん、ちょっと不安だなぁ」

 私が唸ると、同じく大したものではない服を着たジャクトが、笑顔で親指を上げる。

「おれ、頑張ってアルカ先輩をお守りしますから、安心してくださいね!」

「あんまり張り切らない方が良いかもね。挙動不審は目立つよ」

 私の言葉に、ジャクトは握りしめていた拳をゆっくりと下ろした。それでもちょっとぎこちないけど、及第点をやっても良いだろう。


「おれがアルカ先輩と同行して、それから他の先輩方が別の通行人を装って前後を張る感じですか?」

「そうだね。ちゃんと知らない人のふりするんだよ」

「分かってます!」

 大丈夫かなぁ。私はうむむと唸った。



 街の外に広がる貧民街に行くには、一旦街を出る必要がある。門番は私たちの姿を見ただけで、目的地がどこなのか察したようだった。

「遊びに行くようなところじゃあないですよ」

「分かっています」

 私は苦笑交じりに頷く。門番は強く引き留めはしなかったが、私は僅かに危惧を覚えていた。

「やっぱり浮くよね……」

 完全に貧民街の人間には見られないだろう。多少周囲から警戒されるのを心配した方が良いかもしれなかった。


「アルっ……せ、先輩」

 私の名前を呼びかけて、ジャクトが慌てて口をつぐむ。私は苦笑して、唇の前に指を立てることで注意した。私の名前はある程度通ってしまっているし、迂闊に私がこのようなところにいると知られたら、それがどこにどのように影響するか分からない。街中で私を名前で呼んだり、殿下を示唆するような言葉を口にしたりするのは厳禁だった。

「私も気をつけた方がいいかもなぁ。……で、何?」

 私が振り返ると、ジャクトはややしゅんとした様子で肩をすぼめながら、首を傾げた。

「今って、先輩の出身の孤児院に向かってるんですよね」

「そうだね。それほど遠くはないから、すぐ着くと思うんだけど……」

 私は肩にかけている鞄の中をちらと見た。溜め込んでいた貯金から、幾分かの金額を持ってきていた。

「お金、本当は持ってこない方が良いんですよね」

「……うん。少しでも寄付できないかと思って」

 ジャクトが声を潜めて、「気をつけましょうね」と言う。そのぴりついた態度に、私は若干の寂しさを感じてしまった。……そうだ、これから行く場所は、本来、それほどに危険な場所なのである。

 昔はその環境に慣れきっていたのに、どうやら王都で生活する内に私も随分と平和ボケしていたらしい。体の表面がぴんと引きつるような緊張感を、妙に新鮮に感じた。



「道は分かるんですか?」

「うん。大きな道はそれほど変わってないみたい」

 無秩序に建てられた建物の隙間を、縫うように歩いた。光の射しづらい道を、慎重にゆく。懐かしい、饐えた匂いが漂った。ジャクトは平然と歩いているが、内心でどう思っているだろう、と少し考えてしまう。少し前には先輩の背中が見えるし、背後には別の近衛がいることだろう。……その全員に、自分がこのような場所で育ったのだと教えているのだ。私は僅かに唇を噛む。

 私の周りに、今更出自をどうこう言う人間がいないことなんて知っている。私が孤児であることは、少なくとも殿下の近衛なら誰もが知っている事実だろう。

 ……それでも、実際に見せつけるのとは、違う。


 どこかから怒鳴り声が聞こえる。足音や何かが軋む音、ありとあらゆる生活音の中を泳ぐように、私たちは貧民街の奥へ入り込んでいった。活気というような明るいものはなく、混沌とした騒音が渦巻いていた。


 ――蘇る記憶はどれも薄暗い。大抵は苦しい記憶だった。叩かれて痛む頬だったり、締まるように音を立てる腹だったり、明日への不安だったり、あんまり楽しいものじゃない。

 ……それでも、楽しいことがなかった訳じゃあ、ないのだ。腹を抱えて笑うメガネの声が蘇る。片頬を吊り上げてノッポが何か言うと、ルラが声を上げて笑った。私もその中に混じって、笑いすぎで零れた涙を腕で拭った。

 かつて私たち(・・)は確かに、ここで生きていたのだ。


「……先輩、ここはどちらに?」

 ジャクトに耳打ちされて、私ははっと顔を上げた。分かれ道の片方を仕草で合図すると、先を行く先輩がすいとそちらの道に入り込む。孤児院まではもうすぐそこだった。



「着いた……」

 私は狭い通りを抜けて、呆然と呟く。静かに佇むその建物は、白く温かい色をして、私たちの前に立っていた。背の低い綺麗な柵に囲われて、整然と並んだ窓が光を跳ね返した。

「何だか素敵ですね」

 ジャクトは目を細めて呟く。私も呆然としたまま頷いた。……そうか、この場所に出来た孤児院は、こんなにも変化していたのか。

『あの場所、新しくまた孤児院が建てられたんだってさ』とノッポが教えてくれたことがあった。私はその言葉と、遠目にちらりと見た様子でしか、この新たな孤児院を知らなかったのだ。


 ぐるりと外周を巡って、私たちは門の入り口を見つけた。その向こうでは、明るい声を上げて笑う子供が走り回っていた。私はつと言葉を失って立ち竦む。……私は、一体、何を見ているんだろう。

 どう頑張っても瞼の裏に蘇るのは、暗く澱んだ空気に満ちた孤児院だった。闇の中、眩い程の火柱が、孤児院を飲み込んでゆく光景だった。

 ……気がついたら、体が震えていた。瞠目したまま、私は呆然と孤児院を見上げていた。

「行きますか?」

 門の前で尻込みする私に、そっとジャクトが囁く。

「あ……うん、」

 私は頷いて、ごくりと唾を飲んだ。門の中に足を踏み入れ、私はぎゅっと鞄の紐を掴む。


「お客さん?」

 門の前で佇んだままの私をじっと眺めていた女の子が早足に駆け寄ってきて、不思議そうな顔で私を見上げた。私はぎこちなく笑って、「うん」と頷く。すると彼女はぱっと表情を輝かせ、建物の方まで走り去ってしまった。

「すごーい、これ、剣?」

 腰に提げていた剣の鞘に触れて、男の子が私を見上げる。「えっとね、」と狼狽える私を見かねて、ジャクトが顔を出して「そう。危ないから触っちゃ駄目だよ」と笑顔で告げた。


 男の子が走り去ってから、ジャクトが体を傾けて声をかけてきた。

「先輩、子供は苦手ですか?」

「……あんまり元気に接せられるとびっくりしちゃうかも」

 小声でやり取りを交わしていると、玄関の扉が開く。ジャクトがぴたりと口を閉じたので、私も振り返ってそちらに視線をやった。ゆっくりと歩いてきたその人は、目元を和らげて私たちに話しかける。


「――こんにちは。当院に何かご用ですか?」

 白い法衣に、柔和な口調。それは、ある人物を鮮明に彷彿とさせた。一気に総毛立った私は、逃げ腰になる寸前でぐっと堪える。

「ここの院長のサスィルです」

 そう言って微笑んだその人は、長い髪を後ろで束ねた、小柄な中年の女性だった。……全然違う人だ。私がいたときの院長とは、全然。それなのに咄嗟に怯えてしまった自分に苦笑しながら、私は息を吐いた。

「突然すみません。その、私……昔ここにあった孤児院にいた者で、」

 私が躊躇いがちにそう告げた途端、院長は大きく目を見開く。

「まあ、昔の孤児院?」

「……ええ、はい」

 私は頷いて、新たな院長の顔を恐る恐る窺った。彼女はさして変わった反応は見せず、ただただ驚いたような様子だった。


「前、ここにあった孤児院が燃えてしまったのって、」

「ああ、存じています」

 私は白々しく答える。院長は痛ましげに胸の前で手を合わせ、申し訳なさそうに眦を下げたが、私は苦笑交じりに「気にしないで下さい」と頭を振った。

 この様子から察するに、院長は以前の孤児院がどのような場所であったのかを知らないのだろう。私がここにいるということは、孤児院から脱走したということなのだ。私があの孤児院に良い印象を持っているはずがない。……まあ、それを言う必要もないのだけれど。

「どうぞ、入って下さい」

「ああいえ、それほど長居するつもりは、」

「新しく建て直して、とても綺麗になったんですよ。もしかしたら懐かしいものもあるかも知れませんから、ぜひ」

 院長はにこやかに私を促した。詳しくは話していないジャクトも、「先輩、せっかくですから」と私の背をつついた。

「……そこまで仰るのなら」

 私は渋々頷く。院長は頷いて、私たちを迎え入れた。


全十六話となりました。

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