12
休憩の為に降りた場所で、私は息を飲んだ。
「ここって……」
「ジゼ=イール跡地」
殿下は私のあとから降りてきながら、落ち着いた声で告げる。
「もう何もない場所だ」
目の前に広がっているのは、崩れ落ちた壁と、砂に埋もれた街だった。人の気配はとうの昔に途絶え、残されたのはがらんどうの街だけだ。
「これが、ジゼ=イール……」
私は呆けたように周囲を見回す。殿下は砂を踏みしめて私の隣に並び立った。腰に手を当てて、殿下は重たげなため息をつく。
「異端者の街として、神殿により全ての住民が火刑に処された。地図からその名は消され、街もこうして崩された。僕はそのときまだ生まれていなかったから、当時の雰囲気なんて分からないけれど……父上にそれを止めるだけの力がなかったことが悔やまれるよ」
「陛下ご自身は、この件に関して何か仰っているのですか?」
「いいや」と殿下は首を横に振った。「父上も難しい立場だからね」
私は崩れ落ちた街並みを見回しながら、踊るように石畳を踏んだ。隙間から雑草の生えた石畳は、空虚にこつりと音を立てる。私を追うように殿下は街があった場所に足を踏み入れる。
「王家は神殿と袂を分かつことなんて出来ないし、正面切って対立するのも望ましくない。裏で手を回したり、大事にならない程度の小競り合いを繰り返したりして、今の均衡が保たれている。今は神殿の力が強いけれど、そのうちまた何かのきっかけで均衡も戻るはずだ。……神殿だって、自分の分を弁えているだろうしね」
扉の外れた店の壁に手を触れ、殿下は静かに告げた。
「でも、それを待っていたせいで、キルディエはジゼ=イールという街を失った」
私は街をぐるりと見渡す。まるで人気のない場所だ。ここに住み着いた人間もいないらしい。
「殿下、」
隊長が小走りに近づいてきて、私たちの側で止まった。殿下はポケットに手を突っ込んだまま、首を傾げて微笑んだ。
「隊長、少し見て回っても良いかな」
「それは……」
眉をひそめて渋った隊長に、殿下は無言で笑みを深める。隊長は喉の奥で不本意そうな音を漏らしたが、ややあって硬い動きで頷いた。
「大丈夫だ。どうせ誰も見ていないし、僕とてここで何か変な気を起こすつもりはないさ」
「……シアトスとジャクトをつけさせて頂きますよ」
「ああ、構わない」
殿下は鷹揚に頷いた。隊長が休憩を取っている近衛の方に向かい、先輩とジャクトに声をかけるのを眺めていると、殿下はちらと私を見た。
「アルカも、良い?」
「はい」
私が微笑むと、殿下は視線を滑らせながら呟く。
「昔から、一度は来ておきたかったんだ。あまり表だって来ることは出来ないから、もうここを訪れることはなかなかないだろうしね」
早足で近づいてくる二人に目を向けながら、殿下は半ば独り言のようにそう言った。
「お呼びですか」
「ごめんね、休憩中に」
「いえ」
先輩と殿下が軽く会話するのを横目に、私はゆっくりと歩き出す。風の音ばかりが周囲を巡っていた。どうにももの悲しい気分になって、私は瓦礫から目を逸らす。
「ここが、あのジゼ=イールなんですね」
ジャクトが囁くように言った。私は頷いて、顔にかかった髪を手で払う。殿下が落ち着いた足取りで一歩踏み出したのを見て、私たちも次いで歩き出した。
「……史実によれば、住民皆を火刑に処して、……残ったものは、コルント家の庭に埋めたと」
「では、そちらへ?」
「簡単に見つかるようならね。決して小さな街でもなかったようだし、それほど期待はしていないけど」
殿下は肩の力を抜いて呟くと、周囲に目を配りながら目抜き通りを歩き出した。
しばらくの間、黙って歩いた。足音だけが、静まりかえった、街だったものに響く。
そして殿下はふと足を止める。
「ユーレリケ……」
道沿いの屋敷の前で立ち止まり、殿下は砂を被った門の表札を手で払った。そこに書かれた文字を読み上げ、殿下が息を飲む。
「ユーレリケ家って、代々ジゼ=イールを実質的に治めてきた名家ですよね」
ジャクトが言うと、殿下は小さく頷いた。
「それならコルント家の屋敷もこの近くだろう」
殿下はそう呟いて、門から手を放す。大きな建物を探すように首を逸らして視線を巡らせると、殿下は再び歩き出した。
しばらく、寂れた街を歩いた。浮き上がった石畳に数度蹴躓きながら、私は訳もなく静かな気持ちになっていた。
ふと、殿下が歩調を緩める。
「――あった、」
殿下はぽつりと漏らすと、小走りに駆け出した。私も一瞬後に走り出し、その後ろをついていく。
「……コルント、」
門に取り付けられた、飾り文字の表札を読み上げる。殿下は黙って頷いた。殿下は手を伸ばし、門の鉄柵を掴んだ。
「入って良いんですか?」
「そもそも入れるんですか?」
私とジャクトが矢継ぎ早に放った質問に、殿下は「さぁね」と肩を竦める。殿下がぐっと力を込めて門を押すと、門は酷く軋みながらゆっくりと開いた。積もっていた砂が、さらさらと音を立てて落ちる。
「――少なくとも、入れはするみたいだね」と首を傾けて、殿下は門の中へ足を踏み入れた。
「すごい、大きなお屋敷……」
私は呆然と呟いた。かつては色鮮やかだったのかもしれない花壇はすっかり砂に埋もれ、屋敷のほぼ半分は瓦礫と化していたが、栄華の痕跡は随所に見て取れた。
「どこに埋めたんだろう。印の一つもないものかな」
殿下は庭を玄関に向かって突っ切りながら、顎に手を当てて視線をさまよわせる。私たちは広い庭を見回してみるが、いまいちその……火刑のあとに残るもの、を埋めた形跡は見つからない。
「それにしたって……うわ、玄関の扉なんてこのざまですよ」
先輩がため息交じりに呟く。私が視線を向けると、先輩は腰に手を当てて玄関を覗き込んでいた。その扉は蝶番から壊され、地面に転がされている。荒々しい攻撃の跡が見えるようだ。
「神殿は暴力を遠ざけるはずなのに……」
ジャクトは唖然としたように目を見開いた。口を開きかけた私を手で制して、殿下は苦笑した。
「そう、だから神殿は必要に応じて、兵や武器を用意するんだ。簡単に言えば傭兵だね」
「その傭兵が、こんなことを?」
ジャクトはどこか縋るように殿下を見る。私と先輩が殿下を注視しているのにも気づかないふりで、殿下は気楽な調子で「そうかもね」と肩を竦めた。
「そっか……そうですよね」
ジャクトは胸をなで下ろす。殿下はふっと頬を緩めると、玄関から建物の中を覗き込んだ。
「危険ですから入らないで下さいよ」
「別に、それほど廃墟じみているようにも見えないけど…………分かったよ、入らないって」
先輩が視線を強めると、殿下は肩を竦めて頭を引っ込める。
そんな会話を尻目に庭をうろついていた私は、瓦礫の向こうに裏庭があるのを見つけた。その中央に、斜めになった石碑が刺さっている。
「殿下、あれじゃないですか?」
言いつつ瓦礫を回り込んで裏庭へ行くと、後ろから殿下が駆け寄ってくる。私は石碑の前に屈み、顔を近づけた。
「ウォルサル・コルントと、ロンディア・コルント……」
びっしりと石碑に刻まれた文字の初めを読み上げ、私は首を傾げる。どうもこの石碑には名前が刻まれているようだが……初めのこの二人は、一体誰だろう。
「ジゼ=イールが丸ごと火刑になった当時の、コルント家の当主夫妻だね」
殿下は私の後ろに立ち、腰に手を当てた。首を巡らせて、殿下は長い息を吐く。
「……史料が正しければ、ここに、ジゼ=イールの住民たちが埋められた」
殿下の視線を追って前を向くと、確かに地面には掘り返された痕跡があった。じゃあ、この下に、と、そこまで考えて少し気分が悪くなる。
「これが、一つの街に住んでいた人間の墓場だ」
殿下は低い声で告げた。その拳が、白くなるほどに握り込まれていた。
***
次の街も違ったら、もう引き返す。そう決めて走り出した馬車の中は、ほんの少しだけ重い空気に満ちていた。ジゼ=イールの空気に当てられたのもあるし、もしここまで来て次の街も私の故郷じゃなかったら、――ここまで来て何の成果も得られなかったら、という不安もあった。
夜、辺りが暗くなってから、私たちは次の街に着いた。ジゼ=フォリシエ。それが街の名前だった。
「どう? ……暗くて分からないか」
殿下は窓に顔を寄せながら、ちらと私を見る。私は窓に張り付き、じっと外に目を凝らした。流れていく景色。門の形。街並み。――街の中心にそびえ立つ、大きな、神殿。
「ここだ……!」
私は息を飲む。全然覚えていないと思っていたけれど、目の当たりにしてみれば、何と鮮明に蘇ることか。私はどくどくと心臓が変な感じに跳ね出すのを感じていた。
殿下も驚いたように目を見開く。「本当に?」と問われ、私はゆっくりと頷いた。
「明るくなってからもう一度見てみないとはっきりとは言えませんが……多分、ここだと思います」
私がそう告げると、殿下は目に見えてほっとしたような顔をした。私も思わず肩の力を抜く。
「良かった、アルカを故郷に連れてきてあげられて」
「こんな遠出になるとは思いませんでした。……本当にありがとうございます」
馬車は粛々と進む。かつて私がこの街にいたとき、自分とは異なる世界にあると思っていたような立派な馬車だ。――私は変わった。その思いが痛烈に胸にこみ上げてくる。
そして今も貧民街には、変わる前の私が沢山いるのだろう。
翌朝、起きてすぐ私は窓辺に駆け寄る。カーテンを払い、窓を開け放つと、広がっていたのは一見見慣れない光景のようだった。
「そっか……。私、上からこの街を見たことがないから、」
私はまじまじと眼下に広がる街並みを見渡した。昔は、こんなに大きな建物に入ったことなんてなかったのだ。こんな感じの街だったんだ、と私は意外な思いを抱えながら、ゆっくりと頭を引っ込めた。
まるで知らない街のように、そこは輝かしく見えた。……でも、見覚えのある建物は沢山あった。門の形も、塀の高さも、見下ろしてくるようにそびえ立つ神殿の白さも、みんな、――遠い記憶の中のままだ。
続きは今しばらくお待ちください。
いつも読んで下さりありがとうございます。皆様にとって今年が良い年になりますように。




