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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
5章 ノロマだった私の話
23/59

7


 自分のしゃくり上げる声で目が覚めた。目を開けてから、自分が身を竦めて泣いていたことに気がついた。

「アルカ、」

 殿下は私の顔を覗き込んで眉をひそめる。殿下が私の背に手を回して、躊躇い混じりに私を抱き寄せた。

「大丈夫?」

 そう問われて、私は無言で数度頷く。殿下は息を漏らして微笑むと、私と目を合わせた。

 どうやら過呼吸気味になっていたみたいで、意識はどこかふわふわと白く霞んで、かすれたまま浮いていた。殿下が柔らかい声で私を窺う。

「何かつらいことを思い出しちゃった?」

「……はい」

 勢いよく鼻をかんで、私はやり場のない気持ちを抱えたまま唇を引き結んだ。……吐き出しても良いだろうか、と殿下の顔を見上げると、殿下は促すように口角を上げた。



 私は少し逡巡して、どう語り出したら良いものかと迷いながら、おずおずと口を開いた。

「私がまだ孤児院にいた頃の話なんですけど、」

 そう語り出したは良いものの、何と説明すれば良いか分からない。結局私は拙い言葉でルラのことを形容するしか出来なかった。

「……私なんかよりよっぽど明るくて純粋で、何も悪いことをしていない小さな子が、あるとき急に死んだんです」

「急死?」

 剣呑な響きに、殿下が一気に表情を険しくする。私は頷いて、鼻から長い息を吐いた。

「原因は今でも分からないんですけど、多分、……毒です」

 そう呟くと、殿下は腕組みをして思案するように視線を流した。「毒、」と殿下が漏らす。

「誰がやったのか、何の目的だったのかも分かりません。もしかしたら孤児院が間引きしようとしていたのかもしれないし、誰か子供が、ノッポやメガネ……私とその子がよく一緒にいた男の子たち、を狙ったのかもしれなかった」

 こんな話をするのには勇気がいった。殿下がぎょっとしてしまいはしないかと、上目遣いでこっそり殿下の表情を確認する。殿下はあくまで静かな目をして私の話を聞いていた。


「……私、ルラが死んだとき、全然悲しくなかったんです」

 懺悔のように私は零した。殿下は僅かに息を飲んだ。

「私、ちっとも泣けなかった。だって他にも死んでる子供は沢山いたんです。そのたんびに悲しんでたらきりがないでしょう」

 物のようにうち捨てられる人の体は、探せば街の様々なところに見つかった。気がついたら孤児院の子供たちはよく減っていた。

「でも今なら分かるんです、……多分私、本当はその度に、とっても悲しんでいたんですね」

 昨日まで生きていた人が、今日動かなくなっている光景が、私はきっとこの上なく嫌いだったのだ。


「……何で今までずっと思い出さなかったんだろう」と私は顔を覆った。思い出して気づくのは、これまで私が意図的に昔のことを思い出さないようにしていたという事実だった。

 ルラ。小さくて可愛いルラ。私はずっと、彼女を思い出さないようにして生きてきた。

「ルラみたいになりたかったんです。……たとえどんなに辛くても、気にしないかのように笑えるあの子みたいになりたかった」

 殿下が私の頭を抱きかかえた。なだめるように背中をなで下ろされ、私は額を殿下の肩に乗せる。

「……でも、それって、目を逸らすってのとは違うでしょう」

 呟いた言葉に、殿下は応えなかった。




「ノッポとメガネと、一緒に。……私はルラを燃やしました」

 私の言葉に、殿下はどこか痛ましげに目元を歪めた。

「信じてなかったけど、それでも、ルラが神様のところに行けるかもしれないって思って、一生懸命祈りました」



 焼却炉を前に、雨の降りしきる中、私たちは三人で煙を見守った。毎朝ごみを燃やす焼却炉にルラを入れたくなんてなかったけれど、他に方法はなかった。ごみと一緒に燃やすなんて絶対嫌だった。だから朝になる前に、闇に包まれながら、私たちは自分の手でルラを葬った。

 あれほど一生懸命祈ったことはなかった。どうかルラが神様のところで、美味しいものを沢山食べて、幸せにいられるようにと祈った。それが果たされたのかどうかは分からない。

 ノッポは立ち尽くしたまま、決して指を組んで神様に祈ろうとはしなかった。けれど炉の扉を閉める直前、彼は確かにあの子のことを「ルラ」と呼んだ。


 殿下が緩く微笑む。

「その子も今頃、神様のところで安らかに暮らしているはずだよ」

「本当にそうでしょうか」

 咄嗟に反駁した私に対して、殿下はゆっくりと頷いた。

「きっとそうさ。――そう思うことに祈りの意義はある」

 毎度、殿下の言うことは妙に謎かけめいていて、馬鹿な私にはすんなりと入って来ない。けれど殿下の声がどこまでも優しいので、私は僅かに頬を緩めた。



 穏やかな馬車の中でゆったりと揺られて、私は窓の外の晴天を眺めていた。心のどこか遠くで雨音が鮮明に蘇る。殿下に寄りかかりながら、私は黙って雨の音を聞いていた。


 それを言ったのはどちらが先か分からなかった。ノッポとメガネの二人は久しぶりに目を合わせて告げた。「もうここにはいられない」。

 ――それから少しして、私たちは孤児院を脱走し、貧民街と綺麗な街とを分ける壁を目指した。



 ***


 馬車が止まった。私は先に馬車を出ると、殿下に向かって手を差し出す。殿下は少し眉を上げると、それから悠然と微笑んで私の手を取って馬車から降りた。

「お疲れ様でした」

「アルカもね」

 軽く言い交わすと、私は周囲をさっと見回した。どことなく格式高い建物の並ぶ通りである。目の前にあるのは、これまたかっちりとした堅実そうな宿だ。これが今日宿泊するところかな。


 殿下だったり私だったりがあんまり外を出歩くのは、近衛の負担にもなる。私も近衛の一員としてそれくらいのことは理解しているから、ちょっと観光してみたいな、というようなことは口にしなかった。……言えば叶えられるのは何となく分かっていたけど。



「アルカ先輩、お疲れ様です」

「お疲れ、ジャクト」

 廊下を歩いていたところに声をかけられ、私は足を止めた。

「特に問題とかはなかった? 私ずっと馬車の中だから全然分からなくて」

「大丈夫ですよ! 先輩は安心してのんびりしていてください」

 ジャクトは親指を立てて胸を張る。私は腰に手を当てて頬を緩めた。「そっか」と頷くと、ジャクトは満面の笑みを返してきた。

「…………。」

 私はふとジャクトの顔をじっと見つめる。ジャクトは私の視線に気づくと、居心地が悪そうに身じろぎした。


「……何ですか?」

「ジャクトはさ、」

 呟くと、ジャクトは瞬きをして私を見返す。

「……何だかちょっとだけ、ルラに似てる」

 誰ですかそれ、とジャクトが呆気に取られた表情で首を傾げた。私は少し声を漏らして笑うと、手を伸ばしてジャクトの頭を撫でてやった。

「ちょっと、何するんですか、やめてくださいよ」

 ひょいと逃げられ、私は苦笑する。見た目はそりゃ、ルラとは似ても似つかないけれど、ジャクトの底なしの明るさは何だかあの子を彷彿とさせた。……いや、うーん、でもあんまり似てないかも知れない。


「でっ、あっいや、違います殿下これは、アルカ先輩が勝手に……」

 ジャクトが不意に顔を引きつらせてへっぴり腰になった。私はジャクトの頭に向かって伸ばしていた腕を引っ込めながら振り返る。

「あ、殿下、お疲れ様です」

「今何してたの?」

 私の挨拶をまるっと無視して、殿下は私に向き直った。

「いえ、特には何も……」

「ジャクトの頭撫でてなかった?」

「ばっちり見てるんじゃないですか」

 思わず真顔になると、殿下はずいと一歩踏み出して近づいてくる。近すぎである。咄嗟に一歩後ろに下がると、殿下はやや不満げに眉を上げた。

「……じゃ、おれ隊長のところに行ってきまーす」

 鮮やかな逃亡だ。そそくさと立ち去ってしまったジャクトを見送ってしまってから、私は殿下に視線を戻した。殿下は綺麗な微笑みで私を見下ろしている。


「えーと……殿下も撫でられたかったんですか?」

 私が躊躇いがちにそう訊くと、殿下はわざとらしく肩を竦めた。

「ジャクトの頭を撫でるくらいなら、僕を撫でて欲しいね」

「そういう問題じゃなくないですか……?」

「どういう問題だって構わないさ」

 殿下は私の手を取りながらにっこりと小首を傾げた。何となく嫌な予感がした。



「えっ! すごい、指通りがすごい!」

 殿下の髪にそっと触れながら、私は驚愕した。見ているだけでもそれはまあ、つやつやだとは思っていたが、まさかこれほどとは。

「すごい、これ永遠に触ってられる……」

「永遠にはちょっと困るかな」

 殿下が苦笑交じりに応えるが、私は殿下の言葉そっちのけで殿下の髪を指先で掬う。

「わー……すごいなぁ……」

 思わず腰を浮かせて身を乗り出したところで、私ははたと自分の状況に気がついた。――あれ、もしかして今私、国主の息子の頭を撫でくり回して……?


 血の気が引いた。これは流石に一線を越えている。

「ごッ、ごめんなさい、とんだ失礼を……!」

 すぐさま殿下から離れ、私は椅子に戻った。たとえ立場上の問題がなくっても、これは二人の人間の距離としてちょっと適切じゃない。ちょっとやりすぎたかな、と殿下をおずおずと窺うと、殿下はどこかつまらなそうな顔をして頬杖をついていた。


「殿下……」

 私が肩をすぼめて縮こまると、殿下は肩を竦めた。

「僕が自分から言ったことだ。遠慮はいらないよ」

「でも……わきまえる、べきですよね」

 殿下がお優しいのは重々分かっている。だからこそ私が自分で自分を律する必要があるのだ。俯いた私を眺めながら、殿下が小さな声で漏らす。

「……もっと甘やかすべきなのかな」

「へっ?」

「良いんだよ、アルカ。何も気にしなくていいよ」

 殿下は肘掛けに手をついて立ち上がると、ゆったりとした動作で腕を伸ばしてくる。避けようと思えば避けられるような、穏やかな手つきだった。


 頭上に差し出された腕に、血の気が引いた。ぎゅ、と思わず首を竦めて固く目をつぶる。体を強ばらせていると、殿下の指先が私の前髪を掬った。

「――アルカのその反応、久しぶりだなぁ」

 殿下が寂しげに呟く。私は恐る恐る瞼を上げると、引き結んでいた唇を僅かに緩める。殿下は椅子に座ったままの私の前に屈んで目線を合わせ、両手で頬を挟んだ。僅かに上を向かされて、私は反らした喉で細く息をした。

「殿下、」

「もう誰もアルカを蔑ろになんてしない。誰も君を傷つけようとなんてしないんだよ」

 頬に触れていた手のひらが滑らされる。うなじを温かい指先が包み、後頭の髪をくしゃりとかき混ぜられた。


「信じて、アルカ」

 殿下が囁いた。私は身じろぎも出来ずに、呆けたように殿下の目を見つめていた。

「僕は決してアルカを見捨てたりなんてしないから、」

 声もなく唇を噛むと、殿下が苦笑して首を横に振る。指先で上唇をなぞられて、私は渋々唇を噛むのをやめた。

「アルカは笑ってても泣いててもいいんだ」と殿下は私の頭を撫でる。私は僅かに口元を綻ばせた。


「だからアルカ、ここにいてよ」

 殿下が言った。殿下の目の中に、間抜け顔をした私が映っていた。

「……殿下って、」

 私はやっとのことで呟く。殿下は促すように「ん?」と微笑んだ。


 私は殿下の顔を眺めながらしみじみと呟いた。

「殿下って、私のことめちゃくちゃ好きですよね……」

 咄嗟に吟味もせずにそんなことを口走ってから、私は慌てて口を塞ぐ。殿下は驚いたように目を丸くして瞬きをすると、それから余裕綽々であると言わんばかりに腕を組んで笑った。

「まさか今頃気づいたの?」

 そう言ってくすくすと笑ってみせるが、その耳は目に見えて赤くなっている。それを指摘しようか迷って殿下の耳を見つめていると、殿下はさりげなくを装って、両手で耳を隠してしまった。



 かわいいな……と、殿下に直接言ったらある程度拗ねられそうな感想を抱きながら、私は一息つく。殿下を見やると、珍しくふいと視線を背けているところだった。

「でーんか、」

 私は立ち上がりながら呼びかける。殿下はどことなく不服そうな顔で私を見た。あからさまに警戒している様子の表情に、私はにんまりと笑みを浮かべる。

「なに、アルカ」

「私も、絶対何があっても殿下のお側にいますからね」


 私は一歩踏み込んで、殿下の顔を覗き込んだ。片足で伸び上がると、私は軽く殿下の頬に口づける。


「――ありがとうございます、殿下」

「なっ、何が!?」

「殿下が私に下さった諸々にです」

 頬を押さえたまま、とうとう顔中を真っ赤にして狼狽えてしまった殿下に笑みを向けて、私はさっと身を引いて距離を取った。……自分でもやらかした自覚はある。ここは逃げの一手である。


 ぴっと片手を挙げ、私はきびきびとした口調で宣言した。

「じゃ、私、隊長にちょっと呼ばれているので」

 もちろん大嘘である。

「ちょ、ま、アルカ、」

「また明日!」

 未だ頬を押さえたまま呆然としている殿下を置いて、私は身を翻して部屋を出た。廊下を疾走して、近衛がたむろしている談話室に飛び込み、私は勢いよくソファに顔を埋めた。


「……どうした、アルカ」

「やらかしました」

 心底面倒そうに話しかけてくれた先輩に、くぐもった声で応じる。先輩は深刻そうな様子の欠片も見せずに「そうかそうか」と頷いた。

「今、後悔しているか?」

 問われて、私はソファから顔を上げつつ考える。

「……そうでもありません」

「なら良いだろ」

 先輩は肩を竦めてそう言うと、ちらと私に目線をやりつつ口角を上げた。



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