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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
1章 殿下の神託で不具合が起きた話
2/59

2


 結局のところ、託宣人は、まあ、出てきた。わんさか出てきた。王宮の玄関はお祭り騒ぎだった。

「はい、列になって並んで下さーい」

 死んだ目で、私は列の整理をしていた。目の前でわいわいと賑やかに騒いでいるのは、思い思いの指に金色の指輪を嵌めた老若男女である。


 どういうことだ。どういうことだよ。神託では一人しか選ばれないんじゃないのか。

私は左手首を軽く締め付ける感触をあえて無視しながら、内心で呟いた。

「次の方、どうぞー」

 棒読みで言うと、私は扉を開けて部屋に入ってゆく少女を見送った。彼女はどこかで見たことがある。多分何かの食事会かな? 王家主催の催し事となると、私たち近衛も殿下のお側につくことになるので、何だかんだ言って良家の御方々の顔も分かってくるのだ。

 ほどなくして、少女が肩を落として部屋を出てくる。やっぱりなぁ、と思いながら、私は次の人を部屋に入れた。


 時計を確認した隊長が、手を叩く。

「これより一刻の休憩に入る。殿下との面会はその後に再開するため、待機するように」

 ええ、と小さくどよめきが広がるが、威圧感のある表情で隊長が目をやると、すぐに静かになった。

「問題を起こした者は殿下との面会は不許可とする。規律正しくしていなさい。あと、昼食の屋台販売は玄関を出て右だ」

 そう。屋台が出ているのだ。噂には聞いていたが、なかなかに奇天烈。うーん……。


 託宣人となった人は、王家に最も近い場所に侍ることができる。その栄誉もさることながら、発言力も相当のものだ。あわよくばと数多の人々が押しかけてくるのは、もはや風物詩らしい。

「すみません、お手洗いは……」

「えっとですね、この廊下の突き当たりを、左です」

 声をかけられて、愛想良く廊下を指し示しながら、私は内心でため息をついた。

 やはり、一番多いのは良家のご令嬢である。たとえ託宣人にはなれなくとも、取りあえず顔を売っておこうということなのだろうか。


「アルカ」

 先輩に声をかけられ、私は振り返る。

「殿下がお呼びだ」

「ええと……はい。ここの警備は、」

「俺が代わる」

 分かりました、と頷いて、私は殿下のいる応接室に入った。殿下がべったりと机に突っ伏しているのを見て、思わずのけぞる。

「わっ! 殿下が死んでる!」

「死んでない……」

 むくりと起き上がった殿下が、頬杖をついて息を吐いた。疲れた表情で頭を掻いているので、私はすすすと殿下に近寄った。

「お食事は摂られましたか?」

「まだ」

 殿下は腕を上げて伸びをしながら、くぁ、と欠伸を噛み殺す。殿下の机に食事を運びながら、私は「まだ見つかりませんか?」と声をかけた。殿下は肩を竦める。

「父上は二日目にしてもう託宣人が見つかったと言っていたけれど、兄上の場合は神殿側の不正もあって、二ヶ月はかかったと言っていたからね。どれくらいかかるかは全然分からないよ」

「そうですか……」

 私はかける言葉を見失って俯いた。脳内でひたすら浮かんでいるのは、自分の左手首である。そこにある腕輪だ。そう、腕輪。これは腕輪なのだ。んなことがあってたまるか、というお話だ。

「殿下……託宣人は、神託の指輪が嵌まっているんですよね」

 殿下は無言で頷く。「それって、どこの指なんですか?」と追って問うと、殿下は難しい顔をして黙り込んでしまった。

「それは分からないんだよね」

「うーん……」

 しかし、まさか腕に来るなんてことがあるだろうか。というか、……私が殿下の託宣人であるというのは、正直考えづらかった。

「託宣人って……殿下を、こう……教え導いたりする人? ですよね」

「必ずしもそうとは限らないらしいけれど、大抵はそうだね」

「ううーん……」

 私が殿下を教え導くとか……まず、ない。想像がつかない。どちらかと言えば私が殿下に教え導かれそうである。

 やはりこれは何かの手違いなのだ、と、私はこっそりと袖に隠れた左腕を見下ろした。しかし、これが露呈したら、厳罰は免れないはず。うーん……やだなぁ。

 何とか保身に走る為の道筋を考えてみるが、一番良くて左遷しか思いつかない。


「……託宣人って、一人しかいないんですよね?」

「そうだね。何だかんだと沢山来てるけど、一人の本物を見つけられればそれで良いんだよ」

 私は勢い込んで尋ねる。

「それって、どうやって判別するんですか? 見た限りでは、皆とても精巧に作られた指輪を嵌めているように思えます」

「今日のアルカは珍しく興味津々だね。何かあったの?」

「ヒッ……いえ、いや別に、ただ、殿下に関わることですので、ちょっと気になって……」

 そうだった。いきなりこんな質問攻めにしていたら、やましいことがあると表明しているも同然である。すっと目を細めた殿下に向かって勢いよく首を横に振り、私は数歩後ずさった。殿下は少し眉を上げる。


「――親近感を、覚えると、言われている」

 殿下はどこか投げやりな調子で呟いた。

「親近感?」

 私は首を傾げる。殿下は頷き、頬杖をついたまま顎に手を当てた。

「あるいは懐かしさ、また別のときは、焦がれるような感情であったり、強い憧憬、思慕であったり。伝えられているのは様々な感情だけれど、どれも『初対面の人間に対して強く抱く感情ではないようなもの』であるという点では一致しているよね」

「はえー……」

 何というか、……神託、マジですごいな、という感じだ。私はしばらく斜め上を向いたまま、今の説明を反芻した。十分に咀嚼してから、私は殿下を見る。

「だから、託宣人は、会えば分かるってことなんですね?」

「そう。だからこうして大々的に面会の場を展開してるってわけ。本物の託宣人が尻込みしないように、お祭りみたいに賑やかにして」

「あっ、そういうことだったんですか!?」

 無駄に楽しげだと思ったら、そういうことだったのか。私が思わず手を打って納得していると、殿下が長いため息をついた。

「まあ、僕らの負担は増えるよね……」

「それは確かに」

 私は大きく頷いた。


 殿下が私と会っても別に「あっ託宣人だ」と気づかない、ということは、つまりそういうことだろう。しかし……神託が誤作動を起こしたのは確実だけれど、他にも本物の託宣人がいる可能性は捨てきれない。もちろん希望的観測だ。

「……まあ、一ヶ月くらい待って、それでも出てこなかったら、謝罪して、退職しようかな……」

 殿下の部屋から辞して、私は小さく呟いた。

「と、いうか、私は何で呼ばれたんだ……?」

 首を傾げて眉を顰めるが、まあ私が殿下のお心を量ろうという方が、不敬というものだろう。



 ***


 それから着実に時は経った。一週間弱ほど、あのお祭り騒ぎが続いたが、徐々に「自分が託宣人なのではないか」という人が訪れる数が、目に見えて減ってきたのだ。一時期はほぼ一目で殿下が首を横に振り、流れ作業のように候補者を帰らせるような状況があっただけに、私たちの暇もどんどん際立っていった。


「ふふ……託宣人、見つかりませんねぇ……」

 もはや誰も来なくなった王宮の玄関を見渡しながら、私は殿下を見ないようにして乾いた笑いを漏らした。殿下はむっつりと黙り込んだまま、腕を組んだきり動かない。

「殿下、そう気を落とさないで下さい」と隊長が落ち着いた声で話しかけると、殿下は無言で頷き、応接室に戻ってしまった。

「大丈夫でしょうか」と先輩が気遣わしげな調子で呟く。隊長は厳しい顔で微妙な返事をした。


「アルカ、」

 殿下のいる応接室から声が飛び、私は急ぎ足で殿下の元へと向かった。殿下は椅子に深く腰掛け、足を組んでいた。

「お呼びですか、殿下」

 殿下は頷くと、深いため息を漏らした。膝の上で指を組み合わせ、項垂れる。

「……僕の、何がいけないんだろう」

 珍しく弱気な声で放たれた言葉に、私はうっと息を止めた。殿下は伏し目がちに俯いているし、私は後ろめたさで満ち満ちている。

「で、殿下は何も悪くないです」

「なら、何が悪いんだろう」

「それは……ええと」

 私は口ごもった。まあ、一言で言えば、私だ。余計なことをしでかして、神託を狂わせた。……重罪である。

 もっと早く白状すれば良かった、と私は唇を噛んだ。今更名乗り出たら、何か、もう弁明の余地なく死罪になりそうな予感さえする。殿下は間違いなくめちゃくちゃ怒るし、失望するだろう。


「――殿下は素晴らしい人です」

 迷った結果、私はそう告げた。顔を上げた殿下に、頑張って柔らかく微笑む。

「殿下は、荒れ野にうち捨てられていた私を拾って下さいました。……他の誰も、私を救おうとはしなかった」

「それは、……違うよ。あれはただの、僕の我が儘だ」

「違いません。殿下は今でもこうして私をお側において下さるし、このご恩をどう返して良いか……」

 殿下への感謝を語っていたら、何だか自分がやらかしたことが更に重くのしかかってきて、苦しくなった。どうやら私は自分で積極的に自分の首を絞めてしまったらしい。


「アルカ、そう苦しそうな顔をしないでよ」

 殿下は優しい声でそう言った。

「本当に、君を拾ったのは僕の我が儘なんだよ。一目見たときから、放っておけないと思ったんだ」

 そう呟いてから、殿下はふと口をつぐんだ。その様子に私はきょとんと首を傾げたが、殿下はそれきり何も言わずに話題を変えた。



 ***


 何だかんだと、神託の儀を執り行ってから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。依然として殿下の託宣人は見つからず、私は決断を迫られていた。

「アルカ・ティリ。普段からやたら多い不注意が、最近いつにも増して目立つが、何かあったのか」

「いえ……」

 隊長の目を見ることができず、私は斜め下を見て首を竦める。そんな私に、隊長は腰に手を当ててため息をついた。


 一ヶ月経っても託宣人が見つからなかったら、殿下に謝罪して、罰を委ねようと決めていた。そのつもりだったのに、期限が近づくと、急に恐ろしくなったのだ。

「このままでは、殿下の近衛から外すことも検討しなければならなくなるぞ」

 隊長の厳しい言葉にも、力なく頷く。

「はい、それも……仕方ないと思います」

「これは重症ですね」

 側で黙って聞いていた先輩が、呆れたように隊長へ話しかけた。隊長も渋い顔で頷く。

「こいつが殿下の側を離れても仕方がないと思うなんて、よほどのことだ」

「でも、今の殿下に相談するのも躊躇われますよね」

 隊長と先輩が何やら言っているのを聞き流しながら、私は唇を引き結んだ。



「……私のせいだ。私が、あんな悪ふざけしたから……」

 左手首には、相も変わらず繊細な彫刻が施された腕輪が嵌まっている。押しても引いても動かない。

「殿下になんて言ってお詫びしたら良いか分からない……」

 日に日に罪悪感は増した。早く殿下にこのことを伝えて、謝罪しなきゃいけないのに、どうしても、唇が凍り付いたように動かなかった。

「アルカ、もうすぐ休憩終了の時間だぞ」

 先輩がマグカップを手に歩いてきて、時計を指し示す。手に持っていたマグカップから一口飲むと、息を吐いて座り込んだままの私を見下ろした。

「なあ、何をそんなに気に病んでいるんだ」

「……先輩には、分かりません」

「言ってくれるなぁ」

 先輩は眉を上げて、もう一口をゆっくりと啜る。眼鏡を白く曇らせながら、別の長椅子に腰掛けた。

「アルカ」

 呼ばれても、私は顔を上げられないでいた。先輩は聞こえよがしにため息をついて、肩を竦めた。

「アルカ、もうお前は誰に捨てられることもないんだ。お前は一人で生きていけるだけの力を持った人材だし、たとえ何かヤバいことをやらかしていたとしても、俺たちはお前の味方だ、安心しろ」

「絶対、嘘ですよ……私がやらかしたことを知ったら、みんな失望します」

 私が半ばふてくされながら呟くと、先輩は目を剥く。

「お前、そんなに何かとんでもないことをやらかしたのか」

「はい……」

 先輩はよそを向いていくつか独り言を漏らすと、大きく頷いた。


「よし、分かった。詳しい話は後で聞こう。あ、別に無理に聞き出すつもりはないぞ」

 きびきびした口調でそう言って、先輩は休憩室の扉を指さした。

「ただ、今は休憩が終わったことだし、交代に向かうべきだな」

「えっ!? あ、本当だ!」

 私は勢いよく立ち上がると、上着を羽織って剣を掴む。慌ただしく部屋を出て行く私に、先輩がひらりと手を振った。



 軽く扉をノックし、私は殿下の部屋にそっと顔を覗かせる。

「すみません、交代に来ました」

 私の前に警備として立っていた近衛に声をかけると、頷いて微笑まれた。するりと交代し、私は扉の脇に立って背筋を伸ばす。

 殿下は机の両端に高く史料を積み上げ、何やら難しい顔をしていた。ここ数週間、ずっとそうだ。託宣人候補がほとんど来なくなった頃から、何かに取り憑かれでもしたように、これまでの神託についての情報が書かれた史料を読みあさっている。

 私の左の手首が、ずくりと疼く。別に痛みがある訳でもないし、一ヶ月の間に違和感も消えてしまった。けれど、私の左手にあるのは、紛れもない私の失態の証拠である。私は目を伏せて、項垂れた。


「ねえ、アルカ」

 殿下がふと、史料に目を落としたまま呟いた。一言も発さなかったのに、交代して自分に代わっていることに気づいていたのか、と私は密かに驚く。

「何が、君に下を向かせているの?」

 思わず目を見開いて、顔を上げかけた。しかし、どうしても殿下の方まで目が向けられず、再び俯いてしまう。視界の隅に、殿下が頭をもたげる様子が映った。

「下ばかりを見ちゃ駄目だって、僕はあのとき言ったはずだよね」

 唇を噛んで、私はぎゅっと目を固くつぶった。今、全てを白状してしまおう、そんな考えがふっと浮かんだ。殿下の話が終わったら、全てを話して、そして然るべき罰を受け入れるのだ。

「アルカ、顔を上げて」

 僅かに苛立ちの混じった声で、殿下は私に呼びかけた。ゆっくりと顔を上げて、恐る恐る殿下の方まで顔を上げるが、目が合う寸前に顔を背けてしまう。殿下は本を閉じると、机に手をついて立ち上がった。机の脇まで出てくると、縁に寄りかかって腕を組む。



「下を向かず、僕だけを見ていろと――アルカ・ティリ、僕はあのときそう言ったはずだ。忘れてしまったのか」


 それは、鋭い声音だった。私は弾かれたように顔を上げ、殿下を見る。殿下は真剣な表情で、真っ直ぐに私を見据えていた。

「……いいえ、」と私は呆然としたまま、首を横に振る。

「いいえ、忘れてなどおりません」

「それなら良いんだ」

 殿下はにこりと微笑んだ。腕組みを解いて、一歩、こちらに向かって踏み出す。


「色々調べてみたんだけどね」

 殿下は軽やかな口調で呟いた。

「託宣人が、神託までに面識のある人間だった、という例は、過去にもあったみたいなんだ」

 ……ん? 一体何の話だ。私は顔を強ばらせた状態で、話が怪しい方向に進み始めた空気を感じた。

「別に神託の指輪がなくても、のちに神託で選ばれる人というのは、運命で決まっている、なんて学説もあった。それは場合によりけりなんじゃないかなって僕は思うんだけど」

 私は引きつった作り笑いを浮かべ、「お詳しいんですね」と述べたが、殿下は華麗に受け流してしまう。

「ねえ、アルカ、僕のちょっとした興味なんだけど、少し手を出してくれる?」

「え゛っ」

 ものすごく汚い声が出た。私は咄嗟に左腕を見下ろしてしまう。殿下は「そっちか」と呟いて、私の左腕を掴んだ。

「ヒィ! やめて下さい」

「アルカ、僕に関する神託について、何か隠していることはない?」

「なななっな、ないですっ!」

 ちょっと前に殊勝にも『全てを白状してしまおう……』だなんて固めた決意を勢いよく蹴り飛ばし、私は激しく首を左右に振る。殿下は無言で目を眇めると、手を滑らせて私の手を掴んだ。強く振り払うこともできず、私は殿下に対してひたすら首を振る。

「もっと率直に言おうか。君は僕の託宣人ではない?」

「ちっ違いますぅ!」

 だってホラ! と私は両手を殿下に向けた。「指輪なんて、どっこにも!」叫ぶと、殿下はうんうんと無言で数回頷いた。


「前回の神託でさ、不正があったでしょ?」

「はい……」

「だから、今回こそは、何が何でもそういった事態を防がなきゃならなかったんだ。王家と神殿の威信にかけてもね」

「…………聞こえません」

 私は自由な右手で右耳を塞いだ。非道にも右手まで捕まえて耳から引き剥がしながら、殿下は「ちゃんと聞いて」と私を見る。

「まず防ぐべきは、儀式の場における不正。これは監視者を増やしたり、儀式を執り行う側に外部の人間を入れることで対策した」

 つまり、私が儀式に参加したことも、それに当たるのだろう。私は何を言われるのかとビビりながら、小さく頷く。

「次に防ぐべきは、僕が託宣人を見つける際の、誤認だ」

 殿下は私の左手を持ち上げた。何も嵌まっていない指を眺めて、殿下がふっと口元を緩める。

「神託においては、選ばれた人間の体に輪が登場することで、神意を伝える。でも別にそれは指である必要はないんだ」

「えっ……」

 私は咄嗟に左手を引きかけたが、殿下がぐっと指先を掴んだことで制止された。それでも手を引っ込めようとする私と、逃がさない殿下の間で数秒間小競り合いが続く。

「周囲には何も言わないでおけば、誰もが今回も神託は指輪で表されると思うよね。でも実を言うと今回は――腕輪で示すことになっていたんだ」

「ッギャーーーー!」

 堪えきれずに叫んだ私に、殿下が頬を緩ませた。その目は笑っていない。

「だから、指輪を携えて現れた候補者は、その時点で全員はずれ。腕輪が現れたと言う託宣人候補が現れたら、その人が高い確率で本物だって訳だよ」

「ななな、そんな、そんなの聞いてません」

「言ってなかったからね」

 殿下は私の手を掴んだまま、反対の手で袖に手をかけた。私が後ずさりをした分だけ、殿下がずいと出てくる。


「もう一度訊くね。……アルカ、心当たりは?」

 殿下が念を押すように言って、軽く首を傾けた。促されて、私は顔を歪める。

「な、何かの手違いで、何故か、私の手首に、見覚えのある腕輪が……」

「うーん、手違いじゃないんじゃないかなぁ」

 私は眉根を寄せて、小さな声で呟いた。

「でも、私、実はちょっとだけ儀式の前に触っちゃって、……そのせいで結果が狂ったとか、」

「その程度で結果が狂うんなら、毎回これを作る職人のところに輪が行ってしまうね」

 ほら、と殿下は私の袖をぐいと押し上げた。そこには、一ヶ月間特に手入れもしていないのに、相も変わらず輝きを保っている腕輪がある。殿下は満足そうに息を吐き、緩やかに目を細めた。指先で輪をなぞり、私の手首を辿る。私は首を縮めたまま立ち竦んでいた。


「失礼致します。殿下、部屋の中から何やら尋常でない奇声が聞こえたと報告を受け」

 慌てた様子で、ノックとほぼ同時に開かれた扉の前で、隊長が凍り付く。向かい合って立っている私たちを交互に見ながら、黙って首を横に振った。

「……殿下、お部屋でそのようにみだりに接近するのは」

「落ち着いて、隊長」

 殿下はため息交じりに隊長に手のひらを向け、ぐいと私の左手を持ち上げた。照明の光を反射して、腕輪がきらりと輝く。それを見た隊長は、珍しく大きく表情を変えるとのけぞった。

「まさか……ティリが?」

「燭台の下は暗いってこういうことだよね」

 隊長は未だ驚き冷めやらぬ様子で、私をまじまじと見つめている。私はいたたまれなくなって俯きかけるが、はっと気づいて顔を上げる。殿下と目が合うと、殿下は僅かに口角を上げた。


 殿下は袖を戻すと、私の手を掴んだ。いかにも純真そうな表情で、私に語りかける。

「とりあえず、神殿に報告に行こうか」

「え、でも」

「アルカ、認めてよ」

 殿下はぴしゃりと遮った。私が戸惑うのをよそに、殿下は私の手を放さないまま歩き出す。

「思い返せば僕は、アルカを初めて見たときから、訳もなく『欲しい』と思っていたんだ。だからこれも、運命だったんじゃない?」

「う、運命……」

 たじろぐ私の手をぐいと引いて、殿下は珍しく子供じみた表情で笑った。


「託宣人は、僕が大人になるまでずっと側にいるんだ」

 私の目線より下にあるつむじが、小さく跳ねる。殿下は僅かに上目遣いで私を伺うと、頬を綻ばせた。

「だからアルカ、これからも僕の側にいてよ。嫌?」

 念を押すような口調を受けて、分かっているくせに、と私は思わず笑み崩れた。

「……そりゃもちろん、嫌じゃありませんとも」

 正直、学のない私は託宣人とやらが何なのか、よく分かっていない。それでも、まあ良いかな、と思ってしまう私も、大概単純である。



 ――殿下が嬉しそうなら、構わないかなって。





 殿下はこほんと小さく咳をした。

「託宣人って言っても、色んな役割があるからね。お目付役とか、後見人とか、あとはまあ、……伴侶とかかな」

「そっか……。色んな役割があるってことは、じゃあ私、これからも殿下の護衛でいられるんですね」

 私が笑顔で返すと、殿下は小さく顔を引きつらせた。




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