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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
4章 殿下と私と好きな人の話
16/59

6


 多分、これが知恵熱ってやつである。私は頭を抱えて呻いた。

「アルカ、大丈夫?」

「ご心配なく……」

 殿下が私の顔を覗き込みながら、気遣わしげに眉を顰める。私はもやもやとした思考を振り払うように首を振った。

「実は昨日、ある可能性に気づいてしまいまして……。そのことを一晩中考えていたら、何だか頭がぐるぐるしてきてしまったんです」

 結局、結論は出なかった。私は殿下のことが、そういう、――胸のときめきを伴う意味で好きなのか、否か。

 私が俯くと、殿下は首を傾ける。

「もしかして一睡もしてないの?」

「……言われてみれば、確かに、その通りです」

「じゃあそれ、知恵熱じゃなくてただの寝不足だね」

 さすがは殿下、ご明察である。言われてみれば、確かに眠い。私は一度欠伸をすると、両手で顔を覆った。目元が暗くなると途端に眠くなってくる。

「アルカ、一応ここ人前だから、もう少ししゃんとした方が格好よく見えるよ」

「ハッ……! そうですね」

 私は慌てて顔を上げると、いそいそと姿勢を正した。殿下が満足げに微笑む。


 今日は春の定例会の日である。天気が良かったので、城の庭園、お外での開催になった。ちょうど花が盛りの時期とあって、何だかいつにも増して華やかである。何だか私までうきうきしてきちゃ……いはしない。なんたって今日の私は悩み多き、なおかつきりっと格好いい護衛官である。


「ところで殿下、」

 私は俯きがちに口を開いた。殿下は私の言葉をじっと待っている。

「その、今日じゃなくて良いんですけど……そのうち時間って取れますか」

「時間? 定例会が予定通り終われば、今日の夕方は暇だよ」

「なるほど……」

 私は片手で口を覆って考えこんだ。今日の夕方。うーん、心の準備ってやつが、まだ、こう……足りない気がしてきた。

「わざわざ前もって連絡しておくほどの用事があるの?」

「ある、と言えばあります、けど……まあちょっとお訊きしたいことが……い、いやー待ってください! そんな大した用事ではないです!」

 殿下があからさまに目を輝かせ始めたのを見て、私は勢いよく首を横に振った。殿下はしゅんと萎んで、ちらりと横目で私を見やる。何だその目は。いちいちあざといのである。



「私! 追加でデザート貰ってきますね!」

 何だかいたたまれない。勢いよく立ち上がり、私は慌ただしく皿を掴んだ。殿下は何か言おうとするように口を開きかけたが、やっぱりやめたように口をつぐむ。

「行ってらっしゃい」

「はい!」

 私は大きく頷いて、席を離れて食べ物の置いてある方向へと早足で進んでいった。


「はぁ……駄目だ……全然駄目だ……」

 全然殿下の目が見れない。私はぶつぶつと呟きながら、ちまっこく切られたケーキを皿の上に乗せる。ついでに別のテーブルから肉料理も貰って、両手に皿をキープである。

「何が駄目なんですか?」

「わっ」

 ふと肘を取られ、私は慌てて足を止めた。振り返ると、何となく見たことのある人がいる。

「えーと」

「ジルシュア家のラディルと申します。お久しぶりです」

「ああ、ラディルさん……えーと」

「昨年の殿下の誕生日を祝う夜会でお会いしましたね」

「あ! なるほど! お久しぶりです」

 誰が見ても『覚えてなかった人』みたいな反応をしてしまって申し訳なかった。いや、ちゃんと思い出したのだ。嘘じゃない。ただそれがちょっと遅れただけで……。

 ラディルさんは苦笑して、少し頭を掻いた。私は正体を思い出したので、思わず一歩下がってしまう。何かそのあとの殿下との云々で大体記憶が吹っ飛んではいるが、確かちょっといけすかない感じ? がした記憶があるのだ。


 ラディルさんは目に見えて警戒態勢に入った私に気づかないふりで、にこやかに話しかけてくる。

「アルカ嬢は、お変わりないですか?」

「今おかわりをしに来てますけど」

「ああいえ、そうではなくて」

 この両手に持った皿を見れば分かりそうなものである。かまととぶりやがって、全く。私は少しため息をついた。何故かラディルさんもため息をついた。失礼だな……。


「立ったままというのも何ですし、あちらの空いた席はどうですか?」

「……構いませんけど」

 私もいい加減両手に皿を持ったままというのは嫌である。ちらりと殿下の方を窺うと、数人の招待客と挨拶を交わしているところだった。私はそうした会話がどうにも苦手なので、話を遮るようにして今すぐ戻るのも躊躇われた。

「それでは、こちらへどうぞ」

 私の皿を一つ取り上げて、ラディルさんは滑らかな動きで私を円卓まで誘導した。


 一旦腰掛けて、皿を見下ろしてから、私は周囲を見渡す。何だか背の高い生け垣に囲まれて、見通しのきかない席に来てしまった。道理でここが空いていた訳だ、と思わず納得してしまう。

「えーと。ラディルさんはもうお食事は済ませましたか?」

「はい。とても素晴らしかったです」

「そうですか。そう言って頂けると、お城の料理人さんも喜ぶと思います」

 やはり誰が食べても、お城の食事は美味しいらしい。肉料理を一口頬張りながら、私は頷く。

「アルカ嬢は、お変わりなく……ああいや、相変わらず息災なようで良かったです」

「ありがとうございます」

 私は一応頭を下げて、少し愛想良く微笑んだ。一応私の態度ってのは殿下の評判に多少関わるし、あまり礼を失した態度というのは良くないと思うのだ。


 それからぼちぼちと世間話のようなものをして、私は肉料理を食べ終えてケーキを盛った皿に手を伸ばした。ラディルさんが、ふと首を傾ける。

「――殿下も、そろそろご婚約なさる年頃でしょうか」

 話の流れだった。殿下があっという間に成長してしまうという話をしていたところだった。

「殿下が……?」

 私は思わず、皿を持ったまま小さく呟く。ラディルさんは「ええ」と頷いた。

「あと半年もすれば、殿下も十七歳ですし」

「そう、ですね」

 ぎくしゃくと頷きながら、私は殿下について考えた。


 ふと、今までに何度か思い浮かべたことのある光景が、再び浮かび上がる。殿下が、素敵なご令嬢と一緒に、手と手を取り合う姿である。明るい聖堂で、殿下が幸せそうに微笑む様子が脳裏に浮かんだ。

「……?」

 今までは、きっと感動するだろうな、と感じていたその光景に、理由のつかない苦みが混じっている気がした。何だろうこれ、と私は胸を押さえた。



「アルカ嬢」

 ずい、とおもむろに距離を詰められ、私は思わずのけぞる。何だこいつ。

「アルカ嬢は、ご結婚など考えてはおられないのですか?」

「はは……ええと」

 私は引きつった表情で乾いた笑いを漏らした。何だか随分とラディルさんは切羽詰まったご様子である。要するにこれは私に対して誘いをかけようとしている、と受け止めて良いのだろうか。明確な言葉を聞く前に上手いこと避けたかった。

 どうやってお断りするべきか、と考えたところで、私ははたと動きを止める。――殿下のときはそんなこと考えたことなかったな。


 私が少しぼーっとしていた隙に、ラディルさんは胸に手を当て、真剣な表情で告げた。

「――私はこれからジルシュア領を継ぎたいと考えています。あなたと一緒ならそれができる。私は、あなたを幸せにできる人間だと自負しています。どうか私のところに来ては頂けませんか」

 アァー! 言われた!

 私は思わず天を仰いだ。明確に聞いてしまう前に逃げたかったのに。


「でも私、ラディルさんのこと全然知りませんし……」

「今すぐお返事をしろとは申しません。ぜひ一度うちの領地に観光にいらして頂くだけでも」

 つ、つよい。折れないハートに感嘆である。私は一度息を吸って、私が辛うじて持っているラディルさんの情報を思い返した。何とかこう……断る理由になりそうなのはなかったかな。

 ざっと基本情報を浚ったところで、ふと、以前に殿下が言っていたことを思い出す。ラディルさんが、何を気にしているのか。……それを少し咀嚼して、私は思わず「ああ、」と漏らした。



「――ラディルさん、」

 私は慎重な声で話しかけた。何だかきゅっと切なくなる。もしかしたら、私にはいまいち理解の出来ないことで、彼は一人思い詰めているのではなかろうか。

「ラディルさんは、きっと、相手が、私じゃなくても良いんですよね」

 その言葉に、ラディルさんは目を見開いた。私は唇を噛んだ。周囲の声は遠く、ここは生け垣で隔離されたような構造だ。そのことに少しだけ感謝してしまう。

 ……私は、これから、ラディルさんを傷つけるはずだ。


「お兄様の成婚、おめでとうございます」

 告げると、ラディルさんは目を見開いて、それからあからさまに苦しげな顔をした。気づかれた、とでも言いたげな苦々しい表情だった。

「それをどこで?」

「殿下に以前伺いました。かつて公爵家だった家柄のご令嬢とご結婚されたそうですね」

「……事実ですが、それが何か?」

 私は薄らと微笑みを浮かべる。こういう、家の繋がりってやつ、やっぱり私には全然分からないのだ。私に『血』という感覚はなかった。


「お兄様に勝つには、必ずしも、公爵家より上の立場――つまり王家と、結婚しなければならないのでしょうか?」

 ラディルさんがはっきりと顔を引きつらせた。私は微笑みを保ったまま、滑らかに続ける。

「でも現在の王家には男児が二人のみですもんね。それなら王家と並び立つ立場にいる託宣人を狙うって?」

「いや、そんな、」

 ラディルさんが言いつのるのを遮るように私は笑みを深めて、低い声で囁く。


「――馬鹿にするな」


 私は頬を吊り上げた。ラディルさんは口をつぐんだ。

「あなたは私の立場しか見ていない。私はあなたの身分を上げるための道具じゃないんだ。たとえあなたが私を養ってくれて、大切にしてくれて、幸せにしたいと思ってくれてたって、私が幸せになれなきゃ意味がない」

 睨みつけるような視線で、私はラディルさんを真っ向から見据えた。口元に薄ら残しておいた笑みすら落ちてしまいそうだ。

「あいにく私には、一緒にいるだけで幸せになれる御仁が既にいるんです。だから私はあなたが必要じゃない。あなただって私が必要な訳じゃないんだ」

 私は立ち上がり、長い息を吐いた。


「このお話はなかったことにしましょう。あなたが本当に次期領主になりたいのなら、私の力なんて借りずに頑張ってください」

 笑顔でぽん、と両手を打ち合わせると、ラディルさんは呆然と私を見上げた。私は思わず苦く笑った。ラディルさんの目的がどこにあったかは別として、私はわざわざ彼を傷つけるような言葉を選んで彼を拒絶したのだ。


 とはいえ、ふぅ、まあこんなもんだろう。私は腰に手を当ててため息をつく。ここまで言えば強いハートのラディルさんも諦めるはずである。

「……目が、覚めた気がします」

「それは良かったです」

 ラディルさんは憑き物が落ちたような顔で呟くと、ゆっくりと立ち上がった。良かった良かった、と私は笑顔で頷く。

 私が胸をなで下ろしている隙に、ラディルさんはテーブルを回り込んで私に近づき、真剣な表情で訴え始めた。

「確かに、私はあなたと結婚すれば、自分が兄に対して有利な立ち位置に行くことが出来ると思っていました」

「そうですねぇ」

 そっと手を取られたので、そっと手を回収しながら頷く。ラディルさんはめげない。強すぎである。


「も、もう貴族制は廃止されたんです。私が、そういう家柄とかっていうものに触れたことがないせいもあるんでしょうけど、あまりとらわれすぎるのは良くないと思います」

「そうかも知れません。……そのように言ってくれる人はあなたが初めてです」

 そう言って、ラディルさんは再び私の両手をホールドした。め、めげない! あれほど厳しめに言ったのに、まだ迫ってくる!

「私はあなたのことをもっと知りたいと思いました。どうです、これからも親交を深めていこうではありませんか」

「絶対改心してないだろお前!」

「いやいや、滅相もございません。私が抱いているのは、あなたと更にお近づきになりたいというただその一心のみですよ」

 思わずお前呼ばわりしてしまったというのに、ラディルさんは満面の笑みで私の手を握ってくる。あまりに強いハートに、逆に私の心がやられてしまいそうだ。


「ゆくゆくはぜひ私と添うては頂けませんか。あなたとなら、私はもっと良き領主になれそうです」

「駄目だこの人……駄目だ……勝てない……。何だこいつ……食いつきがすごい……」

 らんらんと目を輝かせ、ラディルさんは私をじっと見つめてくる。ラディルさんは少し眉をひそめて、「それとももう、心に決めた方でも?」と首を傾げた。

「心に決めた方……!?」

 私はぎょっとして身を引く。ぎゅ、と手を握られて逃げられなかった。やめて欲しい。


「おられないのであらば、少しくらい検討してくださっても良いでしょう」

「うぐぐ……」

 唇を噛む。心に決めた方って、それってつまり好きな人ってことだ。そこで、昨日先輩に突きつけられた可能性を思い出した。……私は殿下のことをそういう意味で好きなのか否か、である。まあぶっちゃけラディルさんと結婚するくらいなら殿下の方が百倍マシ。い、いや、そういう比較をするの良くない。良くないです。

「私はまだ若いですし、未来ある優秀な人間だと自負しています。決して悪い話ではないと思うのです」

 ずい、と距離を詰められて、私は咄嗟にガチめの声で「うわっ……」と漏らしてしまった。これには流石のラディルさんも堪えるものがあったのか、「すみません」と距離を取ってくれた。うん、恐らく悪い人ではないのである。


 この隙を逃すまい、と私は体勢を立て直した。

「……わ、私、実はですね! 好きな人がいるので! お気持ちには応えられません!」

 そう、こういうときは毅然とした態度が重要である。私は手を振り払って、威勢良く叫んだ。ラディルさんは愕然とした表情になって、その場でよろめく。

「そ、それはどちらの方ですか」

「うっ……」

 私はたじろぐ。それを見るやいなや、ラディルさんは拳を握って語調を強くした。

「私の求婚を断るための言い訳じゃないんですか? このラディル・ジルシュアがそのような雑な言い訳で引き下がると思ったら大間違いですよ。私の愛称は『カミツキガメ』です、噛みつきの素早さには定評があります」

「それ絶対愛称じゃなくて馬鹿にされてますよ」

「それはこの際どうだって良いのです」


 良くなくない? と私は思った。


 ラディルさんは咳払いを一度すると、私に人差し指をつきつけて早口で告げる。何だか本筋から逸れてきた気がした。

「架空の想い人を出されたって、私は諦めませんよ。初めはあなたの立場に引かれていたのは事実ですが、今の私はあなたをもっと知りたいと思っているのも、また事実なのです」

「う、ううう、わた、私の好きな人、実在しますし!」

「なら誰なんですか。実在するなら言えるはずです」

「うぐぐぐぐ……」


 にらみ合う。言わばここは戦場である。もはやお互い一歩も退かぬ体勢となり、私は拳を握って大きく息を吸った。――その間際、人の気配を背後に感じたが、今更止まれない。

「で、殿下ですっ! 私、殿下のこと、そ、そういうのも含めて、色んな意味で大好きなんです! あなたの入る隙なんてないんですから!」

 私はぎゅっと目をつぶり、ほとんど叫ぶようにして宣言した。


「えっ」

「ん?」


 背後で驚いたような声がした。振り返ると、殿下がぽかんと口を開いて立ち尽くしている。

「アルカ……何でその人に僕への告白をしているの?」

 思わず大きくよろめいた。足の力がふっと抜け、私はその場にへたり込みながら顔を引きつらせる。

「最悪のタイミング……」

「いや、僕からすればある意味最高のタイミングではあるんだけど」

 腰を抜かした私を、ラディルさんが「大丈夫ですか」と助け起こしてくれる。何とか立ち上がって、私は目線だけで逃亡経路を探した。――うん、どこにもない。そうか……。



 完全に腰が引けてしまった私を放置し、殿下が腕を組んでその場をざっと眺める。ラディルさんの顔に目を留め、「ああ」と呟く。

「あなたもアルカ狙いでしたね」

「『も』って……まさか殿下も?」

 殿下はにっこりと頷いた。そんなことを人前で言われると、何だか妙に照れてしまう。まったくこの人は恥ずかしげもなく……。私は思わず両手で顔を覆った。

 殿下は「ま、そういうことなので」と、私でもちょっとどうかと思うような得意満面で告げる。


 帰るよ、と殿下が私の手を引いた。大人しく従うと、殿下は満足げに頷いた。私を見送りながら、ラディルさんが低い声で呟く。

「……私の諦めの悪さを舐めない方が良いですよ」

「僕のガード能力も舐めない方が良いかと」

 意にも介さず殿下は微笑んで、それから私を見下ろした。


「――詳しい話は、またあとでしようか」

 心底嬉しそうな笑顔である。逃げたいな……と思ったが、それより早く肩に手を回されて捕獲された。こんなのエスコートでも何でもない。連行である。

「……じゃ、また今度お会いしましょう」

「もう会わなくて良いんじゃない?」

 ラディルさんに申し訳程度の愛想を振りまくと、殿下に打ち落とされる。ラディルさんが頬を引きつらせたのが、生け垣を曲がる直前に見えた。



 王家側の席に戻ると、殿下は真っ先に隊長に向かって「返事ゲット」と宣言した。隊長は「長い戦いでございました」としみじみと頷き、私に向き直る。

「――――末永く幸せにな」

 隊長が寂しげな表情で呟いて、そっと涙を拭ってしまうので、私は慌てて殿下を見上げた。

「待ってください、さっきのは売り言葉に買い言葉と言いますか、」

「でも嘘じゃないでしょ?」

「うぐぅ」

 何故か周囲からぱらぱらという拍手が聞こえる。見れば、兄君が哀れむような視線で手を叩き、その向こうで両陛下が満面の笑みで拍手をしている。……まさか殿下、兄君にも両陛下にも伝達済みなのか。包囲網の一端が垣間見えた気がした。



 ***


 定例会を終え、夕陽が射し込む部屋の中で私は寛いでいた。殿下はいつになく満ち足りた表情で、大変よろしゅうございます。


「殿下、そのぉ……」

 何から言おうか躊躇っていると、殿下は軽やかな笑い声で応じた。

「そんなに緊張しなくたって、アルカが僕のこと好きなのなんて、僕はずっと前から知ってたよ」

 殿下は当然のことを告げるようにそう言った。ぎょっとして頬を引きつらせる私を眺めると、のんびりとソファに腰掛けたまま、肩を竦める。

「そうでなきゃ半年なんて待てないでしょ?」

「どうりで殿下が余裕そうにしてると思いました」

「まさか。僕だって内心結構ドキドキだったんだよ」

「嘘でしょ、すごく余裕かましてましたもん」

「まあ、アルカが七転八倒しているのに比べればね?」

 私は思わず唇を尖らせた。結局私は殿下の手のひらでああでもないこうでもないと転がり回っていただけらしい。



「私、未だに自分でも飲み込めてないんですけど、でも、気づいたことがいくつかあるんです」

 呟くと、殿下は「ん?」と促すように首を傾けた。私はたっぷりと砂糖を入れた紅茶を両手で包み持ちながら口を開く。

「前、ウルティカに、『殿下を拒絶しようという考えはないのか』って指摘されて、……違います殿下、そんな怖い顔しないでくださいってば」

 眉間に皺を寄せた殿下に対して、私はため息をついた。

「確かに、私、殿下のときは、『どうやって応えれば良いのか分かんない』って思ってただけで、ラディルさんのときみたいに『どうやって断ろうかな』とは考えなかったんです」

 当然でしょ、とでも言いたげに笑った殿下の顔に、少し腹が立つ。むっとして視線を逸らすと、笑いの混じった「ごめん」という謝罪を頂いたので、一旦よしとする。



「よくよく考えてみたんですけどね、どう考えても私、殿下のお側にいたいんです。いつだってそれだけなんです」

 私は左の手首を見下ろしながら呟いた。そこで、複雑な模様が彫り込まれた金色の腕輪が輝いている。――これが取れるまで、私たちはずっと一緒である。

「いつか殿下が大人になってこの腕輪が取れても、私がたとえ託宣人じゃなくても、護衛官じゃなくても、それでも構いません。私、殿下のお側にいるのが幸せなんです。別にそれがどんな形であろうとやぶさかじゃないって思うんです」

 腕輪がきらりと光る。私は頬に笑みを浮かべたまま、一度頷いた。


「……私さっき気づいちゃったんですけど、これってめちゃめちゃ好きってことですよね!」


 そう言いつつ顔を上げると、両手で顔を覆っている殿下が目に入った。「……殿下?」と声をかけると、殿下は無言で頷く。その見慣れない様子に、私は愕然と目を見開いた。

「まさか殿下……照れてるんですか!?」

「照れてないっ!」

 ばん、と力強く肘掛けを叩いて、殿下が真っ赤な顔でこちらを見た。殿下は一度咳払いをして、調子を取り戻すように姿勢を正した。

「殿下、」と呼びかけると、徐々に顔色を戻しながら殿下はこちらを見る。その視線を待って、私は渾身の笑顔で言う。


「私多分、殿下のこと、沢山の意味で好きですよ」


 殿下は目に見えて顔を赤くした。へへん、たまには私が殿下を転がすのも良いものである。そう独りごちてニヤニヤとしていると、殿下は不意に立ち上がって、無言のままテーブルを回り込んで私の方まで来た。

 何だ、と私が恐れおののいていると、殿下は私の座っている長椅子に勢いよく腰を下ろす。この間無言である。いきなり隣に座られて、私は狼狽える。



 殿下はおもむろに私の左手を取って、少し困ったような表情で微笑んだ。殿下が身を乗り出し、至近距離で目を合わせて息を漏らす。

「――アルカ。僕は『多分』抜きでアルカのことが好きだから、そう威張られても困るな」

 ……完敗である。私はその場で撃沈して自分の膝に額を打ち付けた。表情といい、言い方といい、狙っているのは見え見えだが……くそ、勝てないのである。



 しかもそれが嫌じゃないのが、当面の私の悩みになりそうだった。







 殿下は私の目を見ながら、当然のように微笑む。

「式はいつにする?」

「待ってください、気が早いです」

「先見の明があるって言ってよ」

 …………。私は少しの間、どこかの虚空を見上げた。殿下はじっとそれを待っている。

「……まだもうしばらく先で」

「へえ?」

 殿下は眉を上げて、少し思案するような表情をした。

「まあ、しばらく待ってあげるよ。各種の手配はやっておくね」

「待つって言葉の意味を今一度調べ直した方が良いと思います」

 着実に外堀が埋められていく気配を感じて、私は思わず頭を抱えてしまった。


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