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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
3章 移ろいゆく殿下と私の話
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5



「うーん、美味しいですねぇ」

 私は前菜を噛み締めながら、しみじみと呟いた。以前は、腹に溜まりそうなお肉だったりパンだったりがひたすら好きだったけど、最近は野菜の良さってのも分かってきたみたいだ。これがきっと、大人になるってやつなのかな?

 そのとき私は、会場の中心辺りにある人だかりを見つけて、眉を上げた。その中心にいるのは、白い法衣を着た神官のようだ。

「……あれが、大神殿から来た人ですか?」

「そうだね。あまりじろじろ見ちゃ駄目だよ、アルカ」

 そっと殿下の方に体を傾けると、殿下は声を潜めて頷いた。私は「なるほど」とさりげなく視線を会場の隅の方に滑らせながら呟く。


「神殿には寄進という制度があるからね。神殿は寄進をした者に対してある程度の優遇措置を与えるし、金のある人間はどうしたって神殿に寄りつく」

 ははあ、なるほどなぁ、と私は会場で盛り上がっている集団を眺めながら、内心で大きく首を上下させた。少なくとも、王家と王家が擁する議会や司法が、金で動くというのはまずない。……そういうことになっている。

「大っぴらに、制度として、そんなに金を集めるのって……アリなんですか?」

「あくまで慈善活動としての扱いだし、払う側が納得の上で払っているんだから、王家が口出しすることじゃないんだよね。みんなちゃんと税も収めている訳だ、別段違法性もない」

 殿下はさも天気の話でもしているかのように涼しげな顔のまま、潜めた声で早口に言う。私は首を傾げた。


「ほーん……。王家は同じようなことは出来ないんですか?」

「貧富の差によって、王家が国民に優劣をつけるのは駄目でしょ。貴族制の廃止とか、領主の世襲が認可制になったとかの話は聞いたことがある?」

「あっ、それはあります。なるほど、……確かに、施政者の側に直接お金を渡す制度が存在しちゃうのは……うーん、駄目ですね」

 考えが浅かったです、と私は唇を尖らせる。殿下は何だか複雑そうな顔で、「アルカなら分かってくれると思ったよ」と微笑んだ。



 私がもぐもぐと食事を噛みしめていると、隣でふと殿下が姿勢を正した。釣られて顔を上げると、白い法衣を着た四人組の男性が目に入る。こちらに向かって歩いてきているようだ。私は慌てて口の中のものを飲み下すと、水で唇を濡らした。

 四人組は私たちの前で止まると、恭しくその場で膝を折って頭を下げた。城でよく見る礼とは異なる形だ。

「お誕生日おめでとうございます、殿下。息災なご様子で何よりです」

「ありがとうございます、オルジ司教」

 殿下は温和な調子で返す。私は努めて平然とした表情で、硬めの礼をした。

「アルカ様も、変わらず息災であられますか?」

 次にこちらに言葉が向けられ、私は心臓を跳ねさせながら笑顔で「はい」と頷く。司教は満足げに微笑んだ。


 殿下と司教が、穏やかな会話を交わしているのを横目に見ながら、私は会場の様子をそっと窺った。会場の多くの人数が、こちらを見つめているのがよく分かった。痛いほどの視線だ。

「――ところで、殿下」

 ふと、司教の声音が固くなったのを感じて、私は意識を近くへ戻した。殿下の横顔は、依然として落ち着き払っている。

「神殿では、武器や暴力、争いの類をなるたけ排除するのが教義となっております」

 そう言って、司教は私の方をちらりと見た。まさか私に話を振られるとは思っていなかった。私は表情に出さないまま、少し目線を強くする。


 司教は僅かに目を細めて、ゆっくりと告げた。

「神に選ばれた託宣人に、武器を持たせるというのは如何なものでしょうか」

「そんなっ……これは私の意思で、」

 私は息を飲んで腰に佩いた剣に手を当てた。殿下は制するようにちらと私を一瞥し、それから司教に向き直る。

「彼女は元々僕の護衛官でしたし、情勢を受けて、そのまま護衛官として立っていて欲しいと頼んだのは僕です。今のところ判断が間違っているとは思っていません。……前回、大神殿を訪問した帰りに、暗殺を目論む人間がいたのはそちらもご存知のはずでは?」


 殿下はあくまで落ち着いた口調で、ゆっくりと応じた。司教はやや鼻白んだように、一瞬黙り込む。

「アルカが託宣人として『神によって』選ばれた直後に、僕に向けられた暗殺事件が起こった。それを彼女が防いだことで事なきを得たのです。僕はこれを神意だと考えました」

 少しだけ、挑戦的な言い方だと思った。私は固唾を飲んで殿下を見る。司教はゆったりと目を細め、小さく頷いた。

「……なるほど、それも一理ありますね。ですが殿下、その様に軽々しく神のお心を量ろうというのは、必ずしも良いこととは言えません」



 その言葉に、殿下は一瞬黙った。思案するように、僅かに目を伏せて、それからふと視線を戻す。

「――そうですね。肝に銘じます」

 何だかわざとらしいくらい、にこやかだと思った。殿下はさも天気の話でもしているような朗らかな表情をしているし、司教もにこにこと微笑みを崩さない。司教の背後に控える……司祭だっけ? は、何だか少し苦々しげだ。多分、私の顔も引きつっている。


「神殿としては、それぞれの場合における神のお心を正確に量ることなど、できはしないと考えております。ですから、やはり託宣人に剣を持たせるのには、多少の抵抗感があるのです。――ご配慮願えませんか?」

「そうですね……。こちらとしても、波風を立てるのは本意ではありませんので」

 殿下がため息交じりに肩を竦めた。私は体を硬くしたまま、ことの成り行きをじっと見守る。何だか嫌な予感がした。

「……アルカ、」

 殿下は私を振り返った。その表情は笑っていなかった。僅かに眉根を寄せ、苦渋に満ちた声で囁く。


「――この場でだけ、剣を、外して貰える?」


 すっと、胸が冷えたような気がした。私はぐっと奥歯を噛みしめた。殿下は苦しげな表情で私を見返す。……殿下も、言いたくて言っている訳ではないのだ。

「……承知しました」

 私は剣帯から、鞘ごと剣を抜いた。手が震える。

殿下の口から、これを命じられるのはキツかった。否、……きっと私が、殿下に、言わせたのだ。

「申し訳ございません」

 司教は眦を下げて言う。私は小さな声で「いえ」と答えるしかできなかった。



 ***


 食事会を終え、独りで自室に戻った殿下の部屋から、壁を殴る音が、扉越しに、一度だけ聞こえた。「っくそ、」と、吐き捨てるように、殿下が押し殺した低い声で叫んでいた。初めて見るような癇癪だった。

 私は殿下の部屋の前で立ち尽くしたまま、黙って俯く。剣は部屋に置いてきた。私は今、殿下の護衛官じゃない。でも、それでも、私は今ここにいる。

 何度も、数え切れないほど何度も躊躇って、そして私は扉を数度叩いた。部屋の中の気配が凍り付いたような気がした。

「殿下、……私です」

 私は、ほとんど息のような声で囁く。声はぽとんと足下に落ちたようだった。こんな声じゃ殿下には届くまい。

「アルカ、」

 数秒の後、殿下は私の声を拾い上げたみたいだった。扉が開かれる。俯く私を殿下が見下ろした。


「ごめんなさい、……私の、せいで。私が我が儘を言ったせいで、殿下にあんなことを言わせて、」

 私は唇を強く噛んだ。私が護衛官を続けたいと言ったばっかりに、殿下は今日ああして決断を迫られ、そして私の意思を踏みにじる命令を『させられた』。殿下がお優しくて、私の意思を最大限尊重してくれようとしているのは、痛いほどに知っている。だからこそ、あんな命令をしなければならなかった殿下が、どうしても痛々しくて仕方なかったのだ。

「アルカのせいじゃない。上手く話を持って行けなかった僕の責任だ」

 殿下は扉の枠に手をついたまま、僅かに微笑んだ。私は右手で左の手首をなぞった。そこにはすっかり馴染んだ腕輪が嵌まっている。


 殿下があまりに苦渋に満ちた表情をしているので、私は思わず唇を噛んでしまった。何とか、殿下が苦しんでいる諸々を、少しでも取り払いたかった。

「……でもまあ、私、護衛官じゃなくても、殿下の託宣人ですし!」

 無理矢理出したみたいな明るい声でそう言って、私は殿下に向かって左腕を掲げた。きらりと腕輪が輝く。

「少なくとも、殿下のお側にはいられるんでしょう? それで十分です」

 私が満面の笑みでそう告げると、殿下は大きく目を見開いた。信じられない、とでも言いたげなこの表情は、一体どういう意味だろう。「信じてませんね?」と私は眉を顰めて腰に手を当てる。

「たとえ私が託宣人じゃなくたって、私はきっと今ここにいましたよ。だって私の大切な殿下が一人で苦しんでるなんて嫌ですもん」

 私は囁いて、背伸びをした。殿下と目線を合わせ、息を漏らして笑みを浮かべる。



「殿下、……ユリシス殿下。だから気にしないでください。――私、殿下のお側にいられるだけで、十分幸せなんです」


 それまでずっと、言葉を失ったように立ち尽くしていた殿下が、呆然としたように「アルカ」と私を呼んだ。殿下は半開きだった扉を大きく開いて、体を傾ける。入れということだろうか。

 促されるがままに部屋に入ると、殿下はぱたんと扉を閉じた。殿下はしばらく両手を腰に当てたまま黙り込むと、長い沈黙の末に呟く。

「……ごめん、アルカ、僕今もの凄く動揺している」

 待って、というポーズで手のひらを一旦こちらに向け、殿下はまず額を押さえて上を仰ぎ、それから顎に手をあてて眉を顰めたかと思うと、今度は口元を覆って私を見つめた。


 口から手を外してからややあって、殿下は目元を緩めて微笑む。

「アルカは……変わったね」

「そうですか?」

 私は首を傾げた。今の会話のどこにそんな要素があったのかいまいち分からない。殿下は「そうだよ」と大きく頷いて、机の縁に寄りかかった。



「あとね、アルカ。一つ言ってもいい?」

「良いですよ」

 殿下は人差し指を立て、軽く左右に振る。

「僕はさっき、『この場でだけ』剣を外して、って言ったんだ。それに対して向こうも特に何も言わなかったでしょ?」

「ハッ……」

 私は思わず腰に手をやった。何となく気が引けて、剣は部屋に置いてきてしまったのである。

「まあ、あっちの言い分を完全に受け入れた訳でもなく、向こうのメンツもある程度立たせたんだから、大目に見て痛めの相打ちってとこかな……はぁ」

「なるほど! さすがは殿下……!」

 あとで早速剣を取りに行こう、と思いながら、私は小さく拍手をした。殿下は曖昧に微笑んで、ため息をつく。

「とはいえ、アルカにあんなことを言わざるを得なかったのは本当に嫌だった。アルカのことも傷つけたよね。……ごめん」

「あ、ですからそれはお気にせずって言ったじゃないですか」


 私は手の平を殿下に見せて、殿下を軽く睨んだ。

「そりゃ私は殿下の護衛官として殿下をお守りしたいですけど、それと同時に、私はどんな形であれ殿下のお側にいられれば良いと思ってるんですから」

 胸に手を当てて口角を上げると、殿下は真顔で私をじっと見つめる。思う存分眺めてから、殿下は小首を傾げた。


「一応訊いておくけどさ、それ結構殺し文句って分かって言ってる?」

「え? ころ……」

「何でもない、忘れて」

 殿下はすぐさま私を黙らせると、「アルカが変な技を身につけたかと思った」とため息をついた。その耳が赤くなっているのを眺めながら、私はどうしたんだろうと首を傾げていた。



「ところでアルカ、この本貸してあげる」

「何ですか、この本……お姫様と騎士のお話?」

 手渡されたのは、何だか素敵な装丁の本である。表紙にはシルエットでお姫様らしき人物と、それに付き従う騎士っぽい人物が描かれていた。

「そう。外国の古典作品を訳したものだよ」

「外国の……。どんな話なんですか?」

「呪いにかけられた王女と、それを救おうとする騎士を描いた伝奇物語だね」


 そう答えてから、殿下は妙にじっと私の目を見つめて、「二人は身分差があり、主従関係(・・・・)にありながらも最終的に結ばれるんだ」と熱く訴えた。よほどお気に入りの本らしい。

「ふーん……えーと、素敵ですね……」

「この、ものすごく微妙な反応に、何だか僕までコメントに困っちゃうね」

 殿下は笑顔で腕を組んだ。何か言いたげな顔をしているが、何も言わないので今は用はないらしかった。




 借りた本を片腕で抱えた私は、閉じたままの扉を振り返る。

「じゃあ私、剣を取ってきますね! 何だか腰がスカスカしてたところなんです」

「うん、行ってらっしゃい」

 殿下はひらりと手を振って、私を見送った。扉が閉まる直前、殿下が何事か呟いたのが、少しだけ見えた気がした。


「――ま、一歩前進、かな」

 どうやら殿下は少し、微笑んでいたようだった。


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