第八十九話:フリーター、ドワーフの少年を助ける
ローグ山の内部、洞窟深部。
行方不明のジーナのモノらしき小さな足跡が点々と続く枝道。
俺は洞窟トロルに背後から斬りかかる。
「グェェエエエエーーーーッ!!」
腿や腱に深手を与えると、洞窟トロルは雄たけびをあげながら倒れる。
間髪入れず、俺は怪物の胸をひと突きしてトドメを刺す。
怪物の身体は、地竜デュカキスと同じくらいデカい。だが、その肉は比べものにならないくらい柔らかかった。必殺の「畜生」が不要なくらいにはね。
<むっ、領主リューキ殿。拙者を呼びましたかな?>
<呼んでないよ。てか、俺が「畜生」って思い浮かべるたびに反応するんだね。実は「畜生剣」の名前が気に入ったとか?>
<むお! そうではござらん! ですが「畜生」と声をかけていただく度に全身に力が漲り、気持ちが高揚するのでござる。我ながらどうしたものかと……>
畜生剣こと、土の精霊のドムドムが答える。
うっかり「畜生剣」と名付けてしまった俺が言うのもなんだが、ドムドムは複雑な心境なのだとあらためて分かった。
むむむ……ほんと、すんません。
「だれ? ジーナちゃんなの?」
洞窟トロルが掘っていた穴から声が聞こえる。幼い少年らしき声は震えていた。
「俺たちはジーナの友だちだよ」
「なにを言うのじゃ、リューキはジーナの夫ではないか。子どもに嘘をついてはイケないのじゃ!」
俺の発言はエル姫に訂正されてしまう。
いやまあ、エル姫の言う通りかもしれないけど、こんなタイミングで言わなくてもいいと思う。エル姫は妙なところでマジメだね……まあ、いいけどさ。
「ジーナちゃんの友だち?」
喜ぶ声とともに少年が穴から飛び出してくる。少年は、ヒトでもオークでもゴブリンでもない、はじめて見る種族だった。
「ふむ、ドワーフ族か」
エル姫がボソリと言う。
「ドワーフって、俺たちワーグナー家と何度も揉めてるっていう?」
「そうじゃ。まあ、揉め事は大人の事情であって、子どもは無関係じゃがのう」
少年の背丈は一メートル少々と小柄ながらも、肩幅は俺よりも広く、腕も太い。そんな逞しい身体つきに対し顔は幼く、実際の年齢は十歳くらいと思われた。
「ほんとにジーナちゃんの友だちなの?」
「そうだよ、俺はリューキっていうのさ。俺たちはジーナを探してるんだけど、坊やはジーナがどこに行ったか知らないかい?」
「わかんない。大っきなトロルに追っかけられたとき、はぐれちゃって……」
ドワーフの少年がべそをかきだす。
涙をぬぐう少年の右肘には、血が固まった跡があった。
「なんじゃ、ケガをしておるのか? ん、もしや……」
エル姫が懐から布切れを取り出す。洞窟内で拾ったジーナのハンカチだ。
「あっ! ジーナちゃんのハンカチだ! 血が出たとこをジーナちゃんがしばってくれたんだよ! けど、トロルから逃げてるときに落っことしちゃって……」
懸命に涙をこらえるドワーフの少年が、ジーナのハンカチをじっと見つめる。
視線の意味を察したエル姫が、少年の傷口をハンカチでしばると、少年はうれしそうな顔を見せた。
「お姉ちゃん、ありがとう! あれれ!? お姉ちゃんはジーナちゃんにすっごく似てるね!」
「ふふ、そうじゃろう。わらわとジーナは従姉妹同士じゃからのう。わらわのことは、エルと呼んでくれなのじゃ」
「エル姉ちゃんかー! ぼく、マリウスっていうんだよ!」
「ほうほう、マリウスか。カッコいい名前じゃのう」
エル姫に優しくされたせいか、次第にマリウスの顔から緊張の色が消えていく。
そんなふたりの様子を眺めていると、俺の肩に乗る風の精霊デボネアが小声でささやいてきた。
「リューキはん。小さな足跡はジーナはんやなくて、マリウス坊やとちゃうか?」
「そうみたいだね。参ったなあ、ジーナを探す手掛かりがなくなっちゃったよ」
俺は、思わずため息を漏らしてしまう。
直後、クゥッとかわいい音が聞こえてくる。誰かのお腹が鳴った音だ。
「エル、腹でも減ったのか?」
「わ、わらわではないぞよ! 淑女は、そんなはしたない真似はせぬのじゃ」
「ごめんなさーい、ぼくのお腹が鳴っちゃったの。ジーナちゃんにお菓子を分けてもらってから、まる一日なにも食べてなくって……」
俺は収納袋を取り出す。腹が減っては戦はできぬ。というか、良い考えが思い浮かばないだろうからね。
「ひと休みしようか。マリウスが好きな食べ物はなにかな? 肉でも魚でもなんでも言ってくれ!」
「そうじゃそうじゃ! マリウスよ、遠慮することないぞ! リューキの出す食べ物はどれもこれも美味なのじゃ! というわけで、わらわはオイルサーディンの缶詰を希望するのじゃ!」
「わかったよ、ほら! で、マリウスは?」
「ぼく、お菓子食べたいなー! ジーナちゃんとチョコレートってお菓子を半分こしたけど、すっごくおいしかったんだ!」
「そうか、疲れたときは甘いものが一番だからね」
俺は板チョコを一枚差し出す。
マリウスは包み紙を開け、うれしそうにチョコレートを頬張る。
「おいしーい! エル姉ちゃん、リューキのおじちゃん、ありがとう!」
罪のない差別に俺は傷つく。
……少年よ、ちょっと待ってくれ! 確かに俺はおっさんだ。三十四歳の立派なおっさんだ。いや、立派かどうかはともかく、まごうことなきおっさんだ! けどな、エルだって若くないと思うぞ! 彼女は魔人だ。俺よりもずっと年上だ。そうは見えなくても、俺の婆ちゃんよりも長生きしてるはず。なのにエルは「お姉ちゃん」で、俺は「おじちゃん」か? なぜだ? 見た目か? うん、そうだね。じゃあ、仕方ないか。けどさ、チョコレートあげたんだから、俺も「お兄ちゃん」にしてくれないかな?
『むおっ! 拙者、領主リューキ殿の懐の狭さに驚愕したでござるぞ!』
ん? ドムドム……じゃなくて、畜生剣じゃないか? どうやって俺の妄想の中に入ってきた?
『リューキはん。精霊との同調率が高うなったら、交流できるんやで』
な!? デボネアもか! くっ、ひどいじゃないか、俺にプライベートはないのかよ! 畜生!
『むおっ? 拙者を呼びましたかな?』
呼んでないよ!
『リューキはん、安心せい! もっと創造力を鍛錬すれば、交流だけやなくて遮断もできるようになるんやで!』
そうなのか! やり方を教えてくれ!
『魔人になるんや! まずはそっからや!』
『むおっ! リューキ殿! 頑張るでござるぞ!』……
意識が戻る。久々に妄想した気がするが、不完全燃焼だ。いや、完全燃焼する妄想ってのもおかしいか。うむ……しばらく妄想タイムはお預けだね。
「リューキのおじちゃん、大丈夫? 急にボンヤリしたから心配しちゃったよ」
「マリウス。心配いらないよ、おじさんはちょっと疲れてるだけさ」
俺は己の現実を認める。そうとも。せいぜい百歳少々しか生きないヒト族なら、三十四歳はおじさんだ。千年生きる魔人族の百歳、二百歳とは見た目が違っても不思議ではない!
いや、待てよ? 俺はこれから魔人になるんだよな? 千年生きる魔人で三十四歳ってことは……
「まさか! 魔人の三十四歳は、ヒトの三歳相当か!?」
俺は己の未来に驚く。
……なんてこったい! 腰が痛え!とか、肩が凝った、なーんて言ってる三十四歳のおっさんが三歳児になるのか? 小っちゃいおっさんだな。いや、三歳児はおっさんではないな。お兄さんか? いやいや、お兄さんを飛び越してお子さまだな。ん? てことは普通の異世界転生モノみたいだな。おお、ファンタジーの王道っぽくなってきたな。親父が書いたファンタジー小説には異世界転生モノはなかったけど、俺は知ってるんだぜ! なにしろネットカフェが俺の住まいだったからな!
『リューキはん。盛り上がってるとこ悪いけど、魔人になってもリューキはんはチビッ子にならへんで。見た目は若返るかもしれんけど、ほとんどいまのまんまや』
うおっ、デボネアか!? てことは、俺はまた妄想世界に入ってしまったのか。てか、ぜんぶ筒抜けかよ! 恥ずかしいじゃないか!!
『む、リューキ殿。頑張ってくだされ……』
ドムド……畜生剣。本気で同情しないでくれ、なんだか泣きそうだよ……
ふたたび意識が戻る。右手にぬくもりを感じる。心配そうな表情をしたマリウス少年が俺の手を握ってくれていた。
「リューキのおじちゃん、大丈夫? 頭痛いの? お腹痛いの? あ、そうか。ジーナちゃんのことが心配なんだね。ぼくもだよ……」
マリウス少年の目に涙がにじむ。純粋で、まっすぐな瞳。
おかしな妄想が頭の中を駆け巡っていた俺は、自分自身が情けなくなってきた。
「……マリウス。俺たちはジーナを探すけど、洞窟のなかは危険がいっぱいだ。まずはマリウスをお家に送り届けてあげるよ。お家までの道は分かるかい?」
「わかるけど……もしかしたら、途中でお父さんやお父さんのお友だちに会っちゃうかも……」
「『会っちゃう』? どういう意味かな? マリウスはお家に帰りたくないのかい? 洞窟で迷子になってたんだと思ってたけど、違うのかい?」
「ぼく、じつは、お父さんとケンカして家出したんだ。ぼくはキレイな剣を作りたいのに、お父さんはそんな武器はダメだって言うんだ……」
マリウス少年は悔しそうな表情を浮かべ、うつむいてしまう。
そういえばドワーフ族は鍛冶や石工の職人集団だという話を聞いたことがある。マリウスは子どもとはいえ、刀鍛冶にこだわりがあるのだと漠然と思った。
「でもね、お父さんはマリウスのことをすごく心配してると思うよ。マリウスがジーナを心配してくれてるみたいにね」
「うん……そうだよね。わかった! リューキのおじちゃん、ぼく、お家に帰るよ。お家に帰って、お父さんにジーナちゃんを一緒に探してってお願いするよ!」
「それは頼もしいな。マリウスのお父さんや友だちに手伝ってもらえれば、ジーナは早く見つけられると思うよ。ひとりでもふたりでも人手は多い方がいいからね」
「ひとり? ふたり? 違うよ! お父さんのお友だちは何百人もいるよ!」
マリウス少年があっさりと言う。
対して俺は、すぐには返答ができなかった。
「ぼくのお父さんは、ゲルト・カスパーっていうんだ。ドワーフ族で一番大きなカスパー家の族長なんだよ! お父さんが声をかければ、たくさんのお友だちが助けてくれるよ!」
マリウス君、いや、マリウス・カスパー君よ……
「お父さんのお友だち」は、本当の意味での「お友だち」ではないと思うな。それにしても、ジーナを探す人手は欲しいけど、ホントに頼んで大丈夫かな。
俺はドワーフ族随一の部族長の御曹司とお知りあいになってしまった。
まったく……ジーナはどこへ行ってしまったのだろうかね?
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