第八十六話:フリーター、生死の境を彷徨う
目が覚めると見知らぬ場所にいた。
緑のない、岩だらけの荒涼とした世界だ。
空は厚い雲に覆われ、あたりは薄暗い。
暑くもなく寒くもなく、身体はどこも痛くないが、快適からは程遠い気分だ。
俺は洞窟のなかで地竜と死闘を繰り広げていたはず。
なんでこんな物悲しい荒野にひとりで立っているんだろうね? さっぱりだ。
悩んでも仕方ないので、俺はあたりを探検することにした。
なーに、そのうちなにかわかるだろう。テイク・イット・イーズィーだ!
なんとなくこっちかなと思う方向に進む。薄気味悪い石積みの小山がいくつも見えてくるが、ヒトの気配はない。それでもひたすら歩き続けると、大きな川にぶつかる。川辺には観光地の川下りに使われていそうな細長い舟があり、ほぼ満席だ。
「兄ちゃん、乗るかい? 舟賃は六Gだぜ」
舟に近づくと、船頭らしき男に声をかけられる。
男の顔は髭もじゃで、すこぶる厳つい。背丈は俺の胸くらいまでしかないが、身体付きは尋常でない厚みの胸板を持つ筋肉ダルマ。その男は、俺が良く知るオーク族だった。
「グスタフ隊長に似てるな」
思わずつぶやいてしまう。
そんな俺の言葉に、オーク族の男が強く反応する。
「グスタフだって? 兄ちゃんはワーグナーから来たのか?」
「そうだよ。俺の名前はリューキ・タツミ。ワーグナーの領主だ」
俺は素直に答えてしまう。なぜだか分からないが、オーク族の男には正直に答えないといけない気がした。
「ワーグナーの領主だって!? そんなバカな……いや、渡し守のオレに嘘をつくわけないか……」
グスタフ隊長に似た男が、ぶつぶつと独りごとを言う。見た目だけでなく、野太い声までグスタフ隊長にソックリな気がした。
「つかぬことをお伺いしますが、あなたは洞窟で竜を退治しませんでしたか?」
乗船客のひとりが尋ねてくる。
俺と渡し守の男の会話に割り込みながらも、やたらと腰が低い態度の乗船客は、一見するとトカゲのように見えた。
その、全身が黒く、頭に角が一本あるトカゲ男は、舟を降りて近づいてくる。
「リューキさんと仰いましたね。あなたは洞窟で竜を退治しませんでしたか?」
トカゲ男が質問を繰り返す。
丁寧な口調ながら、なにがなんでも答えを知りたい感じだ。
「確かに凶暴な地竜は退治しましたが、それがどうかしましたか?」
「やはりあなたでしたか! おーい、みんな来てくれ! この方が僕たちの恩人だよ! 龍殺しのリューキさんだ!」
舟の乗客が全員降りてくる。三十名ほどか。てか、みんなトカゲ男。ワイワイガヤガヤ騒ぎながら俺を取り囲む。しかも涙ぐんでもいる。ありがとうありがとうと言いながら、俺の肩や背中をバシバシ叩く。
「どういうことですか?」
「リューキさんは僕たちの恩人なんです」
「ですから、感謝される理由が分からないんです」
「これは失礼しました。あらためて自己紹介させていただきます。僕の名前はデュカキス。下位ですが、これでも地竜の一族です」
低姿勢のトカゲ男から、センセーショナルな自己紹介を聞いてしまう。
えーと、その……デュカキスって、親父が書いたファンタジー小説に出て来る『変異龍デュカキス』のことかな? いやいや、まさかね……
「あなたと同じ名前の地竜の話を聞いたことがあります。『変異龍デュカキス』って知ってますか? 勇者ハンベエに退治されたらしいけど」
「いえ、それは違います」
「はは。ですよねー」
「はい。僕を退治したのは勇者ハンベエではなくて、勇者ランベルトです。結構昔の話なので、名前が誤って伝わったんですかね」
デュカキスを名乗る地竜に、勇者の名前を訂正されてしまう。
てことは、つまり、俺の目の前にいる気が弱そうなトカゲ男が変異龍デュカキスの本物ってこと?
マジですか?
どういうことですか?
俺の困惑を察したのか、地竜デュカキスの仲間のひとりが助け舟を出してくる。
「デュカキス君。キチンと説明しないから、リューキさんが混乱しちゃってるよ。君は『地竜デュカキス』だけど、『変異龍デュカキス』とは違うんだからさ」
「リュカキス君。助言してくれてありがとう! リューキさん。実はそういうことなんです。僕は『地竜デュカキス』であって、『変異龍デュカキス』は僕たち全員のことなんです」
「いやいや、余計に分からないよ」
その後、なんやかんやと説明を聞いて、俺は『地竜デュカキス』と『変異龍デュカキス』の違いを理解した。
要するに、こんな感じだ。
ーーかつて、遥か南方の僻地に、下位の地竜たちが住む村があった。
身体が小さく、力も弱い彼らは、外敵から村を守るのに汲々としていた。
ある日、村を訪れた旅の女が奇妙な話を持ち掛けてきた。
ローグ山の洞窟には、体内に魔素をたっぷり蓄えた生き物が生息する。それらを食せば、下位の地竜といえど大いなる力が得られる。さすれば、村は安泰だと……
純朴な地竜たちは話を信じた。
女に従って、デュカキスを含む三十名の若者がローグ山に向かった。
女の話のとおり、ローグ山の洞窟にはエモノがたくさんいた。地竜の若者たちはネズミ、トカゲ、ヘビなどを片っ端から捕え、食べた。身体に力が漲るのを感じた地竜たちは、一層、魔素を体内に取り込んだ。だが、魔素を摂れば摂るほどに、むしろ飢えを覚え、意識が混濁していった。
気づけば旅の女はいなくなり、洞窟の入り口も塞がれていた。
目ぼしいエモノを捕り尽くしたうえ、魔素中毒で正常な思考能力を失った地竜たちは、ついには互いの身を喰らいあうようになった。地獄のような同族食いを最後まで生き延びたのがデュカキス。否、純朴で気の優しい『地竜』のデュカキスではなく、仲間の魂をその身に取り込み、『変異龍』に変貌したデュカキスだった。
それから百年ほど経ったある日。変異龍デュカキスは勇者ランベルトに倒され、地竜たちの魂は解放されたーー
「マジかよ……じゃあ、デュカキスさんたちは幽霊みたいなものか?」
「そのようなものです。僕たちの魂は勇者ランベルトに救っていただきました。まあ、何者かに召喚されてまた魔界に戻ってきちゃいましたけどね」
「召喚された? すると俺が倒した竜の正体はもしかして?」
「禁忌の召喚術によって復活を遂げた死龍です……お分かりになりましたか? リューキさんは、勇者ランベルト同様に我々を救ってくださった恩人なのですよ」
「分かったっていうか……って、もしかして俺も死んじゃったのか!?」
「いえ、正確には死にかけている状態です。この舟に乗って川を渡れば黄泉の国です。さあ、共に参りましょう」
地竜デュカキスが優しく言う。ソフトな口調だが、拒絶を許さない態度。途端に胸の鼓動が早くなり、全身の血液が沸騰するかの如く、熱くなる。苦し気な表情を見せた俺を心配したのか、デュカキスが近づいてくる。
俺は地竜を強く押し返す。
否、俺ではない。
俺のなかに生きる魂の欠片の持ち主だ。
その頼もしき守護者が、俺の口を使って宣言する。
「あん!? いい度胸だね! あたいのリューキを連れて行くってのかい?」
そう。俺の口から飛び出たのは守護龍ヴァスケルの声だった。
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