第八話:フリーター、出撃する
「我が領主、地獄の底までおつきあい致します」
「!!!」
……怖い夢を見た。
ひどい寝汗をかきながら飛び起きる。これで三日連続。ひと晩に何度も目覚めるので、十回以上同じ悪夢を繰り返している。
「我が領主、おはようござい……」
「あ、ひいっ!」
洞窟の奥から悪夢の主人公、女騎士エリカ・ヤンセンが不意にあらわれる。
俺は思わず情けない声をあげてしまった。
「我が領主、どうかされましたか?」
「エリカが暗がりから急に出てきたから、敵が侵入したかと思ったよ」
「ヒドイです! 私は女騎士。見た目もふるまいも、ゴブリンより何万倍も洗練されていますわ!」
俺が軽口をたたくと、クールなはずの女騎士エリカがムキになって反論する。
彼女は両手を胸の前にそろえて、祈るような格好で首をプルプルと振るわせる。ちいさな子どもがイヤイヤするような仕草をしたあと、女騎士エリカはハッと我にかえり、恥ずかしそうに後ろを向いてしまう。
え、マジか? いまの反則レベルのギャップはなんだ!?
俺は幻でも見たのか?
身体を甲冑で包んだクールな美女が幼女のように拗ねる姿に、俺はギャップ萌えを感じてしまった。
エリカがときおり発する殺気は尋常でないが、こんな仕草を見てしまうと中味は普通の女の子だと思った。
うん……エリカとは気軽に話せるようになりたいな。
少し時間はかかりそうだけどね。
「それで、エリカ。何の用だい?」
「はい。我が領主に朝食をお持ちしました」
「ありがとう。エリカも一緒に食べないか?」
「お気持ちだけで結構です。護衛の任務がありますので」
食事の誘いをあっさり断られる。
エリカは護衛の仕事中だし、仕方ないよね。くすん。
ちなみに誰の護衛かというと、もちろん俺の護衛だ。
当初は気づかなかったが、ワーグナー城を出たあと、エリカ・ヤンセンは常に俺の身辺に気を配ってくれていた。
味方のオーク兵といえども、不用意に近づこうとすればエリカの放つ殺気で身をすくめた。洞窟内のコウモリらしき生き物は、俺の周囲数メートルを舞っただけで真っ二つになった。物理的な警護だけでなく、食事や飲み物すらエリカが仲介してくれた。
ええ、ありがたいことです。
文句なんかありません。これ以上なく頼もしいです。
たまに、ちょっと怖いだけです。
エリカ・ヤンセンの鋭い視線を感じながら、俺は朝食を食べ始める。
黒パン、干し肉、ミルクーー俺の朝飯だ。
はい、毎朝おいしく頂いています。文句なんかこれっぽっちもありません!
……すいません、自分、嘘をつきました。
石のように固いパンと筋張った干し肉は改善の余地があります。エサが悪いのか、ミルクは青臭く水っぽいです。戦が終わったら食糧事情を改善しなければなりません。領地を治めるには内政も重要です……
「リューキ殿はどうかしたのか? 何かブツブツ言いながら朝メシを食ってるが」
「グスタフ隊長。我が領主は時々こうなります。何か考えをまとめているのでしょう。気にしないでください」
「わかった。相談したいことがあるから、邪魔させてもらうよ」
オーク・キングのグスタフ隊長があらわれ、お中元のハムサイズの干し肉をムシャムシャ食べながら、俺に話しかけてくる。歯が丈夫で羨ましい。
「リューキ殿。食事中に悪いが、少しよろしいか?」
「かまわない。戦のことか?」
「そうです。三番隊が夜襲を仕掛けて敵本陣の食糧庫を焼きました。周辺の部隊から支援が届かず、逃亡兵が続出しています」
「腹が減っては、戦はできぬか」
俺の言葉にグスタフ隊長がニヤリと笑う。
「リューキ殿はホント面白いことを言う。で、本題ですが、敵本隊が移動します。ブリューネ村を引き払い、食糧事情がマシなバルゼー村に向かうようです」
「バルゼー村って、確か?」
「はい。一千の兵が籠っている村です。敵本隊のゴブリン兵と仲は良くないですが、さすがに追い返しはしないでしょう。敵本隊を叩くならば合流前です」
「そうか、健闘を祈る」
「みんな、リューキ殿に戦いぶりを見てもらえるのを楽しみにしている。オレたちの勇姿を間近で見て目に焼き付けてください!」
グスタフ隊長を見送るつもりが、当然のように俺も同行する話になる。
まあ、そりゃそうなるよね。
◇◇◇
身を潜めていた洞窟を出る。
洞窟の出口のまわりは、樹高二、三メートルの針葉樹の森が広がる。木々の隙間からは朝の陽ざしが見える。戦に向かうのでなければ清々しい気持ちになっただろう。
グスタフ隊長が先導する一番隊は、敵と遭遇しないよう険しい間道を進む。間道は獣道のごとく狭いうえに足もとも悪い。山道に慣れたオーク兵すら足を滑らし、あわや谷底へ転落という事態もしばしば。それでもオークの精鋭たちは歩みを緩めることなく進軍する。
強行軍の末、昼過ぎには峡谷を形成する崖の上に到着する。
グスタフ隊長の話では、ここでダゴダネルの軍勢を待ち伏せるのだという。
俺は棚のように突き出た崖の端に立ち、眼下に隘路を眺める。谷底から吹き上がる冷たい風を頬に感じる。いやむしろ、風以上にビル十階ぶんはある崖の高さにゾクリとする。
崖の上で二時間ほど待つと、隘路を進む敵部隊が見えてくる。
すぐさま、グスタフ隊長が興奮を隠しきれない様子で俺のそばに寄ってきた。
「リューキ殿、敵の大将が崖の真下を通りかかったら一斉に攻撃を仕掛けます。準備してくだされ」
準備? 戦う準備だよな。
だが、あいにくと俺は手ぶらだ。武器はない。心の準備は永遠に整わない。
とりあえずソフトボール大の石を拾う。
遠くに投げるのはムリだが、崖下の敵に向かって投げ落とすくらいは可能だ。
「我が領主、必ずや敵の大将を生け捕りにしましょう。そして、身代金を要求しましょう!」
「身代金?」
「はい。我が領主の自己犠牲の精神は尊いですが、私はリューキ殿の治めるワーグナー領を見たくなりました。せめてローン半年分の身代金は得たいものです」
女騎士エリカ・ヤンセンが意味不明なことを言う。
身代金が捕虜の対価なのは理解できるが、なぜ俺のローンの話が出るのだろう?
そもそも俺の自己犠牲ってなんだ?
「ローン半年分の身代金? ローンは月一万だから、半年分というと六万だね?」
「そうです、六万Gです。城の金庫には二千Gしか残っていないと聞きました。敵の大将を死なせてしまうと身代金は一千Gが精々でしょう。最初のローン支払いを乗り切るには、敵の大将を生け捕りにして身代金を獲得するしかありません。……まったく、リューキ殿はひとが好すぎます。ご自分のローンの支払いを無視してオークたちにお金を渡してしまうなんて」
なんと! 城のローンの月一万は、一万円ではなく一万Gだった。
よくよく考えたら当たり前か。
俺が手に入れた物件は日本ではなく、この摩訶不思議な異世界にある。当然、通貨の単位は異なる。なぜいままで気づかなかったのか……
「女騎士エリカよ。そんなリューキ殿だからこそ、オレたちは従ってるんだ。オレは元領主のジーナ様のことはいまでも敬愛してる。だが、自分の生命を賭けてでもオーク族のために行動してくれたリューキ殿のことは崇拝してしまった。もうリューキ殿以外の領主は考えられねえ!」
「グスタフ隊長! ジーナ様にはジーナ様のお考えがあって……」
「分かってる。だがな、オレだけじゃなくて、これはオーク族全体の嘘偽りない思いでもあるんだ」
オーク・キングのグスタフ隊長が照れ臭そうな表情を浮かべる。照れても変わらず怖い顔。怖いけど、澄んだ目で俺を見る。俺も照れ臭い。いや、照れてる場合じゃない。
そう。ダゴダネルの大将を生け捕りにしなければ俺の生命は尽きてしまうのだ。
なんじゃそりゃ!? 聞いてないぞ!
畜生!!
こうなったら何が何でも敵の大将を捕まえてやる。
身代金をたんまり取ってやる。
そうとも、やってやるぞ!
ソフトボール大の石をしっかりつかむ。いつでも放り投げられるように、眼下の隊列を目測する。護衛する兵に囲まれて、漆黒の鎧に包まれた大柄な男が歩いてくるのが見えた。
「リューキ殿、あれが敵の大将。ホブゴブリンのムタ・ダゴダネルです」
金貨六万Gの男が近づいてくる。
あと少し。もう少しで俺たちの真下に来る。
逃がすものか。殺しはしない。生きたまま捕まえてやる。
さあ来い! 降伏しろ!
おとなしく捕まりやがれ!
「リューキ殿の目に力が籠ってきましたな」
「我が領主、地獄の底までおつきあい致します」
グスタフ隊長が小さく合図を送ってくる。
俺は立ち上がる。
オーク兵の精鋭、一番隊の面々が俺を見つめる。
俺は深呼吸する。天を仰ぎ、あらん限りの声で指示を飛ばす。
「いけ! やっちまえ! 奴らを打ちのめせ!」
俺は敵の大将めがけて石を放り落とす。
ソフトボール大の石は、吸い込まれるように敵将に命中する。
崩れ落ちる漆黒の鎧。ホブゴブリンのムタ・ダゴダネルは起き上がれない。
ちょっ、待ってくれ!
なぜ当たる!
クジ運悪いくせに、なんでこんな時だけ当たるんだ!
オーク兵が放つ矢、投げ落とす岩や丸太にゴブリン兵たちは大混乱に陥る。
大将のムタ・ダゴダネルはパニックを起こした敵兵に踏みつけられる。
マズイ、このままでは奴は死んでしまう。
奴が死んだら身代金がもらえなくなる!
ローンが払えなくなる!!
俺の生命も尽きてしまう!!!
無意識のうちに俺は崖を駆け降りはじめる。
女騎士エリカ・ヤンセン、オーク・キングのグスタフ隊長をはじめ、一番隊の精鋭たちが続く。
五百のゴブリン兵が算を乱すなか、俺たちは敵の大将の生命を助けるため突撃していった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本筋は変わりませんが、何か所か修正しました。。