第七十五話:フリーター、精霊を叱る
黒檀の塔を出て、庭園を歩く。
エル姫が言うには、温泉に用事があるとのこと。ジーナを探すのと何の関係があるのか分からないが、行けば分かるらしい。なんだろうね? さっぱりだ。
道中、エル姫が話しかけてくる。風の精霊デボネアを召喚した話だ。
「ワーグナー紙?」
「そうじゃ。ジーナにもらったワーグナー紙で超一級品の神紙が作れたのじゃ。ダゴダネルで手に入った低品質の紙では三級品の神紙しか作れなんだから、スゴイことじゃぞ」
「今回は超一級品の神紙を使ってデボネアを召喚したってことか?」
「そのとおりじゃ!」
風の精霊デボネアに視線を向ける。
白磁の塔で会ったデボネアはかわいらしい小妖精の姿だったが、目の前にいるデボネアは人間の少女くらいの背丈がある。同じ召喚でも神紙の違いで外見も変わるのだと、あらためて理解した。
「なんや! うちがあんまりカワイイもんやから惚れよったか?」
「そうじゃないけどさ。てか、デボネアは俺の守護精霊になってくれるみたいだけど、早いモノ勝ちみたいに言ってたよな」
「なに呑気なこというてんねん!? リューキはんは古龍の力を借りて、一時的に竜人になってるだけやないか! あんさんが魔人になってさっさと龍の魂を返さんと、古龍はいつまでたっても目覚めないんやで!」
「マジか!? なら、守護精霊はデボネアでいいや。よろしく頼むよ!」
「なんやて!? うちでもイイって言い方はないやろー!! でもまあ、リューキはんがうちを選んでくれるんなら……」
「いけません! 勝手に話を進めるのは許しません!!」
突然、叱責する声が飛んでくる。
声がした方を見ると、高貴そうな顔立ちの女性が温泉で半身浴していた。その三十代前半くらいの女性は、ちゃぷんと音を立てながら温泉から上がる。けど、どう考えても人間ではない。うん、全身が半透明な女性が人間であるはずがない。もしやグスタフ隊長がビビっていた幽霊さんの正体か?
「あなたは何者です?」
「あら? リューキさんは、ワタクシのことを忘れてしまったのですか? ヒドイ殿方ですね。このような仕打ちを受けたのは何万年ぶりかしら」
「リューキよ。失礼じゃぞ! こちらにおわすのはエフィニア殿下じゃ。ダゴダネルの街の大火災で助けてもらったじゃろう? デボネアと一緒に、わらわが召喚したのじゃ」
「ダゴダネルの……あっ! 水の精霊の殿下でしたか。エフィニアさんと仰るんですね。その節はお世話になりました」
「ワタクシのことを思い出してくれましたか。うれしいですね。約束も覚えていますか?」
「そういえばエルがなんか約束してましたね。エル、殿下となにを話したんだ?」
「エフィニア殿下はリューキの守護精霊となって異世界滞在を楽しみたいそうじゃが……」
エル姫の回答に、風の精霊デボネアが強く反応する。
「なんやてー!? リューキはんの守護精霊はうちがなるんや! いくら水の精霊の女王様でも譲るつもりはないわー!」
「デボネアさん。風の精霊の姫がワガママを言うものではありませんよ。ワタクシの方が先に約束をしたのですから」
「エル姫はんとの約束やないかー! うちはリューキはんから直接頼まれたんやでー! うちがリューキはんと一緒にあちこち遊びに行くんやー!」
「そんな話は無効です。ワタクシとの約束の方が優先です」
「アホいうなー! そんなん認めんわー!!」
「あらあら……風の精霊の姫ともあろう者が品のないこと。ワタクシと風の精霊の女王はお友だち。代わりに教育して差しあげますわ」
「ぬかしやがれー!!」
ごうごうと風が吹きはじめる。庭園のなか、視界に入るだけでも大きな竜巻が三つ発生する。風の精霊の姫君、デボネアの仕業だろうか。
ざあざあと雨が降り始め、ゴロゴロと雷の音が近づいてくる。水の精霊の女王、エフィニア殿下がやっているのだろうか。
「デボネアもエフィニア殿下も止めるのじゃ! ふたりが本気でケンカしたらお城が壊れてしまうのじゃ!」
「エル姫はん! 止めてくれるな! うちは負けへんでー!」
「エルさん。お話が違いますわね。デボネアさんを教育したあと、少しお時間よろしいかしら?」
「ひっ! ひぃいいぃーーッ!?」
赤、黄、橙、紫など、カラフルな色彩の花びらが千切れながら舞う。殴りつけるような激しい雨に打たれ、樹に生っていた果実が地面に落とされる。稲妻が直撃した樹木はメリメリと大きな音をたてながら倒れる。「ふぎゃーっ!」とシッポを踏まれた猫みたいに悲鳴をあげ、エル姫が抱きついてきた。
「ああ、俺の楽園が壊されていく。温泉、花いっぱいの庭、たわわに実った果実……」
俺はがっくりと肩を落とした。それから徐々に、怒りがこみあげてきた。
……おまえら、なんてことするんだ! 守護精霊になりたいなんて言いながら、ホントの目的は違うじゃないか! エフィニア殿下とやら、「異世界滞在を楽しみたい」だと? 観光気分かよ! ふざけるな! デボネア、お前もだ! 俺を早い者勝ちの特売品みたいに言うな! ったく、エルもエルだ。テキトーな空約束を連発した挙句、「あとはよろしく」みたいに丸投げするんじゃない! はいはい、どーせ俺はしがない人間だよ。いや、いまや竜人。平々凡々な能力の凡竜人さ。精霊の女王やお姫様、高貴な生まれの貴族様に比べれば取るに足らない存在だ。けどなあ、俺は俺なりに……
「プリンセスぱーんち!」
アホっぽい掛け声とともに、エル姫のボディブローが俺のみぞおちを撃ち抜く。
ぐおっ、完全に油断していた。
息が詰まる。身体がよじれる。耐え切れず、膝が落ちる。
グチャっ――俺は泥だらけになりながら大の字に転がった。
「リューキよ! もうやめるのじゃ!!」
「……エル。それは俺のセリフだよ。おまえ、格闘技かなんかやってたのか? パンチがとてつもなく重いよ」
「貴族の嗜みで護身術を習っておったのじゃ! あとは神器のリストバンドの威力かのう。そんなものはどうでも良いのじゃ! デボネアとエフィニア殿下を許してやるのじゃ!!」
ハードパンチャーのエル姫に支えられながら身体を起こし、あたりを見まわす。雨はやみ、風も止まり、青空が戻っている。黒檀の塔はゆるぎなくそびえ立っているが、あたり一面咲いていた花はほとんど散り、果実は枝ごと地面に落ち、泥水が流れ込んだ温泉は濁りきっていた。
無残な様子となった庭園を前に、俺の怒りは再度沸騰しはじめる。
「やーめーてーっ! リューキはん、かんにんしておくれーー!!」
「リューキさん! ワタクシが悪うございました! もうお止めください!」
甲高い悲鳴があがるが、デボネアとエフィニア殿下の姿は見えない。代わりに、泥水のみずたまりのなかで、お人形サイズの小人がふたりのたうちまわっている。
見ると、手のひらサイズに縮んだデボネアとエフィニア殿下だった。
「ん? ふたりとも随分ちんまりしたな」
「リューキはん! アホなこと言わんと助けてーな! もうケンカせんから!」
「リューキさん。ワタクシもです。お情けをくださいませ」
小さくなったデボネアとエフィニア殿下がすがりついてくる。仕方ないので、俺はふたりを拾い上げてやる。
さて、俺は何をどーすれば良いのだろうか?
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