第七十四話:ジーナさん、姿を消す
ワーグナー城、東端の庭園をひとり歩く。
緑豊かな庭園には、赤、黄、橙などカラフルな色彩の花が咲く。ところどころに植えられた樹木にはリンゴに似たカタチの果物が実る。熟した赤い実は瑞々しくて美味そう。楽園のような光景は質朴とした感じのワーグナー城内では別世界だ。
庭園の奥。温泉が沸くあたりで、ポチャンと水が跳ねる音がする。ただし人影は見えない。
なんだろう? 木の枝でも湯に落ちたかな?
まあいいや、ジーナ・ワーグナーとエル姫に会うのが先だ。
庭園の中央には、真黒い蔦で覆われた黒檀の塔がそびえる。六階建ての塔からは神々しさと禍々しさが入りまじる不思議な印象を受ける。
俺は重々しい扉をノックし、黒檀の塔に入る。
塔の一階は直径十五メートルほどの円形の部屋。殺風景な部屋には、中央に石造りの螺旋階段があるのみ。
「ジーナ、エル。いるかー?」
「わらわは三階におるのじゃ。階段で上がってきてくれなのじゃ!」
エル姫の声は階段を伝って上階から聞こえてくる。
「わかった! ジーナも一緒か?」
ジーナもすぐに返答してくるかと思ったが、妙に間があく。
もう一度問いかけようとしたとき、「リューキさまっ! わたしもいるのじゃ……わ」と、ジーナの声が聞こえる。
ん? 「のじゃ、わ」だと?
ジーナにエル姫の口癖が移ったのかな?
螺旋階段を時計回りに二回周り、塔の三階に至る。
木板の窓が開け放たれた三階は明るい。が、大きなテーブルの上には未整理の巻物や古文書の類が積み上げられていて雑然としている。白磁の塔から持ち出したエル姫の荷物はまだ整理中のようだ。
エル姫ことエルメンルート・ホラント姫は窓際に立っている。窓から入る風に彼女の長い黒髪が流れた。
「エル、お土産を持ってきたよ。ところでジーナはどこにいるんだ?」
「ジーナは四階の片付けをしておるのじゃ」
「あいつにも土産があるし、相談したいこともある。ちょっと呼んでくるよ」
「ダメなのじゃ! イケないのじゃ! 四階はわらわの私室なのじゃ。リューキはわらわの夫とはいえ、女子の私室に入ってはいけないのじゃ! わらわがジーナを呼んでくるゆえ、リューキはここで待っててくれなのじゃ!」
エル姫が螺旋階段を駆け上がる。妙にバタバタしている気もするが、まあいい。
収納袋を開け、ふたりに頼まれていたお土産をテーブルの上に並べる。
エル姫には書物。
神紙の使い手である彼女が特に欲しがった「紙」関連の本を十冊ほど並べる。
「紙を科学する」、「紙の基礎知識」、「古紙のリサイクル」、「パピルス 偉大なる発明」なんてタイトルに、エル姫は喜ぶこと間違いない。
ジーナには当然スイーツ。
ふんわりホイップドーナツ、生乳仕立てのふんわりクリーム、ふわとろチーズのどら焼きなどの「ふんわり系スイーツ」を十個ほど本の脇に並べる。
スイーツを一度に渡しちゃうとお子様のように一気に食べちゃうから、少しずつ渡すつもりだ。はは。
頬を優しくなでる風に心地よさを感じながら、ふたりが降りてくるのを待つ。
上階でガサゴソする物音が数分続いたのち、パタパタと足音を鳴らしながら金髪美人のジーナが螺旋階段を降りてくる。ただしエル姫はおらず彼女ひとりだけ。そしてなぜかジーナはサングラスをかけていた。
「ジーナ、そのサングラスはなんだ?」
「この黒眼鏡はエルちゃんにもらった神器なのじゃ、わ」
「ふーん。で、エルは降りてこないのか?」
「エルちゃんは四階で荷物を片付けておるぞよ、ですわ!」
「そーなんだ。てか、ジーナはエルのしゃべり方の影響を受けすぎじゃないか? 話し方がおかしいぞ」
「エルちゃんとひと晩じゅうお話ししてたら、口調が移ってしもうたのじゃ……わ!? わお、お、おーっ! これはスゴイのじゃ!!」
黒眼鏡をかけたジーナ・ワーグナーが興奮する。
お土産の並べられたテーブルに駆け寄り、「紙」関連の書物をガバッとつかみとる。スイーツには見向きもしない。
なんで? いや……なるほど、そういうことか。
「こういう書物が欲しかったのじゃ! リューキよ、わらわは嬉しいのじゃ! お礼にホッペにチューしてあげるのじゃ!」
「うん、ありがとう。けど、ホッペにチューより教えて欲しいことがあるんだ」
「なんじゃ!? 何でも聞いてくれなのじゃ!」
「ホンモノのジーナはどこだ? ジーナなら本よりもスイーツを選ぶはずだからね。エルは本に興奮して演技を忘れちゃってるぞ」
「は!? あああーーーーーッ! やってしもうたのじゃあーーッ!!」
ジーナ・ワーグナーに化けていたエル姫が、床にぺたりと座り込む。彼女が腰を落とした拍子に、黒眼鏡がポトリと落ちる。あらわになった目の色は、ジーナの青色ではなくエル姫の黒色だった。
ジーナとエル姫は、ワーグナーの一族で従妹同士。
髪、肌、目の色は違うが、ワーグナーの血の影響で身体の造りは瓜二つ。
髪や肌の色は化粧できても、目の色はごまかせなかった。どうやら魔界にはカラコンはないらしい。
◇◇◇
黒檀の塔、三階。
エル姫は口を閉ざしたまま正座している。
「エル。いつまで黙ってるつもりだ? ジーナはどこにいるんだ?」
「……」
「エル、話してくれ。ここまでエルが強情になるってことは、単なるかくれんぼじゃないんだろ? なんだか不安になってきたよ。なにがあったんだよ?」
「……」
エル姫は頑なにだんまりを続ける。硬い石畳に正座して足が痛いはずなのに姿勢を崩さない。てか、俺が正座しろと命令したわけではないんだけどね。
「エルの声はジーナそっくりだったけど、あれも神器の御業ってやつか?」
「あれは違うのじゃ! あっ……」
しまった! といった感じでエル姫が慌てて口を閉じる。
彼女は神器の研究者でもある。話題が神器に及んだことで、つい反応してしまったようだ。
「神器を使ったんじゃないのか? どうやってジーナの声をマネたんだ?」
「それは、その、なんじゃろなあ? あはははー」
俺の追求をエル姫は笑ってごまかす。どうしても説明したくないようだ。
急に窓から強い風が入りはじめる。つむじ風が発生し、テーブルの上に散らばっていた紙片が数枚巻き込まれる。同時にケラケラと笑い声が聞こえた気がした。
「デボネア! いたずらは止めぬか!」
勢いよく立ち上がったエル姫が、宙を舞う紙片をつかみとる。
つむじ風が霧がかったようにボンヤリと白く滲みはじめ、ひとの姿を形作り、妖精じみた顔立ちの美少女になった。
「エル姫はん! 観念しーや! リューキはんはボーっとしとるようで勘は鋭いで。うちが風を使ってあんさんの声を変えたっても無駄やったな。ほな、さっさとジーナはんを探しにいこーや!」
「ダメじゃ! ジーナと約束したのじゃ! もう少し待つのじゃ!」
「約束ーっ? もう二時間も過ぎとるやないかー。あんさん、ジーナはんに何かあったらどないするつもりや?」
全身真っ白な美少女がエル姫をまくし立てる。
天女の羽衣のような衣装を着たスレンダーな少女は、俺を知っているようだ。
てか、エル姫は「デボネア」って呼んでたよな?
デボネアって白磁の塔で会った風の精霊のデボネアしかいないよな?
「デボネア……お前、ちょっと見ない間に大きくなったな」
久しぶりに親類の子に会うおじさんのように言ってしまう。
でもまあ、俺が知っているデボネアは人形サイズの小妖精だ。
対して、目の前のデボネアは完全にヒトサイズだから驚いても仕方ないだろう。
「リューキはん! 会いたかったでえ。ほな、これからよろしくなー!」
「よろしく、って。なにがよろしくなんだ?」
「なに言うてんねん! うちが、あんさんに精霊の祝福を与えてあげよーいうてんのさ。さっさとジーナはんを連れ帰って、そんでもって一緒に精霊界に行こうやないかー!」
デボネアが上機嫌で答える。
言ってる意味はよく分からないが、なにやら問題が発生しているのは分かった。
守護龍ヴァスケルは眠り、女騎士エリカ・ヤンセンが不在のいま、俺は新たなトラブルを乗り越えることができるのだろうか。
畜生ーー!
注釈:ワーグナーの血を色濃く受け継ぐジーナとエル姫は、身体つきはソックリです。エル姫は「黒ジーナ」と呼ばれるほど日に焼けた褐色の肌の女子です。(第三十九話参照)
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