第七十二話:フリーター、龍の眷属になる
ワーグナーの領主用の予備の居室、いわゆる俺の部屋。
俺は姐さんヴァスケルと並んでソファに座る。
ソファはふかふか。けど、ヴァスケルの方がもっとふわふわなはず。なにが柔らかいかなんて説明は不要だろう。
「リューキ。いまだと思うんだよね!」
「な、な、なにが?」
思わず声が上ずる。潤んだ瞳に見つめられて、俺は気持ちが高ぶってしまう。
「覚悟はイイかい? もう後戻りできないからね!」
「ヴァスケル。俺はいつだって準備万端さ。ドーンとこいだ!」
セリフにムードもへったくれもない。経験の乏しさが如実にあらわれてしまう。こんなことなら恋愛物のハウツー本を読んでおけば良かったと後悔する。
背徳的な格好のヴァスケルがじりじりと迫ってくる。
俺は思わず身体を引いてしまう。我ながらヘタレだ。
ヴァスケルが覆いかぶさってきて、俺の頭を抱える。
彼女の黒目がかった大きな瞳は涙が溢れそうだ。
ん? なんで?
ちょっとだけ冷静になる。ヴァスケルが小刻みに震えているのが分かった。
「ヴァスケル、どうした? もしかして、お前、怖いのか?」
「あたい、はじめてなんだよ……」
まさかのカミングアウトに驚く。
ヴァスケルは何万年生きてるか分からない古龍。経験豊富かどうかはともかく、まったくのはじめてだとは想定外だった。
いや、そうか……そうだよな。セクシーな格好から決めつけちゃいけないよな。
くっ、俺の馬鹿野郎! 俺も男だ! 不安を取り除く台詞のひとつも言わねば!
「ヴァスケル。なにも心配ない。俺を信じろ!」
「ほんとうかい? イイんだね。じゃあ、はじめるよ!」
はじめる? なんだろうね、そのヨーイ・ドン的な言葉は?
途端に、姐さんヴァスケルの手に力がこもる。骨がミシミシって鳴りそうなくらい、俺の頭はガッチリと固定される。
「ヴァ、ヴァスケル? もうちょっと優しくして!」
「はあ!? 泣き言いうんじゃないよ! もう後戻りできないって言ったろ!!」
ヴァスケルの顔が近づく。肉感的で真っ赤な唇が、俺の口をふさぐ。そればかりか、彼女の舌が俺の口をこじ開け、ぐいぐい侵入してくる。
「もぐっ、うぐっ、うっ……」
俺は抵抗を諦め、すべてを受け入れる。
俺はソファの上で仰向け。ヴァスケルは俺の上に馬乗り。
俺の下にはふかふかのソファ。俺の上にはふわふわのヴァスケル。
正直、気持ち良いのなんのってもう最高なんだけど、思ってたのとなんか違う。
突如、姐さんヴァスケルの身体が白光する。
え? うそ? マジで? ここで龍モードに変化するの?
龍の下敷きになったら潰れちゃうな……なーんて他人事のように考えたが、そうはならなかった。
代わりに、ザワザワした熱いモノがヴァスケルの口から注ぎ込まれてくる。
「ふおっ! ふもっ! ほごごっ……」
火傷しそうなくらい熱い流動体が喉を通る。ひたすら苦しい。
一瞬、拘束から逃れようと考えたが、ヴァスケルが苦悶の表情を浮かべるので、熱さに耐えることにした。
そうとも。ヴァスケルが俺に危害を加えるはずがない。
ヴァスケルの熱が俺の全身に広がる。頭の上から足のつま先まで、すべてが置き換わったかのような錯覚に陥る。
ちゅぽん!
ヴァスケルのぷるぷるとした唇が離れてしまう。
口づけを交わしていたのが数秒か数時間かわからないが名残惜しい。
「俺、こんなスリリングな経験、はじめてだよ……」
「……あたいもさ。けど、これであんたはあたいの眷属さ」
「そうか、俺はヴァスケルの眷属になったのか……って、おい、てことは、俺は人間じゃなくなったのか?」
「……いまさらナニ言ってんだい。何度も尋ねたじゃないか? いったいなにをすると思ったのさ?」
返す言葉がない。
確かに俺は、龍の眷属になり、精霊の祝福をうけ、魔人になると宣言した。
エッチな展開の妄想は俺の早とちりだ。なんとも恥ずかしい。
仕方ない。ここはひとつ、盛大にしらばっくれよう。
「なーんでもーないさー! うん、すっかり生まれ変わった気分だよ! これで俺もカッコいい龍に変化できるのかな?」
「……できないよ。あんたは龍じゃなくて竜人だからね」
「じゃあ、翼を生やして空を飛んだり、敵をガンガンやっつけたりは?」
「……ムリだね、リューキの身体能力は変わらないからね」
とても残念なお知らせだ。
俺、人間やめました。けど、何も変わりませんでした。
そう、凡人のまま。
いや、凡竜人か。
なんのこっちゃ? 畜生。
「リューキ。あたい、疲れたよ……」
ヴァスケルがボソリと言う。
言われてみれば、彼女の声に張りはないし、顔色も青い。
俺はヴァスケルを抱きかかえ、ベッドに運ぶ。
栄養ドリンクを飲むかと尋ねるが「いらない」と断られる。
「眷属化って、相当疲労するんだな」
「……まあね。龍の魂を分け与えたんだからね。あたいは当分ここで休ませてもらうよ。あんたは頑張って、一日も早く魔人になるんだよ」
「わかった。で、俺はこの先どうすればいいんだ?」
「……ジーナに尋ねな。姫さんもいろいろと詳しそうだから相談するといいさ」
姐さんヴァスケルの目がトロンとする。全身脱力な感じでベッドに腹這いになる。大きく開けた背中が露わになり、昇り龍の紋々が目に入る。
「ヴァスケル。前にも話したけど、俺はマッサージ屋に半年ほど勤めたことがあるんだ。リラックスして休めるようにマッサージしてやるよ。これでもそこそこうまいんだぜ」
「そういえばそんなこと言ってたね。んじゃあ、頼むよ」
俺はヴァスケルの肩から背中から腰まで揉みほぐす。思っていた以上にも筋肉が強張っていた。ヴァスケルには戦闘だけでなく、不眠不休で飛びまわってもらった。彼女は平気そうな顔をしていたが、実はかなり疲労が溜まっていたみたいだ。
「ああ、すっごく、気持ちイイよ」
「ヴァスケル。お前には無茶させちまったな」
「いいよ。だから、あんたも……」
ヴァスケルの言葉が途切れる。眠ってしまったようだ。
いままで、どんなトラブルに陥っても最後はヴァスケルが何とかしてくれた。
俺は彼女に甘えすぎていたんだと思う。
「ゆっくり休んでくれ。次に会うとき、俺は魔人に、立派に魔界の住人になってるから」
寝息を立てはじめたヴァスケルに声をかけ、俺は居室をあとにした。
拙作を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
姐さんヴァスケルは少し休息に入りました。
良い夢を見られるとイイですね!




