第六十五話:フリーター、思わず同情する
前回までのあらすじ:リューキとヴァスケルは魔界の金貨を取り戻しにフィリピンに来ています。愛の逃避行をしているわけではありません(笑)
それと、ブーバンさんにスバらしいタイトルロゴを頂きました!
感謝の気持ちでいっぱいです!!
プエルト・ガレラの沖合。
権藤のクルーザーが白鳥号の目前に迫る。
全長二十メートルほどの豪華クルーザーは高さもあり、甲板上の争いは見えない。ただ、銃声や争う声だけが聞こえる。
「はあ!? その程度かい?」とか「殺されないだけありがたいと思いな!」なーんて物騒なセリフは間違いなくヴァスケルだ。
うん、姐さんは今日も元気に無双してるね!
対して俺は白鳥号のなかで、しゃがんだ姿勢でマントに包まっている。
いーんです。
俺が出て行っても、どーせ足手まといですから。はは……(乾いた笑い)
パーンッと軽めの銃声を最後に争いの音は消える。わずかに聞こえてくるのは波の音だけ。どうやらヴァスケルはクルーザーを制圧したようだ。
俺はマントから顔を出す。
銃撃を受けた白鳥さんは穴だらけで痛々しい。そればかりか、ボートの底にヒビが入っていて結構な勢いで浸水している。
「ヴァスケル! ボートが沈んじゃいそうなんだけど!」
俺の問いかけに返答はない。
「ヴァスケルさーん? この海ってサメとかいそうだよ。そっちの船に乗せてくれると嬉しいんだけど!」
相変わらず返事はない。
ヴァスケルは金貨を探しに船内に潜ってしまったのかもしれない。
ただ、こうして待っている間も海水が足元からゴボゴボと湧いてくる。
白鳥さんと一緒に海の藻屑になるのは嫌なので、俺はクルーザーのデッキの縁に飛びつく。
「おーい、引っ張り上げてくれー!」
懸垂ができない俺は、腕をぷるぷる震わせながらぶら下がるだけ。
十数秒ほどジタバタしていると、急にぐいっと引き上げられる。
俺はデッキの上に四つん這いになり、ゼイゼイと息をする。
視界の隅。手足を縛られてモゴモゴ動く男たちが、冷凍マグロみたいに並べられているのが見える。ヴァスケルがやったのだろう。とても几帳面な龍だね!
頭を上げ、ヴァスケルに礼を言おうとする。が、目の前にちょこんと座っていたのは見知らぬ女性だった。
「やれやれ、助かった……よ? って、あなたは誰ですか?」
「わたしはラブナ。権藤の妻よ。そーゆーあなたこそ、だあれ?」
ほんわかと尋ねてきたラブナは見覚えのない女性。タナカさんの写真に写っていた権藤の奥さんとは同一人物に見えない。
白いミニワンピを着こなすラブナはスタイル抜群。腰まで伸びた長い黒髪から黒目がかった大きな瞳まで、全体的な雰囲気はむしろ姐さんヴァスケルに似ている。言葉づかいにマッチしないキリッとした表情は、女騎士エリカ・ヤンセンを思い起こさせる。小鳥のクチバシのようなかわいらしい唇はジーナやエル姫と同じ感じ。
そんな不可思議な印象を与えるラブナは、俺の目を見てにっこり笑う。
「ところであなたの服ってステキね。どこで手に入れたの?」
「服? いや、いまはそんなのどうだっていいじゃないですか」
「えー! ラブナ、おしえてほしーなー」
ラブナと名乗った魅力的な女性がにじり寄ってくる。
俺のマントに手をかけ、品定めするようにゆっくりと観察する。
「ほんとうにステキ。ラブナ、どーしても知りたいの! お・ね・が・い」
頭の中がピンク色の靄に包まれた気がする。
身体中の血がぐつぐつと沸騰する気もする。
熱い。熱い。熱い。
金貨だの、領主の身分だの、どうでもよく思えてくる。
俺のすべてはラブナ様のためにある。
彼女の望みなら何でもかなえてあげたい。
耐えがたい衝動に駆られる。
そうとも、俺のすべてをラブナ様に捧げるのだ!
人生の目標が明確に定まった気がする。
『……さーん! 煩悩退散 煩悩退散!!』
頭のなかが騒がしい。
邪魔しないでくれ。
俺はラブナ様を見つめていたいんだ。
ラブナ様の声を聞きたいんだ。
些末事は何も考えたくないんだ。
すべてラブナ様が命じてくれる。
俺は何も悩まなくていい、何も考えなくていい。
すべてラブナ様が考えてくれる。
ああ、なんて幸せなんだ!
「ラブナさま! この服は……なっ!? ぐあっ!!!!」
質問に答えようとした瞬間、マントの襟が俺の首を絞めつけてくる。まるで、力づくで俺を止めようとしているかのよう。
意識が遠のき、全身の力が抜け、俺はその場に倒れてしまう。
「なんだコイツは? 急に倒れやがった。まったく、メス龍といい、魔界の格好をしたコイツといい、どこからやってきやがったんだ」
俺が完全に失神したと思ったか、ラブナの口調が乱暴なものに変わる。
……なに!? ラブナは龍と言ったな! もしかして、ラブナは魔界の住人か!? そうか! 色気で男を惑わすラブナの正体が分かったぞ! うぐぐぐ、負けるもんか! 『煩悩退散!』 でやぁー! 行くぞ!……
ボンヤリしていた意識が明瞭になる。
マントの首もとは緩み、もう息苦しくない。
急に起き上がった俺を見て、ラブナがギョッとする。
が、すぐに魅惑的な笑みを浮かべ直し、俺に近づこうとする。
『煩悩退散
煩悩退散!
煩悩退散!!』
退散と念じながら、俺の方が後ずさりする。
そう、俺は煩悩の塊。
俺が退散するのもあながち間違いではないからな、ははは!
ていうか、ラブナと距離をおけばおくほど、心の乱れが落ち着いてくる。
うむ、予想した通りだね。
「どうしたのー? そんなに離れちゃ、お話ししにくいわ」
「淫魔を相手にするんだ。もっと離れたいくらいさ」
「……ほうっ。アタシの正体を見破ったのか。しかも魅了の呪縛まで解くとはねえ。たいしたやつだよ、アンタは!」
淫魔ラブナのくだらない褒め言葉を無視する。
俺は収納袋から写真を取り出す。パンチパーマのタナカから預かった写真に写るのは一組の夫婦。クルーザーのデッキでポーズをとる権藤剛蔵と若くてキレイな嫁さんだ。
写真のなかの権藤の妻は、童顔なのに遊び慣れた感じのダイナマイトボディを見せつけている。昼は従順な幼妻、夜は猛々しい獣妻、なーんて感じだ。
「ラブナ! この写真に写ってるのもお前だな?」
「写真? ああ、タナカが撮った写真か。アンタはタナカの知り合いかい? アタシに会いにわざわざ日本から来てくれたのか。嬉しいねえ」
小ばかにするようなラブナの言い方はともかく、俺の推測は当たっていた。理屈はわからないが、写真に写ったラブナの姿は撮影したパンチのタナカの好みが投影されていたようだ。だから俺の目に映るラブナとは別人に見えたのだ。
ん? てことは、俺のいまの好みは……まあいい。いまは考えるは止めよう。
てか、タナカの性的嗜好が分かってしまったな。まったく、どうでもいい情報を知ってしまったものだ。
「ラブナ! お前に用なんかない。俺たちが探してるのは権藤本人だけだ。そうだよな? ヴァスケル!」
俺の言葉にラブナが振り返る。
ずんぐりとした権藤の身体を引きずるように船内から出てきたヴァスケルが、得意そうな表情を浮かべて立っていた。
「リューキ! 魔界の金貨を見つけたよ! ついでにゴンドーも捕まえた! あん!? あたいが探し物をしてる間に、あんたもおかしなのを捕まえたねえ……淫魔風情がなんで人間界にいるのさ?」
「ちっ、メス龍め、それはこっちのセリフだ!」
火花を散らすように睨み合う姐さんヴァスケルと淫魔ラブナ。
緊迫した雰囲気を打ち壊したのは、ヴァスケルに捕まえられた権藤だった。
「ラブナ、助けてくれ! この姉さんはすごく強いんだ。用心棒たちはみんなやられちまった。銃もナイフも効かないバケモノだ」
「あなた、怖かったでしょう? でも、もうなにも心配しなくて良いわ……なんせ、アンタは用済みだからな!」
「ラブナ? 何を言ってるんだ? 私たちはずっと一緒だろ?」
「ずっと一緒? バカ言ってんじゃないよ!」
豹変したラブナを前に、権藤が狼狽える。親子ほども年齢が離れて見える妻を相手に、必死に憐れみを乞う。
「私はお前のために会社を売った! 昔からの仲間も裏切った! 私にはもう、金とお前しか残ってないんだ!」
「アンタはとことんバカな男だねえ。金なんかもうありゃしないよ! それにアンタに集まる『怨念』も底が見えた。利用価値がない男にアタシは興味ないね!」
吐き捨てるように淫魔ラブナが言う。
事態の急展開に、大の大人の権藤が泣き出す。
権藤が犯した悪事の数々が分かっていながらも、俺は思わず同情してしまう。
「ラブナ。お前、とことん悪いやつだな」
「うるさい! アタシだって生きるためにヤルことをやってるだけさ!」
「そういえばお前は魔界の住人だろ。どうやってこの世界で生きていられるんだ? 人間界には魔素はないはずだろ?」
「なんでアンタに説明しなきゃなんないんだよ! ……いや、気が変わった。説明してやるよ。『怨念』が魔素代わりになるのさ! 権藤にクビにされた従業員、潰した会社の社員、金を持ち逃げされた債権者。どの『怨念』も美味だったよ」
淫魔ラブナが恍惚とした表情で舌なめずりする。
その淫靡な表情に、俺は既視感を覚えた。
「お前、ブブナって淫魔は知り合いか?」
「ブブナ? 知りあいも何もブブナはアタシの妹さ。デキの悪い、殺したくてたまらない妹だよ!」
「なに!?」
ラブナが笑う。無言で笑う。
口裂け女のように大きく口を開けて笑う。
ラブナは海に飛び込む。
姐さんヴァスケルが飛びかかる間もなく、逃げられてしまう。
デッキの端に駆け寄り、海面を見渡す。イルカかサメか不明だが、無数の背ビレに囲まれたラブナが悠々と去っていく。淫魔の魅了は魔物や人間どころか海の生き物にも効果があったようだ。
ラブナがこちらをふり返る。何も言わず、勝ち誇るかのような顔をして海中に潜っていく。
「はん!? 海のなかに逃げちまったかい! あたいが行って捕まえてこようか? あたいは水のなかは苦手だからちょっと手こずるかもしれないけど、負けるつもりはないよ!」
「いや、時間が惜しい。あいつは放っておいて、日本に帰ろう。権藤も連れて行こうと思う」
「はあ!? あたいたちはゴンドーのせいで苦労したんだよ! なんでそこまで面倒を見なくちゃいけないのさ?」
姐さんヴァスケルが腕を組み、そっぽを向く。
ヴァスケルが腹を立てる気持ちは分からないでもない。
けど、俺だってジーナの衣装がなければ、魅了の呪縛に囚われただろう。俺も権藤と同じ目にあいかけた。魔性の色仕掛けの恐ろしさには同情を覚える。
「俺も嫌な思いをしたさ。でも、権藤だって淫魔ラブナのせいですべてを失ったんだ。日本にいる竹本さんやタナカさんの幼なじみだっていうし、ふたりのためにも連れて帰ってやろうじゃないか」
「あーもう、分かったよ。まったく、あんたはお人好しだねえ」
「そうでもないさ。なんだかんだって、日本まで運んでくれるのはヴァスケルだしね。すごく感謝してるよ」
ヴァスケルの表情が和らぐ。小さくため息をつき、やれやれという顔をする。
「わかりゃーいいんだよ、わかれば。そんじゃ、帰るとするか!」
「ああ。悪いけどひとっ飛び頼むよ」
気づけば時刻は午後六時。
まだ十分時間は残っている。
まずは日本に、それから魔界に帰ろう。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
タイトルロゴ、スバらしいですよね! 作者は幸せ者です。
ええもう、本作を読まれたすべての方にも幸運が訪れますよーに!




