第六十三話:フリーター、クルーザーを追う
フィリピン、ミンドロ島北部。
プエルト・ガレラ郊外の小高い山の上。
ヴァスケルにお姫様抱っこされていた俺は、四時間ぶりに自分の足で立つ。軽く背伸びをすると、腰がゴキっと鳴る。俺ももうオッサンだな。じゅうぶん自覚してるけどさ。
山の上からプエルト・ガレラの市街地を東に望む。街は湾の形状に沿って南北に広がっている。高層の建築物はなく、安普請のバラックと低層のリゾートホテルが乱立する。住民の数は三、四万というところか。まだ発展途上のリゾート地という印象を受ける。
街の向こう側は海が広がり、大小様々な船が浮かぶ。漁船もあるが、レジャー用の船が多いように思える。
「どうだい? 雑誌に載ってた衣装に変化したけど、似合うかい?」
姐さんヴァスケルが声をかけてくる。
振り返った途端、俺は言葉を失った。
俺の目の前には、白いマイクロビキニのヴァスケルが、腰に手を当て、胸を反らして立っていた。ヴァスケルのセクシーな格好は、いままでも散々見てきたけど、これは、ちょっと……
あっけにとられた俺をよそに、ヴァスケルはくるりとターンしてみせる。
うおっ! お尻丸見ーえ!!
いやはや、とてもじゃないけど刺激が強すぎますよぉ。
えいえい! 煩悩退散ー!!
「……ヴァスケル、とってもよく似合うよ」
「そうかい! やっぱりリューキは人間界の衣装が好きなんだね!」
「まあね。けど、最近のファッション誌は大胆な水着が載ってるんだな。街中の不動産屋にある雑誌にしては、ちょっと過激だと思うんだよね」
「違うよ! この衣装はモジャモジャが持ってた雑誌に載ってたのさ」
ヴァスケルがモジャモジャと呼ぶのは、タナカ商会のタナカさんのこと。
なるほど。
ヴァスケルの格好は女性向けのファッション誌じゃなくて、パンチのタナカが持っていたエッチな本を参考にしたんだね。まったく、俺の知らない間にナニを読んでいるのやら。
「ヴァスケル、覚えてるか? 俺はお前の美しい肌をほかの男には見られたくないってお願いしたのを」
「ああ! そうだったね。ごめんよー! 別の衣装に変化するよ!」
ヴァスケルが身体をボワっと白光させる。
あらわれたのは、白いTシャツに淡いピンク色のジャケットを羽織った姿。Tシャツは丈が短めで、チラリと丸いおへそが見える。クラッシュデニムのショートパンツからは健康的な素足がのびている。
「これならどうだい? 不動産屋でもらった雑誌の『リゾートファッション特集』を真似たのさ」
「ああ、最高だ。ヴァスケルのセンスの良さを感じるよ」
ご機嫌になったヴァスケルを待たせて、俺も現地にとけこむ格好に着替える。といっても、収納袋にあるのはよれよれの服ばかり。くっ、俺も人間界の衣装を新着した方が良さそうだな。
「おや? いま港に入ってきた船。モジャモジャの写真の船じゃないかい?」
海に視線を向けていたヴァスケルが声を出す。
俺もヴァスケルが指さす方向を見る。が、どれほど眼を凝らしても「白い船」くらいしか分からない。
「遠すぎてよく見えないよ」
「間違いないさ! あたいは眼がいいからね!」
「そうか。さすがは俺の守護龍だ」
人目があるので、ヴァスケルに飛んでもらうわけにはいかない。なので、俺は自力で走る。
十五分ほどかけて山を駆け下り、市街地に入る。もうもうと煙とあげて走る廃車寸前のトラックや、ピカピカのリムジンが並走する街中を、俺たちは一気に走り抜ける。目指すは港。探すのは権藤剛蔵が所有する船。白地に黄金色の唐草模様が描かれたクルーザーだ。
道端の露店のオバちゃんや客引きするオッちゃんたちを華麗にスルーする。そもそも何言っているか分かんない。てか、なんで俺が元気一杯走り回れるかといえば、ジーナのおかげだと思う。
俺の衣装はこんな感じだ。
上着:よれよれのTシャツ
ズボン:すり切れたジーンズ
ベルト:いつちぎれてもおかしくない古いベルト
靴:ジーナにもらった「革のロングブーツ」
その他:収納袋、タナカ商会で貰ってきた安物の時計
元々持っていたスニーカーは履き潰してしまった。靴底は摩耗するどころか大きな穴があき、完全に使用不能。耐久性テストでもここまで履き続けるとは想定していなかったレベルまで使い込んだと思う。
お疲れさま、スニーカーさん!
ワゴンセールで980円だったけど、お前はたいしたやつだったぞ!
てなわけで、俺はジーンズに革のロングブーツという出で立ちだ。ハッキリいって、熱帯地方を旅する足元ではないだろうね。
それはともかく、俺は早速「革のロングブーツ」を【鑑定】してみた。
名前:ジーナがくれた「革のロングブーツ」
色 :薄い茶色
サイズ:ぴったり
値段:プライスレス
性能:疲れない。転ばない。蒸れない。とても履き心地が良い。
ああ! やっぱりダメじゃん。こんなのは【鑑定】じゃない。単なる感想だ! まあ、分かっててやってるけどさ。
俺はペットボトルのミネラルウォーターを飲みながらヴァスケルに尋ねる。
「ジーナにもらったブーツはイイ感じだけど、特殊な性能があるのかな?」
「あん!? 当たり前さ! リューキの旅の安全を願ってジーナが用意した代物だからね! 詳しいことはジーナに直接聞くんだね!」
ヴァスケルはあっさり答える。
うむ、確かに仰る通り。ジーナにお土産のスイーツを渡しがてら、詳細を尋ねるとするか。てか、魔人化して、たくさんの精霊さんたちと仲良くなって、ジーナの衣装を身にまとえば、俺って最強じゃね?
俺の傍にいるのは、無敵の守護龍ヴァスケル、女騎士エリカ・ヤンセン、神紙の使い手エルメンルート・ホラント姫。
脇を固めるのは、ゴブリン族を統括するゴブリン・ロードのジーグフリードやオーク・キングのグスタフ隊長。
くくくっ、スバらしいではないか。
俺は世界をこの手におさめることすらできるのではないか?
あーっはっはっは……
「リューキ! なにニヤついてるのさ! さっさと行くよ!」
「あ、はい……すいません」
こうして、俺の世界征服の野望は一瞬で消え去ってしまいましたとさ。
~おしまい~
なーんて妄想を軽く交えながら走り続けた俺たちは、ようやく港にたどり着く。
フェンス越しに、数億円はしそうな船が十数隻係留されているのが見える。どうやらここはセレブ用のハーバーのようだ。
ずらりと並ぶ豪華な船群の真ん中付近。船尾に「Gon-Dou」と書かれたクルーザーがあった。おお! ビンゴ!!
だが、ハーバーは三メートルほどの高いフェンスに囲われている。ひとつだけあるゲートは両脇に詰所のような小屋があり、派手派手シャツを着た兄ちゃんたちが陣取っている。簡単には中に入れなさそうな雰囲気。というか、兄ちゃんたちは警備員というより、ただのチンピラって感じだ。
「*+=&%?」
姐さんヴァスケルが兄ちゃんたちに話しかける。
話すのは英語ではない。フィリピンの言語はタガログ語だっけか?
チンピラ兄ちゃんのひとり、ボスっぽい感じの角刈りサングラスが、ヴァスケルに低い声で「>#」と短く答える。
「ヴァスケル。奴らはなんだって?」
「ゲートの中に入るのはダメだってさ。ケチ臭いね。力づくで押し入るかい?」
「いや、できるだけ穏便に行こう。てか、ヴァスケルは彼らの言葉が話せるんだ」
「はあ!? ああ、そうか。あんたも魔人になれば分かるよ」
「ん? どゆこと? 魔界の住人はどんな外国語でも話せるのか?」
「なに言ってんだい!? 魔人は精霊とも会話できるんだよ! 人間と話すくらいどうってことないさ!」
なるほど! そりゃそうか……って納得して良いのか?
でもまあいいか。細かいことはヴァスケルには聞かないでおこう。たぶん説明できないだろうからね。
「ヴァスケル。俺たちは権藤に会いに日本から来たと伝えてくれ」
「分かったよ!」
ヴァスケルが角刈りサングラスに話しかける。
ボスっぽい角刈りは、艶っぽい姐さんを前にニヤつく。
その鼻の下を伸ばした顔に、俺はちょっとムカつく。
「¥&%、Gondou+!+?」
「%#―――!!!!」
権藤の名前が出た途端、角刈りサングラスが大声で叫ぶ。
ゲートに隣接する小屋から厳つい顔の男たちがわらわら出てくる。男たちの手にはナイフやら棍棒。うむ、悪党相手に真っ正直すぎたかな。反省だな。
ハゲた巨漢と上半身裸の黒髪長髪が、俺の腕をつかむ。
俺は「放せ!」と叫ぶが、チンピラふたりは放さない。日本語が通じないか。いや、意味が通じても解放してくれないだろうね。
平々凡々な俺の椀力ではふたりの男を引き剥がせない。よし。 ここはジーナがくれた「革のロングブーツ」で必殺のキックだ!
俺はハゲた巨漢を思い切り蹴飛ばす。
が、蹴られたハゲは全然痛くなさそう。
OHHHH! なんてこった!?
「革のロングブーツ」の攻撃力は皆無なのか!
うむ、このブーツは純粋に旅用のモノのようだね。別に文句なんかありません。ちょっとだけヒーローになる淡い夢を見ちゃっただけです。
「¥*$%―――!!」
ハゲた巨漢が唸り声をあげ、丸太のような腕を振り下ろす。
黒髪長髪に羽交い絞めにされた俺は避けられず、顔面にガツンと一発喰らう。
「てめえら! あたいのリューキにナニしやがる!!!!」
姐さんヴァスケルがキレる。
ヴァスケルは、ハゲた巨漢の胸ぐらをつかみ、真っ逆さまに地面に叩きつける。ナイフや棍棒を手に迫るチンピラたちを殴り倒す。慌てて逃げ出そうとした黒髪長髪をむんずとつかみ、ごうっと投げ飛ばす。十数メートル先の係留桟橋脇で、大きな水しぶきが上がる。ヴァスケルが十人ほどやっつけると、残り半数は遠巻きに囲むだけになる。
「ヴァ、スケル……殺すなよ……」
俺は、ハゲた巨漢に殴られた右の頬を押さえながら、ヴァスケルに話す。
「あん!? ちゃんと穏便にやってるよ」
ヴァスケルが答える。
俺たちの間で穏便の基準は異なりそうだが、この際細かいことは目をつぶる。てか、鼻血が出てるし、歯が一本折れちまったぜ!
ハゲ巨漢の馬鹿力め! 畜生!
「リューキ! ゴンドーの船が出てくよ!」
鼻にティッシュを詰めながら、ヴァスケルの声を聞く。
見ると、「Gon-Dou」と書かれた船尾を揺らしながら、白いクルーザーがヨットハーバーを出ていくところだった。
マジか!? ここまできて逃げられたか!
何か手立てはないかと考え、俺は周囲を見回す。係留された豪華ヨットやクルーザーは操船方法が分からない。かといって、チンピラたちが遠巻きに囲む中でヴァスケルに飛んでもらうわけにはいかない。絶体絶命のピンチ。
なんでもいい、俺たちが操れる船はないのか……あった!
白鳥号だ!
観光地の湖や大きな公園の池によくあるやつ。
恋人同士や家族で乗る、いわゆる足漕ぎボートだ。
なんでか分からんが、それがひとつだけ係留されている。
「ヴァスケル。権藤のクルーザーを追うぞ!」
「あん!? あたい飛んでいいのかい?」
「違う! 目立たないように追いかけるんだ」
ヴァスケルの手をつかむ。俺たちの行く手を遮る者はいない。チンピラの兄ちゃんたちはモーゼの十戒のように道を開ける。
俺たちは白鳥号に乗り込む。
こんな状況で我ながら呆れてしまうが、デートみたいな感じでワクワクしてきた。ははは。
<衣装メモ>
①リューキの今の格好
上着:よれよれのTシャツ
パンツ:すり切れたジーンズ
ベルト:いつちぎれてもおかしくない古いベルト
靴:革のロングブーツ
⇒リューキの感想;疲れない。転ばない。蒸れない。履き心地良い。
その他:収納袋(1トンまで収納可)、タナカ商会で貰ってきた安物の時計
②リューキの魔界での格好
(第十八話:ジーナ・ワーグナーから贈られた旅の衣装)
上着:ベージュ色のシャツ(効果不明)
パンツ:厚手の黒いパンツ(効果不明)
ベルト:幅広のベルト(効果不明)
靴:革のロングブーツ
⇒リューキの感想;疲れない。転ばない。蒸れない。履き心地良い。
その他:収納袋(1トンまで収納可)
茶色のマント(効果:状態異常抵抗、精神異常抵抗)
⇒リューキの感想:エッチな気持ちがおさまる
③ヴァスケルの今の格好
上着:丈の短い白いTシャツ+淡いピンク色のジャケット
パンツ:クラッシュデニムのショートパンツ
靴:フラットなサンダル




