第五十九話:フリーター、大人買いする
タナカ商会の倉庫から事務所に移動する。
俺と姐さんヴァスケルは、来客用ソファに座る。ソファは硬いが密着するヴァスケルは、むにゅんと柔らかい。おっと、そんな感想は不要だね。これは失敬。
テーブルを挟んだ向かいのパイプ椅子には竹本さん。
脇に立つのはパンチパーマのタナカ。
タナカは背筋をピンと伸ばして、妙に姿勢が良い。どうやらヴァスケルを怖がっているみたいだ。意外とビビりだね。まあ、理解できるけどさ。
パンチのタナカがテーブルの上に世界地図を広げ、フィリピンを指さす。
あらためて見た熱帯の地は、島がたくさんある国という印象。平凡な感想ですいません。
「兄ちゃん。ニュースに出てるのは、権藤がマニラで消息をくらましたとこまでだ。で、俺が知ってるのは、権藤が買い取るはずだったクルーザーがプエルト・ガレラの港から消えたってことさ」
「タナカさん、それはいつの話?」
「船の管理人から連絡があったのは二時間前。海外逃亡するような奴だが、まさかクルーザーを強奪するとは思わなかった……畜生!」
俺の決めゼリフを取らないでくれと思いながら、地図を見る。プエルトなにやらがどこだか分からない。俺の疑問をパンチのタナカが解決してくれる。
首都マニラがあるのがルソン島。
ルソン島の南にあるのがミンドロ島。
ミンドロ島の北にある海辺の街がプエルト・ガレラだ。日本ではあまりなじみがないが、ヨーロッパでは結構有名なリゾート地らしい。
「権藤が潜伏してるのはプエルト・ガレラの近海ですね。フィリピンの国中探すより捜索範囲が狭まって良かったです」
「兄ちゃん、なに言ってやがる。飛行機に乗ってフェリーに乗り継いでなんてしてたら、向こうに着くまで一日じゃ済まねえ。その間に遠くに逃げちまうぜ」
「まあ、そこのところは……」
俺は言葉を濁す。
龍のヴァスケルにひとっ飛びしてもらうなんてとても話せない。いや、話したところで信じてもらえないからね。というか、そもそも俺はパスポートなんか持ってない。人間界にいられる時間も短いし、不法入国するしかない。うん、相変わらず、ないもの尽くしだね。はは。
「タナカさん、我具那組の総力を挙げて権藤を捕まえます。奴が交渉に応じなかったら、力づくでも奪い返すつもりです。場合によっては船が沈んじゃうかもしれませんが……」
「勘弁してくれ! クルーザーを用意するのに三億円もかかったんだ! 沈んじまったらタナカ商会は倒産する。そうなったら、俺はもう生きては……」
いやいや、そんなに簡単に死ぬ死ぬ言うな!
よし、分かった! 俺は親分。ここは任せろ!
「クルーザーは我具那組で買い取ります。だったら文句はないですよね?」
「兄ちゃん。三億だぜ? いくらなんでもそんな簡単に……」
俺は後ろを向く。背負っていたリュックの口を開けながら、こっそりと収納袋からワーグナー棒を一本取り出す。テーブルの上に黄金色の板をドスンと乗せると、タナカも竹中さんも息を呑むほど驚いた。
そりゃそうだよね。
十キロはある金の延べ棒は、ひとつだけで数千万円の価値があるはずだからね。
「金はないが、金ならある。これ十本でクルーザーを売ってください」
「兄ちゃん……おめえ、いったい、何者だ?」
「あん!? 何度も同じことを言わせるんじゃないよ! リューキはワーグナーの主さ。そんで、あたいがリューキの愛人で……」
「ヴァスケル、説明ありがとう。ややこしくなるから、あとは俺に任せてくれ」
パンチパーマの疑問を艶っぽい姐さんが一蹴する。
ヴァスケルの言葉を俺が引き継ぐ。
タナカは震えながら頷いている。
ええもう、ヴァスケルの発言はとっても説得力がありますね。
てか、ヴァスケルは妙に愛人を強調するな。
俺の愛人なのが誇らしいのか? 俺の方こそ、ありがとうだけどね。
「タナカよ。私も驚いたが辰巳くんの話を聞こうじゃないか。私は〇×電気工業で働いていた彼を知っている。ボーっとしてて何度も製造ラインを止めてしまうような男だったが、悪い人間ではない」
諭すように竹本さんが言う。
若干気になるコメントはあるが、俺を褒めてくれている。ふっ、照れるぜ。
親友の言葉にパンチのタナカが唸る。だが完全には納得できないのか、言葉を代えて反論してくる。
「けど、あの権ちゃんだってそうだったじゃないか! まさか俺たちを裏切るとは思わなかっただろ?」
権ちゃん?
「タナカ。権藤のことはもう言うな。俺らくらいの年で、若くてキレイな嫁さんをもらったんだ。おかしくもなるさ」
「俺たちは半世紀の付き合いだぜ!? それが、こんなにあっさり……」
言葉が続かず、タナカが泣きだす。本日二度目の光景。見た目に反して、パンチパーマは泣き虫だった。むせび泣くタナカの肩を竹本さんが抱く。これもデジャビュのように再現された情景。申しわけないが、オッサンふたりの抱擁は何度見ても感情移入できない。てことより、なんで権藤の名前が出てくるんだ?
「つかぬことお伺いしますが、おふたりは権藤とは昔からの知り合いですか?」
「えっぐ、おっぐ……へへ、また格好悪いとこ見せちまったな……そうさ。俺たちは権ちゃんと幼なじみだ。もう縁は切られちまったけどな」
パンチのタナカが、ツナギのポケットから一枚の写真を取り出す。
セピア色のボロボロな写真には三人の少年が映っている。
写真に写る一番左の少年は、幼いころのタナカ。
ランニングシャツを着た坊主頭。
子どものころはパンチパーマじゃなかったんだね。
真ん中は竹本さん。
利発そうな細身の少年の髪は長髪。
そうだよね。昔は髪がフサフサしていたよね。
すると、一番右の少年が権藤か。
なるほど。クルーザーに乗った成金趣味のオッサンの写真と見比べると、極太眉毛とタラコ唇が共通している。
「権藤は真面目な男だった。親から引き継いだ〇×電気工業を堅実に経営してた。酒もタバコもやらず、趣味らしい趣味といえばコイン集め。それも出張ついでに地方の古物商を巡って掘出し物をコツコツ探すような地味な楽しみ方をしてた。社長なのに威張らず、従業員を大切にしてた男だ。ヘマをしてリストラされた私を雇ってもくれた。そんな男が一年前に若い嫁さんを貰ってからおかしくなったのさ」
「おかしい? どんなふうに?」
竹本さんに投げた質問に、パンチのタナカが代わりに答える。
「権ちゃんは会社をたたんで海外で暮らすと宣言したんだ。クルーザーを買うと言ったのもその頃だ。生真面目な権ちゃんがそんなことを言い出したから、俺も最初は驚いたぜ。けど、長い間地道に働いてきた自分へのご褒美と言われれば、それもアリかなと思ったんだ」
「それで、タナカさんはクルーザーを手配したんですね」
「会社を売れば、まとまった金が手に入る。だから支払いは心配ないって話をそのまま信じたのさ。何しろ権ちゃんの言うことだしな。けど、結局、誰も彼もだまして……」
パンチのタナカが下を向く。
またもや涙腺が緩んでしまったようだ。
「モジャモジャは泣いてばっかりだねえ。仕方ない、ゴンドーって悪党は殺さないでおくかね」
「ヴァスケル、ありがとう。お前は優しいな」
「はあ!? 今頃気がついたのかい!」
姐さんヴァスケルがそっぽを向く。
素直な反応がかわいらしい。
「タナカさん。権藤を捕まえる手はずを整えるので、俺たちは我具那組の事務所に戻らなきゃならない。メモを預けるので、買い物をお願いできますか?」
買い物をする時間がなさそうな気がしてきたので、タナカに頼むことにする。
俺はリュックから紙の束を取り出し、タナカに手渡す。ジーナ・ワーグナーや女騎士エリカ・ヤンセン、エル姫へのお土産リストだ。
「『ティラミス、アップルパイ、シュークリーム、大きな板チョコ……』、なんじゃこりゃ? コンビニのスイーツとお菓子か。で、こっちは『抹茶チョコ餅もち、こだわり卵の生どら焼き、安納芋のひと口くち羊羹……』。最初のメモと同じようなもんだが全部和風だな。で、最後は『紙の作り方の本、染料の作り方の本、甘いお菓子の作り方の本……』か。本ばかりだけど、えらく抽象的だな」
「明日までに揃えられるだけ揃えてください。三つ目の本のリストは適当に見繕ってください。代金は金で払います」
「マジかよ!? いや、兄ちゃんを疑うわけじゃねえけど、ホントに金の延べ棒をそんなにたくさん持ってんのか?」
「はあ!? モジャモジャのくせに、リューキを疑うってのかい?」
「いや、だって、その……」
ヴァスケルの後押し(?)は嬉しいが、パンチのタナカの気持ちも分かる。仕方ない。俺は現物を見せることに決めた。
「我具那組の連中に金の延べ棒を倉庫に運び込むように伝えてあります。俺たちは先に行って確認するから、五分後に倉庫に来て下さい?」
「兄ちゃん! 俺の倉庫に勝手に!」
「あん!? モジャモジャ! なんか文句があんのかい?」
「あ、姐さん、いえ、なんでもございません。どうぞわが家だと思ってご自由にお使いください」
力関係を再確認できたところで、俺とヴァスケルは事務所をあとにする。
◇◇◇
タナカ商会の巨大倉庫に移動する。
中に入るとクリーム色の水たまりができていた。クラムチャウダーの海だ。食べ物を粗末にしてはいけないという道徳観が呼び起こされて心が痛む。別に俺が悪いわけではないが。
収納袋からワーグナー棒を取り出す。八十本の金の延べ棒。ワーグナー城の黒檀の塔に保管されている量に比べれば微々たるものだが、人間界では相当な財産だ。
全部出さなくても良かったと思い直していると、背後から悲鳴が聞こえて来た。
「な、なんじゃこりゃーー!?」
古い刑事ドラマの殉職シーンのようなセリフ。
パンチのタナカだ。
まだ約束した五分は経っていないはずだが……まあいいや。見られてしまったからには、いっそのこと全部渡してしまおう。
「タナカさん。これで足りる?」
「足りるなんてもんじゃねえ! 十億、いや二十億円分、違う……もっとあるか」
「じゃあ、買い物は頼みますね」
「ああ。しかし、さすがに多すぎるぜ」
「多い? じゃあ」
俺は姐さんヴァスケルからファッション誌を受け取る。そのままタナカに渡し、追加の買い物を頼む。
「その雑誌で紹介されてる化粧品をぜんぶ買っておいて下さい。あと、その雑誌のバックナンバー一年分と、似たような雑誌があればそれも最新号からバックナンバー一年分お願いします」
「俺はそういう方面は疎くて……ん? 表紙に『タナカ不動産』って書いてある。この雑誌はミヤコの店のじゃないか!」
パンチのタナカが、思わぬところに驚く。
「もしかして、不動産屋のお姉さんはタナカさんの親類ですか?」
「ミヤコは姪っ子だ。そうだな、最近客がいなくて暇そうにしてるから、化粧品はあいつに頼むか」
「ファッション誌もね」
「分かった。頼んでみる。あと、倉庫にあるものは何でも好きなだけ持って行ってくれ! 俺も商売人の端くれ、売った分しか代金は受け取れねえからな!」
交渉成立。
時間切れでヴァスケルと買い物に行けなくなる可能性も高い。だから、これは保険みたいなものだ。
そんなことをヴァスケルに話すと「仕方ないねえ」と残念そうに返答される。
ヴァスケルは化粧品より、お出かけそのものを楽しみにしていたようだ。申し訳ない。この埋め合わせはいつかしなければいけないな。
時刻は午前十一時半ーータイムリミットまで二十二時間三十分。
さあ、南の国に向けて出発だ。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。




