第五十五話:ジーナさん、駄々をこねる
ローグ山の上空。
暗闇を飛ぶ守護龍ヴァスケルの腕から身を乗り出す。進行方向の東の空が白み始めたのが分かる。しばらくすると眼下にワーグナー城が見えてきた。
古びた山城は、巧みに偽装を凝らしたように黒い山肌と半ば一体化している。ともすれば城全体が岩の塊に見えないこともない。いや、じっくり観察すると、城のほとんどは自然の岩を削り出して造られたのだと分かる。
なるほど、俺が手に入れたのは城と言う名前の彫刻だったのか……それはそれですごいんだけどね。
守護龍ヴァスケルは高度を下げ、着陸態勢に入る。ようやく帰って来られたと、俺は感慨に浸る。安心感を覚えた俺は、旅の供のエル姫に声をかけた。
「エル。ワーグナー城が見えて来たぞ!」
沈黙。
「ん? 寝てるのか? おい、起きろ! これからの住まいだ。よく見ておけよ」
沈黙が続く。
「エル? また失神しちまったのか?」
すぐ横にいるエル姫の顔をしっかり見る。エル姫の目はあいている。ただし、白目をむいていた。
「エル? エルさん? エルメンルート・ホラント姫さん?」
無言、無音、そして微動。エル姫はピクピクと痙攣をおこしている。
「ヴァスケル! 急げ! エルの様子がおかしい!!」
「あん!? 姫さんがおかしいのは最初からじゃないか」
「違う! 頭じゃなくて、本気で生命が危うい! 急いで城に向かってくれ!」
「仕方ないね、飛ばすよ!!」
途端にGを感じる。重力のG、本気のGだ。「大きくなったらロケットに乗って宇宙に行くんだ!」なんていう少年の夢をぶっ壊しそうなくらい強烈なGが、俺に襲いかかってくる。
「ふおおっ、あうお……」
自分が何を喋っているのか分からない。
自分の身体がどうなっているかも分からない。
鉛のように重くなった腕を懸命に伸ばし、エル姫をつかむ。守護龍ヴァスケルの胸に押し付けられていたエル姫を引き剥がし、両腕に抱える。意識のないエル姫の顔から涙や鼻水やよだれが飛び散るが、気にしている場合ではない。
瞬時に、身体が軽くなる。反動で俺はエル姫の頭突きを喰らう。星が飛ぶ。頭がぐらんぐらんする。俺たちはワーグナー城に到着はした。確かに急ぐよう頼んだが、もう少し加減して欲しかったと強く思った。
◇◇◇
「頭が痛いのじゃ。変な場所にぶつけたのじゃ」
「エル。変な場所とは失礼な! お前が頭をぶつけたのは、俺のおでこだ! 俺が抱きかかえてやらなかったら、タンコブどころじゃ済まなかったぞ」
ワーグナー城の中庭。
エル姫が、思いのほか元気な様子で文句を言う。
俺は、おでこをさすりながら言い返す。ぷっくりと膨らんだタンコブはふたりでお揃いだ。
「リューキよ。わらわが気を失っておる間になにをしようとしたのじゃ? 第一夫人のジーナに申し訳ないゆえ、いましばらく堪えるのじゃ」
エル姫に窘められる。のっぺり化粧の顔で言われると虚しくなる。せめて素顔の美人顔で叱ってほしかった。いや、別に変な性癖があるわけではないが。
「なんだい!? リューキは、あたいの腕のなかで姫さんにちょっかいを出そうとしてたのかい! まったく、油断も隙もない男だねえ」
擬人化したヴァスケルにも窘められる。そんな姐さんヴァスケルは落ち着いた装いではない。むちむちの身体を覆う布地が少ない格好。スバラしいふたつの山がこぼれ落ちそうな堕天使モードだ。朝も早よから良き眺め。いやいや、俺は身の潔白を晴らさなきゃならないのだ。鼻の下を伸ばしている場合ではない。
「ちょっ、待てよ! ワザとからかってるのか? あんな状況で変なことできるわけないだろ?」
「リューキさまっ! 変なことってなんですかー?」
声のした方を向く。元領主のジーナ・ワーグナーが立っている。
俺がワーグナー城を留守にしていたのは半月余り。なので、懐かしさを覚えるほどではないが、なぜか妙に久しい気持ちになる。この異世界――「魔界」での生活の密度が濃いってことかもしれない。
「ジーナは朝が早いな。ていうか、準備万端だな」
ジーナ・ワーグナーは紺色のスーツに着替えている。正直な話、海外モデルのようなド派手な金髪美人のジーナに、安っぽい地味なスーツは似合わない。あくまで俺の世界――「人間界」を訪問するための変装だ。
「リューキさまっ! ローンの支払期限が迫ってます。早く行きましょうー! ほわっ!? その娘がエルちゃんですね! はじめまして! わたし、ジーナ・ワーグナーですっ! ウチのリューキさまがお世話になってまーす!」
「歓迎してくれて嬉しいのじゃ! リューキよ、我が従妹殿は元気があって、かわいい女子じゃのう。安心して第一夫人を任せられるのじゃ」
「ふへっ? 従妹? 第一夫人? リューキさま、なんのことですかー?」
「う……話せば長くなるから、それは人間界で話すよ」
人間界訪問、ひいてはスイーツ爆買いを目前に、ジーナさんはハイテンション。そんなジーナの追及を俺は懸命にかわす。話せば長ーくなるからね。ちゃっちゃとうまく話せる自信もない。
「わっかりましたー! では、行きましょー!」
「慌てるな! 俺は何の準備もしてない。収納袋のなかはエルの荷物でいっぱいだ。ローン支払い用の金貨一万枚も持ってない」
俺は胸を張って堂々と言う。別に威張ってるわけではない。強気に行かないとジーナのペースに巻き込まれてしまいそうだからだ。まあ、既に人生そのものが巻き込まれてるんだけどね。
「金貨といえば、帝国財務局の役人が来てましたよー。追い返しましたけど」
「財務局? 何しに来たんだ?」
「金貨が消失したっていうんです。おかしな話ですよねー。ワーグナーには金貨保護を解除できる者はいないし、そんな勿体無いことする理由もないのにねー」
「金貨保護? ますますわからん? 金貨には魔法がかけられてるのか?」
「なんじゃ。リューキはそんなことも知らぬのか。金などというありふれた金属を貨幣に使こうておるのじゃ。贋金対策をせぬわけなかろう。金貨には一枚一枚特殊な魔法がかけられておるのじゃ」
とても不安な気持ちになる。
俺は人間界のお金欲しさに、魔界の金貨をタナカ商会に売ってしまった。正確には価値を鑑定中だが、前金は受け取ってしまっている。
「教えてくれ! もし、うっかり金貨を破損したり融かしたりしたら、どうなる?」
「死罪に決まっておろう。のう、ジーナよ」
「エルちゃん、異国のお姫さまなのにすごーい! リューキさまより、ぜんぜん詳しいですわ!」
「はっはっはっ、なんのなんの。リューキが常識に疎いだけぞよ」
軽くディスられるが、それどころじゃない。
なんだと!? 俺、死んじゃうの?
小遣い稼ぎをしょうとしただけなのに?
えろうすんません。次から気をつけます! じゃ、そーゆーことで。
なーんて、都合よくいかないだろうな。
畜生!
くっ、こうなったらタナカ商会に預けた金貨を取り戻すまでだ。
転売されていたら、力づくでも取り戻すまでだ!
問題は人間界にいられる時間が一日しかないことだが……
「ジーナ。お前、ケンカできるか? 空飛べるか? 二十四時間戦えるか?」
「リューキさま、無理でーす!」
「だよねー」
回答の分かりきった質問をしてしまう。とはいえ、一応は聞かなきゃならんだろうから意味がないわけではない。
「ヴァスケル。お前は? ケンカは……強いな。空は……飛べるな。俺のために二十四時間戦ってくれるか?」
「リューキ! あたいを何だと思ってるんだい! 戦うに決まってるだろう!」
期待通りの回答が得られて嬉しい。俺の腹は定まった。あとはどうやって話を持っていくかだな。
「ジーナ!」
「はいっ! なんでしょう!」
俺は正座をし、上半身を折りたたむ。手はきちんと揃えて膝の前に置く。そう。日本古来の伝統に則った謝罪の方法、「土下座」だ。
「人間界にはヴァスケルを連れて行く。お前が異世界訪問を楽しみにしてるのは分かってるんだが……」
「イヤです、イヤです、イヤです、イヤです、イヤです、イヤです……」
「そこをなんとか。このとおり謝ってるじゃないか。今回は我慢してくれ!」
「ムリです、ムリです、ムリです、ムリです、ムリです、ムリです……」
「買ってきてほしいスイーツがあれば、なんでも買ってくるから! 他にはなんだっけ? スウェットが欲しいって言ってたよな。服でも靴でもお前が欲しいものがあれば買ってくるから。なあ、それで許してくれないか?」
俺は懸命にジーナをなだめようとする。が、ジーナはお菓子を取り上げられた小さな子どものように激しく泣き出す。
「う……うう……うえーーーん。リューキさま、ひどすぎますー!! 連れて行ってくれるなら戦いますうー、空も飛びますうー」
「え? ジーナは空を飛べるの?」
「そんなわけないじゃないか! ジーナは、ちょいとばかり錯乱してるだけさ。あたいも人間界に興味がないわけじゃないけど、ジーナがこんなに行きたがってるんだから、連れてってあげればいいじゃないか!」
号泣するジーナの頭を、ヴァスケルがよしよしとなでる。当然のように、ジーナを同行させてやれと俺に勧めてくる。
「むむむ……仕方ない、正直に白状しよう。実は金貨を一枚、人間界で売り払ってしまったんだ。いや、こんなに大事になるとは思わなくて……」
俺は告白する。
そりゃーもう、浮気がバレた旦那さんのようにオドオドと。
「まったく! リューキはなんてことするんだい!」
「いや、もう、スマンとしか言いようがない。俺が金貨を手放してからひと月たつ。誰の手に渡ったのか見当もつかない。金貨を探そうにも、向こうに滞在できるのは一日だけ。だから、ヴァスケルの力を借りたいんだ!」
「リューキは仕方のない男じゃのう。ジーナをなだめてやるゆえ、わらわにも土産を頼むぞよ」
エル姫が騒ぎに割って入って来る。
藁にもすがる思いで、俺はフォローをお願いする。
エル姫がジーナに寄りそう。なにやらヒソヒソと耳打ちをする。
あうあうと泣き続けていたジーナの動きが止まる。
ジーナとエル姫は「え! マジ?」「うん、マジ!」みたいな視線を交わす。
いやいや……エルメンルート・ホラント姫さんよ。
お前さん、何かとんでもない約束をしてないかい?
そういえば水の精霊の殿下とやらともなんか約束してたよな?
そもそも、ワーグナーに十万Gの請求書をまわしてきたのはお前じゃないか!
「亡国の微女」の異名は伊達じゃないってことか。
くっ、こうなったら……
「待ってくれ! いまの話はなかったこと……」
「リューキさまっ! ヴァスケルさま! 頑張ってください! わたし、応援します!」
「お!? おう……任せろ」
「なんだい、ジーナの目がキラキラ輝いてるじゃないか。姫さんはジーナになにを言ったんだい?」
「ふっふっふっ……じゃ。わらわの理論が正しければ、ジーナだけでなく、みんなが幸せになれるのじゃ」
エル姫が懐から紙とペンを取り出す。なにやら猛烈な勢いで書き物をはじめる。人間界で買ってきて欲しい土産物リストだというが、とんでもない数だ。
どうやら、今回の人間界への帰省はとてつもなく忙しくなりそうだ。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
昨夜頑張って書き進めたので、投稿させていただきます。




