第五十四話:フリーター、人生を見つめ直す
守護龍ヴァスケルが大空を舞う。
目指すのは、もちろんワーグナー城だ。城では元領主のジーナが、俺の帰りを首をながーくして待っているはず。ジーナは俺のローン返済に同行してスイーツを買うのを楽しみにしてるからね。
はは、かわいいもんじゃないか。
空飛ぶ龍に抱えられているのは、俺とエル姫のふたり。旅の供は「亡国の微女」こと、エルメンルート・ホラント姫。ジーナの従妹でもある彼女は、なぜか俺の第三夫人を自称している。
まあ、その話は置いとくとして……
「ヴァスケル! 水辺を見つけたら降りてくれ! エルが気を失っちまった」
「またかい! 弱っちい姫さんだねえ。これじゃあ、今日中に城に着かないよ!」
「そう言うなって。俺だってはじめて龍飛行を経験したときは散々だったからな。ローンの支払期限まで二日あるし、明日の朝までに城に着ければいいさ」
「なんだい! あたいは、さっさと城まで飛んで、ひとやすみしたいんだけどね」
「悪いな。人間界で土産を買ってくるから勘弁してくれ。何か欲しいものがあるか? お前もスイーツ好きか?」
「あたいは甘いものより……おっと、泉だ。仕方ない、あそこに降りてやるよ」
守護龍ヴァスケルがグライダーのように滑空する。
俺は、ヴァスケルの逞しい腕から身を乗り出し、眼下を眺める。
深い森のなか、バスケットボールのコートほどの広さの空間が空いている。開けた草むらの中央付近、午後の陽射しを受けてキラキラ輝く小さな泉がある。龍の姿に驚いたのか、シカやウサギらしき群れが逃げてくのが見えた。
森の動物たち、すまんな。
あまり水辺に長居はしないから許しておくれ。
守護龍ヴァスケルが泉のそばに着地する。俺とエル姫をそっと下ろし、自らの姿を龍から姐さんに擬人化させる。あらわれたのは服の布地が少なくて露出の多い「堕天使バージョン」の姿だった。
「ヴァスケル。外では控えめな格好をしてくれって頼んだよな?」
「あん!? 誰も見てやしないよ。それよりさ……いいだろ?」
「な、な、なにを?」
「あたい……もう、待ちきれないんだよ」
姐さんヴァスケルが、一歩、また一歩と俺に近づく。褐色のふたつの山は健在で、歩くごとにゆっさゆっさと揺れる。緑の森と青く澄んだ泉に負けないスバラしい光景に、俺の目は釘づけになる。
うむ。やっぱり、ネイチャーよりネエちゃんだな。
おっと、つまらないダジャレを言っちまった。えろうすんません。
「リューキ……さあ、はやく揉んでおくれよ」
頬を赤らめ、潤んだ瞳を伏し目がちにしながらヴァスケルが言う。あまりの艶めかしさに、俺の意識は遠のいてしまう。
……いいのかい? ホントに? ホントにホントだな? くっ、イザとなったら尻込みしちまったぜ。俺ってば、とんだチキン野郎だな。それにしても大っきいよね。弾力もありそう。ぽわんぽわんで、ふわんふわんだな。いや、そんな生やさしいものじゃない。ぼきゅんぼきゅんで、ばいんばいんかな? まあ、なんでもいいや。とにかく破壊力抜群さ。圧倒的だね。顔を埋めたら息が詰まりそう。それも本望だな。そう、男のロマンさ! にしても、あんなに大きくちゃあ、重くて肩が凝りそうだ。うん? そうか、肩が凝るか……
「ヴァスケル。揉むって、肩のことか?」
「あん!? 白磁の塔であんたが約束してくれたんじゃないか? ほかにナニがあるって言うのさ?」
「いや……いちおう確認したまでだ」
「リューキたちはダゴダネルに手を焼いてたようだけど、あたいも大変だったんだよ。ワーグナー領の東からカスパーのやつらがちょっかいを出してきて」
「なに!? ヴァスケルの姿が見えなかったのは、そういう理由だったのか!」
「カスパー領のドワーフ族とは昔っから揉めてるのさ。鉱山をめぐってね」
今度はドワーフが出てきたか。
ワーグナー領のあるローグ山には鉱山がたくさんあるし、ドワーフと揉め事があってもおかしくないか。まったく、揉んで良いのは、肩か乳くらいにして欲しいものだ。いや、乳はダメか。ヘタに揉んだら揉めそうだ。
むう……ややこしいな。
「ヴァスケル! 悪いが肩揉みは後回しだ。エルを起こしてやらないと」
「なんだい、しょうがないね。ていうか、姫さんは本当にジーナの従妹なのかい? あたいはまだ信じられないけどね」
「そう言われてもなあ……いや、ちょっと待ってくれ! 証拠を見せてやるよ!」
俺はエル姫を背負う。小さな泉のそばまで運び、草むらにそっと横たえる。収納袋からタオルを取り出し、冷たく澄んだ泉に浸し、軽くしぼる。ふたたびエル姫を抱き起こし、能面のようなのっぺり顔をガシガシこする。
「ひえっ! 冷たいのじゃ! 顔が痛いのじゃ!!」
「エル、気がついたか。お前、龍飛行中に気を失ったんだよ」
「生まれてはじめて龍に乗ったのじゃ!? 気絶くらいするのじゃ!!」
「あん!? あたいの龍飛行が乱暴だっていうのかい……おっと、こいつは驚きだねえ。姫さんの素顔はジーナそっくりじゃないか!」
ヴァスケルの大きな黒い瞳が見開かれる。
ワーグナー家の守護龍も、エル姫がワーグナー家の系譜だとわかったようだ。
「あわわ! わらわの化粧が落ちておる! リューキよ、なんてことしてくれるのじゃ!」
「エルの素性の説明には、素顔を見せるのが手っ取り早いと思って」
「女子の化粧を勝手に落とすなどイケないことなのじゃ! まあ、リューキはわらわの夫になったばかりじゃ。これからは注意してくれぞよ」
「なんだって!? リューキは姫さんと結婚しちまったのかい?」
「安心せい。わらわは第三夫人じゃ。従妹のジーナが第一夫人で、女騎士エリカ・ヤンセンが第二夫人じゃ」
ヴァスケルの大きな黒い瞳がさらに見開かれる。
エル姫がジーナの従妹だと知った以上に、ヴァスケルは驚いたみたいだ。
「お前が驚くのも無理はない。正直、俺もよくわからないうちに……」
「で、あたいは? あんたの卵を産んでやるって約束したじゃないか!!」
「そっちかよ!? てか、約束したというより、ヴァスケルが一方的に宣言したというか……」
「ヴァスケルよ、第四夫人もあるが、愛人枠ならば完全に空席じゃぞ?」
「愛人なら一番かい? よっしゃ! あたいがリューキの愛人第一号さ!」
「ヴァスケル、待て! 本当にそれでいいのか? そもそも俺は……」
「なんだい! 細かいことにうるさい男だねえ! あたいの本性は龍なんだよ! あたいがあんたの嫁さんらしいことできると思うのかい?」
「それは難しそうだな」
「だったら愛人でいいじゃないか!! だろ?」
「いやいや、問題は第四夫人と愛人のどっちがいいかって話じゃなくて……」
「じゃあ、なにかい! あたいだけ除け者にするっていうのかい! ヒドいじゃないか! あんまりだよ!!」
「リューキよ。ヴァスケルがかわいそうではないか。仲間はずれは良くないぞ」
「ええ!? えーと……その、ごめんなさい。俺の愛人でお願いします」
納得するというか、説得されてしまう。正しくは押し切られた感じだ。でもまあ姐さんヴァスケルは心底嬉しそうな顔をしている。むにゅんと抱きついてきたので、よしよしと頭をなでてやる。ヴァスケルも皆と一緒が良いのかな。アダルティな見た目やきっぷが良い口調とギャップがあるけど、実は寂しがり屋なのかもしれないね。本人が満足するなら愛人で良いか。俺とヴァスケルとどっちが囲われてるか知らんけどさ。
と、無理やり納得しかけたところで、根本的な問題を思い出す。
「俺たち、ジーナがいないところで勝手に話を進めてるけど、あいつにどう説明するんだよ?」
「リューキよ。それは、おぬしが考えることじゃ」
「あたいもそう思う。まあ、精々頑張んな」
おいこら、ちょっと待て!
なんだ、その丸投げな態度は!
くっ、ホントに、俺はジーナに何といえば良いのやら……
……ジーナ! 大事な話がある、俺と一緒になってくれ! (格好良く、ビシッと決める) それだけじゃない。この際、皆まとめて面倒をみちゃおうって思うんだよ。女騎士エリカが第二夫人で、エル姫は第三夫人だ。そしてなんと、ヴァスケルは愛人さ! はは、にぎやかな家庭になりそうだね。俺、大きな家を建て……じゃなくて、いっぱい領土を広げるよ。だからさ、イエスって言ってくれないかな。ジーナは俺のこと嫌いじゃないだろ? え? 自分勝手な話だって? うん、そうだね。俺もそう思うよ。自分の要求ばかり押し付けてるよね。でもまあ、世の中そんなひとばかりっすよ。はは、他人事みたいにゴマかすのは良くないよね。自分で言っておきながら嫌になります。なんだか空しくなってきたよ。このまま妄想さんにご活躍頂いても、ちっとも楽しくなる気がしないな。おお、妄想世界で理性を取り戻すとはこれは如何に!? うん、まあいいや。だからさ……
意識が戻る。
深い森のなか、澄んだ泉のそば。
見渡す限り、ひとの姿はない。
そう。俺は大自然のなかにひとりぼっち。
なぬ? ヴァスケルとエル姫はどこ行った?
俺が妄想世界に旅立っている間に、俺の愛人と第三夫人はどこへ消えたのだ?
まさかおいてきぼり? 俺、もう捨てられたの?
畜生ー!
「おお、リューキが正気に戻ったようじゃな」
「なんだい、今日はずいぶん早いじゃないか。これから肉を焼こうってときに」
森の奥からふたりがあらわれる。
姐さんヴァスケルは艶っぽい格好のまま、自分の身体の倍もデカい熊をずりずりと引きずっている。なんかシュールだ。
「で、ジーナにかける言葉とやらは思いついたのかい?」
「ヴァスケル。それがさっぱり……だいたい、あいつが俺のことをどう思っているかもイマイチ分からないし」
「いまさら何言ってんだい!? あんたの胸の龍がジーナの気持ちだろうが!」
あらためて自分の衣装を見直す。
出立前にジーナが贈ってくれた彼女お手製のシャツ。胸には芸術作品ばりに縫われた見事な龍の姿がある。
「この刺繍がどうかしたのか?」
「本気で言ってんのかい? 貴族が自家の紋章をあしらった品を贈るのは、求婚の儀に決まってるだろ!」
なんですと!?
贈り物の衣装はそういう意味があったのか!
えーと、落ち着け、俺。
思い出せ、俺。
記憶を整理しろ、俺!
うん……そうか……
出立前、ジーナはかなり手間をかけて旅の衣装を作ってくれた。俺が受け取ると、ジーナは涙を流して喜んでくれたんだっけ。「ワーグナー家に所縁のある者しか身につけられない」とも言ってたな。
所縁か……ワーグナー家に婿入りするって、これ以上ない縁だよな。にしても、ジーナはもっと丁寧に説明してくれれば良かったのにさ。まあ、俺がニブいだけかもしれんけど……
城のローンは残り九年十一か月。
気づけば、愛人ひとりに妻三人。
うむ、人生とは波乱万丈だな。
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