第五十二話:フリーター、燃える街に入る
ダゴダネル城が燃える。城を囲む城下町にも火災が広がる。大通りに面する商店、酒場、宿屋から住居まで、一様に炎に包まれている。
街の支配者たるホブゴブリン。
住民の大半を占めるゴブリン。
少数ながらも街に住まう獣族、ヒト族。
種族に関係なく住民たちが逃げまどう。
喧騒のなか、避難民に紛れて、黒鎧の敵兵が街中をさらに放火してまわる。辺境とはいえ、ダゴダネル領の首都ともいうべき街は混乱の渦のなかにあった。
混乱を鎮めるため、ジーグフリード率いる軍勢が街に突入する。もちろん俺も一緒だ。
「よくも自分たちの街に火をつけられたもんだな。ぶっ殺してやる!」
ジーグフリードが激怒する。紳士であろうと努める彼も、頭に血が上ると本性をあらわしてしまう。ゴブリン・ロードといえど、根は血気盛んなゴブリン族なのだ。
「ジーグフリード。倒すのは火をつけてまわる連中だけにしろ。住民の避難誘導、負傷者の救出、消火活動が優先だ」
「あっ、はい……申し訳ございません、つい」
「いいさ、お前の熱いところは嫌いじゃない。では頼むぞ」
俺の命令に素直に従い、ジーグフリードが指示を下す。配下のゴブリン兵が四方に散る。そう、虐げられていたゴブリン族が、虐げていたホブゴブリンの住民を救うために奮闘しているのだ。なんとも皮肉な話だ。
「薄汚いゴブリンども、邪魔だ! どきやがれ!」
細い路地から若いホブゴブリンの大男が飛び出してくる。大男は黒鎧を纏っていない。威張ってはいるが、兵隊ではなく街の住民なのだろう。
そのホブゴブリンは、避難民を蹴散らし、我先に火の手から逃れようとする。
「なんだい!? 行儀がなっちゃいない奴がいるね。リューキ、死んじまわない程度に礼儀作法をしつけるのはいいだろ?」
「ヴァスケル、許可する」
「あいよ!」
姐さんヴァスケルが、ぷるんぷるんしながら前に進む。こんな状況でも無駄に色っぽい。ただし、今回のお仕置きはまったく羨ましくなさそう。
「ヒト族が何の用だ? どけ!」
「ヤダね! あんたこそ、ちゃんと順番を守りな!」
「なんだと!? 俺にゴブリンどもの後ろに並べっていうのか? そんなことできるか! 殺されたくなかったら、さっさと失せろ!」
「弱っちいくせに口だけは達者なガキかい。強めのお仕置きが必要だねえ!」
「な!? クソ女あ!!」
若いホブゴブリンが太い右腕を振り上げる。
対して、姐さんヴァスケルは微動だにしない。いや、艶っぽい唇が微かに笑う。
無道な男の拳が振り下ろされる。大丈夫だと頭では理解していても、俺は思わず声を上げそうになる。実際に声を出したのは、若いホブゴブリンの方だった。
乱暴な若い大男の腕は、ヴァスケルに軽く振り払われただけに見えた。だが、骨が砕けた嫌な音は、街の喧騒に掻き消されることなく俺の耳に届いた。
「ぐわあっ! 腕が……俺の腕が……」
「なんだい!? だらしないねえ。あんたが蹴散らしたゴブリンたちは痛みに耐えて黙ってるってのにさ」
「くそっ! 殺してやる!」
「はあ!? 懲りない男だねえ」
若いホブゴブリンが無事な方の左腕で殴り掛かってくる。
姐さんヴァスケルは、男の拳が落ちてくるタイミングで、軽く腕を振り上げる。
ボグリッ!
鈍い音とともに、カウンターを喰らった乱暴者が宙を舞う。男は体操選手のようにくるくる回転し、半ば焼け落ちた家の屋根に突き刺さる。漫画のようなコミカルな動き。
てか、あいつ生きてるよな?
「あたい、力加減を誤ったみたい。頑丈そうな奴だから大丈夫だろうけどさ」
ヴァスケルがこともなげに言う。
お色気ムンムンな姐さんの正体は、擬人化した龍。決してケンカを売ってはいけない相手。失神した(だけであろう)ホブゴブリンは、若いうちに良い人生勉強ができて良かったと感謝すべきだな。うん、間違いない。
「お頭! 火の勢いが強すぎるだあ!」
「街中の井戸から水をくみ上げろ! 足りなければ、川から水を運んで来い!」
「ダメだあ! 追っつかねえだあ!」
ゴブリン兵たちが悲鳴をあげる。ジーグフリードが指示したように懸命に消火活動を続けるも、限界が近づきつつあるようだ。
「ヴァスケル! 雨雲を呼べないか?」
「あんたの頼みならやるけど、ちょいと時間がかかっちまうよ!」
ヴァスケルが申し訳なさそうに答える。火龍であるヴァスケルは、水を扱うのが得意ではない。
「ならば、わらわが手助けいたそう!」
「エル。何か手立てがあるのか? 水を扱える精霊でも呼ぶのか?」
「そうじゃ。神紙は三枚しか残っておらぬが、ここが使いどころと思うのじゃ」
「頼む!」
「了解したのじゃ!」
エル姫が懐から丸まった紙を取り出す。ゴニョゴニョと呪文らしき文句を唱えながら、神紙を宙に放り投げる。
瞬時に、背丈が三十センチにも満たない小妖精が三体あらわれる。半透明の小人たちは、スレンダーで女性っぽい。
新たに召喚された小妖精たちが、俺に向かってお辞儀してくる。
おやまあ、これはどうもご丁寧に。
ペコリ。
俺もお辞儀を返す。うむ、いままであらわれた小妖精のなかで一番行儀が良いんじゃないかな。
「あなた様はもしかして? はわわ、殿下! なぜ、殿下御自らここに?」
エル姫が狼狽える。つい忘れがちだが、エル姫はルシアナ皇国の皇位に近いお姫様。
そんな高貴な姫君が、自ら召喚した小妖精に腰を低くして対応する。なんともおかしな感じだ。
「風の精霊のデボネアがそのようなことを申しておりましたか……いえ、間違いではございませぬが……いえ、そういう意味では……」
エル姫が言葉を選びながら応対している。精霊の言葉は分からないから、何の話やらさっぱりだ。
てか、火が熱いんですけど!
早く何とかしてほしいんですけどー!
「エル! なにか問題でもあるのか? 急いでくれ!」
「わかっておる! 水の精霊を召喚したのじゃが、やって来た相手が、ちと高位すぎてのう。一方的に要求ばかりするわけにもいかぬのじゃ」
「受けた恩は必ず返すと伝えてくれ! 生命をよこせとか、無理難題を言われたら困るけどな」
「さすがにそこまでは要求しておらぬが……ふむ、わかったのじゃ。リューキに代わり、約束致そう。……そう、二言はありませぬ! ということじゃ、リューキよ。あとは任せたのじゃ!」
「ちょっと待て! お前は何を約束したんだ?」
「これ、リューキよ! いまは民の生命がかかっているときぞ! そのような些細なことを言っておる場合ではない!」
「なんだよそれ!? でもまあ、とりあえず雨を降らせてほしいな……」
俺が言葉を言い終わらないうちに、水の精霊が行動を起こす。
三体のうち、真ん中の小妖精ーーエル姫が「殿下」と呼んでいたーーが両手を掲げ、天を仰ぐ。何の力の脈動も感じることなく、雨がざざっと降り始める。雨脚はみるみる強くなり、たちまち街中の大火災を鎮火させる。
「なんだい!? あたいがオーデル村で呼んだ雨雲より大きいじゃないか!」
「ヴァスケル。気にするな、ひとには得意不得意がある。てか、ひとじゃなくて龍と精霊か」
「そういうことじゃないんだよ! 水を扱うのが苦手な火龍とはいえ、あたいは古龍さ! そんじゃそこらの水の精霊に負けるはずないんだよ!」
「ヴァスケルとやら。仕方ないであろう、殿下は並の精霊ではないからのう」
「あん!? そういうことかい……こりゃまた、大変な奴に借りを作っちまったもんだねえ。リューキは」
「ほんにのう。さすがのわらわも同情するぞよ、リューキには」
エル姫と姐さんヴァスケルが目を見合わせながらうなずく。おやまあ、ふたりはいつの間に仲良くなったものやら。うんうん、仲良きことは美しきことだな。
じゃなくて、エル! お前は殿下とかいう精霊と何を約束したんだ!!
「お頭! 城を出たダゴダネルの奴らが、南門前の部隊を打ち破っで、街の外に逃げただあ!」
「なんだと!? 城の南はビタ・ダゴダネルの部隊だったな。あいつめ、大口を叩いておいてこの有様か……領主リューキ殿! 火災はほぼ鎮火しました。兵の大半はこのまま街に残します。せめて我が部隊だけでも追撃したいのですが、許可を頂けませんか?」
「わかった、許そう」
ジーグフリードがあまりにも真剣な態度で迫ってくるので、俺は許可を与える。
ブブナ・ダゴダネルは逃がしてはいけない相手。誰よりも俺自身が強く認識している。
ただ、同時に、淫魔ブブナは簡単に捕まるタマではないと直感する。
ダゴダネルの城は落ちた。
ワーグナーとダゴダネルの再戦は、ワーグナーの勝利に終わった。
ただし、淫魔ブブナは取り逃がしてしまった。
このことが後々困ったことになるのではないかと、俺は危惧した。
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