第四十話:フリーター、戦の準備をする
白磁の塔に朝が来た。
敵地のまっただなかにいるとは思えない、静かな朝。
夜襲があれば小妖精が知らせてくれると、エル姫が自信満々に請け負うので、俺は本当に熟睡してしまった。
エル姫はダゴダネルとの攻防戦を日々繰り広げている。
そんな彼女の言葉だから、俺は信用に足ると考えたのだ。
決して、寝落ちしてしまったわけではない。ほんとだよ。
「リューキよ。戦の準備じゃが……ちと問題があってのう」
「エル、まさかタマ切れとかいうんじゃないよな?」
「ほう、リューキは察しがよいのう。して、どうしたらよいと思うのじゃ?」
「え! マジ?」
「おう、マジじゃ」
エル姫が俺を脅す。
表情を読みにくい能面化粧で言われると、妙な凄みがある。
俺がビビったのを見て、のっぺり顔のエル姫が笑う。
そんなエル姫を、女騎士エリカ・ヤンセンが大剣を振りかざしてたしなめる。
エル姫は慌てて弁明をはじめる。
「違う! リューキのカン違いじゃ! たしかに投石用の石や矢は不足気味じゃが、ほんとうに足りぬのは『神紙』じゃ! 小妖精はあと十回しか召喚できぬ」
「ん? てことは?」
「兵が足りぬ。ダゴダネルが攻めて来たら、おぬしたちにも戦って欲しいのじゃ」
「なんだそんなことか。当然戦うよ。塔のなかを案内してくれ。作戦を立てよう」
螺旋階段をのぼり、白磁の塔の屋上に立つ。
冷たく澄んだ朝の空気が心地よい。
ダゴダネル城、城下町、街の外に広がる田園地帯。四方を見渡す限り、白磁の塔より背の高い建物はない。薄く残る夜霧が消えれば、相当遠くまで見えるだろう。
「霧が晴れだら、狼煙をあげでよいが?」
火煙師にして、現役の兵士でもあるムイロが尋ねてくる。
俺に異存はない。
「救援を求める合図の狼煙を見れば、敵はすぐに攻めてくるのではないかのう?」
「エル。奴らはどうせやってくる。むしろ、戦が始まる前の澄んだ空気の中で狼煙を上げた方が、遠くにいる仲間からも見つけやすいと思う」
「戦では、おでは屋上にいるでよいが? おでは軍隊で斥候もやっでる。敵におかしな動きがあっだら、みんなに知らせるだあ」
「頼んだぞ! ムイロは俺たちの目となり、ダゴダネルの奴らを見張ってくれ!」
「我が領主、まかせでくれ!!」
屋上から六階に降りる。
高い天井と大きな窓のある室内には投石機が一台ある。投石機の脇には投石用の丸石が山積みされている。周囲の石壁を見ると、文字と数字でびっしりと埋め尽くされていた。
「投石攻撃は敵に当たらねば意味はない。わらわは研究を重ねて、石の重さ、弾き飛ばす力の強さ、射出角度、飛ぶ距離を検証したのじゃ。石壁に記した説明文の通りに投石機を操れば、百発百中ぞ!」
「おで、文字も数字も読める。おでに任せるだあ!」
本職は宿屋の亭主、捻りタオルを首に巻いたミイロが吠えるように名乗り出る。
ミイロは鼻高々といった感じで言葉を続ける。
「おで、ジーグフリード様に読み書きを習っただあ。文字が読めで金勘定できるほうが、宿屋やるのによいがらなあ。ていうが、おでのお母に、そういわれただあ」
そういえば、ゴブリン・ロードのジーグフリードがゴブリン族の地位向上に努めていると言っていた。読み書きも教えているとの話だっだが、ミイロも生徒のひとりだったのか。ミイロは子どももいる年なのに、偉いものだ。
それにしても、ジーグフリードの地道な活動がここで役に立つとはね。世の中、なにが幸いするか分からない。
塔の四階と五階は、本来は兵士の詰所。いまではエル姫の書斎兼研究室で、彼女がルシアナ皇国から持参した書物や資材が満載されている。
脱出時には俺の収納袋で荷物を運べると伝えると、エル姫は喜んだ。実は彼女の腰にあるポシェトも収納袋だが、収納力は十キロ程度しかないらしい。ワーグナー家伝承の収納袋は相当優れものだという。
とはいえ、俺の収納袋も収納上限が一トンだと分かると、エル姫はどれを持ち出すか真剣に悩み出した。
てか、荷物多すぎ。
螺旋階段を三階まで下りる。
六階にあった投石機とは形状が異なる小型兵器が目に留まる。
小型の投石装置「弩砲」は、操作が容易で非力なヒト族でも扱えるそうだ。
「じゃあ、俺が」
「リューキ殿自ら戦うのですか?」
「総力戦だからね」
女騎士エリカ・ヤンセンの問いに、俺は即答する。
俺は訓練を受けた戦士ではないが、戦う術があるなら、力を尽くしたい。
二階に下りる。
無数の銃眼があけられた室内には、長弓、短弓、クロスボウなどの弓や矢が床に転がっている。他の階層も同様だが、細かく千切れた紙くずも散乱していた。
「エル。あちこちに紙くずが散らばってるけど、少しは掃除でもしたらどうだ?」
「リューキ! 失礼なことを申すな! わらわはキレイ好きぞ! 紙くずに見えるのは、兵としての使命を終えた小妖精の成れの果てじゃ……あとで集めて、屋上で焚いてやるぞよ」
「ええ!? 召喚した小妖精って死んじゃうのか?」
「安心せい、死にはせぬ。そもそも小妖精とは神器たる『神紙』に宿った精霊の仮の姿にすぎぬ。『神紙』の魔力が枯渇すれば、精霊の魂は天に還るだけ。精霊との相性が良ければ、何度でも召喚に応じてくれるぞよ」
エル姫の説明に納得し安心する。
直後、ひとつの疑問が頭に浮かぶ。
「エル。神器ってのは、『神紙』以外もあるよな?」
「その通りじゃ! わらわの『神紙』のように精霊をサッと召喚してスッと還すのは稀じゃな。むしろ何年も何十年もかけて神器を鍛えあげるのが普通ぞ……女騎士エリカの甲冑のようにな」
「やっぱりそうか! エリカの甲冑はルシアナ皇国でつくられた神器だったのか!」
「そのはずじゃ。ルシアナ皇国の者以外で神器を造れる者は聞いたことがないからのう」
エル姫の言葉を受け、俺はエリカの顔を見る。
「我が領主、その話はいずれまた……姫様、私のことは私が話を致しますゆえ」
「そ、そうだね! いまは戦の準備に専念しよう!」
「わ、わらわもそう思うのじゃ! これ、リューキよ、わらわを巻き込むでない!」
女騎士エリカにたしなめられるような形になり、俺は口を閉じる。
エル姫も同様に黙り、ジト目で俺を見つめる。
俺はあわてて塔の攻防戦に話を戻す。
昨夜の戦同様、二階はエル姫の持ち場となるが、フリーターのモイロが自分も弓を使えると言い出す。
「おで、いろんな仕事しただが、猟師もやっただあ。弓は結構得意だでなあ!」
「思い出しただあ! モイロのほんどの名前はモーリッツだったなあ? 『ウサギ山のモーリッツ』はおめのことがあ?」
「あだだだ! 懐かしい呼び名だあ、そっだあ、『ウサギ山のモーリッツ』は、おでのことだあ」
「モイロ、ずいぶんとかわいらしい二つ名だな。どんな由来があるんだ?」
「ローグ山に『トビウサギ』ちうウサギがおったんだあ。肉はうまいが、すばしこくでながなが捕まえられんかっただあ」
「うん、それで?」
「おで、トビウサギの肉食いたくで、弓の腕あげで、捕まえられるようになっただあ。だども、やりすぎでローグ山からトビウサギがいなくなっただあ」
「おでも、モイロが捕まえだトビウサギを見ただあ。年にいっぺん食べられるがどうがのトビウサギが山積みになってで驚いただあ。モイロがあの弓の名手の『ウサギ山のモーリッツ』だったがあ! こいづは頼もしいなあ!」
「いんやいんや、今度はやり過ぎんように気をつげるだあ」
「いやいや、モイロ。全力でやってくれていいから。むしろ、やってくれ!」
「我が領主、分かっただあ!」
一階に下りる。
この階にも銃眼が備えられており、エル姫とモイロは一階と二階を行ったり来たりする手はず。
だが、一階はなんといっても敵と直接対峙する最前線。
当然、女騎士エリカ・ヤンセンの持ち場となる。
ええ、もう、エリカさんにはお世話になりっぱなしですね。えろうすんません。
地階に下りる。
武器庫、倉庫、水を汲む井戸などがある。
倉庫に投石用の原石や矢じり用の硬い鉱石があるのを見た鉱夫のメイロが、嬉しそうに声を上げる。
「おでにもやれることがあっただあ! おで、投石用に石を丸く削っだり、矢を拵えたりするだあ」
「メイロ。戦では敵と戦うだけじゃなくて、兵站も大事なんだ。投石用の石弾や矢をドンドン作って運んでくれ! 飲み水の供給も頼む。階段を上ったり下りたりして大変と思うが、期待してるぞ!」
「任せてくでだあ! 鉱山の狭い坑道を動き回るより楽だあ」
分担が決まり、戦闘準備は整った。
それぞれが持ち場に向かうなか、俺は服を着替える。
ワーグナー城を出立する直前、ジーナ・ワーグナーが用意してくれた衣装だ。
「我が領主、やはりその衣装はよくお似合いです」
女騎士エリカ・ヤンセンが称賛してくれる。
領主らしい装いとなった俺は、胸を張って階段を上る。
俺、女騎士エリカ、エル姫、火煙師モイロの四人で屋上に出る。
霧は晴れ、雲ひとつない青空が広がっている。風もない。狼煙を上げるには絶好の天候だ。
「ゴブリン兵を率いたジーグフリードや守護龍ヴァスケルは、絶対にやってくる! 誰ひとり欠けることなく、みんなで生き残るぞ! モイロ、狼煙を上げてくれ!」
俺の合図を受け、火煙師のモイロが狼煙を上げる。
煙の色は紫。「緊急事態」を告げる色。
青い空に向かって、狼煙がまっすぐに上がっていく。
ジーグフリード、守護龍ヴァスケル、あるいはゴブリン兵の誰でもいい、頼む、狼煙に気づいてくれと強く願った。
白磁の塔を遠巻きに囲む城壁が騒がしくなる。
紫色の狼煙に反応したようだ。
城壁の窓から黒鎧の兵がひとり身を乗り出してこちらを指差している。
いよいよ、戦がはじまる。
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