第三十四話:フリーター、ダゴダネル城に潜入する
「畜生!!!」
「もう! またですかぁ!」
俺が昔の青春ドラマのように夕陽に向かって叫んでいると、女騎士エリカ・ヤンセンが呆れたような声を出す。
またとはなんだ、またとは!
いくらエリカでも言い方が失礼じゃないか!
文句のひとつも言おうと思い、俺はエリカの方を振り向こうとする。が、俺は彼女に何も言えなかった。
振り向きざま、女騎士エリカ・ヤンセンの強烈な頭突きを喰らい、意識を失ってしまったからだ。
……いやいや、俺、妄想にふけってなかったから。俺を正気に戻そうとしなくて良かったから。てか、せめてもうちょっと手加減してほしいな。呪器『鉄の処女』は戦闘力が高くなるんだろ? このままじゃあ、俺、いつか死んじゃうよ……
ほどなく意識を取り戻す。
俺は天国にいた。
いや、ホントに死んじゃったわけではない。単なる比喩表現だ。
正確にいえば、俺はエリカと一緒に馬車に乗っていた。
状況を詳細に説明すれば、俺はキレイなお姉さんに膝枕されていた。
おお……なんということだ!
これはなにかのご褒美ですか?
うん、極楽極楽。
俺は断言する。
キレイなお姉さんの膝枕以上の枕はこの世に存在しない!
甲冑越しで固いとか、そんな些細なことは問題ではない!
どうしてかって?
どんなに柔らかくても、くたびれたオッサンの膝枕は嬉しくないだろう。
まあ、そういうことだ。うむ、我ながら完全なるQEDだな。
俺は横になったまま、エリカの顔を見上げる。
彼女は俺の頭のコブに濡れタオルをあて、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「我が領主、すいません。つい、力んでしまいました」
「次は気を付けてくれ。というか、俺を正気に戻すのに頭突きするのはやめてくれ。限りなく優しく頼む」
「わかりました、別の手段を検討します。ところでコブはまだ痛みますか?」
「うん、頭が割れそうに痛いよ……もう少しこのままでいさせて欲しいな」
こうして俺は、極楽タイムの延長に成功した。
いやいや、カン違いしないでくれ。
俺は虚偽申請をしたわけではない。頭のコブはホントに痛いのだ。
ただ、苦痛と快楽を天秤にかければ、後者が圧勝するってだけさ。
ああ、し・あ・わ・せ!
「我が領主。こうしていると、亡くなった母のことを思い出します」
女騎士エリカが、ポツリと言う。
同時に、エリカの家族の話をなにも知らないのに、俺はあらためて気づいた。
「エリカのお母さんは、どんな方だったんだ?」
「母のイザベラ・ヤンセンは、私と同じ女騎士でした。父の騎士ヴィルヘルム・ヤンセンともどもワーグナー家にお仕えしていました」
「そうだったのか……立派なご両親だったんだろうね」
「それはもう、自慢の両親です! 幼いころ、剣技の稽古で頭にコブを拵える度、母もこのように膝枕をして患部を冷やして下さいました。まさか私がリューキ殿にして差し上げることになるとは……そうだ、いいことを思い出しました!」
「なに!? 急にどうした?」
頭のコブにあてられていた濡れタオルが、そっと外される。
エリカ・ヤンセンは前かがみになり、患部にフーフーと息を吹きかけてくる。
「我が領主。いかがですか? 氷や冷水が手近にないとき、母は患部を濡らしてから息を吹きかけて下さいました。すると、ヒンヤリと気持ち良くなりました。リューキ殿の痛みも和らぐと良いのですが……」
「ああ……痛みが引いていく。エリカ、とっても気持ちいいよ」
エリカのフーフーは凄い威力だ!
イヤイヤに匹敵する、いや、凌駕する癒し力だぜ!
俺のハートは絶賛高鳴り中さ!
俺はエリカの母、女騎士イザベラ・ヤンセンに心からの謝意を伝えたくなった。
天国のお義母さん!
素晴しい技術をエリカさんに伝授して下さり、ありがとうございます!
お嬢さんは俺が必ず幸せにします!!
俺はこのまま時間が止まってくれないかと切に願った。
◇◇◇
夕闇が迫るなか、俺たちを乗せた馬車はダゴダネルの城下町に入る。
いたるところから、物売りの声、客引きの声、酔っ払いの騒ぐ声と様々な声が聞こえる。
俺とエリカは車窓から顔を出し、街の賑わいを眺める。
ほんの二、三分で、俺は気分が悪くなった。
薄汚れた身なりで懸命に品物を売っているのはゴブリン族の若者。同様に、客引き、露天商、道路の掃除夫から荷物の配達人まで、働いている者はすべてゴブリンだった。栄養状態が悪いのか、皆、一様に痩せこけている。
対して、徒党組んで騒ぐ酔っ払いや何人もの荷物持ち(当然、ゴブリン族)を従えて歩くのはホブゴブリン。ビタ・ダゴダネルほどではないが、いずれも背丈が二メートルを超える巨漢。ホブゴブリンは、ゴブリン族とは真逆に腹がはち切れんばかりに膨れていた。
「エリカ。話には聞いてたけど、ゴブリン族に対する差別はヒドいな」
「我が領主、その通りです。私は何度かこの街に来たことがありますが、いつも心が痛みます」
「エリカは優しいんだな」
「そんなことはありません……ところで、そろそろ城に到着しますね」
「そうか。ではエリカ様! 気持ちをお切りかえ下さい!」
「うう……マイロよ、気を引き締めて参ろうぞ!」
「エリカ様と下僕のマイロ」の寸劇は第三幕を迎える。
ていうか、これからが本番だね。ともかく、エリカ様の仰る通り、気合を入れていこう。ファイト!
街路の辻々に篝火が焚かれ始めるころ、二台の馬車はようやく城に着く。
馬車は石造りの大きな城門をくぐり、百メートル四方はある中庭に停止する。車窓から外をうかがうと、訓練を終えたらしいホブゴブリン兵の一団が武具を片付けているのが見えた。ビタ・ダゴダネルが言った「ブブナ・ダゴダネルの手下」だろう。皆、ビタ・ダゴダネル並みに恰幅がよい。身の丈が三メートルほどあるマッチョな精兵たちは、なかなか手強そう。
ここはひとつ穏便にいきたいものだ。
「ワーグナーの使者! 早くこちらへ!!」
広い中庭の奥、宮殿の方から声がかかる。
見ると、ランタンを掲げた細身のホブゴブリンが懸命に声を張り上げている。急かされたところで従う必要もないが、無用なトラブルを避けるため、俺たちは足早に宮殿に向かう。
宮殿内では、声をかけてきた細身のホブゴブリン――侍従の老ホブゴブリンが俺たちを先導する。行先を説明しない老ホブゴブリンに不承不承付いていくと、大広間に至る。
大広間では、黒鎧のホブゴブリン兵が左右の壁際に整列していた。
壁が見えないほどの密度でひしめく兵は、五、六十名ほどもいるだろうか。むさ苦しい男たちの熱量で、大広間の室温が高くなっている気がした。
上座の謁見用の席に座るのは、なんとムタ・ダゴダネル。かつての敗戦の将。ワーグナーに攻め込んできたが、逆に捕えられ、身代金十五万Gで解放された男だ。虜囚となっていた間、ケガの痛みで泣き叫んでいた男でもある。
そんなムタが、ふてぶてしい態度で最上の貴賓席に座り、俺たちを睨んでいる。いや、澱んだ視線の先は、エリカ・ヤンセンただひとり。
敵意の籠る遠慮のない視線に、俺はムカついた。
「ワーグナーの正使エリカ・ヤンセンとはお前か? 女騎士でもあるそうだな……先の戦では、息子がたいそう世話になったそうだな」
沈黙したままのムタの代わりに、ムタの隣に座る巨漢の女が話す。
ふくよかだなんて上品な表現は似合わない。スリーサイズがすべて三メートル以上はありそうな、酒の仕込み樽みたいにどっしりとした女だ。
生気を感じられない落ち窪んだ目とは、視線をあわせたくない。大きく膨らんだ鼻と唇からはぬらぬらとした液体が漏れていて、腐乱臭が漂ってきそう。はっきり言って、そばに寄ってほしくない。
嫌悪感しか覚えない外見はともかく、ムタを息子と呼ぶからには、この女がブブナ・ダゴダネルか。
うん……とてもではないが親しくなりたくない。さっさと、この城から退散したいな。
「戦場の話は、戦場でお願いします。いまは平和なときを迎えているのですから、戦場の話はお受けかねます」
外交団の正使エリカ・ヤンセンが、ブブナの挑発をさらりとかわす。
ああ、流石です! エリカ様!
「ふん……まあ良いわ。おまえらの訪問目的は、エルメンルート姫の身柄の受取りだそうだな。あの女に居座られて我々も迷惑している、さっさと連れて行け!」
ブブナ・ダゴダネルが吐き捨てるように言う。
おいおい、仮にも皇帝陛下から預かったお姫様をつかまえて何て言い草だよ! って、まあいいか。そんな話を議論しても仕方ないし、俺もエルメンルート姫の無駄遣いに頭を悩ませている身だ。聞かなかったことにしよう。
「ナナブ! ワーグナーの方々をエルメンルート姫のお住まいにお連れするんだ……丁重にな」
ブブナ・ダゴダネルの命令を受け、小柄な女性が姿を見せる。
たゆんたゆんとスバらしいふたつのものを揺らしながら駆けてきたショートカットの女性は、明らかにホブゴブリンでもゴブリンでもなかった。
背丈はジーナ・ワーグナーくらい小さく、顔はエリカ・ヤンセンにちょっとだけ似たキレイなお姉さん系で、身体つきはヒト化したヴァスケル姐さんみたいにむちむちで……コホン、話をまとめよう。
要するに、ナナブはどう見ても俺好みのヒト族の女性にしか見えなかった。
「あんっ!」
目の前でナナブが躓く。
俺は慌てて支えてやる。セーフ。
ナナブは転ばずに済んだ。良かったね。
俺も久々に女体の柔らかさを思い出した。良かったよ……いやいや、いまはそういうのは禁止だ。クールダウンだ、俺!
「ご、ご、ご、ごめんなさーい」
ナナブは顔を真っ赤にしながら、俺から身体を離す。
小さな身体を九十度折り曲げ、ぺこりと頭を下げる。
「気にしないで。それよりもほら、早くエルメンルート姫の住まいに案内してよ」
どうやらドジっ娘らしきナナブを励ましながら、俺たちはブブナ・ダゴダネルのいる大広間をあとにした。
ナナブの話では、エルメンルート・ホラント姫の住まいは「白磁の塔」の異名を持つ白い円形の塔。
白磁の塔は、ダゴダネル城に四つある中庭のひとつ――俺たちが馬車で到着した中庭とは別――に建つ六階建ての塔で、防衛拠点としても利用される頑強な建物。
半年前、エルメンルート姫がダゴダネル領に居を移した直後、白磁の塔を自らの住まいだと宣言し、半ば占拠するようにして住み始めたとのこと。
しかも、エルメンルート姫は、いまでは白磁の塔にほとんど籠っているそうだ。
「話を聞けば聞くほど、変わったお姫さまだな」
「マイロさん、わかっていただけますか! エルメンルート姫のワガママは私たち侍女泣かせなんですよー」
おしゃべりで気さくなナナブは色々と話してくれる。
身寄りのないナナブには、異種族のホブゴブリンが権勢を握るダゴダネル領から離れ、いつかは帝都ニルンベルグでお店を開きたいという夢があるそうだ。
「ナナブの夢は大きいんだな!」
「えっへん! マイロさんも一緒に帝都に行きませんかー? なんてね!」
「はは、俺はやめておくよ。俺には俺の夢があるからな」
「マイロさんの夢って何ですかー?」
「ふっ、それは言えないな」
「ひどーい! 私の夢は教えてあげたのにー」
俺はちらりとエリカの顔を見る。
彼女は怒るでもヤキモチを焼くでもなく、不思議そうな顔をして俺を見ている。エリカだけでなく、仲間のゴブリンたちもきょとんとした顔をしている。なんだろう? 俺とナナブの会話はどこかおかしいのだろうか?
釈然としないものを感じつつ、俺たちは白磁の塔の前に着く。
「ワーグナーの使者が到着されたと、エルメンルート姫にお伝えしてきます」
そう言い残して、ナナブが白磁の塔の入り口に向かう。
間髪置かず、エリカ・ヤンセンが俺のそばに近づく。
「マイロ、気は確かですか? 具合は悪くありませんか?」
「エリカ様? 俺はなんともありませんよ?」
「なら、良いのですが……」
エリカ・ヤンセンが煮え切らない態度で会話を打ち切る。
いやいや、俺からすればおかしいのはエリカのほうだよ? お疲れなんでしょうかね?
「マイロさん。おめ、大丈夫が?」
「ミイロ、なんのことだ?」
「おで、おめの女の好みが分がんなぐなってきただ」
本職は宿屋の亭主のミイロがおかしなことを口にする。
なぜか、鉱夫のメイロとフリーターのモイロも賛同する。
「みんな、何を言ってるんだよ? ムイロ、お前も俺はおかしいと思うのか?」
俺は、ひとりだけ会話に加わらず遠くを眺めていたムイロに話しかける。
火煙師にして、下僕仲間唯一の現役兵士であるムイロは、俺の質問には答えず、見当違いな話をはじめる。
「ナナブっでいう侍女の話じゃあ、姫さんの塔は城の防衛拠点だっでな?」
「そう言ってたな。それがどうした?」
「んでは、どうして城壁に据えられた投石機は、姫さんの塔の方を向いでんだ?」
軍事的思考に乏しい俺は、ムイロの指摘をすぐには理解できなかった。
対して、女騎士エリカ・ヤンセンは「しまった!」と鋭い叫びをあげた。
「グギャァアアアアアーーーーッ!!!」
白磁の塔の入り口から、肉食の獣が咆哮するような悲鳴が聞こえる。
声の主はナナブ。這々の体で塔から逃げ出してくる彼女の背中には、矢が数本刺さっていた。
「ナナブ! 大丈夫か!!」
「マイロ! 近づいたらダメ!」「マイロさん! やめるだ!」「マイロさん、いけねえだー!」
ナナブに駆け寄ろうとする俺を、エリカや下僕仲間のゴブリンたちが止める。
みんな、どうしたっていうんだ!?
か弱い女の子がケガをしたんだ……よ、あれ? か弱い女の子?
ナナブが背中に刺さった太い矢を自ら引き抜き、あっさりへし折る。赤く燃えるような目で白磁の塔を見上げ、悪態をつく。
「クソッタレ! よくもやりやがったな! ぜってえ、ぶっ殺してやるからな!!」
鋭い犬歯を剥きながら、ナナブが罵詈雑言を吐き続ける。
それが合図であったかのように、黒鎧のホブゴブリンの群れが四方の闇からわき出てくる。
なんなんだ……これは?
状況はさっぱり理解できないが、ダゴダネル城に来た早々、俺たちはトラブルに巻き込まれたようだ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
領主リューキこと下僕マイロさんは、ようやくダゴダネル城に到着しました。早速、トラブルに巻き込まれましたね。めげずにガンバってもらいたいものです。




