第三十二話:フリーター、天馬とちょっとだけ親しくなる
ダゴダネルとの国境に至る。
地平線の先まで延々と続く柵と堀。兵が詰める監視塔。目に入る軍事的な人工物は、すべてダゴダネルが作ったものだ。
どういうことかって? ワーグナーにはそんなものに使えるお金はないんだよ。
はあ……貧乏ってヤダヤダ。
「ゴブリン兵を百名ほど同行させたい」
「ダゴダネル家としては、受け入れられません」
ジーグフリードの主張を、ダゴダネルの国境警備責任者が拒絶する。残念ながら、交渉の余地はなさそうだ。
俺たちの身の安全を心配するジーグフリードの気持ちはありがたい。
だが、ワーグナーとダゴダネルの両家は最近まで戦をしていた。いまは一時的な休戦状態にすぎない。ダゴダネル側の反発もわからないでもない。
「そもそも、外交上の使者に多数の護衛が必要ですか?」
「それは……」
国境警備責任者の指摘に、ジーグフリードが口籠る。外交団の随行員のなかに領主の俺が紛れているなんて、言えるはずもない。
偽名まで名乗り、こっそり同行する俺が言うのもなんだが、ジーグフリードは板挟み状態で困っているように見えた。なんだか申し訳ない。
「ジーグフリード殿。お気持ちは嬉しく思いますが、ここはダゴダネル側の意向を汲まざるをえないかと思います。仮初とはいえ、いまは平和なとき。あらぬ疑いをかけられぬよう、慎重に行動しましょう」
「エリカ殿……わかりました。我々はここで皆様の無事の帰還をお待ちします。くれぐれもお気をつけて」
「わかっています。国境からダゴダネル本城まで馬で半日あまり。遅くとも明後日には戻れると思います。もし守護龍ヴァスケル様が来られたら、ここでお待ち頂くようお伝えください」
「承知いたしました」
ワーグナー外交団の正使エリカの判断を、ジーグフリードが受け入れる。
直ちに、ジーグフリードは配下の兵に駐屯の準備を指示する。
およそ一千三百名のゴブリン兵がテントを建て、炊事用の焚き火を起こす。川に水を汲みに行く者、食糧調達に狩猟に出かける者もいる。まるで村がひとつできたように、あたりは賑やかくなる。
国境から先。外交団の正使エリカ・ヤンセン、下僕頭の俺、ミイロたち下僕仲間の計六名は二台の馬車に分乗して進むことになる。ダゴダネルが用意した移動手段だ。
しかし、ここでひと悶着起きた。
「シルヴァーナちゃん! おとなしくしてください!」
女騎士エリカの愛馬、天馬のシルヴァーナが主人と離れるのを嫌がる。手が付けられないくらい激しく暴れる。敵地に乗り込むエリカの身を案じたようだ。
「いい加減にしなさい!!」
女騎士エリカが一喝する。
途端、天馬が静かになる。尻尾を垂れ、気の毒に思えるくらい落ち込む。
あまりにもシルヴァーナがしょんぼりするので、思わず俺は声をかけてやった。
「シルヴァーナ、心配するな。エリカ様には俺がついてる。あとは任せてくれ」
精いっぱい励ます俺に、天馬シルヴァーナは胡散臭げな目を向けてくる。
「お前だから、余計に心配なんだよ」と、その目は明らかに語っていた。
なんて失礼な天馬だ!
俺は心のなかで憤慨した。
確かに俺はエリカよりも壊滅的に弱い。この世界の常識にも疎いし、逃げ足だって圧倒的に遅い。俺の正体が領主だと知ったら、奴らは生命を狙ってくるに違いない。そしたらエリカは自らを盾にして俺を護ろうとするだろう。彼女は「地獄の底まで俺につきあう」と宣言したくらいだ。俺を敵地に残してひとりで逃げ延びるつもりはないに違いない……
おお、なるほどなるほど。
天馬シルヴァーナよ、お前は正しい。主人エリカの身を大切に思うなら、俺なんかに同行させちゃあダメだね。でもまあ、そこはあれだ……そう、おとなの事情ってやつだ!
ダゴダネル城にいるエルメンルート・ホラント姫の身柄を確保して無駄遣いをやめさせないと、俺たちは破産しちまうのさ。破産したら大変だぞ。ワーグナー城は他人のものになっちまう。俺やエリカは城を失うんだ。しかも俺は死んじゃうんだっけ? くっ、なんて悲惨な未来だ。
まあ俺の将来はともかく……嫌だよね? 主人が路頭に迷ったらシルヴァーナは悲しいよね?
そうか! わかってくれたか! では、もうひとつ教えてあげよう。
そんな危なっかしいダゴダネル城にエリカを送り込んで、自分はワーグナー城でノンビリ過ごすなんて、お前だったらできるか? そう、ないよねー。そんな非道なことしないよねー。
俺だって同じさ! エリカに厄介事を押し付けて自分は安全な場所でふんぞり返って待つなんて、俺は考えもしなかったよ! だから、俺はエリカと一緒に行くのさ。そうとも。俺が同行するのは、ちゃんとおとなの事情ってやつがあるんだ。
どうだい? わかってくれたかな?
俺は一歩前に進む。
俺の思いがシルヴァーナにどれだけ伝わったかは分からない。
けれども俺は、天馬との間に友情が芽生えたと確信して、右手を差し出した。
ガブリっ!
天馬シルヴァーナが俺の腕を噛む。じゃれて遊ぶ感じでも甘噛みでもなく、全力で咀嚼してくる。
だから痛えって!
「シルヴァーナちゃん! やめなさい!」
エリカがシルヴァーナの狼藉を止める。
天馬はあっさりと俺を解放する。
俺はシルヴァーナを睨みつける。
対して、天馬の目はちょっとだけ笑っていた。
「エリカ様になにかあったら、こんなもんじゃ済まないからな!」
天馬の目がそう言っているように、俺には思えた。
でもまあ、そういうことだったら、もっと優しく噛んでほしかった。
世話係のミイロに引かれて、シルヴァーナが連れて行かれる。もう暴れるのは止めたようだ。
うんうん、シルヴァーナと少しは歩み寄れたかもしれないね。
ほんのちょっぴりだけどさ。
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