第二十八話:フリーター、噂話にのぼる
オーデル村に夜が訪れる。
山村は陽が落ちると途端に肌寒くなる。
村の広場に大きな火がいくつも焚かれる。
暖を取るためというより、むしろ晩メシを作るための焚き火だ。
ゴブリン族は家族単位で食事をとらない。
腹が減れば、三々五々広場に集まる。
おしゃべりをしながら好きなものを好きなように食べる。
肉の塊が焼かれる。
溶けた獣脂が火に垂れ落ち、じゅうじゅうと旨そうな音をたてる。
焼けた肉をゴブリン族の子どもたちが競い合うように食べる。
村を案内してくれたミヒャエル少年も、その喧騒のなかにいた。
肉の大きさを巡る子どものケンカを、調理当番の母ゴブリンが拳骨で抑え込む。
自分の子どもであろうがなかろうが関係なく叱り飛ばす。
メシをたらふく食べた子どもたちは、かけっこを始める。
ゴブリン族のおとなたちは肉にかぶりつきながら、子どもたちの落ち着きのなさを微笑ましく見ている。そして、思い出したようにヤンチャな子どもを叱る。
まるで幼いころに行ったキャンプのバーベキューのような光景に、俺は懐かしさを覚えた。
「我が領主、お肉が焼けました。火蜥蜴、バジリスク、コカトリス、どれを召し上がりますか?」
女騎士エリカ・ヤンセンが俺の給仕をしてくれる。
美人のエリカに世話を焼かれるのは、すごーく嬉しい。嬉しいけど、夕食のお肉は伝説上の生き物ばかり。カルビ、ハラミ、タンみたいな感じで聞かれても、答えに困るというものだ。
「火蜥蜴やらなんやらは、村の外を普通に闊歩してるのか?」
「火蜥蜴とバジリスクは、この辺りには生息していません。ヴァスケル様がどこかで仕留められたあと、運んでこられたようです」
「そうか……ヴァスケルが元気そうでなによりだ」
栄養ドリンクを飲んで、理性が制御困難になった守護龍ヴァスケル。頼もしき龍は漲るパワーを狩猟で発散するだけでなく、狩った獲物を村に運んでくれる。次々と届けられる珍しい食材に、領民のゴブリンたちは大喜び。おかげでワーグナーの評判はうなぎのぼりさ!
まったく、異世界生活には飽きるヒマがない。つくづくそう思うよ。
「我が領主。コカトリスは私が捕まえました。村の近くに巣があると聞いたので、狩りに行きました。火蜥蜴は辛みが強く、バジリスクは苦みがあるので好みが分かれますが、コカトリスはクセがなくて食べやすいんですよ!」
女騎士エリカ・ヤンセンが声を弾ませる。期待するような目で俺を見る。うむ、俺の答えは端から決まっていたようだ。
「コカトリスの肉を食べたいな」
「分かりました! すぐに用意いたします!」
エリカがきびすを返す。肉を焼いている焚き火に向かって一目散に駈けていく。ものの十秒もしないうちに、肉を刺した大串を山ほど抱えて戻ってくる。
皮がパリッと焼けたコカトリスの肉は、香ばしい匂いがして確かに美味そう。思わず腹が鳴る。俺は意を決して、肉にかぶりつく。
お? おお!? おいしいじゃないか!
柔らかくてジューシーで、噛むほどに旨みを感じる。間違いない、これはチキンだ。俺が知っている鶏肉の味だ。コンビニのレジ横で売っている定番のあれに似てる気がする。チープって言うなよ。俺はあの味が好きなんだ。
「思った通りです。リューキ殿はこういう味が好きなんですね!」
「ん? エリカは俺の好みを考えてくれたのか?」
「はい。リューキ殿は熊肉どころか鹿肉すら野性味を苦にしておられました。コカトリスの雛鳥なら臭みがなく淡白なので、お口に合うかと考えました」
「そうだったのか。うん、これはうまいよ!」
「喜んで頂けて私も嬉しいです!」
女騎士エリカ・ヤンセンが心底ホッとした表情を浮かべる。どうやら、俺がこの世界の食べ物に苦労していたのに感づいていたようだ。
俺の身辺警護だけでなく、食事の好みまで気を遣わせてしまって申し訳ない。
でも正直いえば、俺のことをそこまで考えてくれていたのは嬉しくもある。
「領主リューキ殿。よろしいですか?」
三本目の大串に果敢に挑んでいると、ゴブリン・ロードのジーグフリードがやってくる。いよいよ明日はダゴダネル領に向かって出発する。その打ち合わせに来たのだろう。
「リューキ殿に随行する兵は、予定より増えて千二百名ほどになります。同行を希望する者が多く、もっと増えるかもしれません」
「ジーグフリード、ご苦労。だが間違えるなよ。ダゴダネル領に向かうのは外交団の正使エリカ様だ。俺は下僕のマイロ・ド・リュッキーにすぎない」
「あっ、そうでしたね。失礼しました」
あらためて、ジーグフリードがエリカに向かって説明を始める。
同時に「エリカ様と下僕のマイロ」の寸劇も再開される。
オーデル村からダゴダネル領との国境までは半日の旅程。
外交団の正使エリカは馬で、下僕の俺はラバに乗って向かう。
警護のゴブリン兵はジーグフリードを含めて全員徒歩。
国境でダゴダネル側の使者と落ちあい、さらに半日かけてダゴダネル城まで赴き、人質のエルメンルート・ホラント姫と面会する。
現状はこんな計画だ。
「ジーグフリード殿。エルメンルート姫の身柄を国境で受け渡して頂けるよう、ダゴダネルに依頼したはずでは?」
「正使エリカ殿。何度も要請致しました。ですが、ダゴダネルの使者の話では、エルメンルート姫自身が拒絶されたとのことです」
ジーグフリードの返答にエリカが苦笑する。形の良いキレイな眉が、もったいないくらいに曲げられてしまう。その仕草に、俺は下僕として心が痛んだ。
「エリカ様。当初の計画通り、俺とエリカ様で姫様を連れ出しましょう」
「仕方ありませんね。ただ、敵地に乗り込むのは危険が伴います。できればマイロは巻き込みたくないのですが……」
「いまさらなにを仰います。元はといえば、俺が提案した計画です。俺が行かないでどうしますか!」
……力強く宣言した俺をエリカ様がじっと見つめる。熱を帯びた潤んだ目。
あれれ、どうしちゃったの? まさか下僕の俺に恋しちゃったんじゃないよね? いけません。それは禁断の恋です。エリカ様と俺は主従の関係。しかもいまは、ワーグナーの将来を左右する大事な外交交渉に向かう途中。いえいえ、エリカ様のことが嫌いなわけないじゃないですから! ていうか、大好きです! うわっ、言っちゃったよ。正直言って、最初はエリカ様のことが怖かったです。ガクブルです。でも、マジメで堅物のエリカ様の乙女チックな一面を見ちゃいました。あまりのギャップに萌えました。イチコロっす。思い返せば、俺って小さいころからそうなんだよね。マジメな学級委員長の女の子が、放課後にノラ猫をニコニコしながら撫でてるのを見たのが初めての恋です。「この子、こんなに笑顔がかわいかったのか!」なんてね。はい、衝撃的でした。小学生の俺には大事件でした。あれから二十年以上経ちますが、いまでもやってることは変わりません。成長がないと言われればそれまでですが、自分の気持ちに嘘はつけません……
「エリカ殿。尋ねてよろしいか? マイロが、いえ、リューキ殿が急に黙り込んでしまわれた。以前も同じ様な状況がありましたが、今回も大丈夫でしょうか?」
「ジーグフリード殿。問題はないと思います。ただ、リューキ殿がこうなったとき、たいていは怒りで身体を震わせているのですが、今日のリューキ殿は恍惚とした表情です。しかも、私はなぜか妙にこそばゆいんです」
「いかがいたしましょう? そっとしておきますか?」
「目をあけたまま意識が飛んでいた場合、多少手荒な事をしてでも目覚めさせるようにリューキ殿から指示を受けています。ですが、領主に拳を振り上げるわけにはいきません。どうすれば良いのか……」
……名前を呼ばれた気がする。
ただし「マイロ」ではなく、「リューキ殿」と聞こえた。
いやいや、いまの俺はマイロです。間違えないでください。
「エリカ様と下僕のマイロ」の寸劇は、ワーグナー城に無事帰還するまで続けるつもりです。俺の正体がダゴダネルのやつらにばれるわけにはいきま……
「リューキ殿! ご無礼仕る!」
古風な言い回しが聞こえる。どこぞの武士が参上するのかと思ったら、女騎士エリカだった。彼女はキリリとした真剣な表情で、俺に頭突きをかましてくる。
ゴキン!
頭部への痛恨の衝撃!
目から星が飛ぶ。額が割れたかと思った。
クラリ。
意識が飛ぶ。
ぐわっ、ヤラレた! あとは任せた。
なにを?
いや、俺、ヤラレちゃったからさ。
誰に?
えと……おお! エリカが再度急接近する。
「エリカ! まって……」
「!!!」
俺は両手を突き出し、咄嗟にエリカを抱え込もうとする……が、無理でした。
女騎士とフリーターでは戦闘力が隔絶しています。領主も同じです。
それでもちょっとだけエリカの頭突きを軌道修正できました。頭突きから顔突きに変わりました。
顔突きってなーんだ?
答え:「顔と顔の密着」です。
そんな言葉あるの? いえ、俺も聞いたことはございません。
おでこ、鼻、ほっぺ、そして、お口同士がブチュッとぶつかってしまいました。
わざとじゃありません。偶然です。
ムードもへったくれもなくて、申し訳ございません。
あ、問題点はそこじゃないですね。
「きゃあーーーーーっ!!」
俺の腕のなかで、女騎士エリカ・ヤンセンが絶叫する。彼女は全力で俺を押しのけ、顔を真っ赤にして走り去っていく。
俺が正気を取り戻したころには、エリカの姿はどこにもなかった。
「ワグナーの兄ちゃんが姉ちゃんにチューしだ」
「ばかだなあ。あれはキッスというんだ」
「おで、すごいもん見だ。お父とお母に自慢するだ」
老若男女問わず、広場に詰めかけていたゴブリンたちが俺を見つめている。温かい目、生暖かい目、好奇心に富んだ目、ちょっと興奮した目。
そのなかでただひとり、ジーグフリードだけは、同情する目をしていた。
「マイロ、いえ、領主リューキ殿。なんと申し上げればよいやら」
「ジーグフリード。笑ってくれ、俺はエリカに嫌われちまったようだ……」
「リューキ殿、そんなことはありません! エリカ殿はリューキ殿を尊敬しています。間違いなく好意も持たれています。確かに、先ほどの大胆な行動に驚きはしたでしょうが、リューキ殿を嫌うことなど決してありません!」
「そうか、彼女に嫌われたわけじゃないのか……てか、俺の大胆な行動って?」
「そんな……私に言わせないで下さいよ。ともかく、エリカ殿のことは問題ないと思います。時間が解決してくれるでしょう。むしろ私が心配してるのは……」
ジーグフリードが村の中央広場の方に顔を向ける。
彼の視線の先、ゴブリンたちは何事もなかったかのように夕食を再開している。
少なくとも、俺の目にはそう見えた。
「ゴブリン族はこう見えておしゃべりが大好きです。興味本位の噂話を競うように広めます。それどころか、面白おかしく内容を膨らませます。噂話のネタが敬愛する相手であればあるほど、話を盛ります。そこには親近感から来る好意はあっても、悪気はありません。そういう考え方をする種族なのです」
「なんか、嫌な予感しかしないが」
「リューキ殿の推測は、たぶん当たっています。リューキ殿、いえ、ワーグナー城から来たマイロの大胆な行動は、明日中にはオーデル村すべてに広まるでしょう。旅の商人を介して、他のゴブリン族の村にも伝わるでしょう。もはやこの流れを止めることはできません」
おう! なんてこった!
俺は公衆の面前で女騎士にキッスを迫ったハレンチな下僕として、ゴブリンたちに認知されてしまったのか!
いやいや待ってくれ!
そうじゃない、そうじゃないんだ!!
俺はエリカの頭突きをかわそうとしただけで……
太腿をツンツンされる。
見ると、ゴブリンの少年が俺を見上げている。
村を案内してくれたミヒャエル少年だった。
ミヒャエルが目を輝かせながら手招きするので、俺は少年の目線の高さに屈む。
「……ミヒャエル、俺に何か用かい?」
「マイロの兄ちゃん。おで、聞いだんだ」
隠し事を打ち明けるように、少年がささやく。
「ん? なにを聞いたのかな?」
「おで、マイロの兄ちゃんが領主さまって言われてるの、聞いぢまっだ。マイロは領主さまなのが?」
おう! なんてこったい!
「エリカ様と下僕のマイロ」の寸劇は早くも終演の危機を迎えてしまった。
国家機密を知ったからには生かして……いやいや、相手はまだ幼い少年。脅すわけにはいかない。かといって、ベラベラ喋られても困る。ダゴダネルの奴らに俺の正体がバレたら、俺の生命が危うくなるからね。
さてさて、どうしようか……
うん、決めた。ここはひとつ、食い物で懐柔しよう!
ミヒャエルの好物を交換条件に、しばらく黙っていてもらおう!
ん? 大人気ないって? 知らん。なんとでも言え!
「ミヒャエル。俺が領主だってことを、お父さんやお母さん、友だちにも話さないで欲しいんだけど。約束できるかな?」
「ええー! やだ! しゃべりだいよ!」
「ずっとじゃないよ。そうだな、五日間だけ、黙ってられるかな?」
「五日も? ながいよー」
「ミヒャエルが約束を守れたら。なんでも好きなものをご馳走してあげるよ」
「ほんどに!? じゃあ、約束する。おで、火蜥蜴の肉、はらいっばい食いだい」
「火蜥蜴の肉? 辛いんじゃないのか? コカトリスの肉でもいいんだよ」
「ヤダ! コカトリスなんか赤ちゃんが食べる肉だ! おで、火蜥蜴のピリッとした味が好きなんだ!」
そうか……コカトリスの肉はミヒャエルには刺激が足りないのか。
それにしても、俺の好みのコカトリスの肉は赤ちゃん向きだったとは。
ゴブリン族にとって、離乳食というやつかな? まあいいけど。
俺は火蜥蜴の肉を交換条件に、ミヒャエルの口止めに成功した。
これで「エリカ様と下僕のマイロ」の寸劇はなんとか打ち切りを回避できそ……違う、俺の正体を隠すことができそうだ。やれやれ。
明日はダゴダネル領に向かう。
女騎士エリカ・ヤンセンとは、早いうちに仲直りせねば。
仲直り? うーん、俺が悪いのかな……いや、深く考えるのは止めよう。
俺が頭を下げれば良い。エリカは何も悪くない。そうとも、すべて俺が悪いのだ。
はあ……領主はつらいよ。
おや、どこかの映画のタイトルみたいだ。
はは。早いとこエリカを探し出して、今夜はもう寝てしまおう。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。




