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第二十四話:ヴァスケル様、無双する

 オーデル村の火災は鎮火(ちんか)に向かう。

 後顧(こうこ)うれいがなくなり、ジーグフリード軍は敵陣に突撃する。

 当然、俺と女騎士(ナイト)エリカ・ヤンセンも一緒だ。

 

戦斧(せんぷ)第一小隊、第二小隊は正面の敵に当たれ! 第三遊撃隊は下がれ、代わりに第四遊撃隊が左翼からまわり込め!」


「お(かしら)、右から新手(あらて)が来るぜ!」


「てめえ! (おで)を『お(かしら)』と呼ぶなって何度言えば分かるんだ! (おで)たちはもう山賊じゃねえんだぞ! (おで)のことは『ジーグフリード様』と呼べ!」


「すまねえ、お(かしら)! あわわ、ジーグ様!」


「ちっ、名前が(なげ)えからって勝手に短くしやがって……まあいい、戦斧(せんぷ)第三小隊、第四小隊。右翼の敵を押し返せ! 全軍、進撃の足を(ゆる)めるんじゃねえぞ!」


 火災の煙と豪雨による視界不良。加えて、足もとのぬかるみも重なり、ジーグフリード軍の突撃は奇襲に近いものになった。

 だが、十倍近い兵力差のせいで、進軍速度は徐々に鈍くなっていく。


「お(かしら)、キリがねえ。倒しても倒しても新手が出てくるぜ!」


「だから『お(かしら)』って呼ぶなって……ああ、もういい! 戦斧(せんぷ)第一小隊は前進、第二小隊は後退して斜線陣を形成しろ。敵の隊列が乱れたら第二遊撃隊が背後から急襲して挟み込め! 但し、敵が潰走(かいそう)しても追うな! (おで)たちの狙いは黒鎧の男ただひとりだ!」


「お(かしら)! 背後からも敵が!」


「なに!? くそっ! ……全軍に告ぐ! 鋒矢(ほうし)陣を組め! もう後戻りはできねえ! 野郎ども、ここが正念場だ! 母ちゃんや子どもの顔を思い出せ! 家族に会いたければ足を止めるな、前に進め!」


 ジーグフリード軍の疲労の色は濃い。

 今日の戦いに至るまで、既に何日も死闘を続けているという。全軍の二割ほどがオーデル村で治療中とのこと。それも生半可(なまはんか)なケガではなく、身動きできないレベル。俺の周りのゴブリン兵にも無傷の者はいない。そもそも腕や肋骨(あばらぼね)の骨折程度では負傷兵に分類されない。ゴブリンとはそういう種族らしい。すさまじい話だ。


我が領主(マイ・ロード)。私に出撃を命じて頂けないでしょうか」


女騎士(ナイト)エリカ・ヤンセン、なにをするつもりだ?」


「黒鎧の男は目と鼻の先。私が行って捕縛(ほばく)して参ります」


「待て! エリカが強いのは分かるが、(いち)(ばち)かの単独行は危険すぎる」


「ですが、このままでは!」


「確かに戦況は(かんば)しくない。だが、俺はお前を失いたくないんだ……」


我が領主(マイ・ロード)……」


 ジーグフリード軍の陣形が整う。

 兵力不足で、やたらと隙間(すきま)が目立つが、まがりなりにも全軍突撃の準備が整う。

 

「リューキ殿、鋒矢(ほうし)の陣が整いました。(おで)、いえ、私たちの未来はこの一戦にかかっています。共に運命の扉をこじ開けましょうぞ!」


「ジーグフリード、(いさぎよ)いな。お前の決断にかけよう! ……それと、無理して言葉遣いを正さなくていい。『(おで)』で良いからな」


「うっ、その言葉は忘れて下さい! 私はゴブリン・ロード。ゴブリン族の地位向上を目指しております。まずは粗野な言葉遣いを直すことから……」


「立派な心がけだ。では、ますます生き延びねばならないな」


 ジーグフリード軍の鋭利な鋒矢(ほうし)が敵陣に突き出される。幾度跳ね返されようとも、陣形を組み直して突撃を繰り返す。四方から包み込もうとする敵には目もくれず、愚直(ぐちょく)に前進を試みる。


「リューキ……なかなか苦戦してるようだねえ」


 擬人(ヒト)化したヴァスケルが、声をかけてくる。

 従者(つきびと)(よそお)いのヴァスケルは、戦場には似つかわしくない種類(タイプ)の女性に見える。相当疲労したのか、道端(みちばた)の大岩に身体(からだ)を預けたまま動けないでいる。


「大丈夫か? しっかりしろ!」


「おや? あたいに無理難題を押し付けておきながら、心配してくれるのかい?」


 俺はヴァスケルを抱き起こす。

 正直、ヴァスケルがこれほど消耗するとは思っていなかった。


「すまない。お前なら雨雲くらい簡単に呼び寄せられると思って」


(いにしえ)の火龍も水を(あやつ)るのはしんどいのさ。火と水は相性が良くないからねえ」


「そうだったのか。ごめん」


 俺は頭を下げる。ヴァスケルに甘えすぎたと思い、ひどく恥ずかしかった。

 

「えらく素直だねえ。それに、目の色も落ち着きを取り戻している」


「目の色? 落ち着き?」


「あんた、もう腹は立ってないだろ?」


「あ、そういえば」


「うん、良かった……あたいの身体(からだ)は心配いらないよ……これくらいなら、二、三日休めば動けるようになるさ」


 ヴァスケルが目をつぶる。まるでこのまま俺の腕のなかで眠るかのように。


我が領主(マイ・ロード)、あちらの丘をご覧ください! ダゴダネルの黒鎧が逃亡しようとしています。あの者を逃したら、我が軍に勝ち目はありません!!」


 矢を大剣で叩き落としながら、女騎士(ナイト)エリカ・ヤンセンが叫ぶ。徐々に飛来する矢や投石の数は増えている。それだけ戦況が悪化しているということだ。


「なんだい……おちおち休んでもいられないね。リューキ、あたいを覚醒(かくせい)させた栄養ドリンクとやらをおくれよ」 


「でも、そうしたらヴァスケルは自分自身が制御(せいぎょ)できなくなるんじゃあ?」


「他に手はあるかい? ひと暴れした後は数日遠くに離れてるよ……あんたに迷惑をかけたくないからね」


 俺はためらう。

 けれど、覚悟を決めたヴァスケルの眼差しに背中を押されて、決断を下す。


 収納袋から栄養ドリンクを取り出す。残りは二本しかない。俺は一本のフタを開け、ヴァスケルの口にゆっくりと流し込む。

 だが、ヴァスケルはむせてしまい、口の中のものを吐き出してしまう。


「ぐふぉっ、だめだ。あたいは、この甘ったるいのに苦味もある妙な味が苦手でねえ。あたいの身体(からだ)は正直すぎるのか、嫌いなもんは受け付けないのさ」


「ヴァスケル、時間がないから単刀直入に聞く。俺のことは嫌いじゃないよな?」


「こんなときに変なこと聞くねえ。あたいが、あんたのことを気に入ってるのは分かってるだろ?」


「それを聞いて安心した」


 俺はビンに残っていたドリンク液を自分の口に含む。ヴァスケルの唇に自分の唇を押しあて、ゆっくりと流し込む。肉感的で色っぽい唇はとても柔らかかった。

 

「きゃあー! なにしてるんですかー!」

 

 初心(うぶ)な感じの悲鳴が聞こえる。

 自分が女騎士(ナイト)であることを忘れてしまったエリカの()の声だ。


 そうか、エリカはこういうことに慣れていないのか! 

 エリカの反応に俺は妙に納得してしまった。同時に嬉しくも思った。まあ、俺も経験豊富というわけではないけどね。

 

 身動きのとれない(あね)さんヴァスケルに、口移しでドリンク液を飲ませ続ける。

 キスした瞬間、黒目がちの(うる)んだ瞳が大きく見開かれたが、いまでは諦めたかのように完全に閉じられている。 

 (あね)さんはむせることなく、すべて飲み干してくれた。


 口のなかが空になり、唇を離す。早くも栄養ドリンクが効果を発揮したのか、ヴァスケルの(ほほ)は心なし血色が良くなったように見えた。


「……まだ足りないね。もっと、おくれよ」


「そうか、わかった」


 俺は栄養ドリンクのフタを開ける。最後の一本だ。

 ふたたび(あね)さんヴァスケルの唇に自分の唇を押しあて、ドリンク液を流し込……む、むむっ? なんか違うぞ!?


 (あね)さんの長くしなやかな指が、俺の後頭部をがっちりホールドしている。

 頭だけではない。太腿(ふともも)を俺の下半身に大蛇のように(から)め、豊満な肉体をぐいぐい押し付けてくる。

 なんという痛気持(いたきも)ち良い状態。うん、もう逃げられないね! ずっとこうしていようか……いや、だめだ。いまは緊急事態だ。お楽しみはあとに取っておこう! いやいや、それも違うか。


 気づくと、俺の口のなかは(から)っぽだった。そう。いまや俺がドリンク液を口移しで飲ませているのではない。ヴァスケルが俺の口を(むさぼ)っているのだ。


 ドリンク液の最後の一滴まで求めるのか、彼女の長い舌が俺のなかに侵入する。ビビビと背筋に電流が走る。なにそのテクニック? いやー、やめて! みんな見てるから! 

 心の叫びは俺の本心か? むんむん色気を発する(あね)さんに口をちゅーちゅー吸われて、俺は息苦しくなる。


 ちゅぽん!


「ふう、ごちそうさま……。栄養ドリンク、お代わり!」


「……もう、ないから。さっきのが、最後の一本だったから」


「あん? もったいぶらなくてもいいじゃないか」


 ふにゃふにゃと腰が砕けた俺を、(あね)さんヴァスケルが抱きかかえる。


 そう。形勢逆転!

 いや、状況説明として相応(ふさわ)しくない。


 立場逆転!

 うん、そんな感じだ。


「ヴァスケル様……元気になられたのは喜ばしいのですが、少しやりすぎでは?」


「あん? エリカは怒ってるのかい?」


「ち、違います! 怒ってなんかいません!」


「じゃあ、焼きもちかい? リューキ、次に栄養ドリンクを手に入れたら、あんたの女騎士(エリカ)にも飲ませてやんな! ……よっしゃあ、力が湧いてきた!! いくよ!!!」


 (あね)さんヴァスケルが白光する。

 瞬時に、気力充実といった感じの守護龍(ドラゴン)ヴァスケルがあらわれる。

 ごうっと音を鳴らして、(ヴァスケル)が宙を舞う。

 途端、ドラゴンブレスの閃光と大音響が連続する。

 俺は条件反射的に地面に()()した。


 鼻をつく肉の焦げるにおい。

 肩に置かれる優しい手。


 俺はおそるおそる頭を上げる。

 身を伏せていたのは俺ひとりだった。


 優しい手の(ぬし)女騎士(ナイト)エリカ・ヤンセン。

 彼女は俺の身を(まも)るべく、仁王立ちになっていた。

 俺の女騎士(ナイト)の頼もしい姿に感心するやら、自分が情けない気持ちになるやら。


我が領主(マイ・ロード)。すさまじい光景ですね……」


 立ち上がり、戦場を見わたす。

 目の前に広がるのは、戦場だった荒れ地。数百の焼け焦げた敵兵が見える。溶けた大地からすさまじい量の蒸気が立ち昇っていた。

 ジーグフリード軍は戦闘を()めていた。敵がいないわけではない。

 ただ、双方とも戦意を喪失したため、(いくさ)にならないのだ。


 (ヴァスケル)がこちらに向かって飛んできて、手につかんでいた黒いものをポイッと投げ捨てる。ダゴダネルの黒鎧だった。ジーグフリード軍が遮二無二(しゃにむに)になって追った敵の黒幕は、用済みの(ゴミ)のように地面に投げ捨てられた。


「ジーグフリード殿! その男を捕まえて下さい!」


 女騎士(ナイト)エリカ・ヤンセンが叫ぶ。

 ジーグフリードが、慌てて配下の兵に指示を出す。

 もっとも、急ぐ必要はなかった。黒鎧の男は生きているのが不思議な位の重症。その身柄を奪還しようという敵の動きも見られない。


「リューキ……エリカ……、じゃあ、あたいは行くよ……」


 守護龍(ドラゴン)ヴァスケルが苦しそうに言う。

 理性を保つのが限界といった様子だ。


「ヴァスケル、ありがとう。お前がいなかったら……」


「お礼なんかいらないよ……あんたたち、これからどうするんだい?」


「このままダゴダネルの領地に向かう。エルメンルート・ホラント姫の身柄を確保しないとな。姫さんの無駄遣いを止めさせないと、俺は破産しちまう。捕まえた黒鎧の男をどうするかは……これから考えるさ」


「わかった……じゃあ、次に会うのはダゴダネル領かな。……くれぐれも気をつけるんだよ」


「ああ、ヴァスケルもな」


 守護龍(ドラゴン)ヴァスケルが咆哮(ほうこう)し、天に向かってドラゴンブレスを放つ。

 分厚い雨雲にいくつも穴があき、雲間(くもま)から太陽が見えた。見たこともない、不思議で不自然な光景だ。


 ヴァスケルは自分が開けた雲の隙間を抜け、飛び去っていく。


 (ヴァスケル)の姿が見えなくなると、恐怖に身を固めていた敵兵が動き始める。


 俺は咄嗟(とっさ)にヴァスケルの威を借りることにした。


「ワーグナーの領主(ロード)である俺に敵対したゴブリン族の男たちよ! 機会(チャンス)を与えてやろう! ダゴダネルの下僕(しもべ)として、このまま一生こき使われたいか? さすれば俺の(ドラゴン)が相手になってやろう! それとも俺のもとで、ジーグフリードの配下として、ゴブリン族の誇りをもって生きていくか? さすれば俺の(ドラゴン)はお前たちを助けてくれるだろう! さあ好きな方を選べ! 俺の敵でいるか、味方となるか。ただし、生き方を変える機会(チャンス)は一度きりだ!」


 俺の演説が終わるのを待っていたかのように、(ヴァスケル)咆哮(ほうこう)が天から響く。


 そう。結局、ゴブリン兵たちの決断を後押ししたのはヴァスケルだった。

 

 同時に、俺の新しい部下、ゴブリン・ロードのジーグフリードが、名実ともにゴブリン族の頂点に立った瞬間でもあった。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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