第二十二話:フリーター、龍に酔う
「我が領主。ご気分はいかがですか?」
「うん……だいぶ良くなったけど、もう少し休ませてくれ」
ローグ山の西。
傾斜がなだらかな中腹付近の森のなかで、俺たちは野宿の準備をする。
焚き火の横で、ひとり横になっているのは、他の誰でもない俺。
女騎士エリカ・ヤンセンが心配そうに声をかけてきたが、俺には空元気で応える気力すらない。
俺が体調を崩した原因は明白。ヴァスケルの乱暴な龍飛行だ。車酔いならぬ龍酔いで、胃のなかは空っぽさ。絶叫系コースターがゆりかごに思えるほどの急上昇、急降下、そして大回転。失禁しなかっただけでも自分を褒めたいくらいだ。
「リューキ……悪かったねえ。あたいは、どれだけ上手く飛べるか知ってもらいたかっただけなんだよ」
擬人化したヴァスケルが俺を心配する。
いまのヴァスケルは「守護龍モード」でも、背徳感漂う「姐さんモード・堕天使バージョン」でもない。肌の露出を抑えた「姐さんモード・従者バージョン」だ。
実状を知らない人からすれば、体調を崩した主人を世話する従者にしか見えないだろう。あくまでも見た目だけどね。
「ヴァスケル。お前がスゴいのは、よーくわかった。けど、敵に襲撃されたときは別にして、単なる移動はそっと飛んでくれよな」
「もちろん! ……昔っから、ワーグナー家の赤ん坊が夜泣きをしたときなんかは、あたいが抱っこして空を散歩したもんさ。ジーナのときもね……これからは子守りと同じくらい、優しく飛んでやるよ」
マジか! ヴァスケルは子守りもしてたのか。
守護龍は戦うだけじゃないんだね。
それはともかく、夜の空中散歩で赤ん坊はホントに寝つくのか?
気を失っただけではなかろうか?
こわいこわい。
空飛ぶ育児はワーグナー家の伝統か?
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすというが、そんな感じか?
いや、もっと苛酷な試練な気がする。
ワーグナー家五十三代目のジーナも、いつかは後継者を育てるだろう。
けど、ヴァスケルに子守りを頼むのは考え直した方が良いかもしれないな。
ふと、俺はそんなことを考えた。
他人の俺が口をはさむのは出しゃばりすぎかもしれないけどね。
「我が領主。できれば食事をとられた方がよろしいかと思います。明日の昼にはゴブリン族の村に到着します。ジーグフリード殿との面会もありますので、体力をつけておかないと」
エリカが新鮮な獣肉を火で炙り、食べやすいように小さく切り分けてくれる。だが、ひと口サイズのカットステーキを見ても、俺はどうにも食欲がわかない。龍飛行をものともしないエリカの丈夫な胃袋が羨ましい。
それでも俺は、小さめの肉片をふた切れほど飲みこんだ。あまりエリカやヴァスケルに心配をかけちゃ悪いからね。
◇◇◇
翌朝。
ひと晩寝た俺は、清々しい気分で目覚めた。お腹はペコペコ。当たり前か。龍酔いなんていっても所謂乗り物酔いと変わらない。病気とは違うからね。
「我が領主。朝食は食べられそうですか? 黒パンと、昨夜と同じローグベアの肉くらいしか用意できませんが」
いまさら知ったが、筋張った硬い肉は熊の肉だった。
エリカとヴァスケルは、獲れたての熊肉を直火焼きしてから豪快にかぶりついていたんだね。いやあ、ワイルドなお姉さま方ですな。
「ローグベアの肉もいいけど、俺が元いた世界で買ってきた食べ物があるから、それも出すよ。エリカとヴァスケルもどうだ?」
俺は首からぶら下げたがま口、すなわち領主専用の収納袋の口を開ける。金属製の小型ケトル、ミネラルウォーター、カップスープの素を取り出し、手早くスープを作る。
「我が領主! この『ポタージュ』というスープは美味しすぎます! なんだか力も湧いてきます」
「あたいも気に入ったよ……もう一杯もらえるかい」
「ふたりの口に合って何よりだ。たくさんあるから遠慮しないで飲んでくれ」
そう。カップスープは元の世界のタナカ商会で大量買いしたものだ。あまりにも安かったので、百袋入り業務用サイズを五袋も買ってしまった。買ってから賞味期限が半年も残ってないのに気づいた。俺、やっちまったな。そんなわけで、口に合うなら、どんどん飲んでくれた方が俺も嬉しい。
「さあ、ふたりとも行くよ!」
朝食を済ませたヴァスケルが守護龍モードに変身する。
俺と女騎士エリカ・ヤンセンは、ヴァスケルに抱えられて再び大空に飛び立つ。目指すはゴブリン・ロードのジーグフリードが住む「オーデル村」。俺が新しく手に入れた領地のひとつだ。
俺と約束した通り、ヴァスケルは落ち着いた飛行を心掛けてくれる。昨日とは打って変わって穏やかな龍飛行。地形に沿った低空飛行で、グライダーのようにスーッと飛んでくれた。これなら龍酔いはなさそう。
ゆったりとした感じで三時間ほど時が流れる。
頬をなでるひんやりとした山風が心地よい。
ワーグナー城の四季の美しさ、ローグ山で採れる果実の素朴な味、主従ながら姉妹のように育った元領主ジーナ・ワーグナーと女騎士エリカ・ヤンセンの昔話。
そんなとりとめもない話題に、旅の目的を忘れそうになる。
「前から気になってたけど、ヴァスケルが眠ってたのはどれくらいなんだ? ジーナもエリカも守護龍ヴァスケルの目覚めを長い間待ってたようだったけど……」
「リューキ、静かに!!」
俺の問いに答えず、ヴァスケルの声が硬いものに変わる。
途端、守護龍ヴァスケルは爆発的に急上昇し、山裾の岩場の上に着地する。女騎士エリカが俺の身体を支えてくれなければ投げ出されそうな勢いだった。
「ヴァスケル、急にどうした! なにかあったのか?」
「我が領主。あたりをご覧ください。ヴァスケル様が警戒した理由が分かります」
女騎士エリカに促され、俺は周囲を観察する。
垂直にそそり立つ大岩の上から見える光景は、文字通りの戦場。木の柵に囲まれた山砦を数千の兵が囲んでいる。実際に戦闘が行われているのはその一端のみ。組織立った行動をする数百の守備兵が、数は多いが統制のとれていない包囲軍の一隊を追い散らしている。ただし、兵数が大きく異なるせいか、守備側は包囲軍を完全に追い払うまでには至っていないようだ。
「あん!? ゴブリン・ロードは、ダゴダネルから割譲した領地を掌握したんじゃなかったのかい? ずいぶんと話が違うねえ」
「すると、あの山砦が目的地のオーデル村か? 村に籠るのがジーグフリードの部族としたら、攻めているのは何者だ?」
「見たところ、ゴブリン同士の争いだから、反ゴブリン・ロード陣営ってとこかい? まったく、おかしな話があるもんだねえ」
「ヴァスケル、なにがおかしいんだ?」
「ゴブリン族には、ゴブリン・ロード以外の統率者はいないはずだよ。なのに、包囲軍はそれなりにまとまってるじゃないか」
うむ、確かにおかしな話だ。
てことは、ゴブリン族以外でジーグフリードと敵対する奴が暗躍しているのか。しかも、ワーグナー領内での争いごとを喜ぶ相手となると……
「ダゴダネルの奴らが、裏で糸を引いてるのか?」
「リューキは察しがいいじゃないか。あたいも同じ考えを思いついたとこだよ」
「我が領主、ヴァスケル様。私も賛同します」
目の前で繰り広げられている戦の裏側が見えた気がする。推測でしかないが、ダゴダネルが絡んでいる可能性は高いだろう。明らかな停戦協定違反。さて、どう対処しようか。
「我が領主、しばらくは戦闘の推移を観察し、包囲軍の黒幕がどこにいるかを見極めましょう」
「そうか、そいつを捕まえるんだな。でも戦が長引くとケガ人が増えちゃうな」
「リューキは優しい男だねえ……けど、甘い男でもある。いいかい、ジーグフリードはワーグナーとダゴダネルの戦の後のドサクサに紛れて、あんたの領地を掌握しようとしたんだよ? あんたの許可も得ないでね。まったく、敵か味方か分からない相手を心配してどうするんだい!」
俺はヴァスケルに何も答えられなかった。
甘ちゃんと言われただけでなく、その通りだと認めざるを得なかったからだ。
「我が領主! あれを見て下さい! 包囲軍がオーデル村に一斉攻撃を始めました! 火矢も放ってます!」
「なに!? それじゃあ兵士だけじゃなく、罪のない領民まで巻き込まれるじゃないか!」
「包囲軍の奴らは正攻法では敵わないと見たんだろうねえ。村の占領から破壊に方針を切り替えたんだと思う……あたいの嫌いなやり方だけど、有効な手段さ」
オーデル村の方々から火の手が上がる。村を囲む木の柵、四隅の見張り台、大小の粗末な家屋、家畜小屋から道端に生えている木まで、村のあらゆるものに火矢が刺さる。見たところ、兵士だけでなく非戦闘員の女性から子どもまで懸命に消火活動を行っている。が、多勢に無勢。たちまち村中に火が回り始めた。
「くそがっ! ヴァスケル! 俺を乗せて飛べ!!」
「リューキ……どうするつもりさ? 戦に巻き込まれてケガをしちまう……」
「俺が心配ならお前が守れ! 虐殺が始まるのを黙って見てられるか!!」
「なんだい、無茶なことをいう男だねえ……仕方ない。あんたが行くなら、あたいも行くよ」
「我が領主。私も地獄の底までおつきあい致します」
俺たちが向かうのは眼下に広がる戦場。数千のゴブリン兵が囲むオーデル村。村を守るジーグフリードの一族も味方だと確信できたわけではない。それでも俺は突入することに決めた。
正義だとか領主の責務だとか。そんな高尚な理由を持ち出すつもりはない。
ただ、無性に腹が立ち、怒りを抑えきれなかっただけだ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
そろそろ戦の季節です。
リューキさんにはまた苦労をかけてしまいますが、そこは領主としてキッチリと働いてもらいます!




