第十二話:ジーナさん、風邪をひく
「辰巳君、ジーナちゃんを私のアパートに運びなさい!」
人事課にいた竹本さんに先導され、俺は雨の中を走る。俺の背中には元領主のジーナ・ワーグナー。長いこと雨に打たれて、彼女のスーツはびしょびしょ。身体は冷え切っている。ただありがたいことに、竹本さんの住まいは三分もかからない場所にあった。
築ウン十年のオンボロアパートの二階に着く。聞いていたとおり狭くて汚い部屋だが、少なくとも雨に濡れないし温かい。
「辰巳君、ほらタオルだ。彼女の身体を拭いてあげなさい」
「いや、でも」
「大丈夫。私は薬を買いに外に出るから」
竹本さんがきびきび動く。俺の知っている弱々しい感じのオッサンとは別人のようだ。人間、いざというときに本性があらわれるというが、竹本さんは実はデキる男なのかもしれない。
竹本さんが部屋を出ていくと、俺とジーナのふたりきりになる。彼女のおでこを触るとかなり熱かった。濡れた身体をはやく乾かさなくてはならない。
「ジーナ、動けるか? 俺の服を貸してやるから着替えるんだ。タオルもあるぞ」
なにやらふにゃふにゃ言うだけでジーナは動かない。意識が朦朧としているようだ。これはマズい!
俺は腹をくくる。ジーナを抱き起し、スーツの上着を脱がす。透ける白いシャツをできるだけ見ないようにしながらボタンを外す。結構難しい。濡れたシャツは意外と脱がせにくいものだ。
おお……眼福とはこのことか。
いや、失敬。ジーナは着やせするタイプだった。正面から対峙していては目のやり場に困るので、俺は背中に回りこんだ。
ジーナ、安心してくれ! 俺、そんなに見てないから!
ぎゅっと目を閉じ、手探りでジーナの身体をタオルで拭く。
ふおお……柔らかい。
いや、そんな下世話な感想は不要だ。煩悩退散!
なんとかジーナの身体をタオルで拭いた俺は、ネットカフェから回収したスウェットを頭から被せてやる。邪念の元が見えなくなり、俺はひと安心する。
いやいや、まだです。まだ終わっていません。当たり前だが、スーツのパンツもずぶ濡れだった。
ええい、ここまで来たら、なにをしても一緒だ。
毒を食らわば皿まで、着替えをするなら下までだ!
悪いが、これ以上の説明は割愛させていただく。俺は人命救助を行っただけだ。決して邪な気持ちを抱いたわけではない。パンティとやらも脱がしていない!
ただ、彼女に尻尾は生えておらず、俺たち人類と同じ身体つきなのは分かった。
「辰巳君、そろそろいいかな? うん、ジーナちゃんの着替えが終わって、ひと安心だね」
「竹本さん、助かりました。すいません、いろいろ助けてもらって」
「気にしないでくれ。しかし辰巳君に、こんな美人の彼女がいるなんて驚いたよ」
「ええ、まあ」
俺はあいまいに返事をした。否定しても肯定してもややこしくなりそうだからね。
「ジーナちゃんが目を覚ましたら薬を飲ませてあげるといい。風邪薬や栄養ドリンクを買ってきたよ」
「ありがとうございます。代金をはらいます。おいくらですか?」
「お金はいいよ。会社が倒産しちゃって、辰巳君の先月の給料は振り込まれなかっただろ? 私も同じだが、この年まで独身の私には、それなりに蓄えがある。それにジーナちゃんには助けてもらったからね」
「ジーナが? あいつ、なにしたんですか? てか、そもそも竹本さんとジーナはどこで知り合ったんですか?」
「ティッシュ配りのバイトで一緒だったんだよ」
「バイト? 竹本さんがですか?」
「貯金があるとは言ったものの、遊んで暮らせるほどではないからね。かといって、六十近くともなると再就職も難しい。それでバイトをしてみたのさ」
「そうでしたか」
あらためてジーナの顔を見る。ジーナは竹本さんの布団にくるまり、寝息を立てている。まだ熱はありそうだが、苦しい表情ではなくなっている。
「バイトだけどね、私の考えは甘かったよ。私が配るティッシュは誰も受け取ってくれなかった。惨めなものさ。かといって、ノルマを達成できなければバイト代は出ない。困った私を助けてくれたのがジーナちゃんだ。自分の分だけじゃなく、私の分のティッシュも配ってくれた。辰巳君の彼女のおかげで、私はバイト代をもらえたようなものだ。そういう意味でも、薬代くらいは出させてくれ」
竹本さんは無職になっても竹本さんだった。真面目で正直なひとだ。同時に、ジーナの優しい一面も知ることができた。根は悪い奴ではないのだと思った。
「わかりました。ところでジーナが寝ている間に買い物したいんですが、この辺りで、食料品や雑貨を安く売っている店を知りませんか?」
「このアパートと道を挟んだ向かいのタナカ商会だな。不良在庫なんかのワケあり商品を専門に扱う問屋だ。通常は小売りしないが、私の紹介と言えば対応してくれるはずだ」
「不良在庫? ワケあり商品? 竹本さんのイメージに合わない気がしますが」
「長く会社員をやっていると、大きな声では言えないような仕事も経験するものさ。とにかく、タナカ商会は値段も品ぞろえもいいから、行ってみて損はないよ」
竹本さんに勧められるまま、俺はタナカ商会に向かった。
◇◇◇
「兄ちゃん、なにしに来た?」
タナカ商会の敷地に入った途端、床屋のポスターに出てそうなパンチパーマが立ちふさがり、俺を睨んでくる。男の作業着の胸には「Tanaka」の刺繍。タナカ商会のTanaka。もしや、この厳ついタナカが社長さんか。
「竹本さんの紹介で来ました。こちらで買い物ができると教えてもらいました」
「なんだ、竹ちゃんの知り合いかよ! 俺は昔、竹ちゃんに世話になってな。よし、兄ちゃん、倉庫のなかを見てけよ」
パンチのタナカがあっさりと態度を変える。あまりにも機嫌が良くなったので、俺はダメ元でお願いをしてみる。
「俺も竹本さんには、ずいぶんと助けてもらいました。タナカさんにも、価格の方で助けてもらえるんじゃないかなと期待しています」
「遠慮がないやつだな! 気に入った! 値段は竹ちゃんと同じにしてやる!」
厳ついタナカの案内で倉庫に入る。
倉庫は半端なくデカかった。バスケどころか、サッカーの試合でもできそうなくらいで、巨大な冷蔵庫や冷凍庫もある。普通の個人商店というよりホームセンターという感じだ。
「どうだい。なかなかのもんだろ」
「ええ、広すぎて迷子になりそうです」
「客によく言われるぜ」
レトルト食品、缶詰、カップ麺、栄養ドリンクからサプリメントまで、次々とカート代わりの台車に乗せる。値段はどれも市価の一割にも満たない。竹ちゃん価格おそるべし。
「兄ちゃん、結構買うんだな。ひとりで持ち帰れるのか?」
「大丈夫です。何回かに分けて運びますから」
実際には収納袋に入れるので一回で運べるが、説明は不要だろう。
「兄ちゃん、買い物は終わりか?」
「今日はこれで十分です。それに、もうお金がなくて」
残金は千円少々。女騎士エリカ・ヤンセンへのお土産、和スイーツも買いたいので、タナカ商会での買い物はここまでだ。
「そうかい。ウチは売りだけじゃなくて買いもするから、なんかあったら声をかけてくれよな」
パンチのタナカが、たいして期待しない感じで聞いてくる。
俺は無意識のうちにポケットに手を突っ込む。指先に硬いものが当たる。金貨だ。そういえば、はじめてワーグナー城の金庫室に入ったとき、金貨を一枚ポケットに入れた気がする。すっかり忘れていた。
「これはどうです?」
「金貨か。外国の記念コインか?」
「詳しい由来はわかりません。単純に金としての価値ならどのくらいです?」
「24Kなら四、五万てとこだな。ちゃんと品質を確認したいから時間をくれよ」
「じゃあ、預けます。ひと月後にまた来ますので、そのときに代金を下さい」
「オーケー。竹ちゃん繋がりの兄ちゃんの頼みだ。しっかり鑑定させてもらうぜ。これは手付け金だ」
パンチのタナカが分厚い財布を取り出し、万札を一枚抜き、俺に渡してくる。
「モノだけ受け取ってサヨナラってわけにはいかない。竹ちゃんの顔をつぶすようなマネはしねえよ」
厳つい顔のタナカが真顔で答える。どういうわけか、仁義を切られたような気持ちになった。
◇◇◇
タナカ商会を後にして、オンボロアパートに戻る。
ギシギシ鳴る階段をのぼると、薄暗い電灯の下に立つ竹本さんの姿が見える。なぜか、竹本さんは玄関の扉を少し開けた状態で自室の前に立っていた。
「竹本さん、どうしたんですか?」
「ジーナちゃんとふたりきりで部屋にいるのは辰巳君に悪いからね」
なんという生真面目さだ。俺はそんなこと全然気にしないのに。てか、ジーナとは気にする間柄でもないか。
アパートの中に入ると、ちょうどジーナが目を覚ましたところだった。寝ぼけ眼のジーナは「ここはどこ? わたしはだれ?」みたいな顔だ。
「リューキしゃま。わたし、フワフワしてりゅ。なんかーおかしいですー」
「ジーナがおかしいのはいつものことだが、フワフワしてるのは熱のせいだろう。竹本さんが買ってきてくれた風邪薬がある。これを飲め」
「たけしゃんが? ありがとー。でも、おくすりはにがいからー、きらいです」
「子どもじゃないんだから、いいから飲め」
「いやですー」
俺はジーナを押さえ込む。鼻をつまみ、息苦しくなって開いた口に風邪薬を放り込む。薬を吐きださないように彼女の口をふさぎ、確実に飲みこませた。
「リューキさまっ! ヒドい! 乱暴すぎます!!」
ジーナに文句を言われて、彼女を組み伏せている自分の姿に気づく。
なんてこった!
意識のないジーナを着替えさせたばかりだから、同じ調子で行動してしまった。
俺はあわててジーナから離れる。
ジーナは怒るふうでもなく、ひたすら口に残る苦みに不平を鳴らす。
「リューキさま、なんか気持ち悪くなりました。……う、うう、はうあああっ」
ジーナが卒倒する。白目をむき、ビクンビクンと痙攣しはじめる。
え、なんで?
ジーナが飲んだのは、ただの風邪薬だよな?
薬局で簡単に買えるマイルドなやつだよな?
俺の腕のなか。意識のないジーナ・ワーグナーが小刻みに震え続ける。
なにも為す術のない俺は、ただ彼女の身体を支え続けることしかできなかった。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
スイッチが入ると筆が進みますが、そうでないとさっぱりです。。。
創作スイッチを自在に押せるといいのですけどねー。




