第百四話:フリーター、精霊界に旅立つ
心機一転、新章に突入です。
ワーグナー城に戻り、三回目の朝を迎える。
清々しく、実に気持ちの良い朝。
魔人化に必要な指輪の作製に、ジーナは三日かかると言った。
今日が、その約束の日だ。
てなわけで、俺は早速ジーナのもとに向かった。
ジーナがいるのは本来の領主用の居室。俺が領主になった後も、大きな居室は彼女に使ってもらっている。まあ、俺も同じ部屋に寝泊まりしても問題ないんだけどね。むう……あらためて考えると、なんだか照れるぜ。いい年して、俺もヘタレだな。はは。
「リューキさまっ! 指輪ができましたわーっ!」
心の中の照れとは無関係に、ジーナ・ワーグナーが元気に言う。
てか、俺の第一夫人の目の下には大きなクマがある。声のトーンに反して、少々お疲れの様子だ。
「もしかして、指輪作りは大変だったのか?」
「だいじょーぶでぇーすっ! 三日くらい寝てませんけど、へーきなのでーすっ!」
「そうか、あまりムチャすんなよ」
疲れていてもド派手な美人顔のジーナは、返事代わりに、えへへと笑う。
彼女は俺の左手をむんずとつかみ、オリハルコン製の指輪を薬指にはめてくれた。
「わーいっ! ピッタリ! しかも、お揃いですよー!」
ジーナが喜ぶ。
見ると、彼女の左手の薬指にも似たような指輪がはめられていた。
「ん? 同じモノを二つ作ったのか?」
「違いますー。わたしのは母の形見です。両親が結婚するときに、父が作ったモノですっ!」
そう言いながら、ジーナは左手を大きく広げる。
白く、細い、いかにもお嬢様然とした指には、俺のモノに似た指輪がはまっていた。
「魔界にも結婚指輪を贈る習慣があるのか?」
「指輪に限りませんが、手作りの品を贈りあうのが慣わしです! ていうか、リューキさまはわたしが作った衣装を受け取ってくれたじゃないですかー! 忘れちゃいました?」
ジーナが答える。
相変わらずハイテンションな口調だが、目はトロンとして眠そうだ。
「忘れるわけないだろ。状況が落ち着いたら、俺からも贈り物するよ」
「絶対ですよー!」
「ああ。約束する」
特にアテのないまま、そう答える。
まあ、なんとかなるだろう。
俺の返答を聞いたジーナは、子犬がじゃれるような感じで飛びついてくる。無邪気でかわいいものだ。
「で、この指輪を使って、どうやって魔人化するんだ? 精霊界と関係があるんだろ?」
「そうでーす。この指輪はオリハルコン98、アダマンティン1、ダマスカス1を混ぜてからハイエーテルでクリーニングして……」
「ジーナ、結論だけ簡潔に頼む」
「はーい。それで……」
ジーナのソコソコ長い説明を聞き、俺は理解した。
特殊な加工を施したオリハルコンの指輪をはめると、魂だけが精霊界に行けるのだそうだ。理屈はジーナもわからないらしいが、まあ仕方ない。
「リューキさまっ! 指輪は精霊界に行くためのモノですが、精霊界から戻るのにも必要なんですよっ! 元の身体に帰る目印にもなるのです」
「指輪はアンカーみたいなものか? てか、魂が元の身体に戻れなくなると、幽霊みたいになっちゃいそうだ。怖いね」
「その通りでーす。魔人化の最大のリスクは、実は最終段階にあるのです。魂が迷子になって悪霊化しちゃうと大変なので、気をつけてくださいねー!」
「心配してくれてありがとう。けど、できれば変なフラグは立てないで欲しかったな」
「フラグ?」
「いや……なんでもない。人間界のジンクスだ。悪い未来図ほど、現実化しやすいって話さ」
俺が心配したのに対し、ジーナは返答しない。
おかしなことを口走ったのを反省してるのかと思いきや、彼女はスヤスヤと寝息を立てている。俺にしがみついた格好のまま、安心しきった顔つきで眠りについていた。
「なんだ、寝ちまったか」
やれやれとばかりに、俺はジーナを抱え上げる。
そのまま、ジーナ用のベッドにそっと横たえ、そっとブランケットをかけてやる。
「さてと、魂だけ精霊界とやらに行くってことは、俺も寝ちゃえばいいのかな?」
俺はジーナの脇に身体を横たえる。彼女のベッドは十畳ほどの大きさ。畳換算するところが我ながら日本人的だな。てか、俺が寝床にしている予備の領主用居室のベッドと同じくらいだが、見た目は明らかに違う。乙女チックだ。彼女のベッドには天蓋があり、全体的に淡いピンク色をしている。フリルがフリフリで、乙女心がブリブリだ。けど、ちょっと意外な気がする。ジーナにこういった趣味があるとは思わなかった。
「なんといっても、ジーナは公爵家のひとり娘だもんな」
ひとりで納得してから、寝返りを打ち、そのままベッドの上をゴロゴロ転がる。めっちゃフワフワ。柔らかすぎるくらい。うむ、ハイソサエティな寝具に慣れるには時間がかかりそうだな。
くー、すぴー、と可愛らしい寝息が聞こえる。ジーナは安心しきった表情でグッスリ眠っている。喋ると残念発言連発だが、おとなしくしてると超絶美人さん。「まつげ、長っ!」といまさらながら思った。
仰向けになり、大きく深呼吸する。視線の先、ベッドの天蓋には細やかな刺繍が施されている。ボンヤリ眺めていると、刺繍の紋様が龍なのに気づく。きっとヴァスケルだろう。さすがワーグナー家だと思った。
けれども、時間とともに龍の紋様はハッキリしなくなり、ジーナによく似た肖像やワーグナー城の遠景へと次々と変化していく。
「へー、面白いな。紋様が変わるんだ」
スライドショーのような刺繍の絵の変遷を飽かずに眺めていると、徐々に睡魔に襲われてくる。もしかして天蓋の絵は眠りにつくための仕掛けか? と思い至った瞬間、豪奢な刺繍が視界いっぱいに広がる。いや、天蓋が目と鼻の先に迫っているのに気づいた。
「うわっ! 天蓋が落ちてきた!」
俺はジーナの身体を抱えて、ベッドから飛び降りようとする。が、俺の脇にはジーナはいなかった。あたりを探すと、ジーナは俺の下方にいた。しかも、ジーナの横で俺が眠っていた。
「はあ!? なんじゃこりゃ! 俺の身体が浮いてる! いや……これが魂が抜け出たってことか!」
俺は状況を理解する。そう、何も慌てることはない。このまま精霊界に行き、精霊の祝福を受ければ良いのだ。ついでに精霊の友だちが何人できれば、尚のこと良い。すべてが終われば、俺は魔人になる。名実ともに魔界の住人になるのだ。ローンは十年近く残ってるけど、ワーグナー公爵家の後継者になるのだ。
「さてと、じゃあ行ってくる!」
アッサリと気持ちを切り替えた俺は、ジーナに声をかける。彼女はスヤスヤと眠ったまま、俺の言葉に反応しない。てか、俺の声は聞こえないのだろうね。まあいい。彼女はイロイロと頑張ってくれた。今度は俺が頑張る番だ。
実体のない俺は、天蓋を突き抜け、天井も抜けて、ワーグナー城の上へ上へと昇っていく。空から望むワーグナー城の周辺で、ドワーフやオークたちが補修工事をしているのが見える。うむ、朝も早よからご苦労様です。俺は思わず感心する。
「みんな、達者でな。次に会うときには、俺は魔人になってるからな!」
声が届かないと分かっていながら、俺は暫しの別れの挨拶をする。当たり前のように、俺に返答する者はいない。
見送る者のいないなか、俺は天高く、さらに高く昇っていった。




