第百三話:フリーター、露天風呂を堪能する
ワーグナー城の東の端、黒檀の塔が建つ庭園に至る。
風の精霊の姫デボネアと水の精霊の女王エフィニア殿下がグチャグチャにした庭園は、美しい姿に戻っていた。
「どゆこと!?」
思わず叫んでしまう。
が、誰も返事をしてくれない。
デボネアたちは既に精霊界に帰っちゃったからね。
調子に乗ってすぐ大騒ぎする精霊たちだけど、いなくなると寂しいものだ。
真っ白い羽根の蝶が舞い、赤、黄、橙などのカラフルな花が咲く庭園を歩く。
庭に点在する果樹には、赤い色をしたリンゴに似た果実がなっている。
果実をもぎ取り、かじってみると、実にうまかった。俺が知っているリンゴよりも酸味は強いが、ひと口ごとに力がみなぎる気がした。
もうひとつ果実をもぎ取り、もぐもぐ食べながら先に進む。
庭園の奥。淡く白濁した露天風呂は相変わらず魅力的。ゆらゆらと立ち昇る湯気が、おいでおいでと俺を誘う。
「リューキ、行きまーす!」
服を脱ぎすて、軽くかけ湯して、ザブンと温泉に飛び込む。
おお……良い湯加減。最高だ!
領主となって二月余り、俺は初めてくつろげた気がした。
直径三メートルほどの円い露天風呂は、手足を伸ばせるどころか、大の字になって浮かぶことができる広さ。てか、実際にぷかぷかと浮いてみた。マナー違反を叱る奴はいない。俺は、城持ち部下持ちローン持ちに加えて、温泉持ちにもなった。うむ、領主ってのも悪いもんじゃないな。
「リューキよ。湯船に入る前に、ちゃんと身体を洗わねばダメではないか!」
「わっ、エルか! 温泉が気持ち良さそうだったから、ついね」
白濁する湯のなかに急いで身体を沈め、後ろを振り返る。
温泉の脇、中世風のドレスを紐でたすき掛けにしたエル姫が、タオルを持って仁王立ちしていた。
「その格好はなんだ?」
「旦那さまの身体を洗ってさしあげるのじゃ。さあ、風呂から上がるのじゃ」
俺は受け取ったタオルで前を隠しながら、湯船を出る。
平らな石に腰かけ、エル姫に背中を向ける。
「亡国の微女」化粧の第三夫人は、俺の背中をゴシゴシこすりはじめた。
「旦那さま、かゆいところはございませんか、なのじゃ」
「ないよ。てかさー、妙にサービスいいな。欲しいモノでもあるのか?」
「ほう! リューキは察しが良いのう」
エル姫がアッサリ白状する。
そうとも、エル姫になにやら魂胆があるのは、すっかりお見通しさ! どれだけ長い付き合いだと思って……ん、まだひと月ちょいくらいか? なんとまあ、密度の濃い日々ですな。
「わらわは高品質な神紙を作りたいのじゃ。ローグ山を探索して、木の怪物トレントの素材を集めたいのじゃ。人手を貸して欲しいのじゃ!」
「城の修繕や領内の土木工事をはじめたところだからな。そっちの仕事が優先だ」
「なにを言うておるのじゃ! 庭園の見事な復旧を見たであろう。水の精霊のエフィニア殿下が精霊を召喚して元通りにしたのじゃぞ。オークやドワーフに任せたら数ヶ月かかる作業が、わずか数日で終わったのじゃ! オーク、ドワーフ、精霊。各々の特技を活かすことこそ、領主の腕の見せどころではないのか!」
「な、なるほど!」
エル姫の言葉に納得し、同時に心が熱くなる。
職人集団のドワーフ族。
献身的で律儀なオーク兵。
類まれな能力を持つ精霊たち。
彼らが協力しあえば、どんなことだってできる気がしてきた。
「JVじゃ! リューキに貰った本で学んだのじゃ。異なる能力を持つ者同士が力を合わせてモノを造るのをJVというのであろう? いや、リューキは領主じゃから、モノ造りではなく、国造りじゃな。途方もなくデッカい話じゃ。どうじゃ、ワクワクしてきたであろう?」
「おお……てか、思わず感動しちゃったけど、よく考えたらエルが神紙を欲しいだけじゃないか」
「リューキよ! 難しく考えるでない! 心で感じるのじゃ!」
エル姫が勝手なことを言う。感心するくらい堂々とした態度だ。
「エルは逞しいな」
「わらわには神紙しかないのじゃ! わらわは従姉妹のジーナ・ワーグナーのように愛らしい性格でなければ、エリカ・ヤンセンのような女騎士でもない! ヴァスケルのように強くもなければ乳もデカくない!」エル姫がひと息つき、声のトーンを落として続ける。「リューキには迷惑ばかりかけておる。わらわは、神紙でしかリューキを支えられぬのじゃ……」
「え! いやその、そんなこと気にするなよ。まあ、エルの精霊召喚に何度も生命を救われたのも事実だしな……前向きに考えておくよ」
急にしょんぼりした態度を示したエル姫に、つい約束してしまう。
確かに、品質の良い神紙があればイロイロ助かるのは事実だ。
「エル姉ちゃん、どーだった?」
果樹の木陰から出てきたドワーフ族のマリウス少年がエル姫に尋ねる。
少年の後ろには保護者のように職人頭のバッハ翁が付いていた。
「あとひと息じゃ! リューキはわらわの魅力にメロメロなのじゃ! もう少しで人手を出してもらえるのじゃ」
エル姫がマリウス少年に答える。
ていうか、いまの会話のどこで俺がメロメロになったのかわからない。
「ホッホッホッ。エルメンルート姫さまや、領主リューキ殿はお忙しい身ゆえ、頼み事は受け入れやすいように話せば良いのですじゃ」
「ほうほう。バッハ翁よ、なにか良い知恵があるのか?」
「領内を巡回する警備隊じゃ。警備隊は、おかしな怪物が住みついておらぬか探して、山中を巡回するのじゃ。マリウスの教育係ヤン・ビヨンドが警備隊の隊長をしておるゆえ、巡回のついでにトレントの素材を拾い集めるよう、頼んではいかがかのう」
「良い考えなのじゃ! それなら新たに人手を割かんでも良いのじゃ! バッハ翁は天才なのじゃ! リューキよ、どうじゃ?」
「問題なさそうだな。ドワーフ族のゲルト族長に頼むか。俺からの依頼だと伝えて……」
「ヒャッハー! ゲルト族長を探すのじゃーっ!!」
俺が話し終わる前にエル姫が駆けていく。
「エル姉ちゃん、待ってよー!」と叫びながらマリウス少年が、「ホッホッホッ」と笑いながらバッハ翁が追いかける。
三人が立ち去ると、静寂が戻ってきた。
ひとり残された俺は、やれやれと思いながら身体を洗い、再び温泉につかった。




