第百二話:フリーター、こーんびーふを崇める
大広間に面した領主用の予備の居室、つまり俺の部屋。
数日留守にしていただけなのに、プライベートルームは妙に懐かしい気がした。
コンコンッ
「失礼しまーす」
軽くノックしたが返事がない。
それでも俺は、声をかけながら部屋に入った。
俺の部屋とはいえ、先客がいるからね。
部屋の奥には、広さが十畳ほどの天蓋付きベッドがある。
俺を眷属化した姐さんヴァスケルはそこに眠って……いなかった。
代わりに、ヴァスケルの白いドレスがベッドの上に転がっていた。
姐さん、コレは事件です!
なーんてことを心のなかで叫びながら、ベッドの上に飛び乗る。
ヴァスケルのドレスは相変わらず布地が少ない。いや、いまは露出度は関係ないか。ていうか、まだ温かかった。つまり、脱ぎたてホヤホヤ。中身のヴァスケルは遠くへは行っていないはず。おっと、中身ってのはおかしいな。要するにスッポンポンのヴァスケルが行方不明ってことだ。
「どこだ! どこにいるんだ!?」
俺は目を皿のようにして部屋中を探す。そりゃもうこれ以上ないほど真剣に。ソファや執務用の机のまわりに人影はない。部屋付きのキッチン、ウォークインクローゼット、それ以上にドキドキしながら扉を開けた浴室にもヴァスケルはいなかった。よく考えたら勝手に浴室を覗くのもどうかと思うが、緊急事態だ。許してくれ! つーか、ヴァスケルは夢遊病者なのか? まったくもってどこに行ってしまったんだ!
ああもう、ヴァスケルの裸が、もとい、身が心配でたまらない!
俺はベッドに飛び乗り、思わず地団駄を踏んでしまう。
ギシッ 「ぐはっ」 ギシッ 「ぐほっ」
激しく飛び跳ねたせいか、クッション性の良いベッドが軋む。スプリングがギシギシ鳴るたび、ベッドの下からくぐもった声が聞こえた。
俺は慌ててベッドから飛び降り、下を覗きこむ。
いた!
ベッドの下には見慣れた黒髪の女性が横たわっていた、ヴァスケルだ。
俺は急いでベッドの下に潜り込み、彼女の身体を引っ張り出そうとする。はやく見たい! いや違う。スッポンポーンでいたら風邪を引いちゃうかもしれないから心配しただけだ。おっと、無理がある言い訳だな。はは。
けれども、ベッドの下から引っ張り出したヴァスケルはちゃんと服を着ていた。
くっ、期待して損した! 畜生!!
なーんて感じに、俺は心のなかで悔しがった。
「リューキさま、ここにいたー!」
部屋の入り口から声が聞こえる。ジーナ・ワーグナーだ。俺の第一夫人のジーナがノックをしないで勝手に部屋に入ってきた。俺が守護龍兼愛人のヴァスケルとナニかしてると思って覗きにきたのか? いや、そんなことないか。単に遊びに来ただけか。
まあいい、とりあえずトンデモなく寝相の悪いヴァスケルをベッドの上に寝かしてやろう。
むにゃむにゃと寝言をいうヴァスケルをベッドの中央に横たえ、その脇にジーナと一緒に並んで座る。やれやれだな。
「ヴァスケルさまは寝相が悪いんですよー」
「うん、よくわかったよ。てか、ベッドの上にあったドレスはなんだ? 誰かがヴァスケルを着替えさせたのか?」
「違いますよー、ウロコと一緒です。ときどき新品のドレスに生え変わるんです」
まるで脱皮するかのように説明される。
確かに、ヴァスケルの本性は竜だ。姐さんモードのときも、格好を自由に変化させていた。眠っている間も定期的に服を変えるのか。便利だね。
「そうなんだ。ちょっと期待し……驚いちゃったよ」
「リューキさまぁ。大きなマクラありませんでしたか?」
「マクラ? そういえばヴァスケルがウォークインクローゼットにしまってたな」
「それを出してくださーい。ヴァスケルさまは抱きマクラがあると寝返りしないんです」
言われるまま大きなマクラを持ち出し、ヴァスケルの横に置く。
夢見心地の我が守護龍は、むにゃむにゃ言いながらマクラを胸に抱いた。
「お、おおお……」
俺は言葉を失う。
マクラはヴァスケルに抱きしめられ、バインバインてな感じに挟みこまれた。
ナニに挟まれたなんて聞かないでくれ……ああ、生まれ変わるなら抱きマクラになりたい。
「ヴァスケルさまは気持ち良さそうにお休みになりましたねー。ところで、リューキさまの指のサイズを教えてください」
「指のサイズ? 指輪のサイズか。測ったことないな」
「じゃあ。手を大きく広げて下さい」
「こうか?」
パーの形に広げた俺の右手をジーナが触る。ジーナの指は、ゴツゴツした俺の指と違って、細くて長い。なんというか、いかにもお嬢様って感じのキレイな指だ。
「むー、なんとなくわかりました」
「そうか。いささかアバウトな気もするけどジーナに任せるよ」
「はーい、お任せあれー」
ジーナがテキトーな返事をしながら去っていく。俺が渡したスイーツで両手はいっぱいになったので、超ゴキゲン。なんだか安心した。ホント、呑気な態度のジーナがいてこそのワーグナー城だね。
スヤスヤと眠るヴァスケルを残し、部屋を出る。
石造りの階段を降り、薄暗い廊下をトボトボと歩く。
長い廊下の途中、守備兵の詰所の前でドワーフ族の職人とオーク兵たちが議論するのが目に留まる。
「出入りしやすいように、詰所の入り口を広げた方がいいんじゃないか?」
「いっそのこと出入り口を増やすか」
「壁をぶち抜いて、部屋を広くしたらどうだ? いまのままでは手狭だぞ」
オーク・キングのグスタフ隊長とドワーフ族を代表するゲルト・カスパー族長の間には、因縁めいたわだかまりがあるようだが、配下の者たちは友好的な雰囲気だ。実に良い。昨日の敵は今日の友だね。
「ご苦労様さま。城の修繕はどんどんやってくれ。よほど大掛かりな改築でない限り、好きにしていいからな」
「おお! リューキさま、ちょうどいいところへ! ご神体を分けてくだせえ? 祭壇に飾りたいんすわ!」
オーク兵が妙に熱っぽく語る。が、言ってる意味がわからない。
「ご神体? 祭壇? なんのことだ?」
「こーんびーふ様っすわ! ドワーフの職人たちにこーんびーふ様のスバラしさを伝えたら、ぜひ一緒に崇めたいというんすわ」
いささかチャラい感じのオーク兵ーーよく見たら、ダゴダネルとの戦で功績を挙げ、コンビーフ缶の褒美を受け取ったバードだったーーが、つかみ掛からんばかりの勢いで迫ってくる。いつの間にやらコンビーフは宗教になってしまっていた。うむ、コンビーフは偉大なり。
「別にいいけどさ。コンビーフを取りあってケンカするんじゃないぞ!」
「リューキさま! 俺たちをなめねえでくれ! こーんびーふ様は俺たちの生きる希望だぁ! 明日への活力だぁ! こーんびーふ様を巡って争うなんざ、バチが当たりますわ!」
オーク兵のバードが力説する。背後に控える仲間のオーク兵、ドワーフ族の職人たちもうんうん頷いている。むう、どうやら領主の威厳はコンビーフ缶より下らしい。畜生。
収納袋からコンビーフ缶を三缶取り出し、パードに渡す。パードはコンビーフ缶を詰所の壁際にある小さな祠ーーそれが祭壇らしいーーに納め、恭しく頭を下げる。こうやるのですよと、教えてくれるので、俺も一緒になってお参りしてしまう。ん? なんてこったい、俺も「こーんびーふ教」に入信してしまったのか!? ま、いいか。
「こーんびーふ、こーんびーふ!」の大合唱が耳に痛いので、そっと部屋を出る。
ふたたび薄暗い廊下を進み、黒檀の塔が建つ東端の庭園に向かった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。




