第九十七話:ジーナさん、号泣する
ローグ山の東、湖畔の森のなか。
ジーナの母ジークリット・ワーグナーの墓前に婚姻を報告した俺たちは、その場をあとにする。
森の小道を抜け、赤い屋根の小さな家ーージークリット・ワーグナーが亡くなるまで療養していたーーに戻ると、ドワーフの族長ゲルト・カスパーが待っていた。
「リューキ殿、ジーナお嬢さん、エルメンルート姫様、お戻りになられましたな」
「むーっ、わたしだけ子ども扱いしないでー! もうお嬢さんじゃないからー!」
「これは失礼。どのようにお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ジーナ・ワーグナー公爵第一夫人ですわ!」
ジーナが、むんっとばかりに胸を張り、なぜか誇らしげな顔をする。
「では、これからはそうお呼びしましょう」
「いやいや、長いよ。ジーナのことは『ジーナさま』くらいでいいよ」
「リューキ殿がそう言われるとのならば、そのようにいたしましょう」
ゲルト・カスパーが答える。
過去数十年にわたり、ドワーフ族はワーグナー家と地下資源をめぐって小競り合いを続けてきた。だが、どこかスッキリしたようなゲルトの表情は、袂を別った行動が彼の本意ではなかった何よりの証拠に思えた。
「ゲルト族長。あらためて問うが、ドワーフ族はワーグナー家に帰順するんだな? もちろん、ワーグナーは大歓迎さ。なあ、ジーナ、エル?」
「リューキさまのやりたいようにして下さって結構ですわ!」
「ジーナ、即答だな。てか、お前も真剣に考えてくれよ。なんといってもお前は第一夫人になるんだから」
「すいませーん、わっかりましたっ!」
返事は素直で元気も良い。とはいえ、ジーナの態度はいかにもテキトー感がにじみ出ていて、俺は不安しか感じない。
「リューキよ。第三夫人のわらわも歓迎するのじゃ! ドワーフ族は鉱物の採掘だけでなく、剣や装飾品の作製にも秀でておる。ワーグナー家の発展のために欠かせぬのじゃ。わらわの神器の研究も手伝って欲しいのじゃ」
「エルは抜け目がないなー。ともかく、ゲルト族長、そういうことだ」
「領主リューキ殿、我々としては否応もありません。もちろん、土の精霊ドムドムさまのニセモノを使って、我々を愚弄した帝国に従うつもりは金輪際ございませぬ」
「俺も、その落とし前はいずれキッチリつけるつもりだ」
「その際は、是非とも我らにもお力添えさせてください」
◇◇◇
赤い屋根の家をあとにして、山道をのぼり、ドワーフの村に向かう。
母の終の棲家を離れるのをジーナ・ワーグナーは名残惜しそうにする。気持ちは分かるが、仕方ない。とりあえず一旦はワーグナー城に帰らなくてはいけない。てか、ジーナの第一夫人やエル姫の第三夫人は、俺が魔人になってからの話だ。いまの俺は竜人。人間でも魔人でもない中途半端な存在。しかも早いところ魔人にならないと、俺を眷族化している守護龍ヴァスケルは目覚めることはない。うむ、思えば寄り道ばかりしているな。
てへ、ヴァスケルさん、ごめんよごめんよー。
「ジーナお嬢さ……ジーナさま。あちらの見晴らしの良い高台をご覧ください。お母上のジークリットさまは、体調が良いときは山道を散策され、よくあの高台からローグ山を見上げておられました」
「ほよっ! 母上さまはなにを眺めていたのかな?」
ゲルトの話を聞いたジーナは駆けだし、高台にある平らな石の上に飛び乗る。
彼女は小柄な身体を目一杯伸ばして、ローグ山をキョロキョロと見まわした。
「すごーく遠いけどー……かすかに見えるのは、ワーグナー城かなー?」
「その通りです。胸の病を移してはいけないからと、幼いジーナ様と離れて暮らしていましたが、ジークリットさまはいつもジーナさまを想っておられました」
「母上が……」
ジーナの表情がボンヤリとしたものに変わる。
甘えん坊の子犬のような目も、迷子の子犬みたいな不安げな目に変わった。
「リューキさま。わたし、母上のことが大好きなんですよー」
「うん。ジーナを見てると、すごくわかるよ」
「えへへ……でもー、母上はわたしが赤ん坊のころに亡くなったので、実はなにも思い出がないんですよー」
「なに!? そうだったのか」
ジーナが高台の石の上からぴょんと飛び降りる。
てくてくと近づいてきて、潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
「わたし、母上はこんな感じだったのかなーって想像するのが好きなんですー。わたしの頭のなかの母上は、あったかくて優しくてイイ匂いがして、いつもニコニコしてるんですよー」
「きっとその通りだったと思うよ」
「けど、母上は……きっと……泣くことも、あったんだなって……」
ジーナは笑顔を拵えているが、大きな瞳からはボロボロと涙がこぼれていた。完全に泣き笑いの表情だ。
思わず、俺はジーナを抱きしめる。
「ほんと、ジーナは泣き虫だな。ジーナのお母さんもジーナと同じように泣くことがあっただろうね。それに、ジーナと同じように笑うこともたくさんね」
「リューキさま、ごめんなさい。わたし……」
「いいさ。泣きたいときは泣けばいい。ワーグナーとドワーフ族は昔の関係に戻ったんだ。これからはいつでもお母さんに会いに来られるさ。ヴァスケルに頼めばひとっ飛びだしね」
「う、うう、うぇええーーん」
ジーナは俺の腕のなかで号泣する。
俺はジーナが満足するまで胸を貸してやった。
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