第十話:フリーター、ぬか喜びする
「ダゴダネル家との停戦交渉が終わった? で、どうなった? 教えてくれ!」
「はーい。交渉結果は……」
即時停戦
三年の停戦協定
捕虜の身代金十五万G
領地割譲
人質の提供
うむ、想定以上の成果だ。褒めてつかわす。
じゃなくて、ありえないくらい条件が良すぎる。
ジーナよ、お前はいったいなにしたんだ?
「リューキさま。わたし、たいしたことしてませんよ」
「そんなことないだろう。正直に言え! 吐け! 答えろ!」
「ふえぇぇーーん、ほんとうですー」
元領主のジーナ・ワーグナーが泣く。もちろん嘘泣きだ。俺には分かる。
俺を追うようにやってきた女騎士エリカが、乳母のようにジーナをなだめる。
ダメだ! そんなことするな!
エリカがジーナを甘やかすから、ジーナはこんな子に育っちゃったんだ。
いや、どんな子か詳しくは知らんが。
「ジーナもエリカも、よく聞いてくれ。俺は怒ってるわけじゃない。ただ、条件が良すぎて、ダゴダネルが本当に約束を守るのか心配なだけだ。形だけの休戦協定では意味がないだろ?」
俺の説明にエリカはうなずく。
「我が領主、仰る通りです。ジーナ様、交渉経緯を説明されてはいかがですか?」
「むー、わかった。えっと、そもそもダゴダネル家とワーグナー家というのは歴史的に……」
「ジーナ、簡潔にな」
「はーい。今回の停戦交渉では……」
ジーナの話を聞いて、俺は理解した。
要は、ジーナはダゴダネルの交渉団の心をへし折り、交渉を有利に進めたのだ。
大怪我を負った捕虜のムタは、当主夫人に溺愛されるダゴダネル家の末子。そのムタをジーナは最低限しか治療させなかった。どうせ、すぐに返還してしまう捕虜だからという理由だ。
うん……なかなかの鬼畜さんだな。
対するダゴダネルの交渉団は焦った。
ムタが泣き叫んで怪我の痛みを訴えるに至り、身代金は跳ね上がった。「もうひと声!」と鬼畜のジーナが更なる増額を求めたところ、政情不安のある土地の受入れと取扱いに困っていた娘を人質として預かるのを交換条件に、十五万Gまで積み上がったという。
「なるほど。ジーナ、よくやった!」
「えへへ」
「とでもいうと思ったかーー!!」
「ひえぇぇー!!」
ダゴダネルが寄越したのは、不穏な領地とお金を払ってでも外に出したい身内。どちらも碌なものではないだろう。新たな火種とならないよう祈るしかない。
「リューキさま。些細なことは置いときましょう。もっと大事な話があります」
「なんだ? まだ問題があるのか?」
「ローンの支払いです。明日までに一万G払わないと、わたしが領主に返り咲いてしまいます。それは嫌です。リューキさまが領主になられて、こんなに楽チン……コホン、こんなに領民の心が安らいだことはありません。どうぞこのまま、わたしたちをお導きください」
黒い本音が見え隠れする発言にムカつく。ただ、ローンの支払い期限が明日に迫るのは事実。
俺は渋々、ジーナの提案に従うことにした。
「ジーナ。ローンはどこで払うんだ? この世界でも銀行振込みはできるのか?」
「できません。元の世界で、お城の契約を結んだ不動産屋で支払う決まりです」
「俺は元の世界に帰れるのか?」
「ローンの支払いのとき。月に一度、二十四時間だけです。ちなみに二十四時間以内に、こちらに戻らないと……」
「そしたら俺が死んで、ジーナが領主に返り咲いちゃうんだろ?」
「さっすがリューキさま! わかってるうー!」
あっけらかんとしたジーナの言葉に、俺は右手を強く握りしめる。ジーナの頭を殴るのを辛うじてこらえる。深呼吸をひとつして、気持ちを鎮める。こんなことでいちいち怒ってたら身体がもたない。
そういえば、異世界に来て半月経つが、ずいぶん体重が落ちた。メシは口に合わないし、栄養も足りていない気がする。せっかく元の世界に帰るんだ。気分転換に美味いもんでも食おう。
「リューキさま。では、参りましょー!」
「ジーナもついてくるのか?」
「領主の異世界訪問には、ひとりだけお供できます。DKのほかに、城代のわたしも同行できます。リューキさまは半月ぶりの里帰り。楽しみですねー!」
「守護龍はともかく、一緒にいくのは女騎士エリカでもいいってことか。じゃあ、エリカで……」
「ヒドーい! リューキさまっ! わたしのどこがいけないの!?」
「お前のすべてだ」と言い返そうとした俺は、そう答えるのに躊躇してしまう。
嘘泣きではなく、ジーナが本気で泣きだしたからだ。
「わーたーしーはー、異世界に行くのだけが楽しみで生きてるのに、なのに……、うぇぇえーん」
ジーナ・ワーグナーが号泣する。乳母、じゃなくて、女騎士エリカ・ヤンセンが懸命になだめる。エリカの甲冑の胸に顔を埋め、ジーナはおいおい泣く。成人女性がここまで泣き崩れるのを、はじめて見た気がする。
「……我が領主。私ではなく、ジーナ様を連れていってくださいませんか? 確かに、ジーナ様は目を離すとすぐ迷子になったり、お金もないのにお菓子を欲しがったり、知らないひとから声をかけられてホイホイついていったりするかもしれません。けれど、異世界訪問を心から楽しみにしていて……」
不安しか感じさせないエリカのフォロー。
なるほど、ジーナは俺がいた世界に来ては騒動を起こしていたのか。とはいえ、そこまで楽しみにしてると言われれば、断るのがかわいそうになる。
「ジーナ、約束を守れるなら連れていってやるぞ」
「ブビーっ!! ぶぁい、なんでもしばす! どんな約束も守りばす!」
勢いよく鼻をかんだあと、満面笑みのジーナが聞いてくる。気持ちの切り替えが早い。「いま、泣いてたよね?」と確認したくなるくらいの輝く笑顔だ。
「俺から勝手に離れないこと。欲しいものがあったら俺に相談すること。知らない人に声をかけられても、ついていかないこと。いいね」
「はーい。わっかりましたー」
幼児を引率する先生の気持ちが分かる気がする。とてつもなく不安だ。前もって約束しても、興味の対象があらわれたらすっ飛んでいきそうだ。イヌを散歩させるように、ジーナにリードを付けたい。
「着替えてくるねー! リューキさまっ! しばしお待ちを-!!」
軽やかにスキップしながらジーナ・ワーグナーが去っていく。
いま、ジーナが着ているのは中世の西洋貴族の女性が着るようなドレス。そんな格好で俺がいた世界に行ったら目立ってしまう。きっと、最初に会ったときに着ていた地味なスーツに着替えるのだろう。安っぽいスーツが、ど派手な金髪美人のジーナに似合うかどうかはともかく、俺の世界ではスーツの方がうまく溶け込むだろう。
逆に、俺もそのうち、この世界の服を用意してもらいたいものだ。いつまでもポロシャツとジーパンでは領主らしくない。
「我が領主。ジーナ様がご迷惑をおかけするかもしれません。いえ、確実にかけますが、どうかよろしくお願いします。それと、お渡ししたいものが……」
女騎士のエリカ・ヤンセンが封書を手渡してくる。封蝋を施した仰々しい手紙。甲冑姿の女騎士に渡されると果たし状のようにも思えるが、当のエリカは恥ずかしそうに頬をピンク色に染めている。
「手紙って、もしかして?」
「我が領主……いまは開けないでください。元の世界に戻られてから、ジーナ様がいないところで読んでください」
「わ、わかった」
エリカ・ヤンセンが走り去る。甲冑が軋むカチャカチャいう音が離れていく。女の子に手紙(ラブレター?)をもらうなんて、いつ以来だろう? 小学生のときか? もう二十年以上も前の話だ。ああ、あの頃に帰りたい。
「お待たせしました! リューキさま。さあ、いきましょう!」
元領主のジーナ・ワーグナーがあらわれる。予想通り、彼女は紺色の地味なスーツを着ている。そしてなぜか大きなエコバッグをふたつも持っている。
「ジーナ。そのバッグは何に使うんだ?」
「お土産用の袋です! リューキさまの世界には二十四時間しか滞在できません。一秒たりとも無駄にしません。リューキさまのローンの支払いを見届けたあと、わたしはティシュやチラシを配るバイトをします。バイト代が入ったら、すぐにお買い物です。お菓子を買いまくります! ああ、リューキさまの世界にいくのが待ちきれないですわ!」
頭がくらくらしてくる。女騎士のエリカ・ヤンセンの言う「迷惑」とは、こういうことかと理解する。エリカが赤くなったのは、ホントに恥ずかしかったからか。くっ、変に期待しちまって、こっちが恥ずかしいぜ。
俺はリュックから封蝋が施された手紙を取り出す。ジーナがいないところで読むようにと言われたが、なに、構うもんか。どうせ、お詫びの手紙か何かだろう。
『抹茶チョコ餅、こだわり卵の生どら焼き、安納芋のひと口羊羹……』
手紙に書いてあるのは、愛の告白でも謝罪文でもなく、お菓子のリストだった。俺に買ってこいってか? なんじゃそりゃ! なめとんのか! ジーナと違って、エリカは少しはマシだと思ってたのに。裏切られた気分だ。
畜しょ ……いやいや、落ち着け、俺。
エリカは悪くない。俺がひとりで勝手にカン違いしただけだ。
そうとも、女騎士のエリカには色々と助けられた。生命も救われた。これくらいで怒ってはいけない。褒美とはいわないが、お礼くらいして当然だ。俺にも少しは蓄えがある。お土産くらい買っていってやろう。
超ご機嫌なジーナ・ワーグナーの横で、俺は自分を戒めた。
それでも、俺の心はちょっと傷ついた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
次回は里帰り編になります。
マイペースなジーナさんに、リューキが振り回されなければ良いのですが、、、
「くっ、これだからお嬢様育ちは!」とリューキが嘆く声が聞こえてきそうです。




