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60_神様が本気を出すと事態は混迷を深めシンプルさんが息をしなくなり。

 「困難や、問題が全く発生しなく、葛藤も焦燥もなく、それを乗り越える時のカタルシスも存在しない世界と言う物を、作り出すことができるとして、それを作る意味があるのでしょうかなどと考え始めてしまいますね」

「ええと、いきなり何の話なのでしょうか、トムさん」

「先ほどの続きではありますね。因果律を操ることができるということは、最終的には何も問題を起こさないで、平和な世の中を続けていくということでして、お互いにある程度の心地よい距離感を保ちつつ、飢えもせず、大きな病気もなく、事故もなく、それでいて、慢心せずに、謙虚に誠実に生きていく、そのような集団を意識的に作成できるということでして、退屈という感情をいなすために、こう、バーチャルなもので、感情やらストレスをごまかすことができるような、よく言われるような理想郷を作成できるということでして」

「それは、すごいですね。作らないのですか?」

「管理するために自身のリソースをかなり消費しないといけないわけですが、そのことは、特に問題はないです。それを為すことが楽しみであるとか、そう錯覚するなり、思い込みさえすれば、ストレスもたまりませんし。まあ、他の同じような能力がある存在、つまりは、他の神様の影響を受けないように、関係性を閉じて、まるで箱庭のようにした世界が必要になるわけでして、その、孤独をいうか、自家中毒を起こしそうなフォーマットに耐えられるか、楽しみに変えられるかというものがありますね」

「な、長いですよ?」

「理想郷は退屈に感じてしまうのでは?ということですね」

「退屈するようなら理想ではないのではありませんかね?」

「その通りですね、管理するものが幸せであるのか、と、そこに住む世界の住人が幸せであるのか、とは別なのでしょうかね?」


 「万人にとって幸せであるということを求めるのは、矛盾にあふれそうです、トムさん」

「そうですね、アレスさん。個々の幸せには振れ幅がありますし、対立する概念同士で幸せが両立しない関係性もありそうです。その辺り感情とか思考とかすら誘導して幸せであるとするのは、果たして本当に幸せと言うことができるのでありましょうか、などという問いがあるわけですが」

「それを不幸であると観測する者がいなければ、問題ないのかもしれませんけど、それは、こう薬物やらで多幸感を感じている生き物とかとどこか違いがあるのでしょうかね?トムさん」

「そういう生き方が幸せだと定義していれば、そもそも疑問もわかないわけではありますが。前提としてそのような世界を作ってどうするのでしょうか?という問題があるわけでしてねアレスさん」

「ああ、なるほど、神様側にそれ程益がないわけですかね?」

「なんでもできるのでありましたら、そしてその能力やら権能やらに義務が生じないのでありましたら、これはもう好き勝手に振る舞うのではありませんかね?その世界が秩序らしきものに包まれているのは、すなわち秩序を作るのが、趣味である神の影響下にあるということだけなのかもしれませんし、まあ、最初から理解できないような動機で神様をしている方々もおられそうではありますが」

「神様って趣味の範囲なのですか?」

「逆に趣味でない生き方ってあるのでしょうかね?」


 「目の前に神様がいるのならば、平和な世界を願ったり、幸せになりたいと拝んだり、現世の利益を祈ったりすると思いますよ、ですので、私もトムさんにお願いとかしたりしたいですね」

「神様の方にはそれを聞いてあげる理由がなかったりするわけですけれども、実際のところどうなのでしょうかね、そう祈られたりすると、神様の力が増すというシステムが存在するようではありますが」

「そうなのですか?」

「信者の数とか質とかは、結構重要でありそうですよ。こう因果律を操作するときに、そのようなつながりが大きかったり多かったりすると、労力が減るので結果として力が大きくなる、のでしょうね」

「であるから、神は売名行為をしたり、奇跡を起こしたりするわけでしょうか?」

「そのようですね、まあ、敬意を示す対象をぼやかしておいて、その影響を神様数柱でシェアするような手も行なっているようですが」

「そんなこともあるのですね」

「さらには、別に意識のあるものだけでもないようでありまして、信者というか、存在そのものと関係性を深めることで、因果律制御の規模を大きくすることができるようですねぇ」

「ええと、その辺りの石でもいいのですか?」

「平等に存在しているという意味合いでは、石ころも、聖人もそれ程の違いはないですね。その質の高さは、どれだけ因果律に関わりがある因子を持っているかどうかでありまして、で、おおよその物質やらはほぼ際がないですかね?時間的な経過によって、変動している要素が多いので、意志あるもの方が潰しが効く感覚でしょうか?」

「素材的な問題なのですかね?」

「結局のところ思考も物理現象でありますからね。存在する、そのものの力には、優劣をつけられないですかね。優劣というよりは、周波数の違い見たいなものでありましょうか」


 「ええと、とすると宇宙一つとかと関係性を持った方が、力が増すのでありましたら、どうしてこう人間とか意志を持つ者に関わろうとするのでしょうかね?」

「どちらが上ということもないわけですが、まあ、関係性の連鎖で、楽に力を集めやすいということが、理由ではないでしょうかね?」

「自動的なのですか?」

「意思疎通の中で、神という概念がやり取りされるということが、因果律の総量を増やすことに繋がるからでしょう。こう単純なものにリンクを貼ろうとするならば、こちらから積極的に働きかけなければならないわけですから、労力がつまりはコストが高くなるのですね、なので、自動的に増えていく、概念を通しての情報量の増加に伴うエネルギーのようなものを求めやすい、のでしょう、まあ、言葉で説明するとこのような感じなのでしょうかね?」

「勝手に増殖するような、ええとウイルスのようなものなのでしょうか?」

「ミームという人もいるような気がします、まあゆがんで伝わることはすでに織り込み済みなわけですが」


 「何々を司る神様とか、権能というか方向性で分類されているのはなぜなんでしょうかね、トムさま?」

「生まれの違いなのでしょうかね、そもそも神様が生まれる原因が、因果律が制御された結果であるのか、因果律を制御しきれなかったから新たな神様が生まれたのか、まあこの問いは時系列を無視してしまう特性の前には意味をなさないわけではありますが、生まれ落ちた瞬間の相対的な時空間における歪みによって、形質が決定されてしまっているのでしょうね」

「よくわかりません」

「概念から神様が生まれたのか、神様が生まれたからその概念が生まれたのかは、等号で結ばれてしまう関係性でありまして、因果律のねじれというか、そもそもそれを扱うときには時間も自由に設定できるパラメータに過ぎないわけでありますね。まあ、平たく言うと、そのようになったのでそうであるとしか表現できないわけでありますね」

「あるんだから仕方ないだろうという開き直りに聞こえますね?」

「実際神様の存在なんて、ある程度開き直らなければ語ることもできない話題ですから。現在進行形で神に、限りなく近づいていこうとしている私が言うのもなかなかシュールなものではありますが」

「自分で言うんですね」

「むしろ私しか言う人がいないので、ここで言わなければ、なかったことになってしまうわけですね」


 「生まれようとして生まれた神様は存在しないですし、すべての神様は、生まれようとして生まれた存在である、などという矛盾が平気でまかり通るような、そのような理屈が振り回される、それが、まあ超越者とか神様とか呼ばれるものであるわけでありまして」

「そんな存在が、ええと存在できるのでしょうか?」

「実と虚が同時にあるという状態が神様のようなものでありまして、すべての可能性を内包しているものでもありますし、そうであるからこそ何もできなくなっている存在でもあるわけです、なので、恣意的に行動をしようとすると、まあこれがへっぽこになりまして」

「へっぽこって」

「いや本当にそうでして、できないことを作らないと、満足に動けない、必要性がなくなるとか意識できないとか言ってもいいかもしれませんが。逆にすべてにおいて完全な存在になり果てると、まかり間違ってそれを見たものが、正気を失いかねない影響を与えてしまうものに、落ち着いてしまったりします。しかも自我というものがなくて、深い眠りにも似た状態を保っているような存在になっているようですね」

「ええと、それ知っているような?フルートの音が聞こえてくるのでしたか?」

「そうなのですか?まあ、それほど突飛な発想ではないのでしょうね」


 「ええと、いろいろ話されましたけど、トムさんの権能でこの世界を平和に、というか、もう少し物騒でない方向に進ませることはできるのでしょうか?」

「無理ですね、ええと、完全に無理というわけではないですが、結果として無理になるというか?」

「どういうことでしょうか?」

「この世界に関わっている神々が多すぎるのですよね、まあ、八百万とまでは言いませんが、見ているだけの方々を含めましたら、ええと現在1,050,391柱くらいは関係していますからね、これをかいくぐっての因果律操作なんて難行、行えませんよ、というか変化した瞬間に、また別の認識とか関係性で変異しますね」

「そんなに多いのですか!」

「直接的に影響を及ぼしている存在ですと、ええと、170,438柱くらいですかね?その中でも影響力が高い神様は一割くらいですかね?」

「それでも、一万柱を越えるのですか?え?神様ってそんなに多いのですか?」

「中には自分がそれだと認識していない存在やら、意識を持っていないものも含まれますが、まあ、そんなところでありますね」


 「神様同士で因果律が対立するような操作を行うとどうなるのでしょうかね?」

「観測者と、観測地点によって見えかたが違ってくるでしょうね、それぞれが望む世界が観測されるかもしれませんし、影響しあって、ねじれた因果律で安定するかもしれません、多数決を取るような形の落ち着くかもしれませんね」

「結構はっきりとは決まらないのですね」

「とどのつまり、関係性の問題でありますからね、その時々の状況で効果やら結果やらが変化していくわけです、収束はされますが、式が一定のものにならないので意味がないわけですね」

「か、神様どうしだとややこしいですね」

「で、あるからこそ、別に舞台を用意して、観客にわかりやすくアピールしているのでしょうね。ある意味サービス精神が旺盛であるわけでして。まあ、意図するところは、関係性を深めるギミックとしての利用が主なわけでありますけれども。そのために、印象がへっぽこになるのでしょうね」

「リソースを確保するために、全能性を犠牲にしているというのは、こう手段と目的が逆転しているような?」

「手段のために目的を選ばないのが、神様に必要な資質であるのかもしれませんね」


 「今回の問題としては、リソースを確保しようとした関係性の中から、神に近しい能力を得てしまった資源を得るための道具に位置付けられていた存在が出てしまったということでしょうか?まあ、これがイレギュラーであるのかどうかというと、すべての事象はすべての揺らぎを含むので意外であることはないのでしょうが、演出上、テーブルトークRPGの神様は驚愕しつつ、予想外であると言わざるをえない状況である、のでしょう」

「驚いているのは演技だというのでしょうか?」

「演じているのかどうかというなら、まあ、どうでしょうね、性質に近いところで演技というものがありますから、本質としてそれを行っているでしょうね。ただ、予想の範囲外としているのは、封じた因果律の影響があるのだと推測します、こう、この世界と私がいた異世界で、リソースを稼ぐために、因果律を操作して、へっぽこにしてしまっているので、その能力とか精度は普通に落ちているのでしょうね」

「わざわざ、格を落とすのはなぜなんでしょう?」

「その方が、ミームをばらまくのに有利なのでしょうね、まあ、無機物に対して影響を及ぼすなら、万能なまま、時間というリソースを駆使していたかもしれませんが、司る権能的には、意志あるもの、ある程度情報をやり取りができるものをターゲットにせざるをえなかったのでしょうね、まあ、ダイスとかと関係性を深めるなら必要はなかったでしょうか?」

「神と関係性が深まっているダイスなんて、最終兵器じゃないですか!」


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