楔
何が問題か
ただ讃えているだけではないか
ただ御礼を唱和しているだけではないか
何かを貶めているわけでもなく
何かを排除しているわけでもなく
ただの好意、好感、感謝の発露
けれど私達は
幼いこらが愛らしい声を揃え
ありがとうございますと、えいえいおーと、
唱和するその映像に不快を抱く
けれどその不快を上手く説明できぬので
何が悪いか、と声を大にされれば
もごもごと下を向いて目をそらす
そしていつの間にか
逆に糾弾されるのを恐れ
それを受容しそのうち自らの思考と同化させるのだ
そうして社会は転がり始める
コロコロと
暗い大きな穴めがけて
転がっていることすら気がつかず
コロコロと転がっていく
だから私は楔を打とう
思考と言葉に少しだけギフトを貰った私は
小さく頼りない楔を
打とう
何が悪いか
本当に?と言えないのが悪いのだ
ありがとう。大好きです。感謝します。
そんな唱和がなされている場で
本当に?
この不協和音を誰が挟めると言うのか
疑問を提起すること
それを奪い去ってしまう
それが悪いのだ
柔らかく誘導しやすい子供らの思考を
一方向に固定化する
それが悪いのだ
あの環境のなかで
そうは思えぬと声を出したとき
石を投げられるであろう、その確実性が悪いのだ
自らの思考を諦めるな
他人の思考を放棄するな
百人いれば百通り以上の思考があることを
否定するな忘れるな
一つでは頼りない楔ではあるが
いくつも集まれば
穴に落ちるその前に
社会は少し止まるかもしれない
止まりはせずとも
少し方向を変えるかもしれない
楔となれ
沢山の
とりどりの
楔であれ