聖剣と勇者
人々は、口々に彼の名を呼んだ。
勇者の末裔ハイン。彼の家系は、魔王を封じることのできる唯一の武器・聖剣を代々継いできた。
魔王の復活とともに世界は魔に覆われ、それに呼応するように、聖剣は勇者の手中でのみ真の力を発揮する。
数百年ぶりに訪れた人類存亡の危機に、ハインは立ち上がった。聖剣を携え、従者を引き連れて。
王国騎士長であった亡き父・ヴァンダムの血を色濃く継ぎ、彼もまた武芸に秀でていた。民の期待を一身に受け、意気軒昂たる足取りで旅に出て……
三ヶ月が経つ頃には、魔物をことごとく屠り、村々を救ってきた英雄として、その名は世界中に轟いていた。
勇者たらんとする者として、誇るべき肩書きである。しかし、ハインの誇りはおかしな方向に増長してしまった。
行く先々で「自分は勇者だ」と吹聴することに始まり、防具や道具の無心。果ては、女を侍らせて夜な夜な豪遊三昧。
その間、従者のアデルは一人で魔物を狩り、時には獣の毛皮を剥ぎ、全てが主の功績となった。
この主従の関係は、ヴァンダムの没後一年程経った頃から続いている。従属する村に赴いた若き当主が、身寄りのない農夫を取り立てたのだ。
「自分に似ているから」という何ともおかしな理由だったおかげで他の従者には疎まれたが、剣の道を志していたアデルは感謝してもしきれなかった。
人の二倍も三倍も稽古に励んだ。元々才能もあったのだろう。今では、この大事な旅の共として重用されるに至った。
そんな彼だからこそ、己の働きによって主の高名を更なる高みへのし上げることは最高の喜びとなる。
「自分は勇者の右腕である」というハインとは別の誇りが、アデルに芽生えつつあった。
しかし、どんな威光にも必ず陰りは訪れる。
勇者の右腕が陰ながら活躍する一方で、魔王の右腕と目される魔物が近付きつつあったのだ。
数々の町村で魔物を退治してきた彼らだったが、相手が第二の実力者とあっては、人のいる場所で対峙するわけにはいかない。足早に人里を離れ、山間に敵を誘い込む。
右腕としての矜持か。庶民には目もくれず誘いに乗ってきた強者を前にして、ハインは身を震わせていた。
アデルから見ればそれは武者震いにも見えただろう。しかし、そうではなかった。久々に聖剣を握った勇者が、力なく言ったのだ。
「力がわいてこない」と。
それが何を意味するのか、アデルには分からなかった。かつてない強敵を前にしても、このお方が負けるはずがないと信じて疑わなかった。
だから、直後に起きた一瞬の攻防に、動揺を隠せない。
斬り掛かる相手に、鍔迫り合いも叶わず剣を弾き飛ばされ、返す刃でハインは呆気なく斬り伏せられた。
即死とまではいかないまでも、行動不能状態に陥っていることはアデルにも分かる。そして、偶然にも、聖剣は足下に飛ばされていた。
矛先が自分に向くのを感じる。この数ヶ月の実戦経験で、幾ばくかの自信と度胸はついたはずだ。ざわつく心を押さえつけて、敵を見据える。
しかし、考える隙など与えてくれるはずもなかった。体勢を整えた時には、敵は既に踏み込んできている。今から剣を抜いても遅いと頭で考えるより早く、彼の手は皮剥用のナイフに伸び……
そこからは本当に一瞬の出来事だった。
投擲したナイフが弾かれるその刹那。迷わず聖剣を拾い上げたアデルは、自分でも驚く程の速さで、敵の首を斬り落としていた。
まともに扱えるのかも分からず、賭けに近い状態での一撃だったが、聖剣は真の力を以て応えてくれたのだ。
強敵を斃した余韻に浸る間もなく、彼は思った。ただの農夫だった自分が何故? と。
考えても分からなかったが、あの死闘を覗き見ていた者が触れ回って噂が広がったことで、その理由は判明した。
情報屋が素性を調べ、彼自身も知らない出生の秘密が明るみに出たのだ。問題となったのは父親の方。名はヴァンダム――そう、ハインの父である。
英雄色を好むとはよく言ったもので、アデルは、ヴァンダムと愛人の間にできた、ハインの実の弟だったのだ。