トレインパニック
「扉閉まります、ご注意下さい」
この日、夕暮れの帰宅ラッシュで車内は大変込み合っていた。ブザーが鳴っているのに車内に駆け込んで来るものがたくさんいる。
その様子を車掌である、佐久間 公平は心配そうに見ていた。
ブザーから少し遅れて扉が閉まり、ようやく電車はゆっくりと発車した。
佐久間の担当である線は時間に関係なく混んでいる。特に朝と夕方はありえないほどの人でいつも満員だった。佐久間はこの光景を見て、もう五年がたとうとしていた。
「もう少しだ」
数時間がたった頃、ピークの時よりは客の数はマシになってきた。
毎日忙しくしている佐久間にとっての楽しみは、独り暮らしをしているアパートで帰りを待っている愛犬と遊ぶことだった。愛犬の顔を頭に浮かべながら、あと残りの停車駅を数えていた。時間にすると約一時間、佐久間は気合を入れるかのように深呼吸をし、表情を引き締めた。
と、その時、車掌室内の電話が鳴り響いた。
佐久間は、一つ咳をすると電話を手にとった。
「はい、佐久間です」
「やぁ車掌さん、遅くまでお仕事おつかれさま」
電話の向こうの声は変えているような変な声だった。
「どなたですか!?どうやってこの電話に?」
急な事で驚いた佐久間だったが、落ち着いて対応した。
すると電話の相手は少し間をあけてからゆっくりと話し始めた。「それよりゲームをしましょう。ルールは簡単、車内に爆弾を仕掛けてあります。それを見付けて解除が出来れば君達の勝ちです」
一瞬、佐久間は頭が真っ白になるのを感じた。
「ち、ちょっと待て!?お前は誰だ!?こんなばかな悪戯はやめろ!」
興奮していた佐久間は大声で怒鳴った。
「信じなくても結構ですよ。悪戯かどうかすぐにわかりますから……」
「わ、分かった!でも…もし仮に仮に爆弾があったとして見付けても解除なんてできない!」
電話の相手は冷静に言ってきた。
「それは車掌さんしだいですよ、それとこの事は車掌さんしか知らない。他には漏らさないで下さいね」
「ち、ちょっと待ってくれ!一人じゃ無理だ…」
佐久間は泣きそうな声で言った。
「急がないと、爆発まであと二十分ですよ…」
「二十分だって!?何両あると思ってるんだ!無理だ!」無線の向こうからクスクスと小さな笑う声が聞こえてきた。
「無理って、あきらめるんですか?まぁ別にそれなら構わないですけど」
「ま、待ってくれ!分かった…探す…」
佐久間は理不尽な要求に怒りがおさまらなかったが、なにもせず、諦める事だけはできなかった。
「電車を止めるのはダメですよ。私は全てを見ていますから…それじゃあ、特別ヒントです。爆弾は一両目ですよ」
意外でとても信じがたいが、時間がない…。佐久間は怪しまれないように最後尾から一両目へと早足で向かった。
満員ではないが、座席は全部埋まるくらいの乗客が乗っていた。
「す、すみません、落し物の捜索失礼します」
とっさに怪しまれないように誤魔化しながら、隅々まで爆弾がないかを探した。
「畜生!どこなんだ!?」
佐久間は心の中で叫んだ。
時計を確認すると、爆発の時間まであと十五分…
「畜生!時間がない、どうする!?」
佐久間は必死に考えた。
「運転手に話すか…いや、駄目だ。犯人が見ていていつ爆発させるか分からない!」
佐久間の頭はパニックになっていた。爆発まであと七分…時間がない…
「一体何処にあるんだ…」
佐久間は、左腕に巻かれた時計をしきりに確認しながら呟く。
「でも…本当に爆弾はあるのか?冗談じゃ…」
頭を抱える佐久間だったが、ふと不自然な事に気が付く。
「一体犯人はどこから見ているんだ…?外は暗いし、カメラとかも無かったし…」
佐久間の頭に一つの考えが浮かぶ。
「もしかして…仕方ない…」
覚悟を決めた佐久間は、乗客を見渡しながら大声で言った。
「皆さん、落ち着いて聞いて下さい!」
佐久間自身、一番慌てていたが真剣な顔で言った。
「この車両に不審物が見付かったという報告がありました」
予想通り、佐久間の一言で車両内はパニックになってしまった。
「皆さん、落ち着いて下さい!大丈夫ですから、取り合えず後ろの車両に…」
佐久間が話し終える前に乗客達は、我先にといわんばかりに後ろの車両へと慌てて避難した。
その中で一人、スーツを着て、顔が長い髪で隠れた少し不気味な男だけは座席に座ってうつ向いたまま動こうとはしなかった。
「やっぱり…あんたか」
佐久間の予想は、犯人はこの車両内にいるというものだった。爆弾というのは嘘で、自分の慌てぶりを見て楽しんでいるんだと。
佐久間はゆっくりと男に近付いた。
「電話の相手はあんただろ?」
佐久間は自分の予想を話した。
しかし、男は顔を上げない…。
「おい!何か言ったらどうなんだ!」
反応のない男に対して佐久間は声をあらげて怒鳴った。
すると少しの間を空けて、男はゆっくりと顔を上げた。
「ひ、ひっ…」
男の顔を見た途端、驚いた佐久間は腰を抜かしてしまった。
男の顔はひどくやつれており、まったく正気がなく、まるで死人のようだった。
「失礼だなぁ、車掌さん…人を化け物を見るみたいに…」
佐久間は自分を落ち着かせるように深呼吸しながら立ち上がった。
「なかなか車掌さん鋭いね…でもちょっと惜しい」
男は不気味な笑みを浮かべながらゆっくりとした口調で言った。
「爆弾はあるんだよ…今俺が持っている」
男の信じられない一言に、落ち着いていた佐久間の心臓は異常な位バクバクと激しく暴れた。
「ふざけるなよ、冗談はいい加減にしろ!」
「冗談じゃない、あと十分もすれば冗談かどうか分かるさ」
また頭が真っ白になりかけた佐久間だが、必死に冷静を装い、男に反論した。
「お前分かってるのか!?仮に爆弾が爆発すれば自分も死ぬんだぞ!」
「…あぁ、分かってるさ。爆発すればな…」
何を言っているんだ?この男は狂っている…。
佐久間は男の胸ぐらに掴みかかった。
「ふざけるな!お前の勝手に俺や他の乗客を巻き込むんじゃない!!」
しかし男は佐久間はの目を見て冷たく言った。
「爆発しても知らないよ…嫌なら俺に触れない方がいい…」
慌てて佐久間は、掴んでいた手を離した。
「車掌さん、ゲームの続きをしよう」
そう言うと俺は上着を脱ぎ出した。
「一体どうした?…!?な、なんだそれは?!!」
男が見せてきた下腹部辺りには、十センチほどの雑に縫われた傷のようなものがあった。
「お捜しの爆弾はこの中だよ」
男は、腹の傷を指差し平然と言った。
「ち、ちょっと待て!この中って?!」
佐久間は、胃から上がってくるものを必死に抑え、戸惑いながらも言った。
「本当だ、小さいけれどこの車両を吹き飛ばす位の威力はあるよ…」
「一体どうしたらいいんだ!」
「簡単だ、糸を抜いて中から爆弾を取り出してボタンがあるからそれを押せばいい…」
佐久間に迷っている暇は無かった。時間がない…以前ポケットに入れた爪切りを慌てて探した。
「肝心な事を言ってなかったな…爆弾を取り出した時点で俺は死ぬ…お前は助かる為に俺を殺すことができるか?」
その一言に佐久間は固まってしまった。
「俺には…できない…」
全身の力が抜けた佐久間は、その場に崩れてしまった。
その様子を見て男は呟く用に言った。
「少し話をしよう、俺はつまらない毎日に嫌気がさしていた。この前にリストラされた瞬間死ぬ事を決めたんだ。それである自殺サイトで知り合った奴が爆弾を俺に仕掛けた。どっちにしても死ねるように…一人で死ぬのもおもしろくないからどうせならと、この電車を選んだ。さぁどうする?車掌さん」
話を聞いた佐久間は、自分勝手な理由で周りを巻き込んだ事に対して怒っていた。
「だからって周りを巻き込むなよ!」
佐久間はこの自分勝手な男をぶっ飛ばしてやりたい気持ちで一杯だった。
「あと五分ってところかな?時間がないよ車掌さん、さっきも言ったがこれはゲームだ。正解はある…しかし間違いもある…すべては車掌さん次第だ。さぁ、どうする?」
佐久間はちらりと時間を確認すると目を閉じて静かに言った。
「…悪いけど解除させてもらう」
決心がついた佐久間はポケットから爪切りを取りだし、男の腹の傷が縫われている糸を切った。糸を抜いた途端、液体の入った袋を破いたかのように、傷から血が溢れてきて、あっというまに床に血溜りができた。しかし佐久間はひるむことなく腹の中に手を入れ手探りで爆弾を探した。男は薄れ行く意識の中、かすれた声で呟く。
「…これが車掌さんの出した答えか…そうか…」
佐久間は手をとめずに探し続けた。すると指先に硬い物が触れるのを感じた。
「あった!早くしないと」
慌てながらもゆっくりとそれを取り出した。既に男は息をしていなかった。
血まみれになった爆弾らしきものは、デジタルの表示で正確に時をカウントしていた。表示の下には小さな赤い色のボタン、佐久間はそのボタンを強く念じるように押した。
時をカウントしていた爆弾は、ちょうど残り三分のところでピタッと止まった。
「や、やった…解除することができた…」
佐久間はその場に崩れてしまった。これで大丈夫、状況は複雑だが仕方ない、でも助かってよかった…。
一気に緊張から解放された佐久間はうつ向きながら涙を流し、しばらくその場に崩れていた。
「助かった…」
佐久間が呟くと同時に後ろの車両から乗客十人程がやってきた。
「皆さん、勘違いしないで下さい!」
乗客達を見ながら佐久間は慌てて言ったが、同時に佐久間はただならぬ不安を感じた。
乗客達全員の視線は、倒れている男じゃなくて佐久間の方に向いていた。しかも全員が何故か無表情な事がより不安を大きくしていた。
しばらくの沈黙の後、乗客の中の一人の男が静かに口を開いた。
「ボタン…押しちゃったんだ…」
男は無表情のまま佐久間の目を見ながら呟いた。
「えっ?」
しばらくの静けさを取り戻しかけていた佐久間の心臓は再び激しく脈打ち出した。
全員の視線がはずれることなく佐久間を見つめている。
「なんだコイツらは!?なんか気味悪いな…」
佐久間が心の中で呟くと同時に、一番前にいる男はフッと笑みを浮かべながら上着のシャツをあげてみせた。
「…!!そ、そんな…」
佐久間は絶句する…
下腹部の辺りにある雑に縫われた傷…まったく同じだった。
周りの乗客達も男に続いて上着をあげてみせた。
皆、同じ所に同じ傷…
「…どうして!?一体、訳が分からない!」
佐久間は乗客達に向かって大声で怒鳴った。
その様子を表情ひとつ変えずに見ていた一番前の男はゆっくりと低い声をして言った。
「君は選択を間違えた」
「何がだ!」
佐久間には、今の状況がまったく理解できないでいた。
「君の押したのは、私達の体内にある爆弾の起爆スイッチだ…私達はそこに倒れている男が言ったとは思うが、皆自殺サイトで知り合った仲間だ。君は形はどうであり、自分が助かりたいが為に殺人という選択肢を選んだ」
「違う!俺はみんなを助ける為に…」
佐久間は必死に反論したが相変わらず男の表情は変わらない。
「私達は死ぬ事など、何も恐くない…むしろそれを望んでいる」
「死んでどうなる!」
佐久間は必死に説得したが、男達には佐久間の声はまったく届いてはいなかった。
「どうして…」
佐久間が呟いた時、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「佐久間君…」
その声は、佐久間のひとまわり年上の先輩で運転手の三上だった。
「み、三上さん!」
慌てて振り向いた佐久間だったが、後ろに立っている三上を見て再び絶句した。
そこには上着を上げながら、こちらを不気味な表情で見つめていた。
腹にはあの傷…
佐久間は一瞬にして悟った…。
「三上さんまで…」
佐久間の絶望的な表情を見ながら、三上はぼそりと呟くように言った。
「ゲームオーバーだ…」
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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