07 橙色の蝶
「べスロットー!」
後ろから、廊下を駆けてエレオンくんが来た。同じ方向から、シンプルースくんとベネウォくんが歩いてくる。
合流して召喚の部屋へ行く。
「フェリュンと会わせてー」
「えっ……それはちょっと……」
「いいじゃんー、おーねーがーいー」
エレオンくんが私の肩を掴んで揺らしながら、またフェリュンの召喚をねだってきた。
お願いされると迷うけれど、フェリュンを召喚してはいけないと思う。イケメン特待生組の前で、フェリュンが暴れかねない。
「もー、そんな暇ないよ」
「えぇー、じゃあ放課後」
「放課後はディーテールだ」
リオーくんが引き離してくれて、ベネウォくんも止めてくれた。
放課後も、フェリュンを召喚せずにすみそう。
召喚の部屋は、ダンスホールみたいに広い。棚も机もない。チョークが数個、置かれている。
それを拾って、召喚の陣を書いて、机を出す。2人分の机の引き出しの中には、大きくて分厚い教科書と召喚陣の辞書がある。召喚と魔法陣の授業前の準備。
シンプルースくんの得意科目だから、彼と肩を並べた。
後ろにはエレオンくんとリオーくんが座る。そのまた後ろの机には、ベネウォくんが座り、あとから来た天使さんが座った。
大きな物を召喚してもぶつからないように、机の間隔は一メートル近く離れている。
「どうぞ、よろしくお願いします」
「あ、いえ、私の方こそ、よろしくお願いします」
シンプルースくんが改めて言ってきたので、私も深々と頭を下げる。
「あの……ディーテールで召喚陣を書くのは、5年生から学ぶと聞きました。やはり、難しいものですか?」
同じ椅子に座っていても、人1人分空けているから、シンプルースくんは身を乗り出してそっと問う。
「んー……咄嗟だったから、なんとも言えない」
私もこそこそ話をするように、顔を近付けて答えるけれど、シンプルースくんに役立つものじゃないから苦笑を漏らす。
「召喚獣の紋様は契約者の頭に焼き付くものだから、シンプルースくんには多分きっとディーテールさえ出来るようになれば、簡単じゃないかな」
ディーテールさえできれば、チョークなどの書く道具もなしで召喚の陣を書けるはず。
シンプルースくんは、3体の召喚獣と契約を結んだ。しかも、魔法学園に入学する前に、自分で召喚獣の陣を書いて召喚して1度に3体と契約を結んだと聞いた。
元々独学で魔法を学んでいたシンプルースくんは、9歳で入学が許可されたのだ。
彼の頭の中には、複雑な魔法陣が数多、完璧に記憶されているとか。
年下なのにすごいなぁ。はぁ、可愛い。ディーテールで、召喚してみたいんだね。ああもう可愛い。
「ディーテールがある程度出来るようになったら、挑戦してみようか?」
「! ……はい、ぜひ。お願いします」
ただでさえ大きな目を見開いたら、シンプルースくんはコクリと頷いた。
その青い瞳はサファイアみたいに輝きを放っていて、喜んでくれているとわかる。
私も嬉しいなぁ。私でよければ、ちゃんと教えてあげたいな。
先ずは私が、ディーテールを使えるように教えてあげないとね。
「はいはーい。授業を始めますよー」
移動召喚陣で現れたのは、大きな大きなとんがり帽子を被った年配の女性。重たそうで、いつも頭が揺れている。
シワを寄せておおらかな笑顔で言う彼女は、召喚と魔法陣の先生。
ケイティー・ザキカーオ先生。
「あらー? 今日はどっちの授業だったかしら。あ、召喚の方ね」と授業を確認するのは、いつものこと。
召喚系の魔術を学ぶ授業。4年生からは、人や生物の召喚の仕方を学ぶそう。
契約の魔法を結び、許可を得て自分の目の前に召喚するもの。
召喚獣とは、別物。召喚獣は元々魔法から生み出された生き物。召喚の陣で呼び掛けて、応えたら現れ、その時点で契約が成立する。
これは初めから面と向かって、言葉を交わして、契約の魔法を結ぶ。
そのやり方をノートに書き記していたら、隣からシンプルースくんが声をかけてきた。
「……呪文、間違ってますよ」
言われてもどれが違うのかわからなくて、シンプルースくんのノートを見せてもらう。
しょうもないミスを指摘されて、顔を赤くしながらも訂正した。こんな間違いは、しょっちゅうだから、これからたくさん迷惑をかけると思うと申し訳ない。
私は年上なんだから、しっかりせねば! こんな可愛い子の手を焼かせないように心掛けよう!
召喚の授業が終わったあとは、またリオーくんに背中を押されて教室を出る。
「リオーさん、ルビドットさん。4限目は教室で行うそうです」
「わかった、ありがとう」
教えてくれたシンプルースくんに、手を振ってわかれた。
シンプルースくんの召喚獣のうちの1体は、教師をやっている。
始まりの召喚獣、元祖で、分類はワンナ。霊獣のキリンだ。
人の姿を保って、自然魔法を教える教師をやっている。
シンプルースくんの前の契約者は、教師で助手もやっていた。彼が学園までシンプルースくんを連れていき、教師になることとシンプルースくんの入学の話を持ち掛けたという噂を聞いたことある。
シンプルースくんは、やはり天才だなぁ……。
次は、憂鬱な魔法歴史の授業。
「アロガン先生の授業だから、早く席つかないと」
「あ、うん。そうだね」
アロガン先生の授業は絶対に遅刻しないように、早く教室に入らないと。
4年生の教室で行われる。ここからだと、ちょうど反対側。橋を渡った先の塔の中にある。
少し遠いから急いだ。
橋を歩くと草原の匂いを運んだ風が吹いた。私の髪も靡くけれど、1歩前を歩くリオーくんが束ねた髪がしなやかに揺れた。太陽の色みたいに、輝く。
白い塔に向かう彼は、王子様に見えて、口元が緩んだ。
まるで笑っていることに気付いたみたいに、微笑みを浮かべたリオーくんが振り返ったから、ドキッとしてしまう。
「確か、べスロットちゃんの隣は、誰も座ってなかったよね。べスロットちゃんのいつもの席に座ろっか」
「へっ? あ、うんっ!」
コクリと頷いたあと、私は首を傾げる。朝からリオーくんがいつも座っている席を譲ってもらっていた。化学の私の席は教えたけれど、何故知っているんだろう。
リオーくんはただ笑うと、私の手を引いて、教室に入った。
大学の教室みたいに、教卓に向かって階段になっている。私がいつも座っている席は窓際の後ろの席。
陽当たりがよくて、この時間は日向ぼっこで、ついうとうとしちゃう。
そこに座って、引き出しから教科書を出す。1学期はエルフの歴史を深く掘り下げて学ぶから、エルフについて記された教科書だ。
色んな種族の歴史を学べって言われても、頭に入りきらない。皆はどうやって頭に収納するのか……解せぬ。
教科書を適当にペラペラと捲っていたら、窓から1匹の蝶が入り込んだ。
一瞬、花びらに見間違えるほど、私の前に静かに舞い降りた。
雨の日以外、この時間はいつもくる。同じ子かはわからないけれど、多分同じ子。
陽射しで黄金色に艶めく羽を、いつもここで休めている。可愛いなぁって、私はいつも眺めるんだ。
すると、リオーくんが蝶に手を差し出した。彼の指先に、蝶はひらりと乗る。
「彼女は、フレイア。オレの妖精」
「えっ!?」
リオーくんが笑顔で紹介する名を知っているから目を開く。
召喚獣と契約を結べなかったリオーくんには、花の妖精がついている。その花の妖精の名が、フレイア。
何度も見掛けたことがあるけれど、花の妖精と呼ばれる美女のように美しい人に似た姿をしている。
そのフレイアが蝶の姿でいつも私の前で、羽を休めていたの?
「オレもフレイアもね、お礼を言いたかったんだ。ありがとう」
「え、私はなにも……」
リオーくんが礼を言うけれど、私は羽を休めた蝶を眺めていただけ。
「フレイアに優しく笑いかける君を見て、きっといい子だって思っていたんだ。こうして話すことができて、よかった」
にっこりと笑いかけるリオーくんを見上げて、私はぱちくりと瞬く。
ああ、なるほど。天使さんが言っていたリオーくんが私を気にしているという話。フレイアが私の前で羽を休めたから、リオーくんは私を気にするようになったんだ。
まるでこれから恋に落ちる展開になると匂わすフラグ。と一瞬過ってしまって、慌ててそれを振り払う。
ないないない。私を相手に、それはない。
「どういたしまして」
私はリオーくんの指先に留まるフレイアに笑いかける。
「あとで人の姿でお礼を言いたいって」
リオーくんがクスリと笑う。
召喚獣と同じで、心で会話できるから、今フレイアと話したのかもしれない。
ぜひ、と言おうとしたけれど、リオーくんの後ろにアロガン先生が現れたから固まる。条件反射。
「こ、こんにちは、先生」
「うわっ」
「よぉ、ルビドット」
アロガン先生はリオーくんの頭の上に肘を置いて私に笑いかけた。
「コイツらがディーテールを使えるように、ちゃんと教えてやってくれよ?」
「は、はい」
「リオー。お前、なんでここにいるんだよ? アンジュリアは?」
いじられるかと身構えたけれど、リオーくんと目を合わせると天使さんを捜した。
毎日のようにリオーくんは天使さんのそばにいるから、そんな反応をするのも無理ない。
「あ、ほら、来ましたよ」
「おう、アンジュリア」
丁度他の生徒と一緒に、天使さんが教室に入った。すぐにアロガン先生は天使さんの元に行き、優しく笑いかけて話し始める。
「昨日、アロガン先生はべスロットちゃんのこと、ベスって呼んでなかった?」
「へ? そうなの? いつもルビドットだけど……」
リオーくんが変なことを言うから、首を傾げる。試験の時のことだとは思うけれど、必死だったからアロガン先生になんて呼ばれていたかは覚えてない。
授業が始まったので、お話はおしまい。
アロガン先生の歴史の授業。
「今日はダークエルフについて話す。3年の時に少し話したが、覚えている奴はいるか?」
アロガン先生の後ろで、チョークがひとりでに動いてダークエルフと黒板に文字を書く。
アロガン先生の視線が何故か私に向いたので、びくりと震え上がる。
「ルビドット?」
にこりと笑いかけて、私を指名した。覚えてないって知っているのに。
顔をひきつらせていたら、リオーくんがこっそりと指を差してくれた。たまたま開いていた教科書のページに、ずらりと字が並んだ中でダークエルフの記述がある。
「こ、好戦的な種族……です」
語尾が小さく掻き消えた。
「そうだ、戦闘を好む種族だ。他のエルフには、忌み嫌われている。冷酷非道で、争いを好み、大昔から戦争に参加してきた」
リオーくんが教えるから答えるとわかっていたみたいで、アロガン先生は驚いた様子もなく続ける。
「それ故に、ダークエルフは壊滅し、現在は一握りしか生き残りが存在しないと言われている。オレもお目にかかったことはないが、戦死していないなら不老のエルフのことだ。どこかで生きているだろう。ダークエルフの特徴が面白い。彼らは例え変身魔法を使っていても、月明かりを浴びると本性が露になる。髪が銀に輝く」
黒板に書かれた字を、ノートに写しながら、アロガン先生の声を聞く。
アロガン先生も会ったことがないなら、私も会うことはないだろう。全然興味が沸かない私は眠くなってきてしまい、うとうとする。この時間のここは、暖かくて気持ちがいい。
眠りかけたけれど、リオーくんの肩にいるフレイアに気付いて、それを見つめてこっそりと微笑んだ。
20150503