03 召喚獣
「ルビドット!! 戻れ!」
アロガン先生が叫んだ。振り返るけど、透明の扉が開かない。
「なんだ!?」
「開きません!」
こんな時に、見えない壁の魔法に不具合が起きたらしい。アロガン先生も、ウィル先生も力付くで扉を開けようとした。
生徒達が席から立ち上がるのを目にしたけど、ルプウンカニスの足音に気付いて目を戻す。お怒りのルプウンカニスが、ガウガウと吠えながら突進してきた。
「逃げろべスッ!!」
アロガン先生の怒鳴り声に従い、命からがらに両手が不自由のまま壁に沿って私は走り出す。
少しでも遠くに逃げたいがために、焦りすぎてすっ転んだ。
ルプウンカニスはブレーキが遅れて、見えない壁に衝突した。丁度、扉にも当たったけれど、開かないし壁も壊れない。そのための壁だもの。
「フランエール!」
頭を振るうルプウンカニスの足の向こうで、爆発が見えた。扉を壊そうとしたみたいだけど、無傷だ。
「ルプン! ルプン! やめてください!」
透明の壁の向こうでウィル先生は両腕を振って、ルプウンカニスの注意を引こうとした。でもルプウンカニスは、私だけを睨み付ける。
私はなにもしていないのに!!
「逃げるんだベス!!」
またアロガン先生が怒鳴った。でも立てない。もう遅い。
ずんずんとグランドを揺らしながら、ルプウンカニスがまた私に突進してくる。
自分の身を守るためには、ディーテールを使うしかなかった。
死んじゃう死んじゃう!
心の中で悲鳴を上げながらも、縛られた腕を振り上げる。
もう1つの見えない大きな大きな手を振るうようなイメージで、ルプウンカニスを殴り飛ばした。
反対側の奥へと、ルプウンカニスは吹き飛んだ。
呼吸は乱れて、ピシピシと身体中が痺れた。私を食べようとする魔物が目の前からいなくなったけど、すぐにここから出してほしい。
――嫌な、嫌な記憶がッ……蘇りそう。
扉を見ると、向こうではアロガン先生が唖然としていた。
「んー! んんー!!」
精一杯叫びながら腕を振って、早く出してほしいと伝える。
我に返ったアロガン先生の元に、特待生が数人階段を駆け下りた。拘束を外してもらった特待生も、魔法を使って扉を抉じ開けようとする。
「ルビドットさん! 起き上がったよ!」
ウィル先生が必死に指差す方を見れば、ルプウンカニスが巨体を起こした。さっきよりも、怒りに満ちた目で私を睨んだ。
ああ、更にお怒りだっ!
慌てて私も立ち上がる。
ああ、どうしよう。どうしようっ。
私はそんなに魔力を持っていないから、また殴り飛ばしてもルプウンカニスは起き上がる。
あれをやるしかない。召喚獣が頼りだ。
召喚するには呪文か名前がいるけど、当然口を封じられている私には無理。でも方法はもう1つある
紋様を描けばいい。両手も封じられているけど、私にはディーテールがある。
ディーテールで紋様を書く練習は流石にしていないから、命を賭けた一発勝負をするしかない。
目を閉じて、記憶に刻まれた紋様を浮かべた。
「何をしてるバカ! 逃げろ!!」
ああ鬼畜教師は、ちょっと黙ってくださいな! さっさと扉開けて!!
心の中で怒鳴り返して、私は鼻で深呼吸をして集中した。ずんずんと床を揺らしながら、また襲いかかるルプウンカニスに焦り、私は始めた。
魔力を光るインクに見立てて、目の前に紋様を描く。
3つの線が爪痕のように始まり、1度線が重なり、また別れて円を描き、最後は大きな爪痕のように流れる。
目前で、ルプウンカニスが迫り、思わず私は目を瞑った。途端に響くライオンのような低い咆哮に、私は肩を震わせる。
ドガン、と衝突音が響いた。
目を開くと、ルプウンカニスは遠くに転がって、キャンと情けない声を出していた。
私の左隣からは、巨大なチーターが現れる。でも、その身体は白い。顔立ちはライオンに近いけれど、鬣はない。尻尾は太く、3つあり、ライオンのもののようで、毛先はダークレッド。
身体にはさっき私が、宙に描いた紋様があり、赤くきらめく。瞳もダークレッド。爪は剥き出しで、低く身構えた。
私の召喚獣、フェリュン。
不死の魔法の生き物。10000ほどいる召喚獣の中で、フェリュンはトリアと分類される。
トリアは召喚獣の中でも強く、そして攻撃的。
召喚に応じることは希で、希少な召喚獣だ。
召喚獣を喚び出せれば、それは契約できたことになる。契約者の魔力で、姿が与えられる魔法の生き物。
通常、1人につき召喚獣は1体だけだ。契約は一生もの。
でも中には、1体も呼び出すことが出来ない場合もある。私は幸運にも、フェリュンが応えてくれて、最低な成績は免れた。
「ベス」
フェリュンが口を開き、牙の隙間から低い声を漏らす。
「こんなくだらない相手ごときに喚び出しおって! この小娘がっ!」
ギロリと私を睨むなり、フェリュンが頭にかぶり付いてきた。
――きゃー! きゃー! ごめんなさいっ!!
心の中で謝罪する。契約している召喚獣には、心の声が届く。
でもフェリュンは、放してくれない。
――牙が、牙がっ、刺さりそうっ! フェリュンごめんなさいっ!!
召喚獣は普通契約者に従順なのに、フェリュンは反抗的。攻撃的な性格のトリアのせいか、はたまた私が落ちこぼれのせいか。
とりあえず、召喚獣が反抗的な点は、減点されている。
そこで、フェリュンのものではない咆哮が響いた。またルプウンカニスが起き上がったみたい。おかげでフェリュンから、解放された。
「貴様……よくも小娘にオレ様を喚ばせやがったな!!」
フェリュンは吠えるなり、唸っていたルプウンカニスに向かう。
ルプウンカニスより一回り小さくとも、フェリュンは攻撃に優れたトリアの召喚獣。
右足で殴るだけで、ルプウンカニスを捩じ伏せた。それでルプウンカニスはノックダウン、白目を向く。
「ベス!」
漸く扉を開けられたらしく、アロガン先生が駆け寄る。
一方では、ウィル先生がルプウンカニスに拘束の魔法をかけていた。
のそのそと、フェリュンは私の方に歩み寄る。まだ怒り足りないのか、すごい形相だ。身構えたけれど、フェリュンの身体から赤い光が舞った。まるで焚き火の火の粉のようにきらめく中で、フェリュンが消える。
またかぶり付かれずに済んで、私は胸を撫で下ろした。
すると、横からベリッと口に貼られたテープを外される。アロガン先生だ。口が自由になり、私は深く口から息を吐いた。
「相変わらず、フェリュンになつかれてねーな……? ルビドット」
アロガン先生がフェリュンについて感想を漏らす。
そんなことより、助けるのが遅すぎじゃないですか?
恨みがましく、アロガン先生を睨み上げる。先生は苦笑を漏らす。
「不慮の事故だ、すまない、本当にすまなかった」
扉が開かなかったのは、不慮の事故。アロガン先生は、心を込めて謝罪した。
魅惑的なイケメンであるアロガン先生が、滅多に見せない申し訳なさそうな表情に、怒りが減ってしまう。
「お前に怪我がなくてよかった」
アロガン先生の両手が、私の頬に当てられる。その距離で甘い笑みを向けられて、顔が赤くなりそうになった。
鬼畜教師のくせに、これは反則過ぎーっ!!
慌てて顔を背ける。真っ赤になったかもしれない顔を隠した。
「もういいです! うわっ!?」
席に戻ろうとしたけれど、足元から崩れ落ちてしまう。安心しきって、腰が抜けてしまったみたい。肌にピリピリと痺れがあって、力がもう入りそうにもなかった。
「無理もない、ほら掴まれ」
掴まれって、どこに?
後ろから声をかけてきたアロガン先生は、なんと私を抱え上げた。あまりにも驚いて、言葉を失う。
イケメンにお姫様だっこなんて、経験も免疫もないわけで、バクバクと心音が高鳴り、じゅわりと顔に熱が広がった。
「ぷっ……。真っ赤だぞ、ベス?」
吹き出したアロガン先生は、囁く。
言われなくってもわかってますわぁああああっ!
真っ赤な顔を、ブラウスの広い袖で隠した。4年生達に見られていると思うと、もう逃げたい。お家に逃げたい。
一番近くの空いている座席に降ろされた。背中に4年生達の視線が突き刺さる。振り向きたくない、絶対。
「壁の修理をしなくてはいけない、悪いが残りの7名は明日の朝ここに集合してくれ。試験は終わり、帰っていいぞ」
パンパン、とアロガン先生は言いながら手を叩く。拘束の魔法を解いたらしく、すぐに生徒達のざわめきに溢れた。
アロガン先生が魔法の壁の魔法を直すことを理由に、コロフォルムから追い払う。
「怪我はありませんか? ルビドットさん」
俯いている私の前に、膝をついてウィル先生が心配そうに見上げてきた。
「あ、ああ、大丈夫です」
一応、確認してみるけど、怪我はない。優しいウィル先生に、ちゃんと笑い返しておく。
「よかった、一時はどうなることかと……。変ですね、ルプンがあんなに怒るなんて……悪い夢でも見てしまったのでしょうか」
へにゃりと、ウィル先生は力なく笑う。そして伸びているルプウンカニスを振り返る。
悪夢を見て飛び起きたというより、鞭に叩かれて飛び起きたようだった。
「お前らも帰れ帰れ。話は明日でいいだろ」
アロガン先生が次に追い払おうとしたのは、特待生組。彼らが私を見ているけれど、アロガン先生に従って歩き出す。
彼らに囲まれた天使さんとまた目が合う。彼女は、やっぱり私に向かって微笑んでいた。
特待生組が、コロフォルムから出ていく。天使さんの微笑に疑問を抱いて、私は出口を呆然と見つめてしまう。
「ルビドット、ショックが大きいと思うが……明日から特待生にディーテールを教えてやってくれ」
アロガン先生に告げられ、私は間の抜けた声を出す。
「ディーテールの試験の最優秀者は、教える決まりだ。成績順位が上の者を数名。ルビドットは、アンジェリア以外の特待生が担当だ」
「……わ、私が、最優秀者?」
「明日残りの生徒の試験もやるが、ルビドットの得点を超えないだろう。お前が最優秀者だ」
あはは、と渇いた笑い声を出したら、口元がひきつった。最優秀者なんて、私には不似合い。
「ルプンを飛ばせるディーテールを使えただけでも、今回の試験でトップの得点を得ました。そしてディーテールで召喚魔法を使うのは、5年生になってから学ぶものだから、更に高得点です」
まだ私の前で膝をついているウィル先生は、本に書き加えながら言った。
5年生になってから教えてもらうはずだったディーテールの召喚魔法を土壇場でやって退けたの? 落ちこぼれである私が!? 奇跡か!
「他の魔法がからっきしだめでも、ディーテールを天才的に使いこなす例は珍しくない」
口をあんぐりと開けていれば、アロガン先生が言う。それは励ましなのか、それとも成績の悪さはおちょくっているのか。パニックを起こしている私には、全くわからなかった。
「で、でもでも、でもでもっ」
反論しようとしたけど、声が完全に裏返ってしまう。
「私は落ちこぼれですよ!? そ、それなのに、アンデアスに教えるなんてっ!」
ウィル先生もアロガン先生も、私の成績の悪さを嫌というほど知っているはずだ。
「ディーテールだけは、トップだ」
私のパニクる様が面白いと言わんばかりに肩を震わせて笑うと、アロガン先生は言い切った。
落ちこぼれの私が、特待生に教える。その義務が乗り掛かり、私は俯いた。緊張で吐きそうだ。
「大丈夫ですか? 保健室に行きますか?」
ウィル先生がまた心配そうに問う。大丈夫となんとか首を振った。
「送ってやるぞ」
「いえ、本当に大丈夫です。帰らせていただきます」
顔を上げないままポルタキーを取り出して、使う。先生方にろくに挨拶もしなかった。
扉を潜ってから、自分が家と間違えて草原に来てしまったことに気付く。
夕暮れの冷たい風が、草を波のように揺らして私にぶつかってきた。
いつも私がお昼寝をする木の大きな根には、天使さんが腰を掛けて私に微笑んだ。