002
世界で最も広大な土地と武力を有する聖ブルドスタイン王国、その首都サルドロン。
岸辺からは水平線が望めるほどの巨大な湖、ビスラック湖に隣接するこの都、かの勇者を輩出し、教会・騎士団・復興局の本部が置かれたサルドロンはまさに世界の中心にして聖王都と呼ばれるに相応しい都である。
そのサルドロンより南東へ、ビスラック湖から伸びる川沿いに、馬車で望めば一月はかかるその場所にスゼット村はある。
いや、あったと書くべきであろう。
酒場に宿屋、武具屋に魔具屋と、当初国民の食料供給のために開墾されたこの村には不必要な店が立ち並び、近年爆発的に人口の増えたこの村は町となっていた。
スゼットの町。
名産と呼ばれるような農作物や特殊な鉱物が取れるでも、対魔王軍の拠点になりえるわけでもなく、それなりの数の農民をそれなりの役人が収めるごくごく普通の村であったこの村が何故町へとなったのか、
「ようロイド、景気は……聞くだけ無駄だな」
「無駄って、酷いなおやっさーん」
町に点々とある酒場に、そこに答えはあった。
「俺だって命懸けで迷宮に潜ってんのよ? そんな言い方はないんじゃないの?」
迷宮、あるいはダンジョンとも呼ばれるそこには、一国の王をも凌ぐ財宝秘宝、如何な力も打ち破る強力な武器に魔術が眠るとされている。故に一攫千金を夢見る者達の集う魅惑の地、天国にして地獄の地である。
スゼットでこの迷宮が発見されたのは三年程前の事。近年、名だたる迷宮は魔王討伐以前にことごとく勇者一行によって制覇されており、もはやこの世に夢などない、迷宮探索を生業としている者達がそう嘆息していた。そんな矢先での迷宮の発見に世間は大いに賑わった。
人が集まれば宿屋は増え、宿場が出来る。商人が迷宮に挑む者相手に商売を始めれば、挑戦者以外の人間も村へと訪れる機会が増えますます村は発展する。村が町へと変貌を遂げるのにそう多くの時はかからなかった。
「命掛けってのはまぁ認めてやる。だがな、毎回毎回同じじゃこっちも張り合いねぇんだよ、たまにゃぁでかい山でも当ててみろよ」
酒場の脇、換金所と乱暴に彫られた看板の下で、閉じた口が隠れるほど立派な髭を生やした酒場の主人ドーノはカウンターの椅子に腰掛けため息混じりにそう言った。
「言って当たるなら苦労しねぇよ。じゃ、よろしく頼むぜおやっさん」
対して、カウンターの前でヘラヘラと締りのない笑みを浮かべる少年、ロイドはドーノに拳大程の麻袋を渡す。
「あいよ、つってもまたセイレーンの鱗だろ?」
ロイドから麻袋を受け取るドーノは中身を確認しやっぱりな、とこぼすと換金用の金庫から硬貨を取り出す。
「………おやっさん、これは?」
「これって、換金しに来たんだろ? 金だよ」
迷宮への挑戦者達の目的は、その最奥にあるとされる宝や武器である。しかし迷宮にあるのは何もそれだけではない。未開拓の迷宮には通常では遭遇できない魔物が多く存在し、これらの魔物から取れる骨や革、体液は新たな武器や防具に、特殊な生態系からなる植物群は薬として非常に重宝されている。
「金って、銅判じゃねぇか! それも、五枚って、昨日まで鱗三十枚は銀貨二枚で取引されてたろ!?」
そんな貴重な素材を買い取り、時には素材を求める者や危険な迷宮を安全に調べたい人間の依頼を仲介するその日暮らしの探索者達、夢見る愚か者、フーマー達の生活を支えとなっているのが酒場である。ドーノの酒場はスゼットがまだ村であった時から存在する酒場であり、ロイドが唯一利用するスゼットに数ある酒場の中でも信用度の高い酒場である。
「詐欺だペテンだボッタクリだ悪徳商法だぁ!」
その信用の高いはずの酒場で、ロイドは地団駄を踏み幼児さながら腕を振り回し罵倒ていた。
「何がぼったくりだ、自業自得だろうが」
銅貨十枚で銅板一枚、銅板十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨が一枚、銅板五枚もあれば二日は宿に困らないのだが、ロイドはこの査定に納得がいかないのだ。
セイレーンの鱗、半人半魚のこの魔物の鱗は一枚所持しているだけでも水精魔法の耐性が劇的に上昇し、この鱗で作られた鎧は金貨十枚で取引される程のレア素材である。
その鱗の価値が銅判のはずがなく、事実昨日までの相場は間違いなく鱗三十枚で銀貨二枚相当の価値があったのだから、ロイドが駄々をこねるのも仕方がない話しである。
「お前が馬鹿みたいに持ってくるせいで、こいつの価値が下がったんだよ。当然だろうが」
しかしここ半年程、ロイドは迷宮で発見した地底湖の浅瀬に落ちていたセイレーンの鱗を、集めては納め集めては納めと迷宮探索の採取法としては地味にも程がある作業を繰り返していた。セイレーンの鎧も素材が増えればそこまで貴重な武具ではなくなり、そもそもスゼットの迷宮は水精魔法を使う魔物はそう多くはない。
需要と供給のバランスが崩れればその価値が下がるは自然の成り行きであった。
「ったくよ、てめぇも一端のフーマーだろうが、ちったぁ相場の状況くらい確認しとけってんだよ」
「あぁ~あ、せっかく楽に稼げると思ったんだけどなぁ~うまくいかねのな~」
「なにが楽して稼ぐだ馬鹿野郎、仕事ナメんな!」
ブツブツとロイドの態度に悪態を付くドーノは、換金のために持ってきた簡易金庫をしまうため奥の部屋へと一端戻った。
ロイドとドーノ、かれこれ二年近く酒場のマスターと一介のフーマーとして付き合いを続けてきた二人。しかし酒場のマスターなんて人情味溢れる職業に付くドーノが年若いロイドをただのフーマー扱いできるわけがない。ドーノにとってロイドは人生の先輩として導くべき若人であり、息子同然なのだ。
「だいたいお前は迷宮の危険さを未だに理解してねぇだろ!」
ここは一つ説教の一つでもたれてやろう、と老婆心を奮い立たせるのも当然の流れである。
「迷宮には常に死が……ロイド?」
しかしそんなドーノの御心など露知らず、ロイドはすでにカウンターから姿を消し、
「こんちわ~、なぁんかここいらじゃみかけない美人さんがいるから思わず声掛けちゃったけど、もしかして君、観光客?」
酒場の入り口近くで座っていた女性客に声を掛けていた。
「こんなド田舎くんだりまで何見に来たの? ド田舎人の主食、知りたいならおすすめのド田舎料理の店紹介するけどこの後時間とかある?」
訂正、ナンパを敢行していた。
「え、いや、その」
タイトな黒いパンツに白いシャツ、小さなポケットがいくつもあるベストを着たいかにも探検家の様相を呈した赤毛の彼女。果たして彼女の職業はなんなのか、どうしてこの酒場に足を踏み入れたのか、正直なところロイドにとってそんな事は右手と左手の中指はどちらが長いのか並にどうでもいい事であり、何より大事とされるのはその彼女が美人であるか否か、その一点のみに注がれていた。
「私、別に、この町のこと…田舎だなんて…」
整った鼻立ちを挟む、やや垂れ気味の目尻の横では青い瞳が突然の問いかけにどう答えるべきか見えない答えを求めて右へ左へとせわしなく動いている。
美人、それもなかなかの美人。
しかもその美人ちゃんは動搖している、ロイドはそのチャンスを逃さなかった。
「うわ~、こんなくだらない冗談本気で捉えてくれるなんて、やっぱり外から来た美人さんは中身も美人だよね~、そうそう俺ここに二年住んでるからある程度詳しいんだよ、こんな俺の言葉に答えてくれたお礼に是非町の案内とかさせてほしいな~」
ナンパの基本は攻めである。初撃は一方的な挨拶、提案、様子見の返答にはなんであれ相手を賞賛する言葉を述べ、相手の反応如何ではすかさず二波三波を打ち込む。幸い相手はナンパのあしらい方を知らない素人さん、絶え間ない砲撃を撃ちこみ混乱させたところで救いの手を導けば成功の確率はグッと上がること間違いない。
「まぁ、いきなりどっか行こうってのがそもそも間違いだったよね、ごめん、とりあえず隣座ってもいいかな~?」
「ま、まぁ、席ぐらいなら」
よし、これはイケる。
ロイドはテーブルの女性に見えぬよう小さくガッツポーズを取った。
「あんらぁ、ウチの依頼人にナンパだなんて妬けちゃうじゃない?」
しかしその拳は、背後から放たれた妙に色っぽい声によって石化する。
「ジ、ジド姐さん」
「んもう、ジュディって呼んでっ」
腰まで伸びた艶のある黒髪を妖しく揺らす、美女。無骨なブーツとカーゴパンツを履いたその美女は下半身こそ迷宮に望むフーマーとそう変わらぬ姿ではあったが、対して上半身はといえばタイトな黒シャツに身を包みボディライン丸見えのはち切れんばかりの胸元を晒している。十人男がいれば十人が振り返る、一流の娼婦顔負けの色香を備え付けている美女、そしてなによりその喉元は、
「ロ・イ・ド・ちゃん」
もっこりしていた。
「い、いや、そのまさかジド姐さんの依頼人とは露知らずとんだご無礼をいたしました、あはは、んじゃこれで失礼します」
ロイドは女好きである。
東に水浴びをする娘がいれば、行って肩を流そうと近づき
西に汗かく美少女がいれば、行ってその服が汗で密着するさまを愛で
南に夫の墓へ参る未亡人がいれば、行ってその涙を拭い食事に誘い
北の老婆は素通りした。
振られども振られども、次々と女性とあらば声を掛けナンパを繰り返す様から、ついたあだ名がナンパ狂いの女たらしクソ変態、もはや罵倒であった。
ともかくそんなロイドが昨年この町にフーマーとしてやってきた美女に声を掛けないはずもなく、
「あらんもう行っちゃうの? つれないわねぇ、アタシはいつでもいいのよ?」
また同じく男好きのジドに捕まらないわけがなかった。
「あ、いやぁ、ジド姐さんのお誘いはありがたいんですが、ちょっと自分も用事がありやして、すんません、今日のところはお暇させていただきやす~」
ロイドは女好きであり、ナンパ狂いの女たらしクソ変態ある。
しかしその守備範囲は性別の差を乗り越えるほど広くはない。
「もう、ロイドちゃんのい・け・ず。据え膳食わぬはって言葉、聞いたことある?」
ジド・オー、自称ジュディ。類まれなる美貌とダンディズム溢れる美声、天から組み合わせてはいけない二物を奪った者の名である。
「ないですないですないです!」
椅子に座ったロイドに枝垂れかかろうと手を伸ばすジドから逃れるため、ロイドは椅子から転がり落ちるように降りると四つん這いのまま入り口へ向かって直進する。
「あらあらあら、お馬さんごっこ?」
しかし一度狙いを澄ましたジドの魔手は決して獲物を逃さない。
「え、あ!?」
ジドの右手はロイドのヨレヨレになったシャツの襟首をガッチリと掴み、筋骨隆々とは言いがたいその細腕で、小柄とは言え男であるロイドの体を悠々とつまみ上げる。そんなジドの伸びた右手の先で、手足を必死にばたつかせ抵抗するロイドの姿は子犬か子猫の様であった。
「ちょ、姐さん何を!?」
「マスター、二階、空いてるかしら?」
ドーノの酒場は一階が酒場と換金屋、二階が宿屋となっている。夜飲みに来た客がそのまま泊まれる様になっており、その性質上風呂もクローゼットもない、ベッドだけがある宿部屋となっている。つまり野宿よりはまし程度で利用する宿であって、長期滞在にはとんと向かない素泊まり専用宿。よって昼間は、
「空いてるにきまってんだろ、好きに使いな」
死刑宣告とも言えるその言葉に、ロイド手足が再び石化した。
「い、いやぁぁっああああああああああああああああああああああああああああ」
恐怖に顔を歪ませるロイドを差し置いてジドはニコリと微笑み舌なめずり。
さようならロイド、次に相まみえる時は大人の階段を数段飛び越え、新世界の住人となっていることであろう。
「あ、あのすいません、私の依頼はどうなるんですか?」
誰もがそう思い、ロイドに黙祷を捧げる中、一筋の希望の光が彼に差し掛かった。
「あら、ごめんなさいアタシったらつい。もうすぐアタシの部下が来るから、それまで依頼内容の確認しとかないとねぇ」
ジドは空いている左手で自らの頭をはたき舌を出す。
てへっ、と見るだけならば愛らしい仕草も、正直凛々しい声色のせいでおぞましい事この上ない。
「……つい、で殺されてたまるか畜生!」
その隙をついてロイドは右手の拘束から脱出する。小さく悪態をつきながら脱兎のごとく、テーブルの間を駆け抜けるとカウンターを飛び越え酒場のマスター、ドーノの元へ。
「……おやっさん! なんであの女の子が姐さん付きの依頼人だって教えなかったんだよ!」
「教えるも何も、テメェが勝手に話しかけてたんだろうが、だいたいいくら観光客が多くなったからってカタギの女がこんなとこに来るかよ馬鹿が」
観光地とは言え酒場である。それもフーマー、迷宮という危険に臨む荒くれ共の集まる酒場に、一般のそれも女性がフラリと訪れられる様な場所ではない。
しかし納得の行かないロイドはカウンターの影に隠れてブツブツとドーノに抗議をし続ける。
端から見れば本当に親子の様な二人、そんな二人をテーブル席からふと目にしたジドはクツクツと笑う。
「あの、ジュ、ジュディさん?」
「ごめんなさい、あの子、かわいいでしょ………手ぇだしたらゆるさないわよ」
一年前まで数打ち当たる事もあったナンパが、ジドと出会ったその日からパタリと女性にお近づきになれなくなったのは、ジドが睨みを効かせていたとかいないとか。
ま、そんな話は置いといて、とジドは続ける。
「四階層の探索よね? あそこは通常四〇以上のルゴスが無いと探索なんてとてもできないんだけど、貴女ぁ、タニアさん? はいくつくらいなのかしら?」
「……十六です」
おどおどと自信なさげに答える女性、タニアの言葉にジドは予想通りの数値に肩をすくめる。
「まぁそうよねぇ普通に暮らしてたらそうそう上がるものでもないしねぇ」
神話の時代、数々の試練を乗り越えし英雄ルゴス。
先人はこの英雄からあやかり、人々が神より与えられし試練を乗り越えるための力をルゴスと呼ぶ。
試練と一口に言っても様々あり、荒れ狂う海を乗り越える事や強大な魔物に打ち勝つのもまた試練であり、生まれた赤子が一人で立ち上がる事もまた神より与えられし試練である。
その試練に打ち勝つ力がどれだけあるのか、ルゴスとは大小様々ある試練を乗り越えられるか否かを指し示す総体的な数値なのだ。
一般に人間が生活に最低限必要とされるルゴスは二十前後、兵士やフーマーなど危険と隣合わせの職業に付く者のルゴスは四十前後、その中でも達人とされるものは五十を軽く上回る。
「まぁアタシや野郎共のルゴス合わせれば四階層くらいは何とかなるでしょっ。迷宮に入ったら、言うこと聞きなさいよぉ」
「は、はい」
「あと、これ、貸しておくから常に掛けておきなさい」
ジドはそう言うと、淡い青色のレンズが特徴の片メガネをタニアに渡す。
「これは?」
「百聞は一見に如かずって言葉知ってる? とりあえず掛けてごらん?」
タニアは言われるままに片メガネを右目に掛ける。
「えっと、炎が、これって?」
レンズの越しに見えるジドの胸辺りに、拳程の青い炎が五つ、親指程の炎を六つを囲むようにしてゆらゆらとおぼろげに燃えていた。
「それはレンズ越しにルゴスを視覚化してくれる魔具なの、大きい炎が十単位、小さいのが一単位ね」
つまりジドのルゴスは五十六。
達人の域に達するこの数値、新しい迷宮にこぞってやってきたフーマーの中でも間違いなく上位の存在である。
「それが有るのと無いのとじゃ、新人の生き残る確率が十倍位違ってくるとぉっても便利な道具なのよ? ただ、魔物であれ人であれ、体の半分位は見えないと表示されないから気をつけなさい」
「あ、はい、ありがとうございます」
ジドの忠告に耳を傾けつつも、他人のルゴスが見える、と言う珍しい光景にタニアは酒場を見回せずにはいられなかった。
皿に盛られた肉団子を肴に杯を煽る剣士らしき男の胸に、大きい炎が四つ、小さな炎が八つ。
店の扉を勢い良く開け、続けざまに酒を注文する青年の胸に揺らぐ炎は大きい炎が四つのみ。
給仕の少女は一つの大きな炎を囲むようにして九つの小さな炎が揺れている。
忙しなく頭を右へ左へと振るタニアの様子をジドは微笑みながら見守る。
ルゴスは本来その人間がどれだけの試練を乗り越えてきたのかを示す値である。ルゴスは高ければ高いほど多くの試練を乗り越える力がある、単純に強いのだ。
この店にジドよりルゴスの高い人間はいない。
それを視覚化して見せつける。
依頼人の信頼を勝ち得るのに、これ以上ないデモンストレーションはないのだ。
「………」
その依頼人であるタニアの視線がピタリと止まった。
「あら、目ざといのね」
その視線の先にいるのは、先ほどタニアをナンパしてきた少年、ロイドだ。
「あのあの人、フーマー…なんですよね?」
なぜ彼女の視線が彼に釘付けなのか、
「不思議でしょ? 彼、ルゴス二十しかないのよ?」
それはジドとは全く逆の理由であった。
「わ、私とそう変わらないルゴスで、フーマーが」
「できないわよ、普通は」
タニアの言葉をあっさり否定し、ジドはどう説明しようかと右手の人差指を顎に添える。
「彼はね、ユニークスキルの持ちなのよねぇ」
試練の先に恩恵あり。
多くのフーマーが課題としている物の一つにルゴスの底上げがある。
これはルゴスが一定の値を超える時、試練を乗り越えし者に神から与えられる特殊技能を授かる事ができるからであり、それをスキルという。
剣の切れ味が増す、魔法の威力が上がるなど戦闘に関する物から、美味しく料理ができる、質の良い武器を作れるなど生活や商売の役に立つ物まで、その人のどのような試練を乗り越えてきたかによって与えられるスキルは様々ある。
その中でも特に有用で珍しい物をユニークスキルと呼ばれる。
「なんでも自分に降りかかる危機や危険を察知できるらしくってね、彼はそのスキルのお陰で一人で迷宮に潜れちゃうの」
一人で迷宮に潜る、そのジドの言葉にタニアは驚愕する。
迷宮は浅層であれ深層であれ命を失う可能性が有ることには変わらぬ死地であり、その危険を少しでも回避するために徒党を組むのが常識なのだ。
一人で迷宮に潜るとは自殺と同意語といっても過言ではない。
「そんな、だったらなおさら高いルゴスを保持していないと」
「話聞いてた? 危険を察知できるって事は、それを避ける事も容易って事なのよ? 罠も魔物もかち合う前に、レアな素材や道具なんかをかっさらってるって話」
ほんと羨ましいわ、と続けるジドにようやくタニアはロイドのルゴスの低さを理解した。
ルゴスの値は試練を乗り越えし者のみがその数を増やして行く代物であり、試練を避け続ける者は当然低いままなのだ。
「ま、だから彼も迷宮の外では大変なんだけどねぇ」
そんな迷宮内外にかかわらず、事逃走に関して無敵とも言える力をもつロイド、現在カウンターの中でマスターと言い争う彼に対してジドは憐憫の目を向けていた。
タニアが何故そんな事を言い出したのかと再び問おうとすると、
「見つけたぞクソガキィ!」
その答えはジドが発するまでもなく、自ずと店にやってきた。
「てめぇよくも俺らを騙しやがったな!?」
入店後、ロイドを見つけるなり怒鳴り散らす男。いたるところに鋭利な刃物で切られたようなズタズタのレザーアーマーを身に纏うその男は、そのすぐ後に入店してきた男と同じく今にも崩れ落ちそうな装備を着た二人の仲間と共に彼のいるカウンターへと一直線に向かう。
「………えっと、どなた様?」
しかしそんな男の激情とは裏腹に、あっけらかんとした様子のロイドに男はますます激昂する。
「覚えてねぇとは言わせねぇぞ? テメェから高い金で迷宮の嘘の情報買い取ってまんまと死にかけちまった哀れなフーマーよ!」
「……あー、この前セイレーンの鱗どこで取ってるか聞いてきたオジサンかぁ。いやあれ嘘じゃないし、鱗落ちてなかった?」
「あぁあぁ山程あったよ、まぁそりゃあるわなぁ………なんせ巣の中なんだからなぁ!!!」
迷宮にある正規ルートから外れた場所で発見された地底湖。ロイドから聞き出したその場所でセイレーンの鱗を発見した男とその仲間達はこぞって拾い集めていた。しかし不審な物音に顔を上げれば目の前にはセイレーン群れが、慌てた彼等は水魔法の飛び交う中命からがら逃げ帰って着たのだと言う。
「いや、だからだいぶ危ないっていったじゃんか」
「危ない? 危ないだぁ!? あれは危ないなんてもんじゃねぇ! テメェ本当は別の場所で鱗集めてんだろ? あぁ!?」
ロイドの教えたその場所は確かに大量のセイレーンが集まる場所には間違いないが、決しては巣ではない。セイレーンが群れで陸上の獲物を狩るための狩場であった。セイレーンがよく集まるが故に、鱗がよく落ちているためセイレーンが来る前に拾って、セイレーンが来ればすぐ逃げる。うまくやれば簡単に鱗を手に入れられるのだが、群をなす魔物の狩場に少人数で赴くなど正気の沙汰ではない。
「お陰でこっちは死ぬ目にあって、しかも命掛けで取ってきた鱗も値崩れてるときた! テメェどう責任取ってくれんだあぁん!?」
「そうだそうだ、金貨十枚はよこしやがれ!」
「できねぇことはねぇよなぁ? あぁ?」
しかしそんな正気の沙汰とも思えぬ行動も、魔物の居場所がわかるユニークスキルを持つロイドにしてみればそう難しい事ではない。
一人で、迷宮に入る。それはリスクと引き換えに報酬を独り占めできると言う事であり、そのリスクを悠々と乗り越える彼は多くのフーマーにとって羨望と嫉妬の対象であり、
「迷宮乞食さんよぉ!」
戦わずして迷宮を探索する彼は一部の人間から迷宮乞食と呼ばれている。
「いや、後半に関しては俺も被害者だからね」
「いやいや値崩れはお前のせいだろうが」
「いやいやいやいや、そこ養護してくれよおやっさ~ん」
つくづく不名誉なアダ名ばかり付けられるロイドだが、そんな事には意にも介さずドーノと話をするその様子に、男達はますます苛立ってゆく。
「ジ、ジュディさん、彼を助けなくていいんですか?」
いくらユニークスキルを持っているとは言え、戦闘に関係ないスキルではルゴス二十のロイドが怒れる三人の男達の相手などできるはずがない。
心配するタニアをよそにジドは給仕の少女に酒を注文をしていた。
「ジュディさん!?」
「もう、あんな雑魚共も対処できないロイドちゃんじゃなくってよ?」
心配するだけ無駄よ、と言わんばかりにジドは背もたれに体を預けると大仰に肩をすくませて見せた。
「てめぇ俺達を舐めてんのか!?」
「まさか、何が悲しゅうて油ギッシュな中年親父どもを舐めにゃならんなのよ」
「あぁ!? てめ状況わかってんのか? ぶっ殺されてぇのか!?」
今にも剣を抜かんとする男達。ロイドはそんな男達を尻目に、わずかに口元を綻ばせ己が右手をゆっくり上げてゆく。
「な、何するつもりだ…」
ロイドの行動に男達は剣の柄に手をかけ片足を引く。一髪触発、異様な緊張感に包まれた酒場の中、ロイドの右手人差し指が男達の左後方を勢い良く指し示す。
「ああ!? リーゼちゃんがずっこけて大人パンツが丸見えに!?」
な、なにいってやがんだこいつ!?
指し示された人差し指に釣られて、思わず振り返る男達の視線の先には、いわれのない嘘に酒場中の視線を一身に浴び、真っ赤な顔をした給仕の少女、
「……え、ちょ………もうっ!?」
ニキビの後がまだまだあどけない、けれど体はもう立派な大人の仲間入りを果たしているドーノの娘リーゼ十五歳の姿があった。
「こんの変態!?」
リーゼは手に持っていたお盆をロイドめがけて投げ飛ばす。
そのお盆の軌道を見て、男達はようやく我に帰る。
「はーはっはっは迷宮乞食のこの俺がまともに戦うわけねぇだろバァーカあいてっ!?」
お盆は男達の背後ではなく、酒場の入口めがけて飛んで行いき見事ロイドの顔面へとめり込む。
そう、男達がリーゼに気を取られている間に、ロイドはカウンターを乗り越え脱兎入口向かって一直線に駆けていたのだ。
「あのガキいつの間にっ!?」
言っている間にロイドは酒場を飛び出し、男達も慌ててその後を追う。
「どう? 大丈夫だったでしょ?」
一瞬の静けさの後に、見事窮地を切り抜けたロイドを賞するが如く、酒場は爆笑の渦に包まれて行く。
「………」
脱出のダシに使われたうえはず辱めまで受けたリーゼと、下品極まりない脱出劇を目の当たりにし脱力するタニアを除いて。
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