001
世界は救われた。
しかし平和は訪れなかった。
新たな魔王の登場、旧魔王軍の残党による襲撃、魔王側にあった人間の自暴自棄による被害。中には勇者の求心力を恐れた一部の貴族が勇者暗殺を企てる事すらあった。
世界は救ったが平和にならなかった、ならば平和にしようじゃないか。
勇者は人類に絶望することなく、魔王討伐の莫大な報奨金を使ってある組織を作ったのだ。
戦魔災害復興支援局、トライアンフ。
国の手が行き届かない村や町の復興支援、魔族への対処法の伝授、問題の原因である魔王軍残党・魔族の調査し騎士団を派遣討伐、豪雨や積雪などの災害に見舞われた人々への救済など、先の戦にかかわらず人々を救済する組織として、その活動は戦の被害の少ない別の大陸にも及んだ。
名実共に世界を救う正義の組織、ついたアダ名が救済機構。
トライアンフは勇者という強力な後ろ盾の下、この世界で唯一、国境という枠を超えた組織となり、その支部は今や全ての国に存在する。
「あ、あの、困ります!」
「ええい! うるさい!」
そんな復興局本部は聖都を覆う城壁の外、聖王都壁外西区に位置しており、世界に名高いこの組織を一目見んと訪れる観光客は少なくない。
「アラクネアはいるかぁッ!?」
しかしその日は魔軍を討ち果たした騎士団の凱旋とあって一人の観光客もおらず、かわりに額に青筋を浮かせ怒鳴り散らす小柄な男がいた。
「アラクネアァッ!!」
復興局本部は創設初期の拠点であった石塔を、その後増設された五棟の連結した局舎で囲むようにできている。
男の目指す先は中央の石塔、復興支援を必要な現場を調査を旨とする情報部と局長室のある一号棟。
「ちょ、誰か止めないのかよ!?」
「止めろって、どうやって!?」
この一号棟は深い堀に囲まれている。つまりここに入るには入り口から最も遠い、入り口の反対側にある一本の連絡通路を通らなければならず、部外者は大概この連絡通路を見ることなく門番や警備によって取り押さえられるのだ。
「相手はアルケーオの副騎士団長だぞ!?」
しかし、この部外者は権力者であった。
一角獣を模した青い紋章。
聖王国最強、すなわち世界最強の騎士団、聖アルケーオ騎士団。
その紋章を胸に刻んだ、白銀の甲冑を身に纏う男の名はケイネス・マクガイア。
「どけぇ! 邪魔をするなぁ!!」
聖都へ凱旋するなり復興局へと乗り込んでいったケイネスの進撃はとどまる所を知らない。
門番を一喝し正門を突破、業務に忠実な受付嬢に吠えると、環状の廊下を目的地目指して脇目もふらずに歩いて行き、やがてその眼前には白磁のタイルで敷き詰められた渡り廊下が現れる。
「アラクネアはただ今外出中です」
しかし、その行く手を一人の少女が遮った。
束ねられた長い金髪は邪魔にならぬよう後ろでまとめ、赤いシャツに騎乗用のフロックコートを着た十代中頃の少女。一見、乗馬を嗜む貴族令嬢、そんな気品さえ伺える彼女だが、
「それと、恐れ入りますが、要件があるのでしたらまずは受付にお願い致します」
物腰柔らかい口調とは裏腹に、その金の瞳は敵意に満ちている。
「……おのれ」
ここまで彼を止めようとしたのは少女だけではない。門番に受付嬢、廊下では何人もの男性局員が彼を止めようと行く手を阻んだが、誰一人として怒れるケイネスの足取りを止められるものはいなかった。そのケイネスが、小柄な自分より更に小さい、華奢な少女を前に初めてその歩みを止める。
「はっ、まさかとは思うが、それでこの私を撃とうとしているわけではあるまいな?」
ケイネスの侵攻を押しとどめた要因、彼の言う『それ』とは少女の右肩に担がれた得物。
銃。
まだ世界が魔王の恐怖に怯えていた時代、魔法や剣のように長い訓練を必要とせず民を兵とするために考案された武器。しかしその実、面を攻撃する魔法や剣と違い、点の攻撃を強いられ、弓のように連射もできない、開発費も維持費も馬鹿高い非現実的な武器として今では一部貴族の狩猟や骨董品としてのみ扱われている。
「復興局は王と教会に認められた正式な組織です。乗り込むにしても正規の手順を行っていただけないなら、こちらもそれ相応の対応をさせていただきますが、どうします?」
言いながら、彼女は銃を構える。
「………」
こけ脅しだ、とケイネスは思う。なぜなら彼女の構える銃には、銃の命とも言える火種がついていない。火種のついていない銃など引き金のついた棍棒である。
その棍棒を殴るでも突くでもない、撃つために構えるなど茶番にほかならない。
「では、こちらも相応の対応をさせてもらおうか?」
その茶番台無しにしてくれる、ケイネスは剣を抜いた。
「……本気ですか?」
「知りたいか?」
ケイネスは問い返すや否や、剣を振り上げ跳ぶ。
その体は弓矢が如く、剣の煌めきは軌跡となり一直線に少女の首元へと駆けてゆく。
「ならば答えよう」
瞬く間もなく、ケイネスと少女の立ち位置は逆転し、その剣は彼女の首元にピタリと添えられていた。
「この私を相手に茶番を演じたいのであれば、もう少し腕を磨け」
聖アルケーオ騎士団副団長、その肩書に見合う実力を見せつけたケイネスは少女の返答を待たずして剣を鞘へと収め、一号棟へと歩みを進めんと少女に背を向ける。
「………ほう」
そしてその目線の先にある銃口が、火を噴いた。
狭い空間での発砲、音の波は空気揺らす。空気の波はやがて廊下の窓ガラスに蜘蛛の巣を張ると同時にケイネスの体を収縮させ鼓膜と思考に静寂をもたらす。
「茶番じゃお気に召さないってんなら本番おっぱじめてやろうか? 別にこっちは静かなら生きてようが死んでようがかまいやしないんだ。黙って帰んな」
背後にいたはずの少女はケイネスの半歩先で、言いながら銃口に手を伸ばし、鉛の球を込め再び銃口を向けていた。
「空砲、か」
火種は変わらず無い、しかし空砲を合図に自ら茶番の幕を下ろした少女に始めから躊躇など存在しないことをケイネスは理解した。
「……貴様、名はなんと言う?」
「フライア・ティーガー」
なんの臆面もなく、少女、フライアは名乗る。
「フライア・ティーガー………覚えたぞ」
ケイネスは低い声でそう言い踵を返す。
あまりにあっけない幕切れ。
遠巻きに集まっていた誰もがこの後に起こるであろう劇的な事件に、ある者は慄き、あるいは期待を寄せ、二人の動向を見守っていた。
しかしその実は何もなかったのだ。
罵声、戦闘、破壊、想像しうる最大限の惨事に身構えていたにもかかわらず。
皆はただただ道を開け、その中を平然と歩く渦中の人を、呆然と見ているしかなかった。
どうしてケイネスはここにやってきたのか?
どうしてアラクネアの名を叫び激昂していたのか?
騎士団は今、王都で盛大な凱旋パレードの真っ最中なのだ。
魔王軍の大群を討伐するという偉業を成し遂げた直後の行動として、ケイネスの行動は多くの局員にとって不可解な物だった。
そもそも、復興局と騎士団は協力関係にあるのだ。
危険な魔族、魔王軍の残党、山賊、野盗、荒れた土地の復興を行う際必ずといっていい程に現れるその障害は、復興局が騎士団に救援を求める事で解決し、騎士団は代わりに栄誉を得る。
復興局創設当初こそ勇者一行によって、魔王軍残党や野党などの殲滅を行っていたが、組織が大きくなるにつれ騎士団へ救援を求めるようになり、昨今では復興局が表立って戦闘を行う事などまずない。
これは組織が大きくなり戦力が足りなくなったというのもそうだが、復興局が力を持ちすぎれば、貴族や王、権力者にとっては脅威であり、再び勇者は命を、復興局は閉鎖に追い込まれかねないと判断した結果である。
復興局には戦う為の力はない。戦うのは騎士団であり、敵が去ったその後始末をするのが復興局である。
これが世の認識する騎士団と復興局の関係である。
前者は恐怖を払う剣として、後者は人々を守る盾として、非常に良い関係であると言っていい。
もちろん復興局の戦力がゼロというわけではない。
戦魔災害復興支援局局長代理 ルトエノ・アラクネア
勇者と共に魔王を倒した英雄の一人にして稀代の魔女、ケイネスがしきりに叫んでいたその名は復興局の事実上のトップの名である。
本来、復興局のトップは勇者である。しかし勇者は十年前から行方知れずとなっておりそれ故の“事実上”なのだ。
原因は不明である。
本当の所、勇者はすでに死んでおり復興局はその事実を隠している、だとか
身分を隠し世界を旅しながら世にはびこる悪と人知れず戦っている、だとか
異世界の魔王と死闘を繰り広げている、だとか
様々な憶測がたてられる中、勇者の代わりに復興局を切り盛りし、彼女は今や局の看板とも言える存在である。
当代最強の魔女、黒き雷神、笑う魔導書、世界で今最も輝いている女性、様々な異名を持つ彼女は復興局最大戦力であり、勇者不在の今は聖王国の切り札とすら噂される程の力を保持している。
また復興局の自衛のための警備部、情報部も魔軍と接触する可能性の高いその性質上高い武力を持ってもいる。
しかし、その力はあくまでも最低限度であり個人の力である。いくら一人の力が強いとはいえ集団である騎士団と渡り合うような力はないのだ。そもそもからして復興局は戦うための組織ではなく、畑違いの復興局にケイネスが、騎士団副団長が激情のままに乗り込む理由が無いのだ。
「………ちっ」
そんな呆ける局員中で最初に口を開いたのはフライアだった。
「あんの白狸」
先ほどまでの怒りなど微塵も感じさせないケイネスの背中を、照門越しに見送るフライアは再び銃を担ぎ直すと忌々しげに呟く。
彼女は知っているのだ、畑違いのこの場所にケイネスが乗り込んできた原因、その一端を。
「ずいぶんあっさり引いてくれるじゃないの」
しかし同時に彼女には、ルトエノ不在のチャンスを無下にしたケイネスの思惑まではわからなかった。
銃で脅す、撃って脅す、それでケイネスが引くとは思えない。彼女は命を賭けたのだ、空砲を撃ったあの時腹を括ったのだ、しかし彼は見事にそれを裏切った。
なぜならケイネスは今、至って冷静に帰途に付いているのだから。
世界最強の騎士団副団長にまで上り詰めた男が、銃を、まして空砲を撃たれたくらいで冷静さを取り戻すような小心者ではお笑い種だ。
導き出される答えは一つ、ケイネスは演じていたのだ、怒れる自分を。
では何故なのか? 何故怒りを演じ、しかも目的地を目の前にしてやめてしまったのか。
「ティ、ティーガー殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!?」
そんなフライアの思考は、悲痛な男の叫び声によって打ち切られる。
「何よヨシミツ、あんた来るのが遅すぎなんじゃない?」
「な、何よではありますまい! 貴女は今しがた何をしたのかわかっておられるのか!?」
渡り廊下を猛スピードで駆け抜け、フライアの下にたどり着くなり男は息を切らしながら抗議する。
「何って、狸狩り?」
「言うに事欠いて何を申されるかぁ!? 貴女は事の重大さを理解しなんだか!?」
「るっさいわね、ちょっと不審者を追い払っただけじゃない」
「ただの不審者ならいざしらず! 騎士団の副団長に向かって銃を撃つなど正気の沙汰とは思えませぬ!!」
「あぁもう、あんたも十分不審者みたいな格好の癖に偉そうな事言ってんじゃないわよ!」
不審者みたいな格好、フライアがそう指摘する男の格好は、確かに他の局員に比べれば異質極まりない物あった。
バスローブのようにゆったりとした紺色の上着に、同じく紺色のロングスカートを立てに割ってズボンのように仕立てた下着。極めつけは黒髪をまとめ後頭部からまっすぐ立てた、まるでヤシの木のような髪型。
青い瞳と顔つき以外は、とても同じ国の人間とは思えない男、ヨシミツ・クロウは確かに不審者と見間違えられても致し方ないそんな格好をしている。
「これはクロウ家男児の由緒正しき勤仕装束! 何一つ、不審な点なぞありますまい!」
「不審な点っていうか、不審だらけ? そもそも歩きづらくないの?」
「っはっはっは、なになにこれは袴と申しましてな? 己の足を隠す事で次の動作を予測させぬ攻め、そして同時に先祖伝来の歩行法を秘匿す守り、まさしく攻防一体の衣服!」
「へー、すごーい」
「っはっはっは、なになに、はるか東の島国よりこの聖王国へと渡来した我がクロウ家はこと戦闘においては秘伝の………っと、そのような世辞でごまかされるほど、このヨシミツ甘くはありませんぞ!」
「何言ってんのよ、十分乗ってたクセに」
すでにヨシミツに背を向け一号棟へと歩き出していたフライアは、恨めしそうに振り返る。
「だいたいなんなのよ、部下のクセに」
「ティーガー殿! 上下の問題など霞が如く! これはひょっとすればこの復興局全体に及ぶ大問題なのですぞ!?」
聖王国直属の騎士団副団長に発砲。
字面だけ見れば反逆罪にもなりかねない大事件、それもその犯人が同じ組織に属するとなればヨシミツが怒るのも当然の結果である。
「大問題? 狸狩が?」
しかし当の本人はあっけらかんと、しかめっ面のヨシミツなど歯牙にもかけず面倒とばかりに前髪をいじくる始末である。
「どうしてそんな悠長にしておられるのか!?」
「あんたねぇ、そんな事もわからないの? だからいつまでたってもヒラなのよ」
「なぁ!? 先程から口を開けば部下だのヒラだの、少しばかり昇進したからといっていささか調子に乗り過ぎであろう!?」
「あぁ~? 負け犬の遠吠えですかー? っはっはっは、悔しかったらアンタも昇進しなさいよ」
「なぁにをぉぉぉおお!? この妖怪底なし胃袋女めがぁ!」
「はーっはっはっはっは、字面が長いゴロが悪い!」
まるで子供のような口喧嘩を繰り返す二人に、先ほどの副団長との対峙を一目見んと集まった野次馬達は期待はずれな現場を前に一人また一人と渡り廊下を後にする。
「あ~あ、もう派手に騒いでくれちゃってまー」
しかし散り散りになる局員達の中に、渡り廊下を渡って二人に近づく者が一人。
「おぉ、これはオルレイン殿」
大きな欠伸を隠そうともせず、無精髭を掻きながら近づいてくる三十代にも四十代にも見える男、ハロルド・オルレインにヨシミツすかさず振り返り一礼する。その顔にはもはや怒りはなく、閉じられた両目はただ畏敬の念が込められている。
「………」
対して、ついさっきまで余裕綽々であったフライアは、ハロルドが近づくにつれその眉間に一本、また一本と皺が刻まれはじめ、
「内の管轄で面倒おこすなよな~、仕事が増えるじゃねぇか」
「・・・・・・・・・チッ」
彼が二人も下につく頃には苦虫を噛み潰したかの様な立派な渋面が出来上がっていた。
「お言葉ですが、あのまま放っておけば騎士団に情報が露見します。オルレイン統括部長」
「わかってるさ、その件は感謝してるよ。ただもうちょっと穏便にすませられんのかねぇ〜」
戦魔災害復興支援局情報部統括部長。
猫背によれよれになった上着を這おい、薄汚れたシャツはズボンからはみ出、まるで覇気のない眠たそうな目をこする彼の肩書はそれはそれは立派な物だった。
「警備部にでもまかせりゃよかったんだよ」
「警備部はそのほとんどが元騎士団です。彼らが超縦社会で有名な騎士団の、それも副騎士団長様を相手に出来るとは思えません」
「はぁ、まぁなら話し合いとかさ」
「話し合いの出来る状況であれば、そもそも騒ぎになりません」
「何か方法、あったんじゃないの?」
「マクガイア様はアラクネア局長代理をご所望でしたが、御不在でしたので受付が留守を任されている部長をお呼び出ししたそうです。しかし部長とはなぜか連絡が取れないとの報告があり、やむなく近くにいた私が対応したのですが、どちらにいらっしゃったんですか?」
「仮眠室」
フライアのこめかみがぴくりと跳ね銃を握る右手に力がこもる。
「……ぶ、部長の事ですので何かお考えあってのことだとは思いますが、仮眠室でなにを?」
「仮眠室でやれる事なんてたかが知れてるじゃないの。ははっ、おかしな事聞くねぇ、仕事のし過ぎで疲れてるんじゃないの? あはははは」
「あぁそうですね、そうですよね、あはははははははは」
二人の笑い声はしっかりと近くのヨシミツの耳に届いて、びっしょりと彼の背中を汗で濡らす。
殺意に染まった目はしっかりと標的を見定め、限界までつり上がった口端から溢れる笑声は瘴気となって辺りに漂っていた。
眠そうな目でヘラヘラとだらしなく笑うあの男には、フライアの右手からミシミシと悲鳴を上げる銃床の悲鳴が聞こえていないのだろうか。
「じゃ、まぁ二人には話があるから、早いとこ中入っちゃってね~」
ヨシミツの疑問に答えるまでもなく、ハロルドは二人を置いてそそくさと一号棟へと入ってゆく。
「・・・・・・・・・あの昼行灯、ふっざけんなアラクネア様から留守預かってんだろうが? てめぇで命張れってんだよクソッたれがぁ!!」
怒り心頭のフライアは感情に任せて廊下の柱に左拳を叩きつける。そしてゆっくりと壁にめり込ませたその拳をヨシミツに差し出した。
「ヒールかけて」
「承った」
予想以上の痛みに落ち着きを取り戻したフライアは、ヨシミツの魔法で回復した左手の感覚を確かめる様、開いては握る行為を繰り返した後、二人そろって一号棟へと赴くのであった。
次回、ワードにある程度書き込み次第だします。
お許し下さい。